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Webであなたの夢が叶う!

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Webであなたの夢が叶う!のHirokoです。

Webで数学、
数学史からみえてくるもの:カルダーノです。

今日は、
紀元後の数学者:カルダーノにフォーカスします。

1500
 カルダーノ (1501~1576 頃)
  (イタリア)
   代数学の本「偉大なる術」出版 (1545)
    …3 次方程式の解 (タルターリアの方法)・4 次方程式の解(フェラリの方法)の紹介,
     負の数,複素数

カルダーノは、
16世紀のイタリアの数学者。
ジローラモ・カルダーノ(Girolamo Cardano)との表記もある。
ミラノで生まれ、ローマで没した。
数学者として知られているが、
本業は医者、哲学者でもあった。
3次方程式の解法や、虚数の概念を導入したことで知られています。


虚数の概念
カルダーノの「アルス・マグナ」では、
3次方程式の解を示す際にカルダーノが世界で初めて虚数の概念を導入しました。
またフェラーリが発見した4次方程式の解法についても記されており、
この本はヨーロッパの数学界に大きな影響を与えました。

明日はフェラリにフォーカスします。

お楽しみに!

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。

Webであなたの夢が叶う!のHirokoです。

Webで数学、
数学史からみえてくるもの:ロバート・レコードです。

今日は、
紀元後の数学者:ロバート・レコードにフォーカスします。

1500
 ロバート・レコード (1510~1556 頃)
  (イギリス) 
   著書「知恵の砥石」
    代数学、等号=

ロバート・レコードは、
イギリス・ウェールズの医者、数学者。
彼は「=」の記号を初めて使用した人物として知られています。
レコードは医師業の傍ら数学の講義を行い、
算術書「技術の基礎」やイギリス初の代数書「知恵の砥石」等を英語で出版していました。
国王エドワード6世の侍医でもありました。

「=」の記号
レコードは1557年に「知恵の砥石」という代数学の書物の中で「=」という記号を用いました。
ただしレコードが最初使ったのは「=」ではなく「Z」のような形の記号で、
後に現在のような「=」の記号になりました。
「=」を用いた理由としては、
「2本の平行線ほど、等しいものは世の中にはない」ということ。
ただし当初はあまり普及せず、
等しいものを表す記号としては
 ・∥
 ・ae
 ・oe
が使用されていました。

「=」については後に
イギリスのトマス・ハリオットが再び使用し、
ルネ・デカルトが独自の記号を考案しました。
最初は「=」の2本の線はとても長かったのですが、
徐々に短くなっていったようです。

明日はカルダーノにフォーカスします。

お楽しみに!

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。

Webであなたの夢が叶う!のHirokoです。

Webで数学、
数学史からみえてくるもの:タルターリアです。

今日は、
紀元後の数学者:タルターリアにフォーカスします。

1500
 タルターリア (1499~1577 頃)
  (イタリア)
   3次方程式の解法

タルターリアは、
イタリアの数学者。
本名は Niccolò Fontana:ニコロ=フォンタナ。
1512年,フランス軍の侵攻の際に暴行を受け,
その回復後も口が不自由であったため,吃音を意味するタルタリアが通称になった。
貧家に生まれ,独学で数学を学び,21年にベロナで,34年にベネチアで数学教師となった。
1535年ごろ三次方程式の解法を発見したといわれ,
1545年同じ解法を発表したカルダーノとの間に優先権をめぐって論争があった。
三次方程式の一般的解法を発見,また,弾道の理論を研究。
ユークリッドの「原論」を翻訳した。

明日はロバート・レコードにフォーカスします。

お楽しみに!

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。

Webであなたの夢が叶う!のHirokoです。

Webで数学、
数学史からみえてくるもの:シピオーネ・デル・フェッロです。

今日は、
紀元後の数学者:シピオーネ・デル・フェッロにフォーカスします。

1500
 シピオーネ・デル・フェッロ (1465~1526 頃)
  (イタリア ボローニア大学教授)
   3次方程式 x3 + cx = d の解法

シピオーネ・デル・フェッロは、
イタリアの数学者で、
三次方程式の解法を考案したことで知られています。

シピオーネの時代の数学者は、
三次方程式は次の3つのうちいずれかの形に帰着できることを知っていた。

X3 + mx = n
X3 = mx + n
X3 + n  = mx

つまり、X2の項は、適切な処理によって消去できた。
また、当時は負の数は使われていなかったため、
係数mとnはともに正である。負の数を用いると、次のただ1つの式に帰着する。

X3 + mx + n = 0


シピオーネがルカ・パチョーリの影響を受けていたのかははっきりしない。
パチョーリは1501年から1502年までボローニャ大学で教え、
シピオーネと数々の数学の議論をしたことは分かっている。
彼らが三次方程式の解法に関する議論をしたのかどうかは分からないが、
パチョーリが7年前に著した有名な論文にはこのことが含まれている。

パチョーリがボローニャを訪れた後、
シピオーネは3つの場合の式を解いた。
1925年、16世紀の文書が発見され、その中にシピオーネの解法が含まれていた。
カルダーノは1545年に出版された著書Ars Magnsの中で、
三次方程式の解法を最初に見つけたのはシピオーネだと述べ
「デル・フェッロの解法」と名づけた。

明日はタルターリアにフォーカスします。

お楽しみに!

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。

Webであなたの夢が叶う!のHirokoです。

Webで数学、
数学史からみえてくるもの:クリストル・ルドルフです。

今日は、
紀元後の数学者:クリストル・ルドルフにフォーカスします。

1500
 クリストル・ルドルフ (1525 頃)
  (ドイツ)
   著書「代数学」
    平方根の記号

クリストル・ルドルフは、
ドイツの数学者。
数学で「√」記号を発明した人物です。

「√」記号は、1525年の著作 "Coss"「代数」が最初だといわれている。
ラテン語の radix(根、根源の意; 英語の root に相当)の頭文字の r を変形したものである。
上に横棒を引くのは1637年ルネ・デカルトによるとされる。

イタリア系では
ヴィエトやボムベッリなどは R やそれに近い形の記号を根号として用いた。
イギリス系では
latus([正方形の]一辺の意; 英語の side に相当)に由来する l, L が使われた。

明日はシピオーネ・デル・フェッロにフォーカスします。

お楽しみに!

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。