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Webであなたの夢が叶う!

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Webであなたの夢が叶う!のHirokoです。

Webで数学、
数学史からみえてくるもの:吉田光由です。

今日は、
紀元後の数学者:吉田光由にフォーカスします。

1600
 吉田光由
  「塵却記」
    1627 日本初の算術書

吉田光由は、
日本・江戸時代の和算家です。
「塵劫記」という数学書を著したことで知られています。
「塵劫記」は和算の数学書で、1627年に出版されました。
全4巻からなるこの書は身近で実用的な計算を多く解説しており、
挿絵入りだったこともあり広く流布しました。


塵劫記

光由は和算家である毛利重能から数学を学びました。
中国のそろばん書である『算法統宗』を入手した光由は
その本に書かれていることを重能に教えてもらおうとしましたが、
重能はその本を完全には読むことはできませんでした。
そこで光由は、
一族の漢学者・角倉素庵に教えてもらい、
この本を参考に「塵劫記」を記しました。
なおこの「塵劫記」では、円周率を3.16としています。

「塵劫記」は好評を得たため、
光由は何度も版を重ね、その度に色々な工夫をしました。
寛永18年には解答を付けずに12の問題を載せ、
その問題を解いた読者が解答と新たな問題を自分の本に載せて出版する等、
日本の数学の発展に多大な貢献を果たしました。


数の単位

「塵劫記」では「一、十、百、千、万」等の数の単位の呼び名:命数法についても書かれています。
これは「算法統宗」を参考に考えられたものですが、
「塵劫記」は何度も改訂されており、版によって命名が異なっています。

明日はフェルマにフォーカスします。

お楽しみに!

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。

Webであなたの夢が叶う!のHirokoです。

Webで数学、
数学史からみえてくるもの:カヴァリエリです。

今日は、
紀元後の数学者:カヴァリエリにフォーカスします。

1600
 カヴァリエリ (1598~1647)
  (ボローニア大学教授)
    線の長さの比と面積比,切断面の面積比と体積比

カヴァリエリは、
イタリアの数学者。
イタリア諸都市で宗教教育を受け,聖職者を目ざしたが,
1616年ピサで,G.ガリレイの弟子カステリに邂逅(かいこう)することにより数学研究に導かれた。
それ以降,
ミラノ,パルマなどの修道院に勤務するかたわら数学研究を深化させ,
26年ガリレイの力添えによって,ついにボローニャ大学の数学教授のポストに就くに至り,
終生その地位にあった。

明日は吉田光由にフォーカスします。

お楽しみに!

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Webで数学、
数学史からみえてくるもの:デカルトです。

今日は、
紀元後の数学者:デカルトにフォーカスします。

1600
 デカルト (1596~1650)
  (フランス)
   解析幾何学=図形を座標、平面上の座標で表示,放物線を 2 次方程式で表す,軌跡

デカルトは、
フランスの哲学者・数学者です。
自己の存在を証明する「我思う、ゆえに我あり」(コギト・エルゴ・スム)という言葉で有名です。
ラ・フレーシュの町の学院では、
マラン・メルセンヌがデカルトの同室でした。メルセンヌとは人生を通しての友人となります。

デカルト座標系

平面上の点の位置を2つの実数を用いて表すという方法は、デカルトが考案しました。
これはデカルトの著書「方法序説」の中で初めて用いられたものです。
この座標を「デカルト座標」、
デカルト座標を用いた平面を「デカルト平面」と呼びます。
このデカルト座標とデカルト平面は、解析学の発展に繋がっていきます。


文字の使用

フランソワ・ヴィエトは定数を表すのに子音、
未知数を表すのに母音を用いましたが、
デカルトは、
定数を表すのにa、b、c等のアルファベットの最初の方の文字、
未知数を表すのにx、y、z等の最後の方の文字を用いました。


虚数「imaginary number」

負の数の平方根である虚数は1572年にラファエル・ボンベリによって定義されましたが、
当時は虚数は数学者達の間では重要視されていませんでした。
デカルトも虚数に対しては否定的で、
著書の中で「想像上の数」と名づけ、英語の「imaginary number」の語源となりました。

明日はカヴァリエリにフォーカスします。

お楽しみに!

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Webで数学、
数学史からみえてくるもの:メルセンヌです。

今日は、
紀元後の数学者:メルセンヌにフォーカスします。

1600
 メルセンヌ (1588~1648)
  (フランス)
   …サイクロイド,完全数

メルセンヌは、
フランスの神学者です。
修道院で数学を学び、
自らも数学を教えるようになったメルセンヌは、
パリの修道院に移り多くの数学者達と交流を持つようになります。
当時の数学者達は自分の研究を他の数学者に漏らすことはせず、
秘密主義的な風潮が主流となっていました。
しかし、
メルセンヌは知識は共有するべきであるとの考えから、
積極的に学問について論じ合う姿勢をとりました。
メルセンヌの活動は後にパリ科学アカデミーの創立に繋がる等、
ヨーロッパにおける学者達の交流に大いに貢献しました。
メルセンヌが交流した人物は
ジラール・デザルグ、
ピエール・ド・フェルマー、
ルネ・デカルト、
ガリレオ・ガリレイの他、多数に渡ります。


メルセンヌ数

2の冪よりも 1 だけ小さい自然数、
つまり「2n - 1」の形をした自然数のことを、メルセンヌ数と呼びます。
また、
素数であるメルセンヌ数をメルセンヌ素数と呼びます。


12平均律

1オクターブ等の音程を均等な周波数比で分割した音律を「平均律」と呼びます。
平均律についてはメルセンヌ以前から知られていましたが、
メルセンヌは1636年の著書「普遍的和声法」において、平均律の数学的基礎を確立しました。
十二平均律は、1オクターブを12等分した音律となります。

明日はデカルトにフォーカスします。

お楽しみに!

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Webで数学、
数学史からみえてくるもの:オートレッドです。

今日は、
紀元後の数学者:オートレッドにフォーカスします。

1500
 オートレッド (1578~1660 頃)
  (イギリス)
   計算尺の発明、積の記号 ×)

オートレッドは、
イギリスの数学者です。「×」の記号の考案で知られています。
三角関数において「sin」、「cos」と表記する方法も、
オートレッドの考案であるといわれています。


「×」の記号の使用

当時は「×」といった記号は使用されておらず、
例えば5かける5であれば「5 multiplied by 5」と言葉を用いて記していました。
この掛け算の記述に対して初めて「×」という記号を用いたのがオートレッドです。
「×」の記号は、
オートレッドの著書「数学の鍵」(1631年)で初めて使われました。
彼は、
教会の十字架からの連想で「×」という記号を思いついたといわれています。


計算尺

ネピアが対数を発明したことで掛け算を足し算に変換することができるようになりましたが、
その対数の仕組みを利用して、1620年にイギリスのガンターが対数尺を発明しました。
その後1622年には、
オートレッドが計算尺を発明しましたが、
これは2つの対数尺を組み合わせることで乗法と除法を計算できるようになるものでした。
このように複数の尺を用いる計算尺は、以後主流となって行きます。

明日はメルセンヌにフォーカスします。

お楽しみに!

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