日本人は古墳時代以降、身長が低くなり、江戸時代が最も背が低かったとか!
蘇我氏が仏教を受け入れて以来、本州では獣肉を食べなくなり、蛋白源としてもっぱら魚食に依存することになった。以来、平均身長が低下していった。
しかし、これに対し九州では獣肉の摂取を止めなかったようで、幕末の薩摩と薩摩以外の武士達の身長が分かっており、薩摩藩士は平均180センチ、薩摩以外の武士の平均身長は160センチ以下であった。
また、徳川綱吉の時代まで江戸の町や会津では犬肉食があったが、生類憐み令で禁止されたようだ。
参考
JAPAAAN(参考)
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2018/09/23
日本人の身長に関して、意外なデータがあります。日本史上で、古代から見ても江戸時代の人が一番平均身長が低かったというデータです。今回は気になる日本人の身長の変遷の謎に迫ります。
日本人はもともと小さかったわけではない
明治期以前の日本人の平均身長を見てみましょう。縄文人の男性平均身長は158cm、女性平均身長は149cm。弥生時代に入ると更に伸び、古墳時代には男性平均身長163cm、女性平均身長152cmに。そしてそれをピークとして、平安以降は下がってゆくのです。平安時代初期の男性平均身長は161cmでしたが、末期には157cmに。更に時代下って江戸時代になると、人々の平均身長は男性で155cm~156cm、女性で143~145cmと日本史上最も低い値をマークします。男性に限って言えば、江戸時代はピークの古墳時代に比べて8cm以上小さくなっているというわけです。これはいったいなぜなのでしょうか。
日本人男性の平均身長比較
その原因は?鎌倉~江戸期の低身長化には様々な原因が考えられますが、その中の1つは「動物性たんぱく質の不足」。江戸時代には獣肉があまり食べられていなかった事などから動物性たんぱく質が欠乏し、骨の成長の停滞につながったというのです。
反対に、弥生~古墳時代に平均身長が大きく伸びた背景としては、1つには大陸から渡来人がやって来た事があります。元来の日本人より背の高い渡来人の血が加わった事で大きく身長が伸びたのです。また、当時は獣肉に加えてコメを安定して食べる事ができたため、結果として身長が伸びたようです。
現代は停滞中
日本人の身長は1996年の成人男性平均170.9cm、女性平均158.1cmをピークに、ここ20年ほどほとんど横ばいのまま停滞している模様。一部の専門家からは「日本人の遺伝子の限界を迎えた」と言われていますが、果たしてその通りなのでしょうか?どちらにせよ今後さらに継続して統計を見守っていく必要がありそうです。
②-1 薩摩藩士は高身長だった(参考)
当時の江戸時代の平均男性身長が155cmであった頃。ちなみに女性身長は143cm。
西郷隆盛/178cm
大久保利通/186cm
桐野利秋/177cm
ちなみに新撰組は
近藤勇/167cm
土方歳三/165cm
沖田総司/158cm
それにしても薩摩はデカイ!!薩摩藩は170cmや180cmを超える人間がゴロゴロいた。
②-2 薩摩藩士の身長(参考)
左: 薩摩藩外、右: 薩摩藩士
②-3 鹿児島史研究の第一人者、原口泉氏(志学館大学教授)によると、西郷はとんこつを食べるとき骨までしゃぶりエキスを吸収した。「剛を尊ぶ薩摩らしい食べ方だ」(原口氏、参考)。
③ 一般に“とんこつラーメン=博多”と思っている人が多いが、とんこつラーメンのルーツは福岡県久留米市にある(参考)
④ えのころ飯(wikiより)
薩摩地方で江戸時代ごろに食されていたとされる料理。内臓を抜いた仔犬の腹に米を詰めたもの。
⑤ 本州最西端の下関では今でも絶対食べない料理(参考)
お隣の九州では鶏足、馬肉、豚足、スッポン、ドジョウなどが食べられているが、下関では絶対に食べない。
鶏肉もかつては食べなかった。また、とんちゃん鍋のようなモツ料理は戦後の食糧難から始まった。
⑥ 犬喰い(参考)
かつて江戸では武家も町方も、下々の食べ物として犬にまさるものはなく、とくに冬場は犬をみかけしだいに殺して食べたという(大道寺友山『落穂集』)。会津藩の江戸屋敷で、奉公人たちが犬喰いをしていた話も残っている。これら犬喰いの事例は、いずれも生類憐み令以前のことで、元禄時代以降、今日まで犬喰いの習慣は日本にはない。社会の価値観変化の一例である。
⑦ 江戸時代の本州人は海の魚を主に食していた