日置の地名の分布 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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日置(へき、ひおき)の地名をGoogleマップで探して見た。大体、対馬海流沿いにあり、能登半島の北端の日置と名古屋市内の日置あたりが東端であった。日置神社を祀る地域を加えると、富山県から長野県内まて進出していた。

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古代日置氏族の集住した地として伝わる日置郷は、『和名抄』には大和国葛上郡、和泉国大鳥郡、伊勢国一志郡など、千葉県から鹿児島県にかけて広く分布している。山口県では周防国佐波郡日置郷(佐波郡徳地町)と長門国大津郡日置荘(長門市日置)の2ヶ所が記載されている。


以下、日置神社について、東方進出を調べた。

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日置神社を考慮すると、富山県から長野県内に進出していた。


日置神社(ひおきじんじゃ)
長野県東筑摩郡生坂村鎮座。式内社論社
長野県上水内郡信州新町鎮座。式内社論社
富山県中新川郡立山町鎮座。式内
石川県加賀市鎮座。式内社
福井県大飯郡高浜町鎮座。式内社
愛知県名古屋市中区鎮座。式内社
滋賀県高島市鎮座。式内社
兵庫県豊岡市鎮座。式内社


日置神社(ひおきじんじゃ)、名古屋市中区橘1-3-21
東経136度54分8.98秒、北緯35度9分7.49秒
平安時代初期の宮中の年中行事や制度を記した「延喜式」に載る「愛智郡日置神社」にあたるとされる格式の高い神社で、天太玉命、応神天皇などを祭神とする。日置の地名、社名は、日置部のあったところから起こったもので、日置部は暦を司った。

祭神 天太玉命(あめのふとだまのみこと)
配祀左:品陀和気命(ほむだわけのみこと)
配祀右:天照皇大神(あまてらすすめおほかみ)
由緒
創建は不詳。延喜式の「尾張国愛智郡日置神社」にあたる。社名は暦を司る日置部に由来する。中世、山城国男山より八幡大神を勧請して合祀(京都東山五条北の若宮八幡宮とも)。明治42年10月、隣接の村社神明社を合併、配祀する。


参考







長門国大津郡日置(山口県長門市日置町)は太陽歴で生活していた。貴布祢神社(649年創建)、日置八幡宮(684年創建)。