なぜなりたくなかったかって? その理由ナンバーワンは、物心ついた頃からずっと持っていた人前で話すことへの苦手意識だ。30代半ばくらいまでは人前に限らず「話す」こと自体に苦手意識が残っていたし、軽い吃音もまだ残っていた。少し長く話し続けただけで呼吸が苦しくなっていく症状さえも確かにあったのだ。その苦手意識のおかげで私は「自分が話す時間を最小化する」ための努力や工夫をした結果、若いうちに「書く力」「読む力」「質問力」「傾聴力」「ファシリテーション力」など隣接するコミュニケーション力が異常に開発された。
自分が話す時間を最小化するための工夫は、どんな講師の仕事をする際にもやめることはなかった。講義テーマに関する理解度や学びを高めるためのクイズやケーススタディやロールプレイ等の演習を数多く準備して受講者が考えたり話したりする時間を必ず多めに取り、私は「司会者」「解説者」に徹することで話す時間を最小化した。
なんとか場数を踏んだことで話すことへの苦手意識が薄まってきたのが30代後半。そして38歳のとき、ついに最も苦手にしていた「話し続けるスキル」を本気で磨くことに着手した。「落語体験入門」という実践的な講座を通じて様々なプロの噺家から落語を学び、自ら15分の落語が一席できる技術を身につけることにしたのだ。半年以上をかけて同講座の初級と中級を修了する過程では和服を着て擬似高座に座って話して真打(プロ)からフィードバックを受ける機会が十回以上あり、それまでの人生で最も話す技術そのものに真剣に向き合うことができた。
この新たな学びの過程では、まだ少し残っていた軽い吃音が完全に解消した。解消したというか「自在にコントロールして使いこなせる得意技」になった。与太郎や八五郎などトボけた登場人物のセリフで「そそそ、そんなこたぁ知りません」などとリアルな吃音を軽く入れただけで会話の本物感や面白みが増したのだ。(ちなみに自由自在に吃音を使いこなせる技術は、40代半ばから3年連続で狂言回し的な役割で演劇的な公演に出演した際にも強力な武器の1つになった)
最終的には、同じ大学内の同規模の授業における満足度が最も高い教員として「学生が選ぶベストティーチャー賞」を平成29年に受賞したり、その後も受講希望者が増え続けて履修登録者が(授業運営が難しくなるレベルの)300人を超えてしまったりもした。担当した授業「ファイナンシャルプランナー演習」を1つのプロジェクトとして観れば、控え目に言って大成功だった。
個人の能力開発に関しては「得意なこと」「好きなこと」を伸ばすのが最も効率的だと思うが、やりたいことの周辺にある「苦手なこと」「やりたくないこと」にチャレンジすると全く想像していない才能が開発されることがあるんだなぁ・・と新たな機会への恐れに飛び込んだ20年前を振り返りながら思った。