隊長のブログ

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中国上海に2003年12月から2008年1月まで、商社マンとして駐在していました。趣味はヒップホップダンス、旅行、映画、スポーツ観戦です。野球は阪神タイガースのファンです。

旅行記 第50回 『春景の高崎・新潟 3日間』(その5・弥彦山ロープウェイ)https://ameblo.jp/shanghai-taichou/entry-12963953580.html

旅の二日目。東京スカイツリーと同じ高さ・標高634mの「弥彦山」からの眺望を堪能して、「彌彦神社」脇の駐車場に戻って来たのが、15時少し前。

チェックイン出来る時間なので、今夜のお宿・新潟市西蒲区(にしかんく)岩室温泉にある「ゆもとや」に向かいます。

 



岩室温泉の開湯は江戸時代の中期で、300年の歴史があるそうです。昔傷ついた雁(がん、かり)がこの地に舞い降り、涌き出るお湯に傷を癒したという伝説があります。

古くは「霊雁の湯」と呼ばれ、のちに「
弥彦神社」参拝の宿場として栄えました。

現在では、肌がつややかになる温泉として人気です。

「ゆもとや」は、明治13年(1880年)に湯治場として創業し、見事な庭園もある老舗旅館。

 



チェックインしてから、早速当館の温泉を楽しみました。

前々から、日本海に沈む夕陽を見たいと思っていました。天気も申し分ありません。

この日の“日の入り”時間が、18時なので、17時少し前に宿を出ました。

最初に立ち寄ったのは、西蒲区鷲ノ木(わしのき)にある酒屋・「長谷川屋」。

 



ここには、
蔵元が新潟県の日本酒  始め、各種のお酒が揃っています。

都内で購入するのは難しいお酒も多く、目移りをしてしまいました。けれども、翌日に蔵元を訪れるので、友人へのお土産用に「大吟醸 八海山 ひょうたん瓶」だけを買って、店を出ました。

 




 

旅館の方に教えてもらった夕陽が美しいスポットに向かうため、「樋曽山(ひそやま)」を越え、日本海側へ。

お勧めの夕陽スポット「間瀬こめぐりシーサイドパーク・こめぐりの郷公園」に着いたのが、17時25分頃。

 



既に、陽はだいぶ低くなっています。

 



夕陽をバックに、自分の影を見ると、脚の短い隊長でも、脚長おじさんになっています。

 



夕陽輝く “黄金の道” は、本当に綺麗ですね。

 




 

もっと海を近くに感じるため、公園の西にある、波打ち際まで行ってみます。

 




 

 

 

時は17時57分。間もなく、太陽が海の水平線に隠れてしまいます。

 



日本海に沈む夕陽を堪能して、旅館に戻りました。

夕食は19時から。個室での部屋食です。

 



“お品書き”。

 



 

食事を堪能し、本日二度目の温泉に。

こうして、旅の二日目が終わりました。



★ 続きは、『春景の高崎・新潟 3日間』 (その7・弥彦駅と弥彦公園) で ★ 

 

 

 

 

旅行記 第50回 『春景の高崎・新潟 3日間』(その4・弥彦神社)https://ameblo.jp/shanghai-taichou/entry-12963751397.html


旅の二日目。新潟県西蒲原郡弥彦村に鎮座する「彌彦神社」の参拝を終えたのが、13時50分頃。

弥彦山の山頂へ行くための「弥彦山ロープウェイ」。神社の参拝者休憩所の脇から、ロープウェイ山麓駅までの無料バスが14時に出発するとのことで、バス発着所に急ぎます。

ところが、僅かの差でバスは出発した後。仕方なく、山麓駅目指して山道を歩きます。最初はそれほど勾配がきつくなかったのですが、段々急になり、脚が止まったところで、後ろから送迎バスがやってきました。ダメもとで手を挙げたら、停まってくれて乗車できました。

ロープウェイの往復乗車券 大人1,500円を購入。

 



山頂駅から降りてくる「やまひこ号」を待ちます。

 




 

 

 

行きは、乗客が多く窓際に近づけず、写真が撮れませんでした。

約5分で、山頂駅に到着。

 




 

 

弥彦山の標高は、東京スカイツリーと同じ634mだそうです。

 



日本海越しに、佐渡島(
赤矢印)が見えます。

 




 

反対側からは、雄大な越後平野を見渡すことが出来ます。

 




 

行きは、ロープウェイの中から景色を見渡せなかったので、下りは早目に行って、「うみひこ号」の窓際の場所を確保。

 



絶景を楽しみます。

 




 

途中で、やまひこ号とすれ違います。

 

 

 

★ 続きは、『春景の高崎・新潟 3日間』 (その6・間瀬の夕陽と岩室温泉) で ★ 

 

 

 

 

 

旅行記 第50回 『春景の高崎・新潟 3日間』(その3・杭州飯店)https://ameblo.jp/shanghai-taichou/entry-12963548721.html

 

 

旅の二日目。新潟県燕市吉田東栄町にある包丁の「藤次郎(とうじろう)ナイフギャラリー燕本店」の見学を終えたのが、12時20分頃。

次の目的地「彌彦神社」に向かって車を走らせていると、前方に「大鳥居」が見えてきました。

 



昭和五十七年(1982)の上越新幹線開通を記念して奉建された大鳥居は、高さ30.16メートル、柱間20メートル、笠木の長さ38.5メートルの特殊鋼製で、両部鳥居(りょうぶとりい)としては、日本一の大きさです。

大鳥居を潜った頃から、杭州飯店での昼食が重かったので、口直しの甘いものが食べたくなりました。

そこで、車の進路を変え、新潟市西蒲区橋本にあるジェラートのお店「ジェラテリア・レガーロ」に向かいます。

 



県道2号線沿いにある同店に着いたのが、12時35分頃。街の中ではなく、山や田んぼに囲まれた自然を感じる場所にあります。店名の “REGALO(レガーロ)” とは、イタリア語で「贈り物」という意味だそうです。

店内のショーケースには、各種のジェラートが並びます。

 



隊長が一番好きな “
ピスタチオ” が無かったので、“ラムレーズン” を頂きます。お値段は、500円。

 



ここで、小休止をして、いよいよ念願だった「彌彦神社」に向かいます。

神社脇の駐車場に到着したのが、13時半頃。

社伝によると、御祭神の「天香山命(あめのかごやまのみこと)」は、第六代・孝安天皇元年(紀元前392年)二月二日に越の国(こしのくに)開拓の神業を終えられ神去り坐して神劒峰(弥彦山)に葬られ、御子である第一嗣・天五田根命(あめのむらくものみこと)が、廟社を築き奉祀した事に始まります。

早速、両部鳥居の「一の鳥居」に向かいます。

 



彌彦神社
は、かつて社殿が朱塗であったと伝えられていて、その名残りから朱塗であります。高さは、約6メートル。

鳥居を潜った先に有る「石橋」の上から、左手を見ると「玉の橋」があります。

 



玉の橋は、明治末の社殿焼失以前には拝殿前にありました。神様が御渡りになる橋です。

「表参道」を歩き、左に曲がると「二の鳥居」が。

 



石畳の上を暫く歩いた先にあるのが、「随神門(ずいしんもん)」です。

 



昭和十五年(1940年)、紀元二千六百年を奉祝して建立されました。門内の左右には、紀伊国熊野から伊夜日子大神様に随行し、大神様の宮居を警護する長気(おさげ・向かって右側)・長邊(おさべ・向かって左側)の兄弟神を奉祀しています。

随神門を潜り、拝殿へ。

 



現在の御本殿以下の諸殿舎は明治末の焼失後、近代神社建築の泰斗・伊東忠太氏の設計にて、五年の歳月をかけて大正五年(1915)に再建されたものです。

拝殿手前の社務所にて、御朱印を拝受しました。

書置きではなく、持参した
御朱印帳 に浄書して頂きました。初穂料は、500円。

墨書きは、中央に、旧字で「彌彦神社」。左上に「参拝させていただきました」を意味する「奉拝」の文字。左下に、参拝日。

 



押印は、右上に、「越後一宮」の印。中央に「彌彦神社」の朱印。

いろいろと趣向を凝らした御朱印が多い中、シンプルな御朱印です。他にも、『
出雲大社』 など、社格が上で由緒ある神社は、シンプルですね。

尚、拝受した御朱印の数は、これで128印になりました。その内、第101印~127印は、
こちらをご覧下さい

御朱印を頂く時に、墨や朱印が転写して汚れないように、御朱印帳の間に挟み込んで頂ける「御朱印挟み紙 (はさみがみ)」。

 



挟み紙には、御祭神の「天香山命」の系譜の説明が書かれています。御朱印は、シンプルですが、桜の花びらが描かれているなど、挟み紙は美的センス溢れるデザインです。

隊長が集めた、ユニークな御朱印挟み紙・台紙の一覧は、
こちらをご参照下さい 

 

★ 続きは、『春景の高崎・新潟 3日間』 (その5・弥彦山ロープウェイ) で ★ 

 

 

 

旅行記 第50回 『春景の高崎・新潟 3日間』(その2・高崎観音) https://ameblo.jp/shanghai-taichou/entry-12962928349.html


2日目3月27日(金)】高崎から関越自動車道で燕へ移動。杭州飯店、弥彦神社、弥彦山ロープウェイ、間瀬(夕陽)。岩室温泉泊。

 



旅の二日目。群馬県高崎市柳川町にある「ホテルグランビュー 高崎」で起床したのが、6時30分頃。

今日の最終目的地、新潟県新潟市西蒲区(にしかんく)岩室温泉の天気予報は、曇り。気温は、6℃~15℃です。

8時前後にホテルを出発し、高崎インターチェンジ(以下:IC)から関越自動車道に乗り、この日の最初の目的地、新潟県燕市燕にある「杭州飯店」を目指します。

途中、「関越トンネル」手前の「谷川岳パーキングエリア」で小休止。約11kmの長さの「関越トンネル」を抜けると新潟県。所々にまだ、雪が残っていました。

燕背脂(つばめせあぶら)ラーメンの元祖「杭州飯店」は、人気店でいつも行列が出来ています。開店時間の11時前に着いて、出来るだけ行列の待ち時間を短くしたいと思っていました。

10時30分頃に北陸自動車道の「三条燕IC」を降りることが出来ました。何とか開店前に間に合いそうです。

近くにある上越新幹線の駅名が、「燕三条駅」などで当地を “燕三条市” と思っている方が多いそうですが、実際は燕市と三条市一つの市ではなくそれぞれ別の市です。

ICと駅名が逆なのは、この日乗った「弥彦山ロープウェイ」のガイドさんによると、“大人の事情” だそうです。

「杭州飯店」に到着したのが、10時50分頃。開店に間に合ったし、列に並んでいる人も少ないし、ラッキーと思いました。

 



ところが、様子が変です。入り口のガラスドアの貼り紙(赤矢印)には、「都合により、本日の開店は11時半となります」の文字が!

列に並び開店を待つことに。

同店は、戦前からの歴史があるそうです。それが、店名に現れているのでは、ないでしょうか。

ガイドブック等には、“中華そば” の価格が950円(税込)と表記されているのもありますが、本年2月25日から1,050円(同)に改定されていました。

 



貼り紙に書かれていた11時半よりも若干早い11時21~22分頃に、店が開きました。

テーブル席ではなく、小上りに案内されて初めて、開店が遅れた訳が分かりました。時節柄、会社の歓送迎会だったのでしょうか、既に食事を終えて帰る団体客がいました。

 



小上がりの天井は、独創的な模様です。

 



待つこと10分程で、オーダーした品が運ばれて来ました。

 



“中華そば(ラーメン)” は、超極太麺に背脂がタップリ乗っています。

 



太麺は、ラーメンと言うより、生パスタを食べている感覚です。スープは、想像していたよりしつこくなく、美味でした。

家族とシェアして頂いた “五目チャーハン”  900円。

 



グリーンピースに、付け合わせの紅しょうが。昔ながらのチャーハンの味でした。

満腹になった腹をさすりながら同店を出たのが、11時55分頃。外には、20~30人が列を作っていました。

次に訪れたのが、燕市吉田東栄町にある包丁の「藤次郎(とうじろう)
ナイフギャラリー燕本店
」です。

 



特に包丁を買おうと思った訳ではありませんが、どんな製品がどの位の価格がするのか興味があったからです

 




★ 続きは、『春景の高崎・新潟 3日間』 (その4・弥彦神社) で ★ 

 

 

 

 

 


 

旅行記 第50回 『春景の高崎・新潟 3日間』(その1・山名八幡宮) https://ameblo.jp/shanghai-taichou/entry-12962687114.html

旅の一日目。群馬県高崎市山名町にある神社「山名(やまな)八幡宮」の参拝を終えたのが、11時50分頃。

丁度良い具合に、境内に「ミコカフェ」 があるので、ここでお昼ご飯を食べることにしました。

「ミコカフェ」は、子育て中のお母さんや、妊婦さんをメインターゲットにした、小さな子連れでも気軽に立ち寄れるキッズ・マタニティーカフェです。

靴を脱いで上がると、フローリングの床なので、親御さんたちは、安心してお子さんと食事が出来ます。

 



春休み中の平日。お子さんを連れたお母さんが、食後にママ友とお喋りをしている間、子供たちは、店のおもちゃなどで遊んでいる姿を見かけました。

 



店がある2Fの窓からは、「上信電鉄上信線山名駅」に出入りする電車を眺めることも出来ます。

 


 

 

 

提供するのは、化学調味料を使わない、体に優しい安心安全の食事です。

隊長が頂いたのは、“パンケーキセット”。お値段は、1,700円(税込)。

最初に運ばれてきたのは、“カレーライス”  と “サラダ”。

 



メインを食べた後に、“パンケーキ” と “コーヒー”を、頂きました。

 



店の雰囲気と相まって、料理も優しい味がしました。

居心地が良いので、1時間半近く滞在してしまいました。

店の外へ出ると、“カンカンカン” と踏み切りから音が聞こえ、「試運転列車」が近づいてきました。

 

 

 

 

13時半頃に、「山名八幡宮」を出発。次の目的地「高崎白衣大観音 慈眼院」(通称:高崎観音)に向かいます。

 



観音様の門前にある「つけもの処旬彩」の駐車場に着いたのが、14時前後。

 



500円の駐車料金を払うと、同額の店内で使える金券を貰えるので、駐車代は実質無料。

急坂な参道を上がり、先ずは慈眼院本堂にお参りしました。

 



当院は、鎌倉中期に執権北条義時三男・相州極楽寺入道重時により創建されたと言われています。

御朱印を頂けるのは、本堂に向かって右側の納経処。納経料は、500円。

HPでは、御朱印帳に浄書して頂けるとのことでしたが、この日は書置きのみでした。

墨書きは、中央に 豪快な書体で「大白衣観世」。右上は、"参拝させていただきました” を意味する「奉拝」の文字。左下に、「慈眼院」。

 



押印は、右上に「高崎白衣大観音」の印。中央に、「梵字(観音菩薩)の火焔宝珠印」の朱印。左下に、慈眼院の寺院印。

尚、拝受した御朱印の数は、これで127印になりました。その内、第101印~126印は、
こちらをご参照下さい

本堂から朱色に塗られた太鼓橋を渡り、観音様の足元へ。

 



白衣大観音は、昭和11年(1936年)に高崎の実業家・井上保三郎氏が建立した鉄筋コンクリート製の観音像で、高さ41.8メートル、重さは5,985トン。

 



建立当時は世界最大の観音像だったそうです。

 

慈悲深いお顔を、仰ぎ見ました。

 



尚、神奈川県鎌倉市にある『大船観音寺』に関しては、
こちらをご覧ください

 

標高212mにある境内からは、天気が良いと、高崎市街地や群馬県の主な山々を一望出来るそうです。

 



参拝後、高崎市内に戻り、買い物と食事をし、この日の宿、柳川町にある「ホテルグランビュー 高崎」にチェックインしたのが、20時40分頃です。

ホテルの御厚意で、“ラグジュアリーツインルーム” に、グレードアップして頂きました。

 




 

 

大きな浴槽にお湯を張るのに時間がかかりそうなので、9Fにある大浴場で、この日の疲れを癒しました。

 


こうして、旅の一日目が更けていきました。



★ 続きは、『春景の高崎・新潟 3日間』 (その3・杭州飯店) で ★ 
 

 

 

 

国内を旅した記録「旅行記」の記念すべき第50回は、『春景の高崎・新潟 3日間』をお送りします。

3月26日(木)~ 3月28日(土)の三日間、上越新幹線に乗り、高崎・弥彦・岩室・長岡・小千谷を、旅しました。 


1日目3月26日()】 東京駅から上越新幹線で高崎駅へ移動。山名八幡宮、高崎観音を参拝。高崎市泊。

東京駅 9時52分発の上越新幹線「たにがわ83号」の自由席に乗車。

 



平日とは言え、春休みの最中。東京駅新幹線ホームは、旅行客で混雑していました。しかし、「たにがわ83号」は上越新幹線の終点・新潟駅ではなく、ガーラ湯沢スキー場に直結する「ガーラ湯沢駅」が終点のため、スキーシーズンもほぼ終わりの同日。自由席の乗車率は、5割程度と空いていました。

定刻の10時47分に高崎駅に到着。乗車時間は、55分でした。

駅前から、車で最初に向かったのは、群馬県高崎市山名町にある神社「山名(やまな)八幡宮」。15分弱で当社の無料駐車場に到着。

 



当社伝によると、山名八幡宮は源氏の一族、新田氏の祖・義重の子、山名義範が平安時代後期の安元年中(1175~77年)、大分県に鎮座する八幡宮の総氏神の宇佐八幡宮より勧請された、と伝わっています。

 



約850年も続く、由緒ある神社です。

境内を横切る様に、「上信電鉄上信線」が走っています。

 



行きは、踏切りではなく、線路の下のトンネルを潜っている参道を歩きます。

 



トンネルの手前にある、「太刀割ノ石(たちわりのいし)」。

 



この石は、慶長五年(1600年)、馬庭念流の樋口定次が、村上天流と高崎藩主井伊直政の御前で決闘をするにあたって、勝利を祈願して参籠しました。八幡さまのお告げに従い、境内の大石を枇杷の木刀でたち割ったところ、見事に烏川畔で神託通り勝利したと伝えられ、勝負石や福石とも呼ばれています。

トンネルを潜り、振り返ると右手には、上信電鉄上信線の「山名駅」(
赤矢印)が見えます。

 



元禄十三年(1700年)に奉納された、石の手洗い場「手水舍(ちょうず)」があります。

 



「随神門(ずいしんもん)」。

 



手前には白い神馬が祀られており、社殿側には随神が祀られています。

朱色が美しい鳥居。

 



この鳥居をバックに撮影された、フランスを代表する俳優のカトリーヌ・ドヌーヴ主演の映画『スピリットワールド』のポスター写真が、置かれていました。

 



写真の右手が、カトリーヌ・ドヌーヴ。左側が、堺正章さんです。

傾斜の急な石段。

 



石段の右手には、「妻恋稲荷神社」が。

 



石段を上がった先にある「拝殿」。

 



本殿は、江戸時代中期に、前橋藩主・酒井雅楽頭(さかいうたのかみ)によって再建された古建築物です。

本殿を飾る彫刻群は、明和六年(1769年)、彫刻物師・関口文治郎の手によって彫られたもので、高崎市の重要文化財に指定されています。

 



拝殿から裏手の本殿に回ろうとした所、崖下の山名駅に高崎行きの車両がホームに入線してきました。

 



しばらくすると、反対側から下仁田行きの車両が。全線単線の同線は、当駅ですれ違いをするのですね。

 



本殿の裏手にある「裏神様」。

 



山名八幡宮の象徴である獅子頭は、古来より「疳の虫(かんのむし)」、「厄」を喰い切る神獣として伝わっています。正面からお参りした後、裏神様をお参り下さい。陰陽合わせの考えにより、さらにご利益があると伝わっています。

 



最後に、当社の御朱印を紹介します。

 



今回ではなく、令和七年9月に家人が参拝した際に、拝受しました。初穂料:500円。

墨書きの中央は、「山名八幡宮」。右側に、9月限定ご朱印で、爽やかな秋の風を思い浮かべる、「秋風参り」の筆。さらに、左上と右下に竹に差している風車が、二個描かれています。左側に "参拝させていただきました” を意味する「奉拝」の文字と、参拝日。

朱印は、右上に「八幡宮寶印」。中央に、「山名八幡宮」の墨書きの下に、「社印」を押印。左下に、「八幡宮社務所」の寺院印。


尚、拝受した御朱印の数は、これで126印になりました。その内、第101印~125印は、
こちらをご参照下さい


★ 続きは、『春景の高崎・新潟 3日間』 (その2・高崎観音) で ★ 

 


=「旅行記」バックナンバー =
https://ameblo.jp/shanghai-taichou/theme-10061255138.html
1~44回 省略
第45回 『
北陸新幹線で行く秋の北陸 4日間』 2024年10月30日~11月2日
第46回 『
五度目の江ノ島神社参拝』2024年12月1日
第47回 『
吉田の火祭り』 2025年8月26日~27日
第48回 『
優勝マジック4の旅・名古屋』 2025年9月3日~5日

第49回 『高尾山で初めての紅葉狩り』 2025年11月21日
 

御朱印 とは、本来、心願の成就を祈り書き写した経文等を、御本尊様の宝前にお納めし、その祈願を込めた印として頂いたものが御朱印です。

 

今では、「参拝の証」として、寺社が授与する、寺の本尊印や神社の社印を押したものを「御朱印」と呼びます。


朱色の印影のため、「朱印」と呼び、本尊名や神社名が墨で書き添えられていることが多いです。

 

令和令和八年3月27日の『彌彦神社』で、拝受した御朱印は、128印を数えました。

 

 

その内、第1印~100印の一覧は、既にリストにしています。


そこで、第101印~128印までの一覧をリストにしましたので、ご参照下さい。


=「御朱印巡り」記事 一覧 =
名称:所在地:参拝日

 

第101印  回向院・馬頭観世音 (東京都墨田区)  令和四年5月29日

 

 

 

第102印  世尊院 (長野県長野市)  令和四年6月8日

 

 

第103印  象山神社 (長野県長野市)  令和四年6月9日  

 

 

第104印  四柱神社 (長野県松本市)  令和四年6月9日

 

 

 

第105印  諏訪大社春宮 (長野県諏訪郡)  令和四年6月10日

 

 

第106印 諏訪大社秋宮 (長野県諏訪郡)  令和四年6月10日

 

 

第107印 諏訪大社本宮 (長野県諏訪郡)  令和四年6月10日

 

 

第108印 諏訪大社前宮 (長野県諏訪郡)  令和四年6月10日

 

 

第109印 出雲大社 (島根県出雲市)  令和四年7月28日

 

 

第110印 大船観音寺 (神奈川県鎌倉市)  令和四年9月12日  

 

 

第111印  阿蘇神社 (熊本県阿蘇市) 令和四年11月26日

 


第112印  羽田神社  (東京都大田区) 令和五年1月14日

第113印  羽田富士(富士塚)(東京都大田区)  令和五年1月14日  

 

 

第114印  柴又帝釈天 (東京都葛飾区)  令和五年3月8日

第115印  毘沙門天 (東京都葛飾区)  令和五年3月8日

 

 

第116印  圓應寺 (神奈川県鎌倉市)  令和五年5月29日 

 

 

第117印  本覚寺 (神奈川県鎌倉市)  令和五年5月30日

 

 

第118印  月参堂 善光寺 (東京都文京区)  令和五年7月22日

 

 

第119印  小石川大神宮・四月限定御朱印 (東京都文京区)  令和六年4月1日

 

 

第120印  駒込天祖神社 (東京都文京区)  令和六年4月10日

 

 

 

第121印  駒込富士神社 (東京都文京区) 令和六年4月10日

 



第122印  永平寺 (福井県吉田郡) 令和六年10月30日

 



第123印  瑞龍寺 (富山県高岡市) 令和六年11月1日

 



第124印 大仏寺 (富山県高岡市) 令和六年11月1日

第125印  大須観音 (名古屋市中区) 令和七年9月4日

 

 

第126印  山名八幡宮(群馬県高崎市) 令和七年9月吉日  

 

 

 

第127印 高崎白衣大観音慈眼院 (群馬県高崎市) 令和八年3月26日  
 

 

 

第128印  彌彦神社 (新潟県西蒲原郡弥彦村) 令和八年3月27日  
 

 

 

 

 

御朱印とは、本来、心願の成就を祈り書き写した経文等を、御本尊様の宝前にお納めし、その祈願を込めた印として頂いたものが御朱印です。

今では、「参拝の証」として、寺社が授与する、寺の本尊印や神社の社印を押したものを「御朱印」と呼びます。

朱色の印影のため、「朱印」と呼び、本尊名や神社名が墨で書き添えられていることが多いです。

ブログでは、御朱印に関する本として、篠原ともえ著 『御朱印をはじめよう』 
 と、

重信秀年著 『大人の御朱印 50にして天命を知る』  を、紹介しています。

御朱印挟み紙 (はさみがみ)」とは、御朱印を拝受する際に、墨や朱印が転写して汚れないように、寺社では、紙を御朱印帳の間に挟み込んで頂けます。

挟み紙の多くは、無地の半紙ですが、中にほその寺社の謂れや、御朱印に関して印刷された紙を挟み込んでくれる寺社があります。

 

また、「御朱印台紙」とは、御朱印を御朱印帳への浄写で頂くのではなく、書置きで頂いた際に、御朱印が折れたりしないように、寺社で頂ける台紙のことです。

そんなユニークな挟み紙・台紙を一覧にしてみました。


1.  東京都文京区 「小石川大神宮」




当社の由来が書かれています。



2. 茨城県水戸市 「常磐神社 (ときわじんじゃ) 」

 


 

御祭神の「高譲味道根之命」と「押健男国之御楯命」の説明と、拝殿の写真が印刷されています。



3.  東京都八王子市 「高尾山薬王院」

 

 


 

天狗のお顔。さらに、もう一枚、御朱印の由来と注意書き。確かに、最近の “御朱印ブーム” で、中にはマナーを守らない方もいます。残念ながら、このような注意は必要だと思います。



4.  東京都江東区 「亀戸天神社」

 


 

藤の花で知られる当社らしく、藤色の紙に由来が印刷されています。



5. 東京都台東区 「浅草寺 (せんそうじ)」



 

御朱印の由来と、注意書き。



6.  静岡県伊豆市 「修禅寺」



御本尊の説明と、注意書き。



7. 静岡県掛川市 「龍尾神社 (たつおじんじゃ) 」





当社と山内一豊公との縁などが書かれています。



8. 東京都千代田区 「東京大神宮」



 

御朱印の順番札も兼ねている挟み紙。

 

 

9. 神奈川県鎌倉市 「建長寺」

 


“建長寺御本尊身代わり地蔵縁起和讃” が書かれています。

 

 

10. 神奈川県鎌倉市 「報国寺」

 

御朱印の由来と、注意書き。

 

 

11. 東京都台東区「寛永寺 根本中堂」

 


根本中堂の由来と、御朱印の説明。

 

 

12. 宮城県松島町 「瑞巌寺」

 

 

オリジナル御朱印帳一頁目の書の説明。

 


御朱印の由来と、注意書き。 

 

 

13. 東京都豊島区 「真性寺」 

 

「納経印(御朱印)」の由来と、注意書き。

 

 

14. 東京都世田谷区 「桜神宮」

 

 

「役病退散」の文字と、イラスト風の可愛い「アマビエ」が描かれています。

 

 

15 神奈川県逗子市「延命寺」

 


山号の「黄雲((こううん))山」にかけて、「幸運(こううん)が訪れ増(ま)すように」と、書かれています。

 

 

16. 神奈川県鎌倉市 「八雲神社」

 

 

「神奈川県神社庁」の挟み紙。

 

 

17. 長野県諏訪郡  「諏訪大社春宮」

 

 

「諏訪大社秋宮」

 

長野県諏訪郡  「諏訪大社本宮」

 

長野県諏訪郡  「諏訪大社前宮」

 

御朱印帳への浄書をお願いした時に渡される、御朱印受け渡し間違い防止のため引換券です。他の寺社と異なり、諏訪大社では、券を回収することなく、記念に持ち帰ることが出来ました。

 

 

18.  神奈川県鎌倉市 「大船観音寺」

 

 

書置きを頂いた際に、御朱印が折れたりしないように、写真の様な台紙とともに、紙袋に入れて頂きました。この台紙には、広島平和記念公園に贈られた「折り鶴」を配合した社会貢献型素材・カラフルウィッシュを使用しています。

 

 

19.  東京都大田区 「羽田神社」、「羽田富士」 

 

 

太陽と飛行機のスタンプ、当社のホームページとFaceBookのURLが、記載されていました。

 

 

20.   東京都葛飾区 「柴又帝釈天」、「毘沙門天」

 

当山の由来、沿革、教説が書かれた「柴又帝釈天縁起」と、

 

 

令和5年(2023)の「庚申(こうじん)」(縁日)の日程が、書かれています。帝釈天の板本尊が発見されたのが、安永8年(1779)の庚申の日であったことから、60日に一度の庚申の日が縁日となったそうです。

 

 

21.  東京都文京区 「小石川大神宮」

 

 

中央には、花菱の社紋「今日も素敵な一日でありますように」の文字と。下には、当社のホームページとInstagramのQRコードが記載されています。

 

 

22. 東京都文京区 「駒込天祖神社」

 

 

中央には、「本日はようこそ ご参拝下さいました」の文字。左下には、伊勢神宮と同じ「花菱(はなびし)」の社紋の下に江戸時代に称された「駒込神明宮」の文字。

 

 

23.   富山県高岡市 「瑞龍寺」

 

 

御本尊朱印の説明が、書かれています。

 

 

24. 新潟県西蒲原郡弥彦村 「彌彦神社」
 

 

 

 

御祭神の「天香山命(あめのかごやまのみこと)」の系譜の説明が書かれています。御朱印は、シンプルですが、桜の花びらが描かれているなど、挟み紙は美的センス溢れるデザインです。


 

 

御朱印とは、本来、心願の成就を祈り書き写した経文等を、御本尊様の宝前にお納めし、その祈願を込めた印として頂いたものが御朱印です。


今では、「参拝の証」として、寺社が授与する、寺の本尊印や神社の社印を押したものを「御朱印」と呼びます。


朱色の印影のため、「朱印」と呼び、本尊名や神社名が墨で書き添えられていることが多いです。


複数の朱印の印影を集めることを集印(しゅういん)といい、朱印を押印し集印するための専用の帳面が「御朱印帳」です。


御朱印帳の種類には、古くからある本のような「和綴じ(わとじ)」タイプと、大正時代ごろに生まれた折りたたみ式の「蛇腹(じゃばら)」タイプがありますが、隊長が使用しているのは、全て蛇腹タイプ。


サイズも、一般的な11cm×16cm(小判)のものと、ひと回り大きな18cm×12cm(大判)のものがあります。コロナ禍の最近では、感染防止のため、御朱印帳への押印ではなく、書き置きの御朱印のみ用意している寺社が多いので、あとから貼る事を考えると、大判の方が良いかもしれません。


御朱印帳を手に入れるのは、文具店・書店・ネットで可能ですが、オリジナルの御朱印帳を用意している寺社で拝受する事も可能です。


平成29年(2017)11月から集印を初めて、現在使用中の御朱印帳が、七冊目です。その一覧は、下記の通り:

 


一冊目:平成29年11月 文具店にて購入 サイズ:小

 

 

 


二冊目:平成30年1月 東京都文京区「櫻木神社」にて拝受 。   サイズ:小  初穂料:1,000円

 

 

 


三冊目:平成30年4月 文具店にて購入 サイズ:大

 

 

 


四冊目:平成31年1月 静岡県伊豆市「修禅寺」にて拝受 。  サイズ:大  納経料:1,000円

 

 

 

 

五冊目:令和2年1月 東京都台東区「寛永寺」にて拝受 。 サイズ:小  納経料:1,500円

 

 

 

六冊目:令和3年6月 宮城県松島町 「瑞巌寺」にて拝受 。  サイズ:大  納経料:1,200円

 

 

 

七冊目:令和四年7月 島根県出雲市「出雲大社」にて拝受 。  サイズ:大   初穂料:1,200円

 

 

 


尚、これまでに拝受した御朱印の内、第1印~100印までの一覧は、こちらをご参照下さい 。 


又、ユニークな「御朱印 挟み紙(はさみがみ)」は、こちらをご覧下さい 。 

 

 

 

 

中国出身の映画監督、脚本家、映画プロデューサー・呉 宇森ジョン・ウー:John Woo)は、1946年3月1日に中国広東州広州市で生まれました。2026年4月現在、79歳です。

 

 

隊長が密かに名付けた、世界的に著名な中国出身映画監督 三羽烏(ジョン・ウー、チャン・イーモウ、チェン・カイコー)の中では、最年長です。


5歳で香港に移住しますが、貧民街でのすさんだ幼少期を送りました。


1969年に脚本家として、1950~60年代の香港の二大映画会社の一つ「キャセイ・オーガナイゼーション(國泰機構)」に入社。

 

1971年にもう一つの二大会社「ショウ・ブラザーズ(邵氏兄弟香港有限公司)」に移り巨匠・張徹(チャン・チェ)の助監督となります。

 

1973年、27歳の時、「ゴールデン・ハーベスト(嘉禾影片公司)」に移り、『カラテ愚連隊』で監督デビュー。


数本の作品を発表したものの、ヒット作に恵まれず、台湾で不遇の時代を送ります。


しかし、1986年に『男たちの挽歌』で、香港電影金像奨最優秀作品賞と金馬奨最優秀監督賞を受賞。

 

 

独自の映像感覚を駆使したアクション・シーンが注目されます。


さらに、1990年に『狼 男たちの挽歌・最終章』で香港電影金像奨最優秀監督賞を受賞。


1993年には、ハリウッドに招かれ『ハード・ターゲット』を発表。


それ以来、主に活動拠点を米国に移し、アクション大作を次々と世に送り出していましたが、2008年公開の『レッドクリフ』二部作以降は、アジアの作品でも再び監督を務めています。


そんな、ジョン・ウーさんの監督作品を、これまでに7本を紹介しています。

 

詳細は、下記一覧をご参照下さい。

 

尚、チャン・イーモウ監督作品の記事一覧は、こちらをご参照下さい

 

また、チェン・カイコー監督作品記事一覧は、こちらをご覧下さい

 

=「ジョン・ウー 監督作品」 記事一覧  =

(日本公開年順、題名、主演)

1.  1987年 『男たちの挽歌』 チョウ・ユンファ  

2.  1989年 『男たちの挽歌Ⅱ』 チョウ・ユンファ

3.  2000年 『ミッション:インポッシブル2』 トム・クルーズ  

4.  2008年 『レッドクリフ PartI』 トニー・レオン、金城武、チャン・フォンイー、リン・チーリン  

5.  2009年 『レッドクリフ PartII-未来への最終決戦-』 同上  

6.  2019年 『The Crossing -ザ・クロッシング- PartⅠ』 金城武、長澤まさみ、ホアン・シャオミン、ソン・ヘギョ、チャン・ツィイー、トン・ダーウェイ  

7.  2019年 『The Crossing -ザ・クロッシング- Part II』 同上