《これまでのお話》

大森亮尚『日本の怨霊』①-本が持っているパワー?

大森亮尚『日本の怨霊』②-見えない力

大森亮尚『日本の怨霊』③-生まれ変わらないでほしいと思われた?

大森亮尚『日本の怨霊』④-日付の改ざん?

 

このシリーズも長くなってしまいました。

まだ、書くんかい!? と思われそうですが、はい、書きます。すみません。

ここから先は、彼岸の入りまでにはシリーズを収束させたいので、急いで書きますが、

怖いと感じる方、違和感を感じる方は、このシリーズはスルーしてください。

 

ヒプノで井上内親王が3回目に登場したとき、現世の私にどう生きてほしいか?

という質問に対して、「思いを晴らしてほしい。無念を晴らしてほしい」と伝えられました。

 

霊感があるわりに自分で祓い切れる(影響を受けないようにする)力がないうちは、

霊に関する本を読むのは避けた方がいいみたいです。

今の私は、まさにこのレベルだと思います。

 

けれど、井上内親王については、できる範囲で調べて、それを発信しないことには

終わりにはならず、自分の中の重苦しさが抜けないという感覚がありました。

 

自分以上に、自分の前世の人を気にかけてくれる人なんて、そうそういません。

だから、祝詞を上げながら、レイキで自己ヒーリングをしながら、読んでいきました。

 

無念のうちに亡くなった自分の前世の人が、どう生きて、どう死んでいったのか。

それをできる範囲で調べて、書いていくことで、少しでも表舞台に上げることができて、

それが少しでも鎮魂に繋がるのなら、一時的に現世の自分が重たくなったとしても、

大した問題ではない気がしました。なので、調べもするし、書きもします。

 

ならまちの御霊神社には、昨年、お参りに行ってきましたが、書籍には、この近くに

「井上神社」があると書かれていました。この辺りの町名も「井上町」なのだそうです。

 

「『大日本地名辞書』には「宝亀三年に井上内親王が皇后を廃された時に、この地の

屋敷に籠居させられていた」とある」と書かれています(p.192)。廃后されてから、

宇智に移送されるまでの間、親子でこの京終の地に蟄居させられていたのでは

ないか、とも書かれていました。

 

ふーん、そうなんだ・・・と思って、大日本地名辞書 上巻 二版にを辿ってみました。

これは、保護期間満了で国会図書館のDBに出ており、933コマ中の109コマめ、

書籍でいうと203頁下段の最後の方が該当箇所のように思われました。

 

   按ずるに光仁天皇々后を井上内親王(聖武皇女)と申し奉る、

   内親王事を以て幽囚にあひ薨去の後宇智郡霊安寺に祀らる、

   今此地にも御霊社あり、井上内親王を祭る

   

けれど、『日本の怨霊』で引用している箇所とは、文体が違うし、内容もそのようには

読めませんでした。

幽閉されて薨去の後、宇智郡の霊安寺に祀られたけれど、この地の御霊神社にも

祀る、としか書いていないように読めます。

 

『大日本地名辞書』ではない別の書籍なのか、『大日本地名辞書』にいくつかの版が

あるのかもしれません。

 

ヒプノでの井上内親王3回目の登場のとき、「逃げられたのは、五條に行く前だった」

と伝わってきました。廃后された後、住まいを移されたのではないかと思いますが、

一時的にしても、生前、ここ(京終の井上町)にいたわけではないと私は感じました。

 

屋根と建物の感じは元興寺のような雰囲気ですが、サイズはもっと小さな白い壁の

こじんまりした建物が思い浮かびました。

 

『水鏡』には、井上皇后が光仁天皇を呪詛したので、百川が皇后の側近8人を

処刑したところ、怒った皇后が天皇のところに押しかけてきて暴言を吐いたので、

百川が天皇の許可を得て、皇后を縫殿寮に閉じ込めたという話が出ています。

 

   浅ましく侍る事なり。后をしばし縫殿寮に渡し奉りて懲らしめ奉らん。

 

このエピソードは、『日本の怨霊』にも載っていました。『水鏡』の文献としての信憑性は

低そうですが、このエピソードについては、『水鏡』の方が事実に近いように感じました。

 

ウィキペディアによれば、縫殿寮は、宮中用の衣服の製造の監督と後宮女官の人事を

担当する部署だったようです。国家の統治機関というよりも、皇室の家政機関としての

役割が大きかったと考えられると書かれていました。

 

それでは、縫殿寮はどこにあったの? ということで、調べてみようとしましたが、

「内裏北外郭地域に存在したらしい」というところまでしかわかりませんでした。

内裏北外郭地域が、具体的に現在のどの地域を指すのかということは、

頑張って調べればわかりそうな気もしましたが、結構大変そうでした。そこで、

きっと内裏の北側だろうということにして、それ以上、調べるのはやめました。

 

最初に天皇を呪詛したと嫌疑をかけられてから、宇智に移送されるまでの間、

おそらくそれまでの住まいとは違う所に置かれていたのだと思いますが、それが

逃げることができた最後のチャンスだったのだろうと思います。

 

次回は、光仁天皇と井上内親王の関係について、私が感じるところを書きたいと

思います。この点については、『日本の怨霊』の著者も想像で思うところを書いて

いますが、私の見解は、著者の見解とはかなり異なります。

 

大森亮尚『日本の怨霊』⑥-前世と現世の二人の関係大森亮尚『日本の怨霊』⑥-前世と現世の二人の関係 へ