イチナナサンイチロク-母が骨髄異形成症候群になった日- -4ページ目

イチナナサンイチロク-母が骨髄異形成症候群になった日-

2017年3月16日、母が60歳で骨髄異形成症候群と診断された日をブログタイトルにしました。発症してから日が浅いので、治療はこれからですが、母が完治に至るまでの経緯を記録として残したいと強く願い、書こうと思いました。

5月31日(水)。

この日は母の集中治療室卒業式!
おかーさんはベッドに横たわったままお引っ越し。
でも、ちゃーんと意識はある!

午後2時、私は病棟で必要なものをすべて携え
母と一緒にベッド専用エレベーターへ乗り込み
約1か月ぶりの無菌病棟へ戻ってきた。


『おかえりなさい!!お久しぶりですね^^』
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無菌病棟のスタッフの方々が、口々にお迎えしてくれた(*'ω'*)
良かった。本当によかった・・・・


約1か月、母にとっても家族にとっても・・・
何度も苦しい死線を乗り越えてきた。
それが今、母は上り調子にある!
ゆっくり、ゆっくり階段を踏みしめて登っている!

だけど・・・・、
やはり心配なのは肺の機能がこれ以上悪くならないようにと言う事と
本来の病気である『骨髄異形成症候群』がどのくらいまで進行しているのか・・・

ICUにて呼吸を完全に確保するために、
肺炎を治すべく強度な薬を長期期間にわたり服用したため
副作用として多臓器不全を併発、肺の硬質化・・・神経障害。
臓器が弱っているのに抗がん剤治療などできるはずもない。
体をうつぶせにできないのだから骨髄検査も当然、できない。
芽球がどのくらいまで増えているのか。
ひょっとしたら、すでに急性白血病になってしまっているんじゃないのか・・・
WT-1の値は・・・・?

・・・・・、
言い出せばキリがないのはわかってはいる。
現実に引き戻すのは、いつだって医師の言葉なのだ(>_<)

嬉しい気持ちも束の間。
病棟医から『心肺停止』したときの対処法について説明を受けた。

病棟医『万が一、心配が停止すれば・・・の話なのですが、通常なら気道確保を行い心臓マッサージを行うのですけど、胸元へかなりチカラ強く圧力をかけるんです。大袈裟な話ではなく・・・・中には内出血をするかたもいらっしゃるんです。お母様の場合、内出血をしてしまうと・・・血小板数値が低いため、出血をさせてしまう可能性のある処置は出来ないんです。仮に心臓が蘇生したとしても、今度は出血多量で・・・・と言う事になりますので、ご理解いただけますでしょうか。』
私『・・・わかりました。でも、そうならないように全力を尽くしてください。私たちも、協力できることは何でもやります。話は充分、理解しました。でも、声に出して言えば本当にそうなるような気がするので、家族としてはあまり考えないようにしたいのです。自分のココロが参ってしまうと、母を応援できなくなってしまうので・・・』
病棟医『お母様もしっきぃさんもとても前向きなかたで、本当に助かります。課題が沢山あって大変ですが、時間をかけてでも着実に快方へ向けて頑張っていきましょう。』
私『先生、今後ともよろしくお願いいたします』
病棟医『こちらこそ。』

医師だって、できる事なら良いニュースを伝えたいに決まっている。
でも、現実をちゃんと伝えておかなければならないのは
『患者』にもしものことがあったら『遺族』に訴えられてしまうからだ。
医療ミスだのなんだのと、騒がれかねない。

私は母を外来へひとりで行かせたことを今でも後悔している。
だから、私は医者ではないけど母と一緒に歩み
病気の事を理解し、医師の説明を聞いて少しでも理解できるように
予習・復習をして、いかに母にとってプラスになるのか・・・
医師や看護師ともよくコミュニケーションをとり
情報提供をしてもらおうと思っている。

私にできることは、すべてやりたい。
おかーさん、何にも心配しなくていいからね。
幼いころ病気がちだった私を、寝ないで看病してくれたこと忘れてない。
次は、私がおかーさんを助ける番。
お医者さまじゃないから医療的な事は何もできないけど
おかーさんの病気がこれ以上悪くならないように
全力を尽くすからね。

さあ、次はリハビリとの闘いだ!!









以上を持ちまして、SEASON1-集中治療部編-は終わります!
↑今、サブタイトル付けました(笑)\(^o^)/

とてもヘヴィな内容となってしまい、
読むのが大変つらかった方も多かったのではないでしょうか。
それでも変わらず拝読いただけました事・・・
私自身の励みとなり、ここまでブログ更新を頑張る事が出来ました。
本当に・・・・心より、感謝を申し上げます。

モコ『これからも応援頼むでっ!(ぺこり)』

※ペットのしまりすですw※
シーマとモコ (7)
引き続き、6月から母のなが~~~く険し~~~~い
無菌病棟にて治療が始まる訳ですが、
集中治療部に居た時ほど、あまり環境がめまぐるしく
変わることが無い(といいな笑)事を祈りつつ、
母に関しての更新頻度が減ってしまうかもしれませんが、
息抜きに適当な記事をアップするので
その辺はサラっと読み飛ばしてください\(^o^)/



それでは、SEASON1ご愛読誠にありがとうございました┏○))ペコ



 

 

気管切開翌日の面会。

未だかつてないほど、ご機嫌な母。
なにやらクチパクで訴えており、
話し終わった後、最後に『ニコッ』と頻繁に笑うようになった。

『しゃべれないだけでめっちゃ元気やで!心配するなよ!』
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周りに元気を与える母。
本当に尊敬する。私はあなたの娘で良かった。

気管切開後から少しずつ治療方針が変わり始めた。

まず、24h回し続けていた人工透析を、各日で行うようになれたこと。
薬を使わずとも血圧が安定してきているので、
通常の患者のような透析処置でも、充分な対応が可能となった。

次に、呼吸サポートを施すのに使われていた
おびただしい数の薬の使用を停止できたこと。
沢山ぶら下がっていた点滴袋は、明らかに数が減った。
薬を使うと必ず何らかの副作用が出るので、
薬の使用頻度を減らし、体内臓器の回復を優先させるためであった。

さらに、皮膚にも変化が現れ始めた。
肝臓のビリルビン値が高かったのだが、薬を止めたことにより
数値が徐々に減少。黄疸が目立たなくなってきたのと、
クチ周りに酷い血のりが付いていたのが
少しずつ剥がれて来ていて、新しい皮膚が再生し始めていた!

つまり、気管切開にしてから母の負担が減ってゆき、
薬の量を減らすことができたおかげで・・・・
肺以外の臓器が、
少しずつ回復してきていた!!( ;∀;)


ICU担当医『お母様の呼吸器のサポートはこれで以上となります。あとは病棟に戻っていただいて、まずはベッドにもたれた状態で体を起こすなどのリハビリから始まるでしょう。もうすぐ集中治療部から出られますよ^^』

現代の医学では、固まった肺を治す方法は移植しかない、との事。
これ以上肺が悪くならないようにリハビリ療法を以って阻止、
圧を徐々に下げ、自発呼吸を促すよう最善を尽くしてくれることになった。

病棟でも集中治療部でも同じ療法を施すため、
より長い時間家族と居られるように病棟への移動が決まった。

・・・裏を返せば、これ以上集中治療部の処置は打ち止めとなる。
つまり、これ以上呼吸状態が悪くなってしまうと・・・
手の施しようがないことを意味していた。

母は少しずつ回復してきているとはいえ、
専門的にはまだまだ低空飛行状態だと言われている。
いつまた急変してもおかしくない・・・・と。

不安がらせるようなものの言い方にいい加減辟易していたが、
それはあくまでも『万が一』の話であるし
入院している以上は避けられない事実な事も理解している。

でも、私は集中治療部を出れることが素直にうれしかった。
ひとまず、最悪の危機を脱出できたという実感が沸いたから。
面会時間を気にすることなく、いつでも母に会う事が出来るし
病室に寝泊まりだってできるようになるのだ。
何よりも母の大好きな奄美の曲を聴かせてあげられるようになる。

体を動かせるようになるのはまだまだ先になるけれど
耳は聞こえるし目もしっかりと見えているようなので
アルバムやラインを見せたり、おかーさんの好きな曲をかけながら
今後も治療に励んでもらいたい。

あとは、喋れないおかーさんの要望をいかに理解できるか・・・。
私たち家族にとっての最大の難問である!(>_<)


最終回『ただいま!無菌病棟!!』へつづく。

 

 

5月23日(火)、気管切開まであと1日。

今日も意識は薄かったものの、
モニターを見る限りでは平常値だった。
寝顔も、比較的穏やかに見えた。

私『・・・・ん?』

おかーさんの周りに何か違和感があった。
なんか、機材が少ない・・・?

私『・・・・あ!!』

人工透析の機械がない!!

私『おかーさん!人工透析卒業したんか!!』
母『・・・・・(寝ている)』
私『明日の切開に備えてるんやね!お疲れさまやったね(*^^*)』
母『・・・(寝ている)』
私『ああ、だから血圧こんなに高いのかぁー(150/80?くらい)』
母『・・・・(目を開けた)』
私『あ、おかーさんおはよう!起こしてごめんね』
母『・・・(また目を閉じた)』
私『・・・明日は大仕事なんやし、体力温存しておいてね・・・』
母『・・・(寝ている)』

ICU担当医の本日の話の内容は、
明日の気管切開のスケジュールと
全体的な薬の強度の緩和及び停止、
血圧の薬の投与停止、
人工透析も停止し、容態を観察中とのことだった。

人工透析については、各日で行うものとし・・・
通常外来で処置を行う方針に決まったようだ。

私『明日は家族待機必要でしょうか・・・?』
ICU担当医『いえ、特に必要ないですよ。血小板が届き次第、ころあいを診て処置を開始しますので・・・時間を決められないのです。30分ほどで完了しますし、血小板を輸血しながら、止血に関しては電メスを使えば問題なく行けると思います』
私『わかりました。明日はよろしくお願い致します。』

病院側の準備は整ったようである。
あとは、母の体力次第・・・・。

きっとうまくいく。
大丈夫・・・・・・!
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気管切開当日

この日も、2時からの面会へ向かった。
人工透析を昨日、今日と休止しているが、
数値を見る限り、致命的なほどの毒素は溜まっていないようだった。
心拍数、脈拍、酸素濃度は共に安定。
血圧の薬は今日も投与なし!
血小板は、午後3時前後に届くようだった。

附き添おうかな・・・と思ったけど
仕事の合間に抜けてきたので、いったん戻ることにした。

夕方18時、仕事帰りに父と弟が面会に行ってくれた。
気管切開は無事に終了し、
数値的にも容態は落ち着いている・・・との事。

クチまわりがとんでもないほどのキズ跡になっていて
痛々しそうだったが・・・・
管が外れた分、少しだけ母の負担が軽くなったように思えた。
↓イメージ画像です↓
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しゃべれないのは相変わらず・・・だが(>_<)

肺が固まっている、とのお話だったので
肺移植でないと完治はない、と断言された。
年齢や今の容態の事を考えると、肺移植はもはやハイリスクでしかない。
人工呼吸器を一生外せないかもしれない、と言われたが・・・
これまで何度も奇跡を起こした母なので、
時間はかかるけれど、人工呼吸器をいつか外せる時が来ると信じ
快方に向けてリハビリを頑張る母を応援していこうと誓った。

まずはベッド上部を起こし、
もたれたままの姿勢を維持できるか。

そして、ベッドサイドに座ることが出来るか。

ベッドサイドで立ったり座ったりなどの練習。

これらができるくらいまで筋力が回復してくれれば
車いすでの移動が可能となるし、
食事制限はあるだろうが、院内をお散歩くらいは
できるようになるのではないだろうか。

ICUへ入室して20日が経過した。
最後の試練を無事に乗り越えることができた母。
・・・・・ICUを出る日も近づいてきている!
 

会社にはカレンダーが沢山あるんだけど
コレはそのうちのひとつ。
主に、母のスケジュールを書いたりしていた。
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病気が発覚する前、、、
おそらく、今年の1月か2月くらいに書き込んだもの。
母の直筆(笑)

この日を、とても楽しみにしていた。

奄美の姉さんたちがこの日、上京してくる日。
本当なら大阪で待ち合わせをして、
神戸にいる叔母に会いに行ったり大阪ウロウロしたり
1週間くらい休んで遊び倒す予定だった。

母『この日からしばらく休むからね!!』
私『いいなぁー楽しんでおいで( *´艸`)』

ウキウキしながらカレンダーに書き込んでいたあの日。
あの日に戻れたらいいのに・・・・
もっと前に戻れたらいいのに。

集中治療室で、治療を頑張り続けている毎日。
容態は、一進一退の繰り返し・・・・
良くなっているところもあれば、悪くなり続けているところもある。

父と仲直りした翌日から、私が2時の面会に向かい
ICU担当医の話を聞く。

人工透析で毒素は抜けているけど
肝臓のビリルビンという数値がすこぶる悪い。
黄疸が目立つ。
意識が薄い。。。。
血小板が絶対的に低い。。。
肺の細胞が固まりつつあり、
この先2度と人工呼吸器を手放せないかもしれない。

良いことと言えば、白血球数値は上がり続けていること。
これで、少々のウイルスが体内に入っても抵抗することができ、
常在菌をコントロールすることができる。
血圧をあげる薬を入れずに自分のチカラで
正常値の血圧を維持できるようになった。

そして・・・・気管切開の日程が決まった。
5月24日(水)。
母の血圧が落ち着いていることが絶対条件で、
血小板輸血をしながら30分ほどで装着は完了するとの事。

これが、母によって最期の山越えとなるでしょう・・・と言われた。


 

 

病棟医『それで、しっきぃさんのご相談とは・・・?』
私『・・・はい。実は、父の事なんです。』

私は、父について語った。
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母が集中治療室に入ってから、
日に日に、元気がなくなって行く事。

母の事で頭がいっぱいで、食欲がなくなって行く事。

携帯がとても気になり、寝ていてもすぐ目が覚める事。
携帯が鳴っていないのに、鳴っているような感覚に陥ってること。

2時からの面会へ出向く足取りが、とても重たいこと。
面会の度に、泣いてしまう事。
ICU担当医の話の内容をすべて悪いほうへ捉えてしまう事。

大好きだったゴルフをやる気力が無くなっていること。
母がいつも座っていたソファを見ては、涙を流している事。
いつも母と一緒に寝ていたので、ベッドが広く感じて泣いてしまう事。

仕事関係で母の話が出ると、声が詰まり話せなくなってしまう事。
仕事の経営に頭を抱えている事。
自分の母親(しっきぃの祖母)の容態が思わしくない事。

そんな父の姿を見て、
一緒に住んでいる弟も空気にあてられてしまい
父の悲しみが伝染してしまっている事。


私の知っている現状を話すことは、
身内の恥を晒すようで心苦しかったが・・・
父と弟の不安や悲しみをなるべく改善させたいと思い、
病院側にも協力を申し出たくて、言葉を選びながらゆっくり話をした。

協力要請は、2つのみ。

【緊急時は私へ連絡する事】
睡眠不足はかなり深刻だった。
まずはゆっくり寝てもらいたい。
携帯が気になるようで眠れないのも一つの要因なので
母に関しての緊急な用事がある場合、父の携帯へ連絡をしてもらっていたが
それを1番は私、2番目は父、3番目は弟にしてもらった。
ワンクッション置くことで、少し心の余裕ができるような気がした。


【深刻な話の回避】
昼2時からの面会は、今までは父に行ってもらっていたが
今後は父に代わり私が参加することを表明した。
ただ、仕事の都合上・・・どうしても私が行けないときは
父が向かう事になるのだが、その時は出来るだけ
当たり障りのない説明をしてもらえないか伝えた。
医師は、ありのままの容態を家族に説明し、
納得させなければならないのは重々承知している。
無理を承知でのお願いだが、可能な限り回避してもらえるよう伝えた。


私『なんとか、お願いできませんでしょうか・・・・』
病棟医『そう言う事でしたら、協力させていただきます。しかし、ひとつ気になる事があるんですが。。。お父様と弟様の精神的負担は軽くなるとしても、しっきぃさんご自身は大丈夫なんですか・・・?』
私『・・・ああ、大丈夫です。父や弟よりも、少し耐性があるだけなので。』
病棟医『・・・耐性?』
私『はい。実は私、10年ほど前にこの病院で働いていたことがあるんです。2年間だけでしたけど^^;』
病棟医『あ、そうだったんですか!?看護師で?』
私『いえ、ただの清掃員です(笑)でも、母と同じ病気で苦しむ方々の病棟を担当しておりましたので・・・なので、少し知識があるだけなんです。高度清潔区域を担当していましたので、手術室とかICU、HCU・・・無菌準無菌室も出はいりしていました。母の病気について、他の人に比べれば若干理解があるほうだとは思います。』
病棟医『そうでしたか。それで、質問の仕方が・・・なんていうかこう、素人臭くないな、と思ったんですよ。ツッコミが鋭いというか(笑)』
私『ICU担当医が父へ話をするよりも、私なら冷静に聞けますし、少々ですが知識はありますので・・・話していただきやすいかと思います。』
病棟医『わかりました。では、私の方からICUの方へ依頼しておきます。電話の優先順位も、しっきぃさんへ変更と言う事で手続きしておきますね。』
私『はい。お手数をお掛けして本当に申し訳ありません。』
病棟医『いえいえ。しっきぃさんご自身も、どうかお体にお気をつけて。』


私は話を済ませた後、
軽い足取りで会社へ戻り・・・・
ドナーが見つかったことと、母の骨髄が完全に再生したこと。
そして・・・・
父親に対して言い過ぎたことを謝ることにした。

 

 

斎●工似の
病棟医だったらいいな。
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あ、すいませんつい心の声が漏れてしまいました。
虚言はこのくらいにして・・・どうぞお進みくださいm(_ _"m)

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
病棟医『お母様の事は、先ほどICU担当医からご説明を受けられたと思うのですけど・・・』

肺のレントゲン撮影時、
白くなっている原因はまだ特定できてはいないのだが、
ウイルス感染によるものではなく、
恐らくマルトフィリアによるダメージの損傷が絶望的であったため、
肺の細胞が硬質化し、十分にポンプ機能を果たせずにあるらしい。
したがって酸素濃度を上げざるを得ず・・・、
上げ過ぎると気胸(肺が破れる)も懸念されるため
一進一退を繰り返している、とのお話だった。

そして、クチから管を入れ始めて2週間以上経過しているため・・・・
そろそろ人工呼吸器をクチから入れるのではなく、
気管切開(喉に3センチほどの穴を空けて管を差し込む処置)を申し出られた。
もちろん、すぐに・・・という話ではない。
母は今酸素濃度が60%~70%、血圧はノルアドレナリンを入れて無理やり上げ、
心拍数が早い。走った後の心臓の状態を想像してもらえば、わかりやすいと思う。
これらが落ち着いてこないと、気管切開はできない。

この気管切開には、やはりメリットとデメリットが存在する。

まず、メリット。
この術式は、至極簡単なものであるらしい。
施術時間はおよそ30分ほどで完了。
気管切開が成功すれば、クチの開閉ができるようになり
口腔内の衛生環境を保つことができるようになる。
そして、見た目の緩和。
痛々しいほどの見た目が、管の数が少なくなり
スッキリするようになる。
麻酔の投与も不要、意識が常にある状態となり、
意思の疎通が容易となる。
更に、ベッドから起き上がるなどの簡単なリハビリが可能となる。
手足をまず動かすことから始まり、ベッドサイドで
立ち座りが出来るようになれれば、車いすでの移動が可能となる。
そして、クチから食事ができるようになる。
今までは鼻からチューブを入れての食事だったが、
重湯やゼリーなど、やわらかい食事をとれるようになる。
声は出せないが、筆談やスマホなどの操作がリハビリ次第では可能になる。


そして、デメリット。
術式は簡単とはいえ、それはあくまでも通常の話。
血小板数値が低い母には、なるべくメスを入れたくない。
希望は7、8万ほどあれば問題はないらしいが・・・・
母は2万ほどしかない上に、肝臓の数値が悪くて
血液の糊の成分を分泌することが出来ず、血液の状態がサラサラなのだ。
ドロッっとしていないので、なかなか止血ができないらしい。
いかに止血をしながら、血圧を保ち続けられることができるか・・・
これが大きなカギとなる。

次に、カテーテル(カニューレ?)からの感染の問題。
白血球が低い患者には、どうしても感染リスクが伴う。
しかし、母の白血球は6000台をキープできているとの事なので
通常の人と変わらない抵抗力があるため、特に問題視していないようだ。
そして、気管切開終了後、大出血の可能性。
どういうことかというと、酸素濃度は最大100まで上げることができるのだが
できることなら20~30で保ち続けたい。
圧を上げ過ぎてしまうと、皮下気腫になるばかりか
血管を傷つけてしまい、体内大出血になりかねない、との事。


※皮下気腫・・・皮下組織内に空気がたまった状態です。空気の侵入経路としては、皮膚の損傷による外部からの侵入、損傷された壁側胸膜へきそくきょうまくをとおしての胸腔内空気(気胸ききょう)の侵入、気管・気管支損傷や食道損傷などに伴う縦隔からの侵入があります。

 縦隔気腫は、胸部の中央にあって左右の胸郭きょうかくを分けている縦隔内に空気がたまった状態で、頸部けいぶ(首)の気管損傷や胸部の気管・気管支損傷に伴って起こります。気管・気管支損傷では、損傷部から縦隔内、胸腔内、さらには皮下組織まで空気が侵入し、縦隔気腫、気胸、皮下気腫を合併します。


気管切開を行わなければ、母に負担をかけ続けることになり・・・・、
年齢と体力を考えれば、本当にギリギリなのだと言う事はよくわかった。

とりあえず気管切開へ向けて今後の治療方針としては・・・
沢山投与している薬を極力減らすこと。
血圧をあげる薬も徐々にレベルを下げていく。

且つ、人工透析は24時間回し続けるのではなく、
一時離脱できるほど腎機能の回復をさせること。

これで容態が落ち着いてくれれば、
気管切開を決行することができるのだ。

そしてさらに話は続く。

病棟医『お母様の骨髄は、入院時抗がん剤によって完全に破壊したために白血球がほぼゼロの状態になったので、感染しやすい状況下を回避するべく、無菌室に入っていただきました。造られる血液が『異形成』なものなので、リセットをかけるために一度破壊しておかなくてはならなかったのです。しかし、破壊された骨髄はまた再生するものなので、時間がたてばは血球は上がるだろう・・・という見込みでした。しかし、ほぼゼロの状態でマルトフィリアを発症してしまい、なかなか数値が上がってこなかったので・・・・顆粒球輸血を行い、様子を見るしか手立てはありませんでした。しかし、現在は減ることはなくむしろ増え続けているので、完全に骨髄が『再生』したという判断に至りました。これでお母様の体内にある常在菌をコントロールすることが出き、ウイルス感染したとしてもおそらく撃退できるくらいに回復してきています^^』
私『・・・・おかーさんの、骨髄が・・・・・!』


泣くのを我慢しているメソメソに更に嬉しいニュースが続いた。

病棟医『あと、お母様にドナー1人、見つかったんです^^』
私『・・・・・・!!!!』


声が出なかった。
心臓が早鐘を打つ。
声は出なく、ただ涙が出るばかりだった。

病棟医『ファーストコンタクトをとり、ドナーさん自身に再度協力の意思があるかどうかを確認取りましたら、OKをもらえました。これからドナーさんには、お母様へ骨髄移植をするために、長い期間をかけて、沢山の検査を受けていただかなくてはなりません。移植準備が完了するまでに、およそ半年ほどかかると思われます。それまでに、本体であるお母様の体の状態を回復させておかなくてはなりません。体内のダメージが酷いと、移植をすれば命の危険を伴うからです。移植のためにも、快方に向けて全力で取り組みます^^』

私は、感謝の気持ちでいっぱいで、何度も何度も頭を下げ続けた。
おかーさんに、
ドナーが見つかった!!

奄美大島出身だから、母と近しい遺伝子・・・
白血球の型(HLA)が見つかるかどうか、
探すにしても可能性は低いと、
入院当初に言われたことがあった。

ありがとう。本当に、ありがとうございます・・・!
見ず知らずの他人のために時間を費やし、
母に骨髄を提供していただけるなんて。
まだ移植をしたわけではないが、希望の光が見えた瞬間だった。
どこの誰だかわからないけれど、命の恩人として直接御礼がしたい。
しかし、プライバシー保護のため。。。
素性を明かすことが出来ないのだそう。
ドナー側にも、レシピエントの情報は公開されないのだそうだ。
しょうがないこととは言え・・・、歯がゆく感じた。

悔やんでもしょうがないので、まずは当面の問題を一つずつ解決していくしかない。
体を治さなければ、どのみち移植はできないのだから。
病棟医から、いい土産話を貰えた。
父と喧嘩したけれど、ドナーが見つかったことを報告して一緒に喜ぼう!

病棟医『私の話は以上です。で、しっきぃさんのご相談とは・・・?』
私『・・・あ、はい。実は・・・・』

 

 

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父『お前の言うてることはおかしい!!アタマおかしいんちゃうんか!!』
私『だからぁ!!おかーさんの前で泣かないでって言うてるだけやんか!!会うのはかまへんよ!!でも毎度泣かれたらおかーさん、自分の体の事誤解するやんか!!』
父『そんなん、涙なんか抑えられるわけないやろ!!できたらとっくにやっとるわ!!』
私『よく考えてよ。おかーさんに必要なのは涙や哀れみじゃなく、明るい未来の話とか病気は少しずつ回復してるっていう自覚を持たせて、気持ちを安定させることなんよ!!自分の事で泣かれるのが一番嫌がるの、わかれへんの!?』
父『そんなもんわかってるに決まってるやろ!!でも、泣けてくるのはどうしようもないんよ・・・!!お前みたいに、明るい声で励ましたりとか、手を握ってあげたりとか・・・そんなんできへん!!』
私『悲しむなら病室の外でってさっきからいうてるやんか、ちっともわかってないな!!おかーさん、生きようと必死なのに目を背けるって、応援してないことと一緒やで!私は強くないよ、おかーさんが頑張ってるから私もがんばらなきゃって思ってるだけや!!喜びの涙は流していいんよ。でも、もうアカンいいながら泣くの絶対やめて!!まだおかーさんは生きてる!!』
父『・・・・わかってるよ・・・・泣くのがそんなにアカンことなんか。お前の言うてることはめちゃくちゃや。言うてることがサッパリ理解できん。悲しんで何が悪い。金輪際お前とは一緒に面会行かんからな!!』
私『ああ、そうや。悲しんで泣くって、おとーさんの中ではおかーさん助かれへんってことになってんねやろ。私だってそんな諦めた人と面会一緒に行きたくないわ。私まで気が滅入るしな!!別行動しよう、私も勝手にするわ!!』
父『・・・っ、なんや親に向かってその言い方は!!!』
私『それはお互いさまやろ!!アタマおかしい言われて腹が立たんと思てんのか!?おかーさん治したいんだったら泣くのいい加減やめぇゆーてんねん!!!』
弟『・・・・・・・。』

言い合いは、5月19日(金)の朝に起こった。
透析が無事に済み、24時間人工透析を回し続けなければならないが
母は少しずつではあるものの、回復していった。
しかし、それとは裏腹に・・・父と弟は、
どんどん元気をなくしていき、悲しみに暮れる日々が続いた。

このままでは母に続き父と弟が倒れてしまうのではないかと思い、
旦那に相談をしながら意見をまとめ、なるべく刺激しないように話をしたかった。

でも・・・結局私の話の持って行き方が悪くて、
『二度と会うな』と認識されてしまったようだ。

違うのに。そうじゃないのに。
うまく伝えられへんかった。
怒鳴りあうなんて、おかーさんが嫌がることなのに。
優先するべきはおかーさんのキモチで、カラダで。
それを支えるのが医療チームであり、私たち家族であり。
生きる希望を与えてやってほしいって言いたかっただけなのに。

ドラマを見たことある人は、病院のお見舞いへ行くワンシーンを思い出してほしい。
面会に来る人たちは、果たして泣きながら入室していただろうか。
勤めて明るく、患者と他愛ない話をしているんじゃないか。
患者の最期なら、まだしも・・・・・・。

おかーさんの性格からすれば、自分の事でしんみりされるのが嫌だから
静かにされるのを嫌うから、人の気配を感じていたいから
個室ではなく、大部屋がいいなって常々言っていた。


意識が回復してきて、クチに太い管があるので
喋れはしないけど耳が聞こえ、目も見えるんだから
悲しくて泣いてるのを察知させてはいけないと思う。

時々ならまだいい。

毎度、となると・・・・
おかーさん自身が『ああ、もう助からないのかな』と
諦めてしまうんじゃないか。
そうなれば、今までの治療が無駄になる。
おかーさんが諦めてしまう。
もう二度と会えなくなってしまう。

そうならないために、周りも頑張って支えて行くべきだと思うんだ。
患者一人にがんばらせてはだめだ。
おかーさんが諦めるまで(心臓が止まる事)・・・・
回復を信じて、私は笑顔で会いに行き続ける。





父と大喧嘩したその日、昼の面会は私ひとりで行く、と伝えた。
父は反対せず、自分は夕方会いに行くと返事が返ってきた。


昼の面会は、14時-15時30分の間。
その間に、家族が訪問し、ICU担当医から説明を聞く義務がある。
父はこれまで、優先的にこの面会へ毎日参加していた。
行きたいという純粋な気持ちというよりも
『自分の妻だから行かなければならない』という義務感のほうが強い印象を受けた。
先生の話の内容は悪い報告しか耳に入ってこず、
良い話ももちろんあるのだろうが、
とにかく悪い話ばかり頭の中を占領されてしまうようで
冷静に話を聞ける精神状態ではないことは明らかだった。

そのため、2時の面会への足取りは重かったように思う。

私は逆である。

まずは母に会える喜びのほうが大きい。
先生の話は、ぶっちゃけ二の次(笑)
もちろん、先生の話は必ずしも良い話ばかりではない。

割合でいうなれば、ICU入りたての頃は
良い話 : 悪い話=0 : 10 だった。

いつどうなってもおかしくないですよ、と散々脅され(?)たものである。

しかし、2週間以上が過ぎた頃。
顆粒球輸血を施し、人工透析処置もスムーズに行っている現在は・・・
良い話 : 悪い話=2 : 8 ぐらいにまでなっている。


おかーさんは『命綱なし』で『目を閉じながら』1本のロープの上を
そろり、そろりと歩いている状態なのだ。
踏み外せば、真っ逆さまに落ちてゆく。。。


飛行機で例えるなら、まだ滑走路をゆっくり移動しているに過ぎない。
離陸にはまだまだ準備が必要な状態なのだ。
飛べるかどうかは、おかーさん次第・・・であると言う事。

母の状態は現在、
酸素濃度を50→70まで引き上げ。(通常は20~30)
人工呼吸器装着、口腔内の出血が止まらず。
血圧はやや低めのため、ノルアドレナリン等の薬を服用。
人工透析処置により、毒素は体外へ排出し続けている。

そして・・・・

マルトフィリアによる肺炎の危機は脱出したものの、
肺のレントゲンを撮ると、また白くなってきているようだった。。。

医師たちは、ウイルス感染なのか?と疑って検査をしたものの
ウイルス検出は特になし。
血小板は2万台、白血球は4000台をキープ。
白血球数値を診る限り、ウイルス感染の線は低いだろう、との見解になった。
原因については、もう少し時間がかかるとの事だった。

あと、肝臓のビリルビンという値が徐々に上昇中であるとの事。
肝臓は重要な臓器であり、主に解毒をする臓器らしいのだが
アンモニア濃度が上昇しているため、解毒作用が働かずに
全身に黄疸が出ていた。意識もやや薄い。
奄美の姉さんたちが来ていた頃より、意思の疎通ができにくくなった。

おそらく、腎臓と肝臓のダメージが酷いのだろう。
体内に毒素が蔓延すると、意識がひくくなるようだ。
人工透析により尿毒素は出ているが、肝臓が機能を果たせていないので
アンモニア濃度が濃ゆくなっている。。。

『人工肝臓』なる医療的処置は、現代の医学にはない。
本人の回復力に賭けるしかない、らしい。。。


ICU医師の説明を聞いてる最中、病棟医の先生が来てくださった。

病棟医『このあと、少しお時間いただけないですか??』
私『わかりました。私も、ちょうどご相談したいことがあるんです。』

ICU担当医の説明が終わった後、私はICU内の『家族説明室』へ呼ばれた。

 

 

5月15日(月)。
母の肺炎は、ひとまず回復傾向にあり、落ち着いた。
気持新たに、私たちは週明けの忙しい業務をこなしていた。

その日は、私自身の病院(整体)へ行きたかったのもあり、
いつもなら面会へ行くのだけど、日曜日の時点では
比較的調子良さそうに見えたので、
父たちに任せて、あえて面会は行かなかった。

そして、5月16日(火)の朝。
月曜日に比べて、比較的穏やかな雰囲気の事務所。

と・・・・

父の携帯へ、病院から電話がかかる。

父『もしもし。・・・・あ・・・・はい、はい・・・・、ハイ・・・・』

医者からの話の内容で、父の顔色がみるみる悪くなっていき・・・
返事をする声にもチカラが入っていなかった。

父『・・・そうですか・・・わかりました、失礼します・・・』

うなだれながら、私のほうへ向き直り、チカラなく言葉を発した。

父『・・・すまん。すぐ、おかーさんのとこ行っちゃってくれ・・・』
私『・・・わかった。ICU行ったらええの?』
父『おかーさん、もう助からないかもしれない・・・・!』
私『ちょ・・・縁起でもないこと言わんといて!行先はICU??』
父『でも、でも・・・・・』
私『お父さん!!ちょっと落ち着いて!!!』
父『・・・・・・』
私『呼ばれてんねやから、これから向かわなアカンやんか?どこに向かったらええの?』
父『・・・集中治療部・・・・』
私『おっけ。ちょっとおとーさんのこと頼むわ!』
弟『う・・・うん・・・・』
私『詳しいことは先生から聞いて、それから連絡する。おとーさんにあたたかい飲み物飲ませてやって!じゃあ行ってくる!!!』
弟『き、気を付けて行ってきて!連絡待ってる!』
父『・・・・・もうアカン・・・もう、、・・・・・・』

私は焦る気持ちを抑え、安全運転で病院へ向かった。

駐車場へ到着、そしてダッシュ。
息を整えながら、ICUのインターフォンを鳴らした。

私すみません、母の事で先ほど連絡ありまして・・・』
ICU『すぐ向かいますので、待機室でお待ちください』

しばらくして、主治医が来た。

主治医『突然お呼びして申し訳ありません。実は・・・』

肺炎の炎症数値は下がり、白血球数値が上昇しているのだが、
やはり薬の副作用で、他臓器に深刻なダメージが出ていた。

肺・肝臓・胆のう・・・・
腎臓のダメージが特にひどいらしい。
尿がうまく排出されず、体内に毒素が蔓延。
つまり腎不全になりかけている、との事。

通常であれば人工透析を行えば済む話だが、
母の場合は不安要素を含んでいるため、
なかなか踏み切ることができずにいるようだ。

理由は『血圧数値が圧倒的に低い』こと。
血液を抜いて浄化する処置を行う場合は、
安定した血圧数値であることが絶対条件らしい。
なぜなら、処置中は血圧が低下し、体温が下がるからだそう。

そして、カテーテルを入れる場所は
母の場合、首から入れなければならないらしい。
医師は腕からではなく股の付け根から挿管したかったようだが
皮膚の炎症がひどいため、難しいようである。
首へ入れるとなると動脈があるため・・・
傷をつけないように挿管しなければならないらしい。

提案としては、24時間透析を回し続け・・・
血圧の様子を診ながら、ゆっくりゆっくり回すこと。そして・・・

血圧が低いため、心肺蘇生時などに使用するノルアドレナリンと
もういっこ・・・薬銘忘れた('A`)とにかく血圧を上げるための
強めの薬を使用しなければ、人工透析はできないとの事だった。
この薬を使うと更にダメージを与えることとなる・・・

しかし、人工透析をしなければ母の体内から毒素が排出されない。
透析中、血圧が低下すれば命の危険が伴う。
もはや母の体力にかけるしかなかった。

またしても、悩んでいる暇はない。
これで何度目だろうか('A`)などと悲観に陥いることもなく・・・
ただ、助けてほしい一心で。母を何とかしてもらいたくて。
人工透析の処置をしてもらうため、私は同意書にサインをした。
事後報告になってしまったが、そのあと父へ連絡を入れた。

父と弟が、仕事を切り上げ午後1時に合流。
私はお昼を食べていなかったため、遅めの昼食をとった。





人工透析の処置は、午後3時から執り行うようだ。
血小板輸血待ちの状態である。
待っている間、3人でいろんな話をした。
父と弟のクチから出てくるのは、またしても悲観的な事ばかり。。。

もう、うんざり('A`)

気持ちは痛いほどよくわかるんだけどね?
でもさぁ、悪い方へ考えれば考えるほど、
自分も暗闇へ落ちていく感覚になっちゃうから
すっごく危険なんだよ、おとーさん・・・・・
ココロが折れれば、体だって壊れかねないのは良く知っている。

やばい。
このままだと、父も弟も鬱になるんじゃないか。
何とかしないと・・・。
私まで、2人の悲観的な気持ちが伝染しかねない。
主治医に相談してみようかな。
いや、まずはちゃんと2人の話をちゃんと聞いて、
意思の確認をしないと、かな・・・・

下手なことをいう訳にもいかず、
父たちへ慎重に言葉を選びたかったため
頭の中で整理しようとした。
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・・・・あ”---ッだめだ。

何も整理できん。冷静になれない。私も精神的に相当キテるな。
場所も場所だしな。家に帰って旦那に相談しながらまとめよう・・・

適当に理由をつけ、私は2人から離れることにした。
父はまた眠れていないようで、車で寝てくる、と言い離れた。
弟は家族控室で待機。

この家族控室も、少々難儀なスペースだったりする(>_<)

状況が状況なだけに、本当にしょうがないことなんだけど・・・

ため息をつきまくっているひとや、
どこか憔悴しきったひと、
明るい大声でしゃべりまくるひと、
いびきをかきながら寝ている人、
病院の悪口を言っている人、
待たされていることにイライラしているひと、
幼い子供たちがとにかく騒がしい・・・・・

お願い、静かにさせて(´;ω;`)
本当にどうしようもないんだけどね。がまん、がまん・・・・

家族待機を余儀なくされている場合は、
必ずこの控室に誰かが居なければならないのがルール。

やむを得ず退室する場合は、一言声をかけなくてはならない。
そのルールすらも、守れていない人もいて・・・・
家族さんに説明しなければならないのに、
待機室にいないせいで探し回って
余計な時間を消費している集中治療部の看護師さん。。

はぁー、和歌山人ってほんとアレやな。
ほんと、てがえんわー・・・・


あー、だめだめ。
おかーさんが大変な時だからこそ、
他人を批判するのは止めよう!

そんなこんなで、人工透析の処置が終わったらしく
集中治療部へ呼ばれた。

入室できたのは6時過ぎだった・・・・

担当医『お待たせしました。お母様の透析処置は、無事完了しましたよ^^』
3名『・・・・ありがとうございます!!!!』

うまく行った。
大きな出血をすることもなく。
血圧も特に大きな乱れはなし。
但し、ノルアドレナリン等を服用しながら。。。なのだが。
もう、さすがとしか言いようがない。
お陰でまた、次の治療への道が開いた。


母がまたひとつ、先生たちと本人の頑張りで試練を超えたが・・・・
この頃から、私が越えなければならない壁の存在が、くっきりと現れ始めた。


 

 

母に一目会いたくて、奄美大島の親族たちが和歌山へ上京。
甥っ子夫婦、母の姉2名と妹、そして一番上の姉の娘の4名が病院へ来てくれた。
↑説明がややこしくてすいません(笑)
とにかく、この日は大所帯での面会となった(。-∀-)w

人数が多いので、1組4名で入室。
姉さんたちを優先し、パーティを編成。←
父と私がそれぞれ分かれて、母と面会させるべくICUエリア内を引率をした。

母はこの日、おめかしをしていた(*^^*)
といっても、黄色の帽子をかぶせてもらっていただけなんだけど(笑)
集中治療部の看護師さんのイキな計らいなんだと思う。
髪の毛が少し抜けていたので、かぶせてもらったようだ。

しゃべることが出来ず、体のあちこちはボロボロになってしまったけれど、
幼いころから一緒に過ごしてきた姉たちとこうして
同じ時を過ごせることができて、、母は本当に幸せそうだった。
姉さんたちから、沢山の元気をもらえたようである。
逆もまた、しかり。会いたい、と思っていても、すぐに会える距離ではない。
LINEで都度報告しているとはいえ、限界がある。
目を見開き一生懸命応えていた母に、姉たちも涙が絶えず流れていた。

そして次の日も、病院で可能な限り面会時間を有意義に使った。
母の体は、この日だけはむくんでおらず、
顔の赤みも消え、熱が下がっているような印象を受けた。
嬉しさのあまり、母の体に奇跡が起こっているのか・・・、
または特別なお客さんのお見舞いのため
ICUの方々がお薬を調整してくれたのか。
その辺は確認していないけれど、前者だと思っておこう(*'ω'*)♪

宿泊先は、父と弟のいる実家で休んでもらい。。。
ご馳走をたくさん作ってくれた。しばらく食べ物に困らないほど(笑)
父も弟も、お腹が出ているとはいえ(肥満体系w)
さすがにこの量は捌ききれないだろう^^;

食事が済んだあとは、
アルバムを見ながら思い出にふけっていたようである。
私には帰る家が他にあるので、旦那と一緒に家で休むことにした。

本当に、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまった。
いい土産ができた、これで安心して奄美へ帰れると
口々に喜んでいた叔母たち。
いよいよ、帰る日が迫ってしまった。
このまま、このまま・・・うまく快方へ向けて進んでくれれば良いな。


定刻通り、姉たちは奄美へ飛び立った。
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・・・が、私たちの願いとは裏腹に・・・
幸せな時間は、長くは続かなかった。


次なる試練の幕開けとなる。
 

 

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5月11日(木)。

その日は特に電話がかかってくることもなく・・・
普段通り、仕事に打ち込めた。

旦那は『次は俺の番(脱血処置)か・・・』
と、若干憂鬱そうである(笑)

私の血液で肺炎回復が望めなかった場合、
声がかかるだろう…ということで、
いつになるかわからないが、しばし待機をしてもらうようだ。

夕方、仕事を済ませて母のもとへ。

私『おかーさん!来たよー!!具合はどう!?』
母『・・・・・、・・・・・!』

母は目をパッチリ開けていた!
何か言いたげに、管が邪魔そうな感じで舌が動いていた(笑)
心配かけまいと『大丈夫!』のアピールを必死でしているのだろう。
しかし時折、眉間にシワが寄ることがあった。
麻酔がいつから切れたかわからないが、管の挿管で苦しいのだろう。。。

母『・・・、・・・・、・・・・・・!』
私『わかった!わかったから(笑)あまり動くと苦しくなるよ( *´艸`)』
母『・・・・、・・・・っ』
私『よかったぁ、元気そうで^^でも、血圧はまだ低めやなぁ・・・』
母『・・・・?・・・・、・・・!』
私『そうやね、少しずつ回復してるもんね!この調子で頑張ろうね』
母『・・・(うんうん、とうなずき、目を閉じた)

目を見開いたり、うなずいたり、目をきょろきょろしたり・・・
手を握ってあげると、握り返しはできないが、ピクピクと動いていた。

看護師さんが入室してきた。

看護師『失礼します。しっきぃさん、こんばんわ^^』
私『こんばんわ^^いつもありがとうございます!』
看護師『今日のお昼の面会のお話では、マルトフィリア(肺炎)をほぼ撃退できたようですよ。とても心配されてましたもんね、いい結果になって本当に良かったですね!』
私『・・・・わぁ・・・・・っ』

思わず母を見た。
目を少し開けて、こちらを見ていた。
どのくらい私の顔が見えてるのかわからないから・・・、
顔を近づけ、おかーさんの耳元で肺炎がほぼ治ってることを話した。

母『・・・・・・・・・・。』

母の目に、涙が沢山あふれていた。
鼻もひくひくしている(笑)
私もつられて泣いてしまった。。。

看護師『あたたかいタオルで、お顔を拭いてあげてください(*^^*)』

タオルを受け取り、母の涙をぬぐってあげた。
あたたかくて気持ちよいのだろう。
顔がほころんでるように見えた。

顔を含め全身がむくみ、肌は薬の副作用で大量の発疹、ただれ、ひびわれ・・・
毛も抜け始めている。目が赤く充血している。
暴れないように、手足は固定され、抑制剤を投与され・・・・

クチには人工呼吸器であるチューブを喉の奥まで挿管。
強制的に酸素供給を施されつつ、
尚且つ、片側の鼻からチューブを挿管。
胃を傷つけないように直接濃度の濃ゆい栄養剤を入れている。
栄養を入れないと、回復するチカラが出ないのだ・・・・。

激闘の末、致死率が高いといわれていた
『マルトフィリア』に見事打ち勝てた母。
肺のレントゲンを見せてもらったが、
真っ白だった肺がほぼ真っ黒の状態。
CRP(炎症数値)も『5』まで下がっていた!

そして母の血小板と、白血球は・・・・

血小板『9000』→『45000』UP!
白血球『15』→『3800』UP!!



やったやった!!
YATTA--!!(∩´∀`)∩


明日はいよいよ母の姉たちが奄美大島から上京してくる。
対面が本当に楽しみだ( *´艸`)♪♪♪

ちなみに・・・・
旦那が気にかけていた脱血処置は、
弟と私の血液により肺炎を撃退し、
母自身の白血球、血小板数値は徐々に上昇してきているので、
白血球弐号機(旦那)の出動は不要となりました(。-∀-)w