「因縁」という言葉は、「因縁をつける」「因縁の仲」などのように、もっぱら悪い意味で使われています。しかし、本来、因は「原因」、緑は結果に繋がる「はたらきかけ」を意味しています。

 わたしはよく帆船を例えに引いてお話しします。港に停泊している二艘の帆船があるとします。そのうち一艘は船の整備もきちんとおこない、帆もすぐに張れるようになっています。それに対してもう一艘は整備も中途半端、帆の破れも繕っていない状態です。

 さて、出向にもってこいの風が吹いてきます。風というはたらきかけがなされたということです。

 前者は、すぐにも帆を張って港をでていくことができます。後者はどうでしょう。こちらは整備が中途半端ですから、船底に穴が開いているかもしれませんし、帆を張っても破れていては、十分に風を孕むことができません。

 ここで重要なのは、風はどちらにも「平等」に吹いてきているということです。しかし、後者は結局、その風を見送るしかないのです。

 さあ、帆船の状態を因、風を緑と置き換えてみてください。

 整備が仕上がっている帆船(因)は、風という緑と結びついて満帆の船出ができます。ところが、整備不良の帆船(因)は緑を取り逃がしてしまう結果となるわけです。

 もう少し日常的な例をあげましょう。

 上司から仕事のオファがあったとします。これまで手掛けたことがない少し高度な仕事です。それまでの仕事に一生懸命に取り組み、誠実にこなしてきた人は、チャレンジ精神が掻き立てられます。「やってみるか!」という気持ちになる。

 仕事のオファという縁をしっかり掴むことができるのです。

 一方、仕事をちゃらんぽらんにやってきた人には、手をあげる勇気はありません。尻込みするしかないのです。縁を掴み損ねることになる。

 両者の違いは、いうまでもなく、それまでの仕事への取り組み方にあります。「一生懸命」と「ちゃらんぽらん」。それがそれぞれの因となっています。

 つまり、よい因をつくっておけば、確実に縁を掴むことができて、そこによい因縁が結ばれますし、よい因をつくっておかなければ、縁はそのまま通り過ぎて行ってしまうのです。

 逆のこともいえます。悪い因をつくってしまうと、悪い縁と結びつきやすくなります。ちゃらんぽらんな仕事をしていたら、

「あいつは仕事もやる気がなさそうだし、時間を持て余しているようだから、ギャンブルに誘ってみるか」

 といった悪い誘惑が持ちかけられやすいのです。それにのって悪い因縁を結べば、ギャンブルにはまり、借金地獄となり、最後は身を持ち崩す、という結果にもなりかねません。悪い因縁が、さらに悪い因縁を呼ぶという図式です。

 三業をととのえることは、よい因をつくることですし、そのうえで努力、精進をすることが、因にさらに磨きをかけることになります。

 「善因善果 悪因悪果」は必然。それが禅の考え方です。