《これまでのお話》

ヒプノセラピー:井上内親王再々登場①

 

「元夫は引っ越したかもしれない。万一にも子どもを連れて行かれたら探しづらくなる」

現世の自分が気をつけなければいけないことが、続けて伝わってきました。

この数ヶ月後、本当に元夫が引っ越したと知り、同時に新しい住所もわかったのでした。

 

井上内親王からのメッセージは、さらに続きました。

「今まで、私(井上内親王)は人に頼りすぎたし、任せすぎた。これからは自分主導で

やっていく必要がある。人から聞いたことは、鵜呑みにせずに確認するように」

 

現世の私にどう生きてほしいか? という質問に対しては、

「思いを晴らしてほしい。無念を晴らしてほしい」と返ってきました。このときの

井上内親王は、この気持ちがとても強いように感じました。

 

10年程前、NHKの再放送で、韓国ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』を観ていました。

このドラマの中で、主人公のチャングムが国王の命を狙ったという讒言により、奴婢に

され、済州島に流される話が出てきました。ドラマの中で、白い着物を着て、手を縛られ、

粗末な縄を腰のあたりにつけられて歩いているシーンがありました。ヒプノで見た

白い着物と縄のイメージは、このシーンとそっくりでした。

 

当時、このシーンを観ていたときに、急に眠くなってウトウトしました。そのときに、

「そうそう。私もこんなふうになったんだ・・・」とすごく悲しくなったのです。そこで、ハッと

気づいて目が覚めて、「私、どれだけ感情移入して観てるんだか」と半ば呆れました。

 

井上内親王が2度目に出できたヒプノでは、捕まって後ろ手に縛り上げられていた場面が

出てきたので、白い着物で腰に縄をつけられて歩かされたこともあったように感じます。

 

白い着物で腰に縄をつけられて歩かされた場面は、殺すために穴(木でできた箱?)に

詰め込まれる直前のことだったのか、奈良から五條に移送されたときだったのか、

あるいはその両方だったのかもしれません。

 

どうやって奈良から五條に移送したんだろう? ということは、前々からの疑問でした。

五條までの道のりは、平城京からは、大和三道の「上ツ道」「中ツ道」「下ツ道」のうち、

「下ツ道(しもつみち)」を通ったのではないかと推測しています。
大和三道は、『日本書紀』の壬申の乱の記載にも出てきているので、井上内親王の

時代には完成していたはずだからです。平城京から橿原市の丸山古墳あたりまでは

下ツ道を行ったのではないでしょうか。その先、明日香から宇智(現・五條市)までは

巨勢道を通ったのではないかと思いました。もし、本当にそうだとしたら、途中、

峠越えをしなければなりません。

 

いずれにしても、長い道のりです。奈良市から五條市というと、40km以上はあります。

身分を庶民に落とされた罪人なので、歩かせたのでしょうか。それまで宮中で皇后や

皇太子として傅かれてきた井上内親王や他戸親王にとって、その行程は相当苦しかった

のではないかと思うと、想像しただけで、胸がしめつけられそうになりました。

 

井上内親王と他戸親王が同じ日に亡くなったことについて、山中智恵子さんは、

「一年有半の幽閉に堪え難い憂憤の自殺か。淡路廃帝のように、脱出を企て謀殺

されたものか」と書かれています (山中智恵子『斎宮志』大和書房/1980)。

 

私がヒプノで見たシーンからは、「脱出を企て謀殺された」のではないかと感じました。

そして、脱出したのも自殺しようとしてのことではないかという気がしました。

もしかしたら、他戸親王だけでも逃がそうとしたのかもしれません。

出典がわからなくなってしまったのですが、だいぶ前に、吉野川(丹生川という説も

あった)で入水自殺をしようとして、水掫にひっかかって助けられたという話を見たことが

ありました。

 

余談ですが、井上内親王は、二度目のサタンリターンで亡くなっています。そして、

一度目のサタンリターンでは、伊勢の斎王を解任されて奈良に戻っています。

これを知って、やはり、星の影響はあるのだと思わずにはいられませんでした。

 

さらに余談ですが、今日、井上内親王のことを考えていたら、突然、五条のお菓子が

届きました。五條市西吉野町の農園が販売元の「青梅ゼリー」。早速いただきました。

 

 

ヒプノセラピー:井上内親王再々登場③