5月のウォーホル

2014.05.06
仕事にのみこまれて忘れてしまう前に。 あぁもうすでに、どんどん忘れているけど。
アンディ・ウォーホル展に行ってきた。 ポップアートの先駆者。
マリリンモンローの顔はもはやフレームやキャンバスと捉えられているとのことで。
転写・複製によって表現のパターンを増やすし、連続によっても訴えかける。 それが、それでいて、あの色使いで出てきたら、かなり衝撃だっただろう、当時。
今やマリリンモンローの絵は有名になっちゃってて、なんとなくポップアートを見たことある世代に生きている。 複製転写と色の検討はフォトショップとプリンターが任せろと言っている。
展示を見て、フォトショップにできないことはなんだろう、と考え始め、
素材か?と思いつき、
とりあえず雑誌の写真をカーボン紙で転写して、ペンで線を入れて、ファンデーションとアイブロウパウダーとカラーリップで着色してみました。
やってみて思ったのは ;
・描いたのを写真にすると素材の感じは結局よくわかんない
・見たそのままを描いても特に面白さは出ない
・こういうのがバリューを出せるのは原画を見たいと吸引力を持たせる作品となった時。展示とか。
・ファンデーションは色が濃い
・白い画用紙と同じ肌の色の人はいないだろう
・人間はすごいものを塗っているなぁ
・リップは落ちにくい
・やっぱ顔に塗るならあまり石油系じゃない方が良い気がしてきた
です。 また何かやってみよ。
ウォーホル展では銀の雲と牛と花が好きでした。
Retrouver la vie St. Sulpicienne
(le 4 - 8 octobre, 2012)
それはそれはもう、大切にしまっていた箱を開けたような、
中から溢れ出るものをいちいち手に取りたくなるような、
そんな旅だった。
L'aéroport Toulouse Blagnacにて、
到着の迎えがどのタイミングなのか把握しないまま歩いてて、
ちらほら再会を喜ぶっぽい人たちをみて、もしやと思ったら、いた!!
PapaとMaman。びっくりするくらい何も変わってない。
むしろMamanは、よりかわいらしくなってた。笑
フランス語は、ちょいちょい聞き取れないけど、まあ何とか答えてる。
雰囲気で聞いてるし答えてる。
Blagnacの空港はかなり拡張したらしい。
そのへんは覚えてないけど、確かに見覚えもない。
夜のBlagnacの浮かび上がるロゴはとてもきれいだった。
St.Sulpiceまでの道のりはとにかく明かりが少ない。
暗闇ともいえるぐらい。えっこんなに暗かったっけってほど。
約13時間のフライトと、緊張とで眠りの境界線にいたところで、
やっと記憶にある、見覚えのある通りに入った。
このavenue, Lycée行きのバス停のあるrond pointを曲がったんだと思う。
止まっているのはホストシスターの車だ。あれだ。
白い壁の、私の7年前のおうち。
* * *
時系列を追うと長くなるからまとめから行きます。
なんか、本当~~~~~に行って良かった。
こんなにいい旅になるなんて想像してなかった。
発つ前日からややsentimentalだったけど、Strasbourg行きの飛行機に乗って、
赤くて小さい平べったい家々がどんどん遠ざかっていくとき、
この町、この人々が本当に好きだし、
本当に私の町になっているんだなぁと思って、ボロボロ涙が出てきた。
YearLong, 留学の時はこんなことなかったのに。
7年、間は空いたけど、2004-2005の1年間に私は確かにそこにいて、
たくさんの人と関係を作っていたんだなぁと思った。
Ma famille, Mes amis de St. Sulpice が確かにいるんだ、
それでしかも、いつでも戻ってきていいんだ、とすごく思った。
Qu'est- ce que j'ai pas envie de les quitter!!と何度心の中で言ったことか。
あと、私がすごした3-4日間で、
ホストシスターと話せたのが、私にとってはすごーーーーーーく嬉しかった。
ふつうの話しかしてないんだけど、
ふつうの話ができるの。
日曜に彼女がToulouseに向けて出発するとき
急にすごくさびしくなったし多分むこうもそう思ってたと思う。
手ふって見送って、、7年前ならもっとあっさり別れてた。
これってほんと~~~~~~~にすごいことだと思う。
たぶん、私も彼女も、大人になったんだ。
高校生って微妙な年頃だし。
時が経てばって、そういうこともあるんだと思う。
同い年のホストシスターがいて、
familleだけどamie, amieだけどfamilleみたいな存在で、
本当によかったって、7年越しに思えた。
通っていた高校も、おじいちゃんもおばあちゃんも町のおじちゃんおばちゃんも
centre ville も ほんと~~に変わってなくて、
ずっとずっと日常を営んでいた。
Radioでは懐メロなのか、当時流行っていたtous les bonheurs de mondeが流れていた。
Tabletteやwifiは発達していた。
旅の始まりと終わりが、我らがA380だった。
いろんなことが嬉しかった。
今はフランス語を使う仕事をしていないし、特に使い道も探してないし、
私のYearLongは、、というと、
友人の言葉を借りるなら、人生のつじつまを探しているところ。
だけど、違う文化を持つ遠いフランスに、家族や友人、帰る場所ができたということ、
それだけでもうprécieuxすばらしいすてきなことだと思ったし、
YearLongに行って良かったなぁと思う、そんな旅でした。
<remargue>
・朝起きたらコーヒーの匂いなのか2004-2005そのままの匂いだった
・salle de bainから自然に無意識にステイしていた部屋に行ってしまうこと
・雨戸?木の扉の締めるやつ
・私と同じくらい、彼らも、2004-2005のことを覚えていた。
・"Tu n'aimes pas de poire"
・"impécable!"
・salle à manger
・fauteil
・c'est dommage qu'il pleuve...
・朝の薄暗さ
・savon de toilette
・punche
・あぁぁ懐かしい!って感動するのに、すぐに溶けて日常になっちゃって、何が懐かしかったか思い出せない。。。
・garageの開け方・閉め方
・前がどうだったか正確に覚えてないけど、前よりてきと~なフランス語で
前より明るくというか冗談すら言おうとしていた気がする。
・前より毒っ気のある言葉を言えるようになった
・c'est un peu monstreuse je trouve(紅茶に対し)
・expresso
・madeleine
・le vent qui vient du Maroc
・le vin qui chante
それはそれはもう、大切にしまっていた箱を開けたような、
中から溢れ出るものをいちいち手に取りたくなるような、
そんな旅だった。
L'aéroport Toulouse Blagnacにて、
到着の迎えがどのタイミングなのか把握しないまま歩いてて、
ちらほら再会を喜ぶっぽい人たちをみて、もしやと思ったら、いた!!
PapaとMaman。びっくりするくらい何も変わってない。
むしろMamanは、よりかわいらしくなってた。笑
フランス語は、ちょいちょい聞き取れないけど、まあ何とか答えてる。
雰囲気で聞いてるし答えてる。
Blagnacの空港はかなり拡張したらしい。
そのへんは覚えてないけど、確かに見覚えもない。
夜のBlagnacの浮かび上がるロゴはとてもきれいだった。
St.Sulpiceまでの道のりはとにかく明かりが少ない。
暗闇ともいえるぐらい。えっこんなに暗かったっけってほど。
約13時間のフライトと、緊張とで眠りの境界線にいたところで、
やっと記憶にある、見覚えのある通りに入った。
このavenue, Lycée行きのバス停のあるrond pointを曲がったんだと思う。
止まっているのはホストシスターの車だ。あれだ。
白い壁の、私の7年前のおうち。
* * *
時系列を追うと長くなるからまとめから行きます。
なんか、本当~~~~~に行って良かった。
こんなにいい旅になるなんて想像してなかった。
発つ前日からややsentimentalだったけど、Strasbourg行きの飛行機に乗って、
赤くて小さい平べったい家々がどんどん遠ざかっていくとき、
この町、この人々が本当に好きだし、
本当に私の町になっているんだなぁと思って、ボロボロ涙が出てきた。
YearLong, 留学の時はこんなことなかったのに。
7年、間は空いたけど、2004-2005の1年間に私は確かにそこにいて、
たくさんの人と関係を作っていたんだなぁと思った。
Ma famille, Mes amis de St. Sulpice が確かにいるんだ、
それでしかも、いつでも戻ってきていいんだ、とすごく思った。
Qu'est- ce que j'ai pas envie de les quitter!!と何度心の中で言ったことか。
あと、私がすごした3-4日間で、
ホストシスターと話せたのが、私にとってはすごーーーーーーく嬉しかった。
ふつうの話しかしてないんだけど、
ふつうの話ができるの。
日曜に彼女がToulouseに向けて出発するとき
急にすごくさびしくなったし多分むこうもそう思ってたと思う。
手ふって見送って、、7年前ならもっとあっさり別れてた。
これってほんと~~~~~~~にすごいことだと思う。
たぶん、私も彼女も、大人になったんだ。
高校生って微妙な年頃だし。
時が経てばって、そういうこともあるんだと思う。
同い年のホストシスターがいて、
familleだけどamie, amieだけどfamilleみたいな存在で、
本当によかったって、7年越しに思えた。
通っていた高校も、おじいちゃんもおばあちゃんも町のおじちゃんおばちゃんも
centre ville も ほんと~~に変わってなくて、
ずっとずっと日常を営んでいた。
Radioでは懐メロなのか、当時流行っていたtous les bonheurs de mondeが流れていた。
Tabletteやwifiは発達していた。
旅の始まりと終わりが、我らがA380だった。
いろんなことが嬉しかった。
今はフランス語を使う仕事をしていないし、特に使い道も探してないし、
私のYearLongは、、というと、
友人の言葉を借りるなら、人生のつじつまを探しているところ。
だけど、違う文化を持つ遠いフランスに、家族や友人、帰る場所ができたということ、
それだけでもうprécieuxすばらしいすてきなことだと思ったし、
YearLongに行って良かったなぁと思う、そんな旅でした。
<remargue>
・朝起きたらコーヒーの匂いなのか2004-2005そのままの匂いだった
・salle de bainから自然に無意識にステイしていた部屋に行ってしまうこと
・雨戸?木の扉の締めるやつ
・私と同じくらい、彼らも、2004-2005のことを覚えていた。
・"Tu n'aimes pas de poire"
・"impécable!"
・salle à manger
・fauteil
・c'est dommage qu'il pleuve...
・朝の薄暗さ
・savon de toilette
・punche
・あぁぁ懐かしい!って感動するのに、すぐに溶けて日常になっちゃって、何が懐かしかったか思い出せない。。。
・garageの開け方・閉め方
・前がどうだったか正確に覚えてないけど、前よりてきと~なフランス語で
前より明るくというか冗談すら言おうとしていた気がする。
・前より毒っ気のある言葉を言えるようになった
・c'est un peu monstreuse je trouve(紅茶に対し)
・expresso
・madeleine
・le vent qui vient du Maroc
・le vin qui chante
心にあるもの
「私の場合、23歳、24歳という一番価値観が形成される年齢をアジア最貧国で生きてきたので、その価値観がすでにバングラデシュモードでセットされているんだと思う。」
そう語るのは、マザーハウス山口絵理子さん。著書「自分思考」からの引用。かなり部分的だけど。
私は今、ものすごくドメスティックに生きているんだけど、それでもなんだかんだ1日1度はフランスのことを考える。17年間日本で生きてきて、たった1年行って。あとの6年間はそれまでと変わらない日本。それなのに、もんのすごい影響を受けている。
FRが大好き!!っていうならまだわかる。まぁそんなら大学時代に1度はFRに行くだろうしFR語伸ばそうと頑張るだろう。大好きならそこで得た全てをキープしたいと思うだろう。
こんなに大してFRが大好きとかってわけじゃないのに、こんなにも距離が開いてるのに若干コンプレックスなのに笑、なんで頭から、心から、その端々が離れないんだろうと思っていた。
先日あった、留学の同窓会。15世代ぐらいが集まった。「あなたにとっての留学(YL)とは?」という質問に、みんなの答えは「ターニングポイント」「アイデンティティ」「なかったら今の自分はない」などなど。
絵理子さんと、同窓会を経て、なんかわかった気がする。
心が柔軟な、あんな時期に行ってしまったため、「価値観が形成された」んだ。
「高校生という多感な時期に」という文言をよく聞いていたけれど、そういうことなんだ。
好きか嫌いかにかかわらず、物事をどんなふうに観るようになるか。判断をするのか。
考え方、価値観が形成されたんですね。
実際、「あなたにとっての留学とは?」に対するとっさに出た私の答えは「赤ちゃん体験」。
赤ちゃんのように、ゼロから、成長していく過程。
高校生にして今までの常識、考えてきたことが通用しなくなるっていうショックが大きかったんだ。
そこで生きるために、今までのものを全部とっぱらって、ゼロから、新しい見方・価値観を得ていったんだと。
絵理子さんと、同窓会を経て、あらためて、少しわかった。
世の中は想像しえないことがたくさんあって、それに対応して行く力ってのは、
そのことに向き合う力、そのものを観る力だと思う。
そうやって生きていくうえである意味ラクに生きる方法は、ものさしを増やすこと。
いろんな長さの、いろんな種類の。スケールの種類。
見方、測り方が変われば今までと違う考え方が出来て、心がラクになると思うんだ。
そのものさしを作るのが、経験なんだよね。
感動して、心を動かして振れ幅を増やすのもいいし、
ショックが大きすぎたり感動しすぎたりして振り切れたら違うものさし用意すればいいし。
あらゆるものさし使って増やして、柔軟に生きていきたいな。
年月が経つとわかることって、いろいろあるんだなぁと、思いました。
そう語るのは、マザーハウス山口絵理子さん。著書「自分思考」からの引用。かなり部分的だけど。
私は今、ものすごくドメスティックに生きているんだけど、それでもなんだかんだ1日1度はフランスのことを考える。17年間日本で生きてきて、たった1年行って。あとの6年間はそれまでと変わらない日本。それなのに、もんのすごい影響を受けている。
FRが大好き!!っていうならまだわかる。まぁそんなら大学時代に1度はFRに行くだろうしFR語伸ばそうと頑張るだろう。大好きならそこで得た全てをキープしたいと思うだろう。
こんなに大してFRが大好きとかってわけじゃないのに、こんなにも距離が開いてるのに若干コンプレックスなのに笑、なんで頭から、心から、その端々が離れないんだろうと思っていた。
先日あった、留学の同窓会。15世代ぐらいが集まった。「あなたにとっての留学(YL)とは?」という質問に、みんなの答えは「ターニングポイント」「アイデンティティ」「なかったら今の自分はない」などなど。
絵理子さんと、同窓会を経て、なんかわかった気がする。
心が柔軟な、あんな時期に行ってしまったため、「価値観が形成された」んだ。
「高校生という多感な時期に」という文言をよく聞いていたけれど、そういうことなんだ。
好きか嫌いかにかかわらず、物事をどんなふうに観るようになるか。判断をするのか。
考え方、価値観が形成されたんですね。
実際、「あなたにとっての留学とは?」に対するとっさに出た私の答えは「赤ちゃん体験」。
赤ちゃんのように、ゼロから、成長していく過程。
高校生にして今までの常識、考えてきたことが通用しなくなるっていうショックが大きかったんだ。
そこで生きるために、今までのものを全部とっぱらって、ゼロから、新しい見方・価値観を得ていったんだと。
絵理子さんと、同窓会を経て、あらためて、少しわかった。
世の中は想像しえないことがたくさんあって、それに対応して行く力ってのは、
そのことに向き合う力、そのものを観る力だと思う。
そうやって生きていくうえである意味ラクに生きる方法は、ものさしを増やすこと。
いろんな長さの、いろんな種類の。スケールの種類。
見方、測り方が変われば今までと違う考え方が出来て、心がラクになると思うんだ。
そのものさしを作るのが、経験なんだよね。
感動して、心を動かして振れ幅を増やすのもいいし、
ショックが大きすぎたり感動しすぎたりして振り切れたら違うものさし用意すればいいし。
あらゆるものさし使って増やして、柔軟に生きていきたいな。
年月が経つとわかることって、いろいろあるんだなぁと、思いました。
