資産管理の不安を減らして、創造的な100年を生きる【白鳥光良の Work Life Fusion】

資産管理の不安を減らして、創造的な100年を生きる【白鳥光良の Work Life Fusion】

100キロマラソン、フラメンコの唄と踊りとギター、創作落語、将棋、ファイナンシャルプランなど、様々な世界を融合(fusion)させる【白鳥光良】が「資産管理の不安を減らして、創造的な100年を生きる」を研究&実践中

人生のお金の不安を減らすのはカンタン。


まとまった貯蓄を取り崩すタイミングを見通せばいい。


住宅・教育・老後・万一の4つを押さえれば、不安の9割はなくなる。


 


しかし、100歳を超えて生きたらお金が尽きるかも。。。


その問題を解消する1つの答えは、Work Life Fusion すること。


もっと詳しい話を知りたくなったら、この3つのうち1つだけクリックしよう!


 


1.40歳未満の方は、39歳までに受けたい《お金の不安がなくなる》マネーレッスン


2.40歳以上の方は、将来のお金の不安が減ったお客様へのインタビュー記事


3.FP有資格者の方は、白鳥光良のファイナンシャルプランナー実践道場2020


 

子供の頃からなりたくないと思っていた身近な職業は「教師」だったから、20代の最後に翌年から私立大学の非常勤講師を務めることが決まったときは「あれっ?」と不思議に思った。


なぜなりたくなかったかって? その理由ナンバーワンは、物心ついた頃からずっと持っていた人前で話すことへの苦手意識だ。30代半ばくらいまでは人前に限らず「話す」こと自体に苦手意識が残っていたし、軽い吃音もまだ残っていた。少し長く話し続けただけで呼吸が苦しくなっていく症状さえも確かにあったのだ。その苦手意識のおかげで私は「自分が話す時間を最小化する」ための努力や工夫をした結果、若いうちに「書く力」「読む力」「質問力」「傾聴力」「ファシリテーション力」など隣接するコミュニケーション力が異常に開発された。


自分が話す時間を最小化するための工夫は、どんな講師の仕事をする際にもやめることはなかった。講義テーマに関する理解度や学びを高めるためのクイズやケーススタディやロールプレイ等の演習を数多く準備して受講者が考えたり話したりする時間を必ず多めに取り、私は「司会者」「解説者」に徹することで話す時間を最小化した。


なんとか場数を踏んだことで話すことへの苦手意識が薄まってきたのが30代後半。そして38歳のとき、ついに最も苦手にしていた「話し続けるスキル」を本気で磨くことに着手した。「落語体験入門」という実践的な講座を通じて様々なプロの噺家から落語を学び、自ら15分の落語が一席できる技術を身につけることにしたのだ。半年以上をかけて同講座の初級と中級を修了する過程では和服を着て擬似高座に座って話して真打(プロ)からフィードバックを受ける機会が十回以上あり、それまでの人生で最も話す技術そのものに真剣に向き合うことができた。


この新たな学びの過程では、まだ少し残っていた軽い吃音が完全に解消した。解消したというか「自在にコントロールして使いこなせる得意技」になった。与太郎や八五郎などトボけた登場人物のセリフで「そそそ、そんなこたぁ知りません」などとリアルな吃音を軽く入れただけで会話の本物感や面白みが増したのだ。(ちなみに自由自在に吃音を使いこなせる技術は、40代半ばから3年連続で狂言回し的な役割で演劇的な公演に出演した際にも強力な武器の1つになった)


最終的には、同じ大学内の同規模の授業における満足度が最も高い教員として「学生が選ぶベストティーチャー賞」を平成29年に受賞したり、その後も受講希望者が増え続けて履修登録者が(授業運営が難しくなるレベルの)300人を超えてしまったりもした。担当した授業「ファイナンシャルプランナー演習」を1つのプロジェクトとして観れば、控え目に言って大成功だった。



個人の能力開発に関しては「得意なこと」「好きなこと」を伸ばすのが最も効率的だと思うが、やりたいことの周辺にある「苦手なこと」「やりたくないこと」にチャレンジすると全く想像していない才能が開発されることがあるんだなぁ・・と新たな機会への恐れに飛び込んだ20年前を振り返りながら思った。






















私は運がいい。


半世紀近くの人生を振り返ってみると、幸運な出来事に恵まれたことも不運なトラブルに巻き込まれたことも両方あるのだが、基本的には「運がいい」と感じる。そう言うと「良いことが起きる確率が高まる考えや言動を重ねてきたから幸運な出来事が多く生じただけやろ」という冷静な分析ツッコミも聞こえてくるのだが、そもそもそういう考え方や言動ができる知恵にアクセスできる環境に生まれたことが運がいいと感じるのだ。


「実現する確率が低いにも関わらず、強く望んでいることが叶う」ためには行動を重ねるだけでなく幸運も必要だと思うが、私は25歳のときに1%の行動と99%の幸運を感じることがあった。それは「無名の若者がメルマガを創刊したら、なんと創刊号を出す前にメルマガの(商業)出版化が決定した!」という出来事だ。20代前半の私は「何者でもない自分が、何者かになりたい」という漠然とした気持ちが具体化されたものとして自らの著書が書店に並ぶことへの強い望みが心の底にあったので、企画を通す力のある編集者からメールが来て打ち合わせ1回で決まったその出来事は「奇跡的な幸運」と感じた。


もっと具体的に話すと、私が社会人2年目でアクセンチュアに勤務していた1998年12月にCFP試験に6課目同時合格した翌月に「CFP一発合格の秘訣」というメルマガを創刊したのだが、その2週間前に新刊メルマガを紹介するメルマガを見たオーエス出版社(当時)の編集者からコンタクトがあって、初対面で「CFP試験一発合格のきめて」の出版化が内定。


その本は初版5000部が書店に並び、2回増刷して9000部が流通した程度でやがて絶版になったが、2000年に起業した後におけるビジネス上の信用度や影響力を高めるパワーは(20代では特に不足しがちだったので)凄いものを感じた。また、その実績を基にTAC出版から依頼されて2009年から発売された「スッキリわかるFP技能士」シリーズはこれまでに累計40万部近くが流通して毎年アップデートしながら売れ続けるロングセラーになった。先日も紀伊国屋書店で横向きに平積み展開されたスッキリわかるFP技能士1級〜3級(写真)を見かけて嬉しくなった。



まあ人生には色々あるのだが、出版に関する過去から現在までの事実を冷静に振り返ると「私は運が悪い」なんて逆立ちしても言えない。



















糸井重里氏は私の一撃で破産した。 


といってもそれは現実の世界で起きたことでもなければメタバース上で起きたことでもなかった。モノポリーという世界的に有名なボードゲームの日本選手権で生じた場面だ。


今から25年前に新卒でアンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)に入社した私は、新入社員でありながら新しい仕事にキャッチアップするための勉強をサボっ・・・休日の気分転換に出場したモノポリー日本選手権の東京予選で279人中3位になって秋の決勝大会に進出した。一方、糸井重里氏はモノポリー協会の会長としてスーパーシードで決勝から出場。そして30人が参加する決勝大会は計2ゲームやって上位5人が最終決勝卓に進めるのだが、私の1ゲーム目は5位(ビリ)。糸井氏も1ゲーム目が5位だったようで、2ゲーム目が同テーブルになったのだった。初めてお会いした糸井氏は「ずっと楽しげに話し続けてる人」だった。「1回戦みんなビリだったんでしょ。もう望みがないから気楽に行こうよー」みたいな緩いことを言ったり、「きょうはかなり引きが弱いな〜」みたいな独り言を話し続けてシリアスな勝負の場を和ませていた。


モノポリーをひとことで言えば土地を買い集めて建物を建てて儲けた人が勝てる「不動産投資ゲーム」である。当時の私は「将来の自分は不動産投資のサポートにも深く関わる仕事をする」とは1ミリも思っていなかったが、既にこういう世界への適性があったのだろう。私は東京予選の前に(人間と対戦するヒマは全然なかったので)モノポリーのゲームソフトを買って研究して勝ちやすい戦略を確立していた。それは、他のプレイヤーとの交渉において「相手が少し得した感じの取引を数多くまとめる」ことだった。個々の取引においてはメリット感が「自分4、相手6」でも、それを4回行うと累積メリットが「自分16、他の人6」になって圧倒的な優勢を築けるという仕組みだ。具体的には「この2つのどちらか要りませんか?」と人気のカードを渡す代わりに、地味なカード2枚と適度なキャッシュを貰って純資産が数百ドル高まる取引を最善とする。このような交渉や取引を3人くらいと行うと、その相手のうち誰かが同じカラーの土地を3枚揃えて家を建て始めたりするのだが、そのときには市場に出回っている(自分以外が持っている)キャッシュが少なく現金の価値が高いデフレ状態になっている。マネーサプライが減少している。実は白鳥銀行による金融引き締めが進行していた。このような状況では急激に成長する開発地も実は少ない。それでもやがて金欠で飛ぶプレイヤーが出てくる終盤に入るので、そのタイミングで私は潤沢なキャッシュで黒田総裁のような猛烈な買いオペを実施して一転して不動産を買い漁る逆襲を開始、中盤までに作りだした純資産の多さで体力勝ちするパターンに持っていくのだ。


東京予選ではこのハイパーデフレ戦略で2回大勝できたので好成績で勝ち抜けたが、日本選手権の決勝1回戦ではさすがに交渉が早くて頻繁な猛者が多くて、モノポリーの猛者たちが作る流れに飲み込まれて様子見をしているうちに負けた。決勝2回戦は交渉が早い猛者が少ないうえにサイコロの目に恵まれて、勝ちを争う2強に入れた。そしてその瞬間はやってきた。サイコロを振った糸井氏は「あちゃー」と言いながら私が建物を建てている土地にコマを進め、賃料債務を履行できずに破産した。こうして私は24歳にして「糸井重里を破産させた男(笑)」になったのだった。その当時の日本選手権の順位などの記録は、まだこちらのページに残っていた。懐かしい。





「負けました」

と、自らの負けを認める「投了」という瞬間が将棋にはあるのだが、記憶に残っている最も悔しかった投了は33年前の高校1年のときの「高校竜王戦 個人戦 東京予選決勝」だったと思う。当時、居飛車相手には「升田式石田流」(裏芸は米長流急戦矢倉)、振飛車相手には「相振り飛車」(裏芸は玉頭位取り)をメイン戦法として序盤から激しく動いて経験値の高さでリードを奪った後は一転して手堅くまとめるのが理想の勝ちパターンだったが、決勝まではその展開でスムーズに勝ち進んだ気がする。

でも「この一局を勝てば(全国大会が行われる)憧れの天童に行ける」と思ったら変な緊張感が湧いて盤面を広く見ながら先を読む集中力が濁っていた。序盤から終盤までいい勝負で、勝てるチャンスは何度もあった気がするが読み切れず決め切れずチェスクロックによる秒読み勝負になり、最後は無表情で冒頭の言葉を発して頭を下げている自分がいた。本当は物凄く悔しかったのに悔しくないフリをして「いやー、負けちゃったね」と軽く笑っている自分がいた。

いま私がそのときの自分に声を掛けるなら「今のお前は実力が足りなかったから負けたのだ。もっと執念深く準備すれば都予選を勝ち抜けたぞ。笑うな。真顔で悔しがれ!」と敢えて厳しい事実を含むメッセージを伝えたい。

それにしても真剣勝負の世界、実力勝負の世界は潔くていいね。負けた場合に実力不足以外の言い訳が何ひとつ効かない世界って、美しくて清々しくて痺れるほど大好きだ。






今朝も9時台に家の近くを軽く走ったが既に気温34度を超えていて日陰さえもやばい空間になっていたので途中コンビニで給水しながら30分でラン終了。

真夏でも真冬でも週4回以上ジョギングする習慣はもう12年以上続いている。これは免疫力爆上がりの最高健康法だと実感しているが、ふと気づくと自分がやっていることが修行僧みたいに激しくなってることが多々あるので誰にでも気軽に走ることをオススメできる訳ではない。でも、いろんな理屈を並べて「これもできないあれもできない。私はどうしたらいいですか?」みたいな輩を見かけると「とりあえず100キロ走って来い!」と言いたくなる(けど言わない)。

フルマラソンを完走しても人生観は変わらなかったけど、2013年に30代最後のチャレンジの1つとして100キロマラソンを完走した後は物事の捉え方が強烈に変化した。人生の中で生じるあらゆる問題には「ウルトラ(マラソン)ソリューション」という恐ろしく泥臭い解決方法が存在することに気づいたのだ。いま現実にいるA地点から100キロ先にある理想のB地点まで、フツーの人たちがクルマか電車か飛行機のどれで行こうかと迷ってる間に「とりあえず1キロ走ってみる」を実行して、場合によってはそれを100回繰り返せばいいと自然に考えるようになったのだ。一見すると非効率なアホにしか見えないウルトラ・ソリューションを常に現実的な選択肢として持っている人間は、きっと笑顔の奥に凄味があるはずだ。

走っても走ってもゴールが見えてこないマラソンのような常に様々な締切が押し寄せる忙しさが何年も続いていたが、最も忙しい日々が過ぎてようやくゴールらしきものが見えてきたような気がする。あらためて気持ちを落ち着けて目の前の風景を眺めながら、ゴールらしきものに向かって走ったり歩いたりしながら前に進むとしよう。