年代に関係なく、妙に人間関係を怖がる人が増えています。

 相手から傷つけられたり、自分が相手を傷つけてしまうのが怖いのです。

 しかし、傷つけあうのを避けるためのメールのほうが、かえって相手への不信感を呼び、深く陰険に傷つけあう結果にもなりやすいように思うのですが、どうでしょうか。

 傷つけあうのも、一つの人との縁です。

 私の経験から言えば、相手との間には、喜ばしい経験が半分、嫌な出来事が半分。

 半分半分で、ちょうどよく釣り合いが取れて、親しく付き合っていけているのです。

 

 コップに水が入っています。

 上半分は透明に澄んでいます。下半分は濁っています。

「傷つけあうのが怖い」という人は、コップの下ばかりに気を奪われてしまいます。ですから、「人間関係は濁っている。あんな汚らしい水を飲んだら、ひどい目にあう」と決めつけて、けっして手を出そうとはしません。

 全体を見てほしいのです。上には透明な水があると気づいてください。

 人と人は傷つけ合いもします。しかしまた励まし合い、支え合い、慰め合い、癒し合う関係でもあるのです。そのマイナス部分にだけ気持ちを奪われて、人との関わり合いを避けるのは、とても惜しいと思います。

「人との縁を生かすことによって、自分も生かされる」と教えるのが仏教です。

 自力ではなく、人は他力で生かされているのだと。

 合掌とは、右の手のひらを相手だと思い、左の手のひらを自分だと思って、両者を一つに合わせて「ありがとうございます」と感謝の心を捧げる行為です。

 人間関係の喜ばしい部分も、嫌なところも両方を一つに合わせて、「ありがとう」といってみてください。

 人はただやみくもに怖がる気持ちも消え、もっと素直な気持ちで、人間関係を築いていけるようになるでしょう。

 

 

「快楽」より「安楽」

―人生で大事なことはここにある

 人間は「快楽」を求めてやまない生き物かもしれません。しかし求めるまでもなく、「快楽」は日常の中にたくさんあります。たとえばおいしいものを食べて「ああ、おいしかった」、本を読んで「あー、おもしろかった」、ぐっすり眠って「あー、気持ちよかった」・・・そういった「小さな快楽」があれば、十分ではないですか。

 なぜなら、「快楽」というのは一瞬で、求めても求めても、その場で消えていくからです。「快楽」を求めすぎる人は、やがて「小さな快楽」にむなしさを覚え、もっと、もっとと「おおきな快楽」を求めるようになってしまうのです。

 つまり「快楽」を求めれば求めるほど、それによって得られる満足感・幸福感が小さくなる。結局、毎日イライラして一生を終えることになりかねません。

 ふつうに暮らしていれば、いくらでも「快楽」は得られます。どうせなら「安楽」を求めたほうがいい。「安楽」は「快楽」の対極にあるようでいて、似ています。「小さな快楽」が積み重なって、継続していく、それが「安楽」なのです。日々、心穏やかに暮らしていくことに、人生の目標があるとわたしも思っています。

 

 

上へ、上へと、より高いところを目指す人たちは、適宜“ひと休み”を入れているでしょうか。

 中には「競争社会を勝ち抜くには、少しも休んでいる暇はない」と思い込み、それが強迫観念のようになって「休むのが怖い」とすら感じている人もいるでしょう。

 しかし、それでは逆効果。泳ぎ続けないと死んでしまうマグロではないのですから、疲れがたまる一方です。休みなく登り続けたところで、仕事の効率は下がるし、気力も体力も落ちるなど、いいことは何もありません。

 ここは“踊り場効果”を利用しましょう。

 100段、200段と続く長い階段は、ずっと上り続けていると嫌になりますが、踊り場があるとかなり楽になります。ちょっと一休みできるので、たちまち元気が回復し、苦痛が半減します。

 しかも、段差を重ねるうちに、踊り場の位置は高くなりますから、見える風景が違ってきます。これが大変な気分転換になるうえに、脳を活性化させる刺激にもなりうるのです。

 人生や仕事のプロセスにおいては、意識して「踊り場で一休みする」時間を設けることが大切です。

 そこで、階段の上から下を眺めるように、じぶんがいままでやってきたことをちょっと振り返ってみる。あるいは今自分のいる位置から四方八方を見渡し、これからどう進んでいくべきかを考える。

 そんなふうにして「考える時間」を持つといいでしょう。時には新しい風景に刺激を受けて、いままでにはなかった発想が得られるかもしれません。

 何も休日を取らなくたっていいのです。朝の10分とか20分、ぼーっと外の景色を眺めたり、仕事の合間にちょっと屋上とか高層階に上がって空を見上げたり、“下界”の喧騒を見下ろしたりするだけでもいい。ようは「心静かに考える時間」を持つことが大切なのです。

 組織の舵を切るリーダーの仕事は、大半が「考える」ことではありませんか?そこを忘れて、考える時間をないがしろにして走り続けても意味はないのです。「いや、私は休まなくたって、四六時中考えているよ」という人がいるかもしれません。でも、ただ考え続けているだけでは「下手の考え休むに似たり」で、時間が経つばかりで何の効果もありません。ちょっと休んで気持ちを解きほぐして、改めて考えるからこそ、正しい方向性が見えてくるし、新しいアイデアも湧いてくるのです。

 

「七走一坐」は、休む大切さを教えてくれる禅語です。

 直訳すれば、「7回走ったら、1回座りなさい」ということ。リーダーの皆さんは「ある程度やったら、立ち止まって自分を見つめ直しなさい」というふうに読むといいでしょう。

 いったん立ち止まることは、じつはゴールに到着する一番の「近道」なのです。