《これまでのお話》

大森亮尚『日本の怨霊』①-本が持っているパワー?

大森亮尚『日本の怨霊』②-見えない力

 

前回、前々回と、全体的な印象を漠然と書きましたが、以降、このシリーズでは、

井上内親王にフォーカスしたいと思います。

 

ヒプノセラピーで井上内親王が登場したときの死の場面では、必ず目が回りました。

このあたりの感覚は、人によって異なると思いますが、私の場合は前世の人が抜けて

行くときは回転性の眩暈(天井が回る感じ)がします。けれど、死の場面で眩暈を

感じることは井上内親王以外ではありませんでした。しかも、この場合の眩暈は

回転性の眩暈ではなく、膝を抱えた姿勢で、前転のように回転しながら、深い所に

落ちて行く感じでした。

 

『日本の怨霊』に、「~慈円の『愚管抄』にも、藤原百川が穴を掘って獄を作って内親王を

そこに押し込めようとした時、井上内親王は現身に龍になって、百川をついに蹴殺した」(p.103)という記載があります。

 

井上内親王の3回目登場のときには、穴に落とされて殺されるシーンが見えており、

落とした人の顔もはっきり見えました。そのため、「穴を掘って獄を作って」という

箇所が気になり、現代語訳ですが、『愚管抄』にもあたってみました。

この内容は、最後の巻である、巻第七に出てきました。

   光仁天皇の皇后であった井上内親王(聖武天皇皇女。桓武天皇と皇位を

   めぐって対立した他戸親王の母)を、穴を掘って獄を作り、押しこめ申し

   上げたりしたので、井上内親王はそのまま竜となられ、とうとう百川を

   蹴殺しておしまいになったということである。

   『愚管抄 全現代語訳』(講談社学術文庫)大隅和雄(訳),慈円(著)/2012/5/11 

 

この記述から、穴に落として埋めた人は百川だったのだろうと感じました。そして、

この穴は、獄ではなく、殺害するために掘ったものだと思います。実際は、

井上内親王は龍にはならず、そのまま生き埋めにされて亡くなったと思いますが、

死後、怨霊となって、実行犯である百川に報復したかもしれません。

 

私がひっかかったのは、ヒプノセラピーのときに感じた、回転しながら深い所に

落ちて行く感覚でした。落とされた穴は、そんなに深いものではないと感じました。

それなのに、どうして、あんなにも深い所に落ちて行ってしまったの・・・?

 

ここから先は、根拠のない想像になります。

 

ここ数日、縄文時代の埋葬法は屈葬で、その中に、大きな石を抱かせた上でに

縄で縛って屈葬にしているものがあったというような情報を何度か目にしました。

なんとなく見たWEBページで目にしたりしたので、情報ソースが曖昧になりましたが、

「石抱葬」と呼ばれる埋葬方法のようです。

大きな石を抱かせるというのは、「生まれ変わらないでください」ということらしいです。

特に恨みを持って亡くなった人の場合は、生まれ変わることを恐れられたようです。

 

井上内親王の3回目の登場では、胸のあたりに重苦しさを感じました。無念の気持ち

なのかなと思っていましたが、回転しながら深い所に落ちて行く感覚と併せて考えて、

もしかしたら、石を抱かせて屈葬にしたのではないか? 腰につけられていた縄で

縛ったのではないか? という気がしました。

 

埋葬方法という意味では、時代的には合いませんが、百川が殺害と死体遺棄の

実行犯だったとしたら、井上内親王が恨みを持って亡くなったことはわかっていた

からこそ、「生まれ変わらないでね」と強く願ったのではないでしょうか。

 

こういう呪術的なことによって、生まれ変わりのサイクルから外れてしまうことが

本当にあるのかどうかはわかりませんが、サイクルから外れたからこそ、怨霊に

なったという気がしないでもありませんでした。あくまでも私個人の想像ですが・・・。

 

井上内親王の死後、怪奇現象が続いたため、祟りであると怖れられ、何度か

お墓を改葬しています。その過程で、埋葬方法を変えたということも、もしかしたら、

あったかもしれません。

 

大森亮尚『日本の怨霊』④-日付の改ざん?