初めて子供を授かった時、全てが輝いて見えて、全てが未知で、全てが新鮮でした。
スタジオに写真を撮りに行ったり、全ての動きを写真におさめたり、それを家族でシェアして成長を喜んだり・・・。
二人目が生まれ、一人目を孤独にさせたり、我慢させたりしないように頑張りながら・・・そのうち3人目も授かり・・・。
とにかく必死で子育てをしてきて、気がつくと一番下が3歳になりました。
振り返ると、一人目出産後、自分は産後うつになっていたのではないかと思うことがあります。
でも、それに「気付く」機会があったかというと、なかったと思います。
そして、もし気づいていたとしても、「母親らしさ」を乗り越えて、「産後うつかもしれない」と口に出すことができていたかというと、できていなかったでしょう。
実際、私の周りで出産した女性たちから、「産後うつ」という言葉が語られることは今まで一度もありませんでした。「鬱」や「ノイローゼ」が冗談のように会話に出ることがあっても、「産後うつ」として認識されている感じはありませんでした。
産婦人科や市の広報誌では、産後うつについての説明がありますが、社会に産後うつが受け入れられているかというと、まだまだだと感じます。
産後、体が回復しないうちから出産以前の家事に加え、終わりや休憩のない育児、仕事に追われ、体にも心にもたくさんの負担がかかっていたにもかかわらず、
「みんなちゃんとやってるから」「母親として当然のことをしているだけなのに弱音を吐くなんて」
それこそ日本人特有の「恥」のようなものでしょうか。他の人ができていることをできない自分に対する劣等感や羞恥心に苛まれ、それが起動力(?)となってただただ前に進み続けました。
それが母親というものだ、といえばそうかもしれません。
でも本当にそれでいいのだろうか??と思うのです。
「それって産後うつじゃない?」「産後うつだからクリニックに行くつもり」という会話が、普通にできて、その会話を聞いても、哀れみの視線を受けることがない状態の方が、あるべき環境なのではないか、そうすれば、もっと多くの母親たちが、子供達が、健やかに成長できるのではないでしょうか。
産後うつに限ったことではなく、女性たちが、もっと自由に自分の弱さや、ありのままの姿をさらけ出せる社会になればいいと思います。
例えば、仕事と育児の両立に疲れて、ただただぼーっとしたい時もある。結婚当時のように、旦那さんとデートしたい時もある。子供の泣き声に耳を塞ぎたい時もある。時間を気にせず子供の望むがままに遊びたい時もある。のびのび仕事に集中したい時もある。
インスタ映えする食事より、日常より、お出かけより、子供にとってベストな環境は
生き生きと輝いている母親であり
そんな母親でいるためには、
罪悪感や恥や過剰な義務感から解放され、助けが必要な時は必要と、身近な人に話すことができる社会になればいいなと思います。