幕末期の明治維新の志士達が敵味方なく勢揃いしたフルベッキ写真というデタラメのものがある。
明治維新そのものがロスチャイルドの陰謀とか、明治天皇は伊藤博文が作った偽物とか、色々、この写真を証拠の一つとして紹介されている。
しかし、すでにこの世にいないはずの坂本竜馬(1867年没)、高杉晋作(1867年没)、中岡新太郎(1867年没)らが写っていること、西郷隆盛とされる人物の人相や身長が異なること、そして、デタラメ説の大室寅之祐が写真に示されていることなど、100%デタラメであることが分かる。
参考
① フルベッキ写真(参考)
この写真はフルベッキ親子と、佐賀藩が長崎にもうけた藩校・致遠館の生徒を写真家・上野彦馬が撮ったものとされる。 しかし、歴史考証的には幾つかの疑問や謎がある写真である。
龍馬没後の明治元年(1868年)12月に致遠館に留学した岩倉具定・具経が写っていることや、撮影が行われた彦馬のスタジオの様子から、慶応年間の撮影はあり得ないとされている。彦馬の一族である上野一郎は明治2年(1869年)の撮影であると推定しているが、大隈重信の長崎滞在の時期から見て明治元年の撮影であったとも見られている。
その証拠となる写真も発見されている。明治元年10月8日にフルベッキと佐賀藩中老・伊東次兵衛(祐元)が致遠館教官の佐賀藩士5人と一緒に撮った写真のガラス原板が見つかり、それを裏付ける伊東次兵衛の日記の存在も知られている。ガラス原板写真に写る致遠館教官5人の容貌と服装は「フルベッキ写真」中に写る人物とほとんど変わらない。
但し「敵味方に分かれた人々が一緒に写っているのがおかしい?」として合成写真ではないかという見方も出ている。また、明治元年にしても2年にしても、すでにこの世にいないはずの坂本竜馬(1867年没)、高杉晋作(1867年没)、中岡新太郎(1867年没)らが写っているのもあり得ない話しである。やはり、合成写真なのか?