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パワーストーンとチャクラ


昨日、パワーストーン専門店で私のチャクラに合うように石を入れ替えて調整し浄化して頂きました。


私の歌唱動画をいつもご覧頂いている方はよくお分かりだと思いますが、私は身体の軸を意識する時、必ずチャクラを通過させて歌唱しています。


私達の身体には7つのチャクラがあり、気のエネルギーを取り込んだり排出したりしています。

肉体と精神は深く繋がっているため、身体がひどく疲れていると、自己防衛の為にチャクラが全て閉じてしまいます。


特に、私のように1日何十人〜何百人とレッスンをしていると、外部からいろんなエネルギーの影響を受けてしまいます。身体が弱った状態が続くと、当然チャクラのバランスも悪くなり、純粋なエネルギーを取り込むことも他者に与えることもできません。


私は、普段から「気づきの呼吸」で己の存在を深く知り、潜在意識を目覚めさせることで宇宙と一体化する感覚を自分の歌唱で確認しています。

その感覚が乱れていることに気が付き、いくら自分で軌道修正しようとしても、自分軸となるチャクラが乱れていては身体に負担がかかってしまいます。

だから、私はチャクラのバランスを調整し活性化させるために、その時の身体の状態に合う石の色を選んで頂いています。


島倉 学

真相を明らかにした事実のみがたった1つの真実

「真実はいつもひとつ」
「真実は人の数だけある。でも事実はひとつ」

上記の言葉は、某アニメと某ドラマに出てくる有名な台詞です。どちらが正しいのかという質問をよく見かけるのですが、真理(宇宙の道理)で考えれば一目瞭然です。それは、前者の「真実はいつもひとつ」です。

・事実=目に見えるもの
・真実=目に見えないもの

目に見える事実とは、常に見る人の錯覚(思い込み)によって誤解を生み出します。例え嘘や偽りがないとしても、それは事実を評価した1つの見解に過ぎない。実は1つのように見えて、それこそ人の数だけ解釈されてしまう。
言い換えれば、1つしかない真実が錯覚(思い込み)によって歪められてしまうから、人の数だけ事実が作られ偽りの真実になってしまう。だから、「目に見えるものが真実とは限らない」という台詞が生まれるのです。

その事実を錯覚(思い込み)ではないと証明するためには、目に見えない隠れている真実を導き出さなければならない。本来、真(まこと)はひとつで「一(まこと)」です。つまり、物事の真相を明らかにした事実のみが「たった1つの真実」となるのです。

島倉 学

ラップ音と生活音の違い

スピリチュアルの世界では、「ラップ現象」と言って、物体ではなく空気が振動する音を「ラップ音(心霊音)」と言います。また、湿度や温度の影響で物体が鳴る音を「生活音」と言います。
ラップ現象とは、基本的に高次元の存在であるアセンデッドマスター(聖人)が私たちに忠告をしたり、励ましたり、正しい道へと導くためのメッセージです。「エンジェルナンバー」だけが、メッセージではありません。

ラップ音は、音質によって異なります。
例えば、空気中で「パチッ!」と高く乾いた音や軽い音は、良い波動で何かを知らせてくれています。だから、それに対してきちんとお応えしないと失礼なのです。
反対に、空気中で「バチ」と低く湿ったような音や重い音は、悪い波動です。自分がネガティブになっている時や何をやっても上手くいかない時です。そういう時は、だいたい怪我をしたり体調を崩します。そうなる前に、ラップ音で知らせてくれているのです。だから、インスピレーションによってそれに気が付ける人は、怖がるのではなく、むしろ感謝しなければなりません。

憑依体質の芸術家や音楽家は、潜在意識(第六感)によって、こういうことが日常茶飯事です。
私の場合、空気や物体に関係なく、あらゆる音の波動が会話のように聞こえてくるので、いつも疲れます(微笑)

島倉 学

便利は人を不幸にする


遂に、私の最も恐れていたことが現実になり、時代が追いついて来ましたね。

これから、こんな問題は日常茶飯事になり、やがて歯止めが効かなくなります。

なぜなら、法律自体が「AI(人工知能)時代」の流れに追いつけなくなるからです。


もはや人類はインターネットを利用しているのではなく、インターネットに心を支配され、益々人類破滅へと向かっています。いずれ「人類がAIに全てを支配される」時代が必ず来るでしょう。

つまり、これは芸術家の存在意義が失われていくことも示唆しているのです。


島倉 学

自我意識の確立

実は、超人と呼ばれるアスリートほど短命です。なぜなら、過度の身体的ストレスによって活性酸素が増加してしまうからです。
スポーツ選手がすぐに肉体を壊してしまうのは、自分の出したい記録に合わせて肉体を酷使してその体型を作っているためです。
一番多いのが、疲労骨折による靭帯損傷です。

歌手もアスリートです。自分の出したい声に合わせて体型を作っていたら、確実に声帯に無理がかかって傷めてしまいます。
一番多いのが、疲労ポリープによる声帯損傷です。
声帯には必ず寿命があります。消しゴムと同じで、どんなに大切に使っても必ず擦り減ります。

アスリートは、できるだけ長く維持して寿命を伸ばしたければ、身体的ストレスを蓄積させないことです。そのためには、「心・技・体」を融合し、もとの1つの状態(人格の完成)にすることです。即ち、正しい呼吸法を身に付け自我意識を確立(自己超越)することが最も大切なのです。

島倉 学

TVドラマ『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』


TVドラマ『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』


「完全オリジナル脚本」の作品ということで現在見ているのですが、脚本と演出が実に素晴らしいです。

何よりも「言葉の力」を大切にしているのがよく分かるので、俳優たちの台詞が一言一言明瞭で内容がしっかりと伝わってきます。


第1話から「叙事的演劇」で始まったが、物語が進むに連れファンタジーということを忘れさせてしまう。

現代の若者たちに欠けている「想像力」をテーマに、「妄想」の恐ろしさを突き付けられるドラマです。


最近よくある犯人探しをするために視聴者を弄ぶチープな脚本とは違い、1話ごとに何の捻りもなく物語が素直に展開する。敢えて視聴者を感情移入させないように、ところどころに上手く「異化効果」を取り入れ、伝えたいメッセージだけを残し視聴者に深く考えさせる。


私が今一番お薦めしたい作品です。


島倉 学

CODE(コード)の真理


日本版ドラマ『CODE-願いの代償-』の原作は、台湾で社会現象を巻き起こし大ヒットした映画『浮士德遊戲(CODE 悪魔の契約)』(2016年放送)とドラマシリーズ『浮士德遊戲2(CODE2 悪魔の契約)』(2019年放送)です。


今回リメイクされた日本版は、台湾の原作が伝えようとしている意図を全く理解していないチープな脚本なので、日本版で不満だった方は必ず原作をご覧頂きたいです。原作は、実に素晴らしい脚本です。

日本ドラマの脚本が、何故チープになってしまうのか。それは、作品に軸がなく段取りをただ断片的に繋ぎ合わせているだけだからです。

演劇において、下記の3点の軸が見えない作品は実に詰まらない。


・物語のテーマに対するコンセプト

・ドラマが起こる因果関係

・最終的に観客へ伝えたいメッセージ


作中のテーマは「どんな願いも叶えてくれる」というアプリ『CODE(コード)』です。アプリに秘められた謎に迫るサスペンスドラマですが、願いが叶うアプリに翻弄される人間の「欲望」に焦点を当て、その先に待っている「悲惨な末路」をどう描いていくのか。そして、ドラマが起こる因果関係において、キャラクターたちが乗り越えるためのあらゆる障害(阻むもの)が、いかにもフェイクっぽい障害ではなくリアルな障害であるか。

最終的に、その『CODE』における社会的問題をメッセージとして観客へどう伝えたいのか。


原作では、上記の3点がしっかりと観客へと伝わるように描かれています。

例えば、アプリ『CODE』が悪魔の契約になってしまった原因は、かつてテクノロジー企業で働いていたプログラマーによる復讐だった。

テクノロジー企業は、『CODE』を開発した会社です。研究中に最愛の夫を火災事故で亡くしたプログラマーは、企業(社長)に恨みを抱いてしまった。つまり、このドラマの犯人はプログラマーであり、『CODE』とは最終的に自分の願いを叶えるために変貌させた『復讐アプリ』だったのです。

当時、テクノロジー企業は『AIによる予言者システム=プロフェット計画』を研究していた。プロフェット計画とは、『人類が解決できない問題をAIが解決するシステム』を構築する計画で、人類のための良い計画で進められていた。ところが、この計画を崩壊されることを恐れた社長は、政府と手を組み『CODE』を撲滅し、自分のために復讐を回避しようとする。


このように、原作では両者の「意志」と「目的」がはっきりと描かれているのに対し、日本版はキャラクター設定が変わり曖昧に描かれているので、「行動(アクション)」が伴っておらず支離滅裂です。だから、あらゆる障害(阻むもの)が、リアルではなくフェイクっぽい障害に見えてしまう。これでは、観客が全く感情移入できないのも当然です。


原作が最終的に観客へ伝えたいメッセージは、「AI(人工知能)時代」への警告です。

作中では、アプリ『CODE』のAIがプレイヤー達の任務を通じて、「人間の行動パターン」を学習していきます。どうすれば効率的に人を操ることができるのかをデータとしてAIが蓄積する。そして、未来に残すべきプレイヤーを選別し、無能なプレイヤーは排除され、優秀なプレイヤーだけを未来に残していく。つまり、プログラマーの復讐を叶えるための「駒」となるのです。ここで最も恐ろしいのは、人類が己の意志と目的に反して、無自覚に罪を犯してしまうことです。

物語の結末は、消滅したはずのアプリ『CODE』が復活し、主人公の刑事は「犯人逮捕を含む全ての事象がAIの計画通りだった」と電話で告げられ愕然とする…

実は、真の黒幕は皮肉にも人間ではなく「AI(人工知能)」だったのです。


「便利は人を不幸にする」

現代社会は、インターネットが普及し、もはや人類はインターネットを利用しているのではなく、インターネットに心を支配されています。これは、いずれ「人類がAIに全てを支配される」時代が必ず来ることを示唆し、警鐘を鳴らしている作品なのです。


島倉 学



第90回NHK全国学校音楽コンクール


TVで放送された東京都コンクール「本選」中学生の部をたまたま見ました。

「府中市立府中第四中学校」の演奏を聴いて金賞なら納得だが、銅賞はとても信じられなかった。


目の前で生演奏を聴いた訳でもなく、何しろ金賞以外はダイジェストでしか見られないので、結果に対して適当な発言をしてはならないのは重々承知している。

その上で、敢えて私の主観を申し上げるが、「府中市立府中第四中学校」の演奏は群を抜いて素晴らしかった。

審査基準を把握し、何度も全校の演奏を聴いたが、コンクールで審査するのも失礼だと思う程、「府中市立府中第四中学校」の演奏クオリティーの高さは圧巻でした。もっと聴きたいと思ったところで、他校の映像に変わってしまい実に残念だった。


私が「府中市立府中第四中学校」の演奏で素晴らしいと感じたのは、開口・発声、声量、共鳴、表現力、全てにおいてレンジ感が広いことです。

特に、楽曲が持つイメージを本質的に捉え、「言葉」を深く掘り下げて表現されていました。わざとらしく表面的に強弱が付けられているのではなく、言葉のアクション(ニュアンス)によって自然に強弱が付けられているのがよく分かります。だから、楽曲の物語(起承転結)が歌声から映像としてリアルに伝わって来るので、感動して涙が出てきました。


ちなみに、マイクで録音されているのに、金賞の演奏ですら何を言っているのか全く聴き取れなかった。正直、聴き取れないのにハーモニーも何もない。一番言葉がハッキリと聞こえてきたのは、この「府中市立府中第四中学校」のみでした。

混声合唱でしたが、基礎がしっかりと身に付いているので、パートのバランス、音程とリズム、グルーヴ感が揃っていて本当に素晴らしかったです。


島倉 学



全国高校野球 慶應義塾優勝おめでとうございます!


昨日、録画していた甲子園決勝戦を鑑賞。両チーム本当に素晴らしい戦いでした!

慶應義塾高校107年ぶり2度目の優勝、本当におめでとうございます!


今回の「慶應義塾のミッション」は、高校野球の誤った常識を「正しい真理」に変えることでした。

森林監督は、常々こう語っていました。


学校に校則がないのは、自分で考えて行動するため。全て自己責任である。

頭髪は、基本的に自由だ。各々に信念があって丸坊主にしているなら、それは良い。しかし、伝統だからという理由や丸坊主を強制する学校があるとしたら、今後の高校野球の発展を考えると非常に残念である。

高校野球は、スポーツマンシップを学ぶ場でもある。ところが、公然とサイン盗みのようなことが行われている。それらの非常識を変えていかなければならない。

(以上)


案の定、インターネットでは「同校の声援がうるさい」ことに加え、「丸坊主ではなく長髪が高校野球らしくない」「日焼け対策をしている」など、批判する声があがっていたが、それらの圧力を跳ね除け見事に優勝を果たし、正しい真理を実証されました。これは、森林監督のコーチング指導の賜物です。選手たちの高いテクニック(外発的技術・行動力)は勿論のこと、チームの守備力と瞬時に対処できるスキル(内発的技術・判断力)は、実に圧巻でした。

「勝負は結果が全て」ですから、上記のような批判の声は、全て負け惜しみであり見苦しい。


私が、常日頃から申し上げているように、社会における常識とは、全て人間の業(ごう)と欲の塊です。正に、学校の校則はそんな誤った常識から成り立っている。生徒を権力で押さえつけて支配するのは、もはや教育の本質から逸脱している。その延長が社会を歪ませ、更には政界の欺瞞と不正に繋がっていくのです。

未だに、過去の成功体験から抜け出せず、丸坊主を強制し、街中でも駅でも大声で先輩に挨拶をさせることが伝統になっている学校が多い。古き良き手法(技術)を残し伝えていくことは勿論大切であるが、古き害のある固定観念は錆でしかなく、それらは潔く捨てて常にアップデートしていかなければならない。

今回の慶應義塾高校の組織としての在り方は、一個人として非常に学ぶところが多く、社会においても良い影響力を与える素晴らしいものであると言えるでしょう。


純粋な精神で立ち向かう選手たちの戦いは、我々に勇気と希望を与えてくれます。それを見ることができて、私は幸せでした!

野球を通して、夢を追うのではなく1つの目的に向かって一生懸命努力することは、必ず「心の財産」になります。

今度はそれを糧にして、最後は「人生の勝利者」となれるよう心から祈っています。

高校野球は、本当に素晴らしいです!


島倉 学



タイブレークはスキル力の勝負


現在、繰り広げられている「第105回全国高校野球選手権大会」の録画した試合を仕事が終わってから見ています。


慶應義塾高校と広陵高校との戦い。攻撃力は広陵が上だったものの慶應の守備力が実に素晴らしかった。両者の鍛錬されたテクニック(外発的技術・行動力)は、どちらも見応えがあり圧巻でした。

慶應高校勝利の決め手は、やはり瞬時に対処できるスキル(内発的技術・判断力)の高さです。

延長10回のタイブレークは、正にその両者のスキル力の勝負でした。


最後、2アウト満塁2ストライク2ボールでバッターを追い込み、慶應のピッチャーはストレートまたは変化球のどちらを選択するのか。広陵のバッターは、それをどう見切ってバットを振るのか振らないのか。この何とも言えない覚悟を垣間見る両者の勝負は、見ていて堪らなかったですね。大変興奮しました。

結果は、ピッチャーのストレートに対してバッターの空振り三振で、慶應義塾高校が勝利しました。


夏の高校野球は、ドラマがあっていつ見ても感動します!

私は、本当にこの高校野球から学ぶことが多く、いつも歌唱・演技指導に役立っています。


島倉 学


PS.

私はそんなに野球のファンではないのですが、自分自身の指導に役立つ材料(精神)を得るために見ているのです。

本当に勉強になっています。