後期旧石器時代の香坂山遺跡の石刃はユーラシア大陸を大急ぎで横断した最初の日本人のものか! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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国武貞克さんによると、佐久市香坂にある後期旧石器時代の香坂山遺跡で、ユーラシア大陸から日本列島に人類の祖先が渡ってきた年代を示すと考えられる多数の大型の「石刃」が見つかった。

この石刃の持ち主の人類はアフリカからユーラシア大陸を横断して日本列島に定住した日本人(縄文人、山の民、Y-DNAハプログループD)のルーツであると推定される。

これまでの研究や国武さんの調査で、「石刃が、イスラエルでは約5万年前、中央アジアのタジキスタンでは4万7千年前、中国では4万4千年前、韓国では4万2千年前のものが出土。ユーラシア大陸の東に向かうほど、2千〜3千年ずつ新しい年代のものが出ている。香坂山遺跡では約3万5千〜3万6千年前となっている」とのことである。


考察

ユーラシア大陸の東に向かうほど2千〜3千年ずつ新しい年代のものが出土しているが、朝鮮半島から日本列島へは約6千年を要している。日本列島が大陸から海で切り離されていた為と考えられる(参考)。


参考

①-1 大型「石刃」次々 人類渡航の足跡? 佐久の香坂山遺跡で発掘

信毎web 長野県のニュース(2020.8.25、参考)


佐久市香坂にある後期旧石器時代の香坂山(こうさかやま)遺跡で独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所(奈良市)主任研究員の国武貞克さん(45)が進めている発掘調査で、ユーラシア大陸から日本列島に人類の祖先が渡ってきた年代を示すと考えられる多数の大型の「石刃(せきじん)」が見つかった。大型の石刃は中央アジアや中国、韓国などで出土している。それらの年代を追い、今回見つかったものの詳しい年代測定を進めることで人類の祖先がいつ、どこから日本に渡ったのかの解明につながるとしている。

石刃の平均的な大きさは長さ4〜6センチ。大型の石刃は、ナイフのように使われていたとみられる。これまでの研究や国武さんの調査で、イスラエルでは約5万年前、中央アジアのタジキスタンでは4万7千年前、中国では4万4千年前、韓国では4万2千年前のものが出土。ユーラシア大陸の東に向かうほど、2千〜3千年ずつ新しい年代のものが出ている。

香坂山遺跡は1997年に県埋蔵文化財センター(長野市)が調査。大型の石刃が数点見つかり、約3万5千〜3万6千年前と後期旧石器時代では国内最古級の遺跡とされている。

国武さんは、97年の調査よりも多くの大型の石刃が見つかれば、人類の渡航の足跡を裏付けられると考える。8月3日に地元の考古学者の協力を得て数人で調査を開始。20日までに2区画計48平方メートルを深さ3メートル近くまで掘り、約3万4千年前よりも古い地層から長さ12センチ、幅3センチ、厚さ1・5〜2・0センチの大型の石刃を含む600点近い石器を発見した。石刃は放射線を使った測定で詳しい年代を調べる。

国武さんは「日本人がいつ、どこから来たのか、知りたいことに答えてくれる遺跡。列島にやってきた最初のホモ・サピエンスたちの姿が見えてきた」と話している。 (8月21日)


①-2 日本最古の人類の姿が分かる? 長野・香坂山遺跡で「ホモサピエンス」の石器がザクザク


毎日新聞(2020.8.26、参考)


伊藤和史



前半省略


出土した石器は約400点。中でも注目されるのが、長さ10センチを超えるものも含む大型の石刃と、長さ3~4センチほどと小さくて薄い小型の石刃の2種の石刃。大型石刃は97年の調査でも発掘されたが、この時代の小型石刃が見つかったのは初めてのことだ。さらに、尖頭器(せんとうき)と呼ばれる先のとがった大型の石器も見つかった。

この3種の組み合わせが日本列島で見つかったこと自体が初めてなのだが、興味深いのは大陸で発掘された石器との比較だ。

国武氏によると、「大型石刃・小型石刃・大型の尖頭器」の3種のセットは、アフリカを出た新人がユーラシア大陸に入り、西から東へ拡散していく時に持っていた石器の組み合わせという。言い換えると、大陸で後期旧石器時代が始まった時の最古の石器の組み合わせである。

その時期と地域は、おおよそで中東(レバント=4万8000年前)、中央アジア(4万5000年前)、中国北部(4万4000年前)、朝鮮半島(4万2000年前)などと時代を下りながらつながってゆき、それぞれ同じ内容の石器のセットが見つかっている。

以下省略


①-3 現生人類はいつ日本列島に 鍵握る石器、長野で出土

日本経済新聞(2020.12.14、参考)

香坂山遺跡で出土した大型石刃(左半分)と尖頭器(国武貞克氏提供)

日本列島ではどのように人類の歴史が始まったのか――。長野県の山中の遺跡でこの夏、考古学や人類学の一大テーマに関わる貴重な発見があった。アフリカを出て、ユーラシア大陸を東に移動した現生人類に特有の、旧石器時代の石器のセットが国内で初めて出土。謎解明の鍵を握る石器の年代が焦点となっている。

群馬県境に近い、標高約1100メートルの香坂山遺跡(長野県佐久市)で8~9月、奈良文化財研究所の国武貞克主任研究員が発掘調査を実施した。地表から約3メートルを掘り、3万年前の火山灰層のさらに下から、約800点の石器が出土した。

特徴的なのは、幅3センチ、長さは10センチを超え、鋭い刃を持った短冊形の「大型石刃」、カミソリ刃のような「小石刃」、三角形の「尖頭器」の3点。1万カ所以上ある日本の旧石器時代の遺跡で、3点そろう出土は初めて。国武氏は「ユーラシア大陸の各地で見つかった、初期の現生人類が持つ石器の組み合わせと共通する」と説明する。

現生人類は20万年前ごろまでにアフリカに出現。6万年前には各地に拡散する「出アフリカ」が起き、ユーラシア大陸を西から東に移動したとされる。中央アジア、南ロシア、中国などでは5万~4万年前にかけての、香坂山と同様の石器群が見つかっている。国武氏自身、タジキスタンのフッジ遺跡などの発掘で確認。香坂山と比べ「混ざれば見分けがつかないほど」と話す。

香坂山遺跡での発掘調査=8月、長野県佐久市(国武貞克氏提供)

類似点は遺跡の立地にも及ぶ。大陸の遺跡も標高千メートル程度に位置し、石器の材料が付近で採取できる。似た気候や環境で暮らし、移動した可能性があるといい、国武氏は「こうした人類が初めて入ってきた痕跡が、香坂山遺跡と言えるのではないか」と指摘する。

焦点は石器の年代だ。一般に日本列島では、後期旧石器時代の3万8千年前から人類の痕跡が明確になる。2000年に発覚した旧石器捏造事件以降、さらに古い石器の報告例もあるが、石器かどうかの判断や年代を巡っては研究者でも意見が分かれている。

香坂山では過去に3万6千~3万5千年前の大型石刃が出土したが、列島に近い朝鮮半島では4万1千年前のものが確認されるなど、大陸との年代には開きがある。

調査では、石器とともに数百点の炭化物も採取。今後、高精度の放射性炭素年代測定で、石器の年代を特定する。国武氏は現生人類による西から東への移動を、「パレオ(いにしえの)・シルクロード」と表現。「終着点でもある列島の状況を明らかにしたい」と意気込む。〔共同〕


② アフリカを最初に出てきたのは日本人だった(参考)

③ Y-DNAハプログループD(縄文人、山の民)の移動経路(wikiより)


集団の中心の移動を表してもので、実際は広く拡散して、西ヨーロッパから東アジアに広がっていたと推定される。


注意1:
西ヨーロッパに住んだネアンデルタール人とも結婚していた(参考)。


注意2:
真っ先にアフリカを脱出したY-DNAハプログループCの集団(海の民)は、インド洋からスンダランドを経由して、海路を日本列島から太平洋(参考)、北東アジア・南北アメリカ大陸に到達した(参考)

ただし、wikiにはユーラシア大陸横断説があり、Dと同様にユーラシア大陸を拡散したグループも居たことも考えれる。


④  日本人の祖先が一目散に日本列島にやって来たのは伝染病を避けるためであった(参考)

⑤ 日本は何故、日本と呼ばれてのか? 日本人は誕生直後から日本に突き進む運命にあった(参考)

⑥ 日本語の起源(参考)、、、日本人は一列に並んで日本列島を目指したわけでは無い。面的な広がりを持って、東に徐々に移動して来た。