引接寺のキリシタン灯籠 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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浄土宗引接寺が隠れキリシタンゆかりの寺といわれているが、キリシタン灯籠があるかどうか探してみた。いわゆる、十字架を連想させるキリシタン灯籠と呼ばれている灯籠は見つからなかった。見てすぐ分かるようでは隠れキリシタンがすぐ暴露るので見つからないのは当然ではあるが!

ただし、二柱ほど一般的な灯籠と異なるものを発見した。すなわち、柱が地面に直接打ち込まれ、灯火を差し入れる火口が無かった。その一柱が入江家の墓地にあった(参考)。

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入江家の灯籠、柱が直接、地面に打ち込まれていた。

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もう一柱、地面に柱が打ち込まれた奇妙な灯籠が、境内の隅にあった。火袋の部分は車輪状で火口が無い。

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三門前の普通の灯籠

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本堂前の普通の灯籠

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その他の灯籠も最下部に四角い石の基礎がある普通のものであった。

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他寺のものであるがキリシタン灯籠と呼ばれる灯籠の例、共通的な特徴としては、柱が地面に直接打ち込まれている位であった。

この灯籠は織部灯籠と呼ばれ、近世にできた形式の灯籠だ。しかし、大正末年ごろから隠れキリシタンの礼拝物であるという説が生まれた。竿部分の張り出しを十字架の変形とし、下部の像をマリア像とか宣教師像と見られ、「キリシタン灯籠」の名前がついた。しかし、それらは根拠のない説である。見て分かるようでは隠れキリシタンとして幕府の役人の目を逃れる意味がない。

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入江家の墓石、右端に件の灯籠が見える


参考

フランシスコ・ザビエルと引接寺と隠れキリシタン(参考)