気管切開、その後。 | イチナナサンイチロク-母が骨髄異形成症候群になった日-

イチナナサンイチロク-母が骨髄異形成症候群になった日-

2017年3月16日、母が60歳で骨髄異形成症候群と診断された日をブログタイトルにしました。発症してから日が浅いので、治療はこれからですが、母が完治に至るまでの経緯を記録として残したいと強く願い、書こうと思いました。

気管切開翌日の面会。

未だかつてないほど、ご機嫌な母。
なにやらクチパクで訴えており、
話し終わった後、最後に『ニコッ』と頻繁に笑うようになった。

『しゃべれないだけでめっちゃ元気やで!心配するなよ!』
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周りに元気を与える母。
本当に尊敬する。私はあなたの娘で良かった。

気管切開後から少しずつ治療方針が変わり始めた。

まず、24h回し続けていた人工透析を、各日で行うようになれたこと。
薬を使わずとも血圧が安定してきているので、
通常の患者のような透析処置でも、充分な対応が可能となった。

次に、呼吸サポートを施すのに使われていた
おびただしい数の薬の使用を停止できたこと。
沢山ぶら下がっていた点滴袋は、明らかに数が減った。
薬を使うと必ず何らかの副作用が出るので、
薬の使用頻度を減らし、体内臓器の回復を優先させるためであった。

さらに、皮膚にも変化が現れ始めた。
肝臓のビリルビン値が高かったのだが、薬を止めたことにより
数値が徐々に減少。黄疸が目立たなくなってきたのと、
クチ周りに酷い血のりが付いていたのが
少しずつ剥がれて来ていて、新しい皮膚が再生し始めていた!

つまり、気管切開にしてから母の負担が減ってゆき、
薬の量を減らすことができたおかげで・・・・
肺以外の臓器が、
少しずつ回復してきていた!!( ;∀;)


ICU担当医『お母様の呼吸器のサポートはこれで以上となります。あとは病棟に戻っていただいて、まずはベッドにもたれた状態で体を起こすなどのリハビリから始まるでしょう。もうすぐ集中治療部から出られますよ^^』

現代の医学では、固まった肺を治す方法は移植しかない、との事。
これ以上肺が悪くならないようにリハビリ療法を以って阻止、
圧を徐々に下げ、自発呼吸を促すよう最善を尽くしてくれることになった。

病棟でも集中治療部でも同じ療法を施すため、
より長い時間家族と居られるように病棟への移動が決まった。

・・・裏を返せば、これ以上集中治療部の処置は打ち止めとなる。
つまり、これ以上呼吸状態が悪くなってしまうと・・・
手の施しようがないことを意味していた。

母は少しずつ回復してきているとはいえ、
専門的にはまだまだ低空飛行状態だと言われている。
いつまた急変してもおかしくない・・・・と。

不安がらせるようなものの言い方にいい加減辟易していたが、
それはあくまでも『万が一』の話であるし
入院している以上は避けられない事実な事も理解している。

でも、私は集中治療部を出れることが素直にうれしかった。
ひとまず、最悪の危機を脱出できたという実感が沸いたから。
面会時間を気にすることなく、いつでも母に会う事が出来るし
病室に寝泊まりだってできるようになるのだ。
何よりも母の大好きな奄美の曲を聴かせてあげられるようになる。

体を動かせるようになるのはまだまだ先になるけれど
耳は聞こえるし目もしっかりと見えているようなので
アルバムやラインを見せたり、おかーさんの好きな曲をかけながら
今後も治療に励んでもらいたい。

あとは、喋れないおかーさんの要望をいかに理解できるか・・・。
私たち家族にとっての最大の難問である!(>_<)


最終回『ただいま!無菌病棟!!』へつづく。