最初に勤務していたのは田舎のリハビリ病院でした。

  
そこでも、スタッフとの人間関係がうまく作れず、
良くしてもらっていても劣等感感じて
馬鹿にされてるような気分になったり、
自分は勤務の中で信用されてない
とか勝手に思ったりしてました。
 
 
ですので、学生生活の時のように
ナースステーションでやることがなくなると
よく患者さんのところに行って何か手伝ったり、
お話したりしてナースステーションから逃げてました💦
 
  
その病院は高齢者が圧倒的に多く、
私はいってみたら孫みたいに見られてて
かなり可愛がられてたと思います(笑)
 
 
でも若かった私は
看護師としてもっと大きな病院で働いてみたいと思い、
前橋の済生会病院に転職(?)します。
 
 
そこで所属になった科はなんと手術室。
 
 
今まで患者さんに救われていた私にとって、
手術室は異質であり、ちょっと辛い部でした。
 
(まぁ、これで私自身がいかに患者さんに救われてきたのかも
知ることが出来ましたが)
 
 
私が相手をするのは
患者さんというより、
患部であったり、
執刀医や麻酔医であったり、
スタッフであったりと、
私が苦手な人間関係の塊でした。
 
 
自信がないのにちゃんとできるように見せちゃったりして
私は職場の人から信頼を無くし、
同僚からも見下されるような状態になりました。
 
 
そんなあるとき、街に出て
たまたま見かけた某英会話スクールに通うようになり、
中学生レベルまで落ちていた英語を再び学ぶことになります。
 
 
なんせ看護学生時代はほぼほぼ英語に
触れていませんでしたから💦
 
 
5年ぶりの英語でした。
 
 
最初は地道にテキストの内容を一生懸命勉強し、
スクールに行くたびに学んだ英語を実際に使ってみました。
 
 
「英語は楽しい」という固定概念が出来ていたのと、
スクールの先生がみんないい方だったので、
私はすぐ中高で触れていた
「個を尊重する」英語の世界に再び惹かれ、
スクールの先生とまずはお友達になり、
そこからいろんな人を紹介してもらったりして、
日本在住のネイティブスピーカーと友達になっていきました。
 
 
日本にいながら
イギリス、
アメリカ、
オーストラリア、
ニュージーランド、
ドイツなど、
いろんな国の人と触れられるようになりました。
 
これはどんな言語でもそうだと思いますが、
言語はその国の文化の影響を濃く受けるので、
 
英語を話してる自分
韓国語を話してる自分
日本語を話してる自分
 
違う言語を使うごとに
全部その文化に染まった自分になります。
 
そして「こうなければならない」という
私を縛っていた固定概念が
どんどん壊れていきました。
 
 
うまくいって当たり前、
ミスが許されず、患者さんとの接点も薄い手術室。
 
当時の私にとって手術室は
「お給料をもらうために耐えていくところ」
になってました。
 
 
何が正しいんだろうか
私がしてること、これでいいのか?
私がやるべきことはこれでいいのだろうか?
こういう葛藤をいっぱい持ってました。
 
このストレスや悩みが、
私にもっと違う世界を見ろという活力を与えていました。
 
 
このころから新しい人と会うのが
楽しくてしょうがない人になっていくのですが、
人と関わるのが好きという思いは
色んな人の価値観を見てみたい
という思いからかもしれません。
 
 
相変わらず自己の無価値観はありましたが、
英語を話しているときだけは
私の考えを自然に言えました。
 
 
私に対してくれるネイティブの方々が
それを自然に受け入れてくれたのも大きかったと思います。
 
それにしても、
いじめられっ子で、人と関わるのを怖がり、
ただただそこに存在するだけだった人間が
手術室で勤務しながら英語を使って様々な英語圏の人とお友達になる。
これだけでも奇跡だなぁって自分事ながら思います。
 
 
まただいぶ長くなりましたので今日はここまでで。
 
いつも長くなっててすいません💦
ここまでお付き合いいただいた方、感謝です♡

好きなものも、好きなこともなく、
家の外に出ると自分の存在価値もわからないまま、
相変わらず通い続ける学校。
 
軽井沢町は小学校が3つあるのに中学校が1つしかないので
いじめっ子だった人も自動的に一緒に進学。
 
新しい人もいましたが、
その人たちに声をかけるような勇気はありません。
 
そうこうしてるうちにいじめっ子だった子たちが
私がいじめられっ子だった噂を広め、
「あの子は近づかない方がいい」的存在になり
孤立していました。
 
あるときはひそひそと
あるときは私に聞こえるように
私の悪口を言っていたような状況。
 
 
そんな私でしたが、クラスの責任分担で英語係になりました。
 
英語の単語練習帳をまとめて英語の先生に届けるため、
毎日英語研究室に通いました。
 
当時の自由課題で、
英語の教科書のレッスンをテープを聞いて暗記して、
ネイティブの先生と教科書を見ずにレッスンの対話を再現する
という課題がありました。
 
英語係だったからか理由は忘れましたが、
それをやるようになって
ネイティブの先生とやり取りをするようになっていきました。
 
ネイティブの先生はとても明るくて
私と対等に向き合ってくれました。
 
大抵教室にいられない人が集う保健室。
私は英語研究室にこもってました💦 
 
日本は和が美とされる文化。
その場の空気を読んで、
自分の意見よりその場に一番ふさわしいと思える行動を取ることが好まれるように感じます。
「こうでなければならない」とか
出る杭は打たれる的という側面も持っていると思います。
 
それはそれで素晴らしい文化なのですが、
私はそれが嫌だったんだと思います。
 
思えばみんなが盛り上がってるもので盛り上がれなかったり、
他の人と違う関心があったのかもしれません。
 
そんな中、
ネイティブの先生とやり取りをするようになることで
英語文化圏の
「個を尊重する」という文化に触れるようになります。
 
今の時代は
「違ってもいいんだよ」と訴える人も増えて来てますが、
少なくても私の時代はそんな雰囲気じゃなかったんですよね。
 
かと言って私が
「違ってもいいんだ」「そういう考えもあるんだ」
と思えるようになるのはもっと後なんですが、
私は英語が大好きになり
高校も英語科に進学するようになります。
 
英語科は天国のようでした。
私をいじめる人も、悪口をいう人も、邪険に扱う人もいず、
大好きな英語も週11時間
英語科が出来て2年目で、テスト生的な位置だったので、
英語の授業も型にとらわれないような、
今までになかったような授業でした。
親友も出来、楽しい学生生活でした。
 
   
でもずっと自分に出来る事なんてあるのかわからない
自分と社会を結びつけるなんて想像つかない
そんなセルフイメージほぼ無し状態だったので、
英語は好きでしたが、
それを仕事に活かせる「通訳」なんて私に出来るわけないって信じてましたし💦
他に英語を活かせる仕事が全くイメージつかず、
ゴールが見えないからそのルートも全く浮かばず、
またなんとなく時間を過ごしてしまい
あっという間に卒業。
 
短大に入ろうと思っていたのですが、
その短大にすら落ちてしまったので、
友人の紹介で昼間は病院で働いて、午後から学校という
准看護学校に進むようになります。
  
2年で准看護師の資格を取り、
そのあとまた昼間働いて夜学校に通うという
勤労学生3年を経て看護師の資格を取りました。
  
英語は私の人生に彩を与えてくれるきっかけになったとは書きましたが、
この看護学生生活も私の存在価値に気付かせてものになりました。
 
慢性期病棟勤めだった私は
仕事をしてるだけなのに
「ありがとう」って言葉をいっぱいもらえ、
休み明けに出勤すると
「昨日はいなかったね、顔が見えなくて寂しかったよ」
と声をかけてもらえたりする中で、
家族以外の人に必要としてもらえる体験をしたからです。
 
私の凍り付いていた思い
人と関わるなんて面倒くさい
私は必要とされてない。いてもいなくても同じ。
私が出来ることなんてない という思いが
患者さんを通して少しずつ溶かされていきました。
 
そして、実は人と触れ合う事好きな自分にも気が付いていきます。
 
と英語に触れる前にめっちゃ長くなってしまったので今日はここまでにさせていただきます。
それでも長いけど。
 
英語が私の人生にどう影響していくかはまた今度。

 

今日は私の過去のお話をさせていただこうかと思います。
 
ちょっと重たい話ですし、恥ずかしい話ですが、お付き合いいただけたら嬉しいです。
 
こう見えても私、小さなころは引っ込み思案で保育園のころからお友達を作るのが苦手でした。
小学校のころから中学にかけてはいじめられっ子でした。
 
 
私がいた軽井沢中部小学校は全学年が参加できるスケートクラブというクラブがあって、スケートに力を入れていたのですが(練習もきつく、彼らは私から見たらエリートでした)、
そのクラブのつながりからか、知らない学年の人上下関係なくからかわれたり、石を投げられたりもしました。
 
物を隠されたり、給食袋を川に流されたり、トイレに閉じ込められて上から水をかけられたり、ヨシエ菌の歌を作られて大声で歌ってからかわれたり、無視されたり。
 
今思うと、母が分裂病を持っていたので、たぶん私の衛生管理を上手に出来なかったのだと思います。
他の子より汚かったりしたのだと思います。
だから汚い汚いと罵られ、それでも黙って耐えてるし、笑って越えようとしちゃったものですから、
「こいつは何言ってもやっても平気だ」みたいな感じになり、
それをきっかけにいろんなことされちゃったんだと思います。
 
 
でも小学生の私はそれに気付けず、ただただ自分が変わり者で、みんなとは違う低い世界に生きてるんだって感じてました。
 
学校に行くのが嫌でしたし、自分がこの世で一番醜いと思ってました。
自分の存在価値、全く感じられませんでした。
私に出来ることがあるなんてことも考えたことありませんでした。
 
いやいやながら、親に心配かけたくなくて
我慢して通ってました。
 
ですから好きなことも、やりたいこともなく、無気力に
ただただ時間を無駄に過ごしてきていたように思います。
 
それでも我が家は信仰がありましたので、
「人にされて嫌なことはしない」を信じて、守ってました。
 
神様を信じながら、祈っても状況が良くならず、ただただ耐える毎日に、神様なんていないと思った時期もありました。
 

 
ただ、兄弟は多かったので、妹弟の存在に支えられ、
彼らは可愛いく、愛おしい存在でしたし、
家では彼らが頼ってくれるので、
そこに存在価値を感じていました。
  
そんな私が中学で英語に出会いました。
この英語の存在が私の人生に彩を与えてくれる一つのきっかけになっていきます。
 
が、今回は長くなってしまったのでここまで。
 
くら~いお話、
長文お付き合いいただきありがとうございます。

私が韓国の発信をしていたのは、
嫌韓などの情報から誤解されている韓国を少しでも知ってもらい、
その誤解を解くちょっとしたきっかけにでもなれたらという思いでした。
 
しかし最近は、
私がどんな人間なのかも出していくべきかな
という思いがわき、
私の内面の事なども書き始めていました。
 
ある人に
「別にあなたじゃなくてもほかのところで
いくらでも韓国の情報なんて入手できる」
と言われたのも理由にあります。
 
それでも私はやはり個人の発信にも力があると思っているし、
実際ここで素晴らしい人々にもコメントいただいたり、
リアルで会いたいと思える人に何人も出会ってきました。
  
今も私はこのfacebookでも素晴らしい人と出会えるし、
いい関係を結んでいけると思っています。
 
で、以前から思っていたことですが、
その国を知るには、その国の言葉を学ぶのが一番!
という事。
 
これは英語を学んでる時から強く感じていました。
 
 
その国の言語はその国の文化に影響されざるを得ない。
その国にしかない概念ゆえに存在する表現
とかも多いからですね。
 
そしてその文化を知るという事は
今の自分の文化にない概念を知ることになり、
その人の視点や器を広げます。
  
そういう意味でもその国の言葉を学ぶという事は
今の自分にない概念を学び、
自分の人生に彩を与えること 
だと思っています。
 
というわけで、以前から少しずつ準備していたのですが、
私も韓国語講座をさせていただく事に
なりました。
 
私も最初韓国に来たときはカムサハムニダくらいしか知りませんでした。
そんなほぼほぼ0の状態から7年。
主婦として、母として、生きていけるくらいの
韓国語力を身につけました。
 
私も沢山つまづいてきましたし、
日本人として、どんなところでつまづくか、痛いほどわかります。
 
また、わからないことを聞くことが出来るネイティブが
沢山います。
 
韓国語にしかない概念も結構ありますからね。
 
文化の違いもお届けできます。
 
ですので、他の方に提供できないようなレッスンを
お伝えできると思います。
 


 

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今日は11月11日。韓国ではペペロ(ポッキー韓国版)と
カレットク(棒状のお餅)の日。
 
イベント好きな韓国は
お店はこの日に向けてペペロコーナーが出来るし、
幼稚園や保育園ではだいたいこの日、ペペロを送ってくれます。
 
街に出ると、ペペロコーナーはチョコ菓子コーナーともなっていて、
なんかバレンタインみたいな雰囲気。
 
チョコなら何でもありか?って感じです(笑)
写真撮ればよかった…
 
カレットクも棒状なので11という数字に似てるという意味で
たぶん、カレットクの日となってるみたいですが、
こちらはやはり地味さからか
余り騒がれないですね💦

 


小さな子供を持つ親としてはこちらの方がありがたいのですが…
あまりペペロみたいなお菓子食べさせたくないですからね~
でも、この日は特別。(しぶしぶ(笑))
 
写真は子供たちが保育園、幼稚園で頂いてきた
ペペロの写真です。
  自動代替テキストはありません。
 

自動代替テキストはありません。

 

カレットクは写真のように蜜をつけていただきます♡
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皆さん、素敵なポッキーディを(笑)
 
 
ちなみにペペロディって定義が超あいまいで、
大切な人にペペロをあげる日って感じで、
ターゲットが超広いんですよね。
色んな言い訳つけていろんな人に売れるという。。。
しかも保育園とかのレベルになると無視できない日。
さすが、Lotte。
戦略のすごさ、感じます。

肩を痛めてしまった夫と今週はソウルにある治療院に通っています。
今住んでいる地域の病院では手術などを勧められてしまっていたのですが、
ソウルの治療院では手術しなくても治せると仰っていただいたので、
夜勤明けの大変な彼の手をひいて。
 
で、その帰りにソウルの식당(シクタン;食堂という意味)でお食事。
 
彼は生粋の韓国人ですから、
韓国料理イズベスト!な人です。
 
まぁ私も最近は洋食より韓国料理の方が好きになってきました。
日本料理より好きかも(笑)
 
携帯のフォルダーがゆさゆさ見ずらい画像になってしまいましたが
雰囲気伝わるでしょうか?
 
보리밥(ポリパッ;ヨルムキムチとごま油が乗った麦ごはん)も美味しくて
二人でおかわり(無料です♡)
 
만두(マンドゥ)という韓国の餃子のようなもの入った
만두국(マンドウクッ)に
칼국수(カルククス;うどんのようなもの)を入れて美味しく頂いてきました(^^♪
 
これからこういう煮込み料理が美味しい時期になりますね~(*^^*)

今年はそんなメッセージを
強烈に頂いている年です。
と言うか、私がそういうメッセージに
敏感になっているのかもしれません。
 
 
昨日はバースカフェというイベントに参加させていただいてきました。
 
実は1度地方開催の小さなバースカフェには
参加したことがありました。
 
そこで、天から地上を見下ろして、
自分の故郷と自分の両親をさがし、
自分の両親の元へ降りていく
というイメージするワークがあるのですが、
他の方々はすんなり
地上に降りて行っているのに、
私は降りていきたくなかったんです。
  
地上生活が辛く大変なことが多いこと、
わかっていたから。
 
それでも行かなければならないことは
分かっていたので、
やっぱり降りていくんですよね。
 
そんな自分に気付くと、
私は自分が望むからではなく、
しなければならないことがあるから生きていた
という事に気づきました。
 
そのうえ私の人生自体、やりたいからではなく、
やらなければならないから生きてきた
そんなことが多かったことにも気づいてしまい
私は私のようで私じゃない
そんなイメージになり、
かなりショックでしたし、傷つきました。
 
ですから、バースカフェに出るのは
正直ちょっと怖かったんです。
知らなくていい部分を
知ってしまった気がしていたから。
 
でも、おすずさんという方に出会い、
私が成したいと思っていることが
大きいのかもしれない、
チャレンジしてもダメだった
ご先祖様とかの思いが
私にも植え付けられていて、
辛く苦しいという事は分かっていたのかもしれない
そんな風に気づきました。
 
そして私が悲観していた事実は、
それだけ大きなチャレンジをもらえたという事実は
実は宝物かもしれない
そう思い始めました。
 
まだまだ力不足だし、
私の内面もまだまだ健康になるまでは
訓練が必要な状況ですが、
私が伝えたいこと、やりたいことが
少し見えてきたように感じます。

そのために心身ともに健康になり、
人を愛していく事が大切だという事にも気づきました。
 
でもまずは自分を愛すること。
私はここからスタートのようです。
 
 
ちなみに、私がえいたさんからいただいたメッセージは

好恵の魂は
今日のこの日を
きめてきた
そう今から
一つ一つの
パズルが
はまっていく
どうしてここに来て
今ここにいるのか
好恵が好恵を大切に
生きていくのが
天命のスピードをあげる

でした。

えいたさんという方の
今まで積み上げてこられた人を愛してこられた実績、
その精誠から生み出されたメッセージを頂き、
私も時間がかかったとしても、
伝えたいことを伝えていけるような人になっていきます。

相手の事を察する気持ちで
「○○しちゃだめかな?」って聞くことありませんか?
 
「これ、食べちゃダメかな?」
「それ、聞いちゃダメかな?」
「これやめちゃダメかな?」等々。。。
 
日本人の場合、相手もこちらを考慮して
「いいよ」ってなることもあるかもしれません。
(私もそういうタイプでした(-_-;)
 
でもこれらの質問、自分にしてみてください。
例えば、
「今休んじゃダメかな?」

  
「ダメ」って答え、自分から出てきませんか? 
 
 
「これしちゃだめ?」と否定形で聞かれると
「ダメ」と否定で返したくなる という
 実に単純な心理なのだそうです。
 
一緒に参加していた友人の旦那さんは
「○○しちゃだめかな?」って聞き方すると必ず
「ダメ」
って答えていたらしく、友達は
冗談なのかなぁ?
何でいつもダメって言われるんだろう?
って思ってたみたいです。
  
 
これ聞かなかったらかなり
「いいよ」と言わせても相手をモヤモヤさせることを繰り返すか、
韓国人が相手であれば
「ダメ」って直に言われ続けるとこでした💦
 
お互いのためにも、
「○○しちゃだめ?」って聞き方ではなく、
素直に「○○していい?」
「○○したいんだけど」 っていう
I メッセージの方がいいみたいです。

またまた過ぎてしまいました💦

時が過ぎるのはいろんな意味で早いΣ(・□・;)

 

娘は64か月になりました。

ここまでくると「今5歳です」って言った方が手っ取り早いお年頃になってきましたね~

勿論、日々の成長はあるのですが、成長度合いがとっても多種多様になってきて、

言葉でまとめて表現するのが難しい段階に入ってまいりました。

 

最近、「楽読」なるものをされている女性にお会いしたのですが、その時、

「子供たちはもともと私たちより優れている。

子供は自分よりすごい存在だという事は認識しておいたらいい」と言われましたが、

本当に彼女から学ぶことも多いです。

 

本質的な事をばっと言ったりします。

 

長女には辛い思いをさせてしまったことが多くて、申し訳なさはたくさんあるのですが、

それでも彼女はそれを乗り越え、さらにいい方向に向かっていける力を持っているんだなぁと感じます。

 

私が教えると思っちゃいけないな、

私も学びながら、今まで生きて来て体験してきたいろんなことを通して、

助けを求められたら手を伸ばしてあげる。

そんな感覚です。

 

今の長女は文字に関心があるのですが、読むより書くことが好きで、

本の題名をまねて書いたり、

友達の名前をまねて書いたりしてます。

 

弟の面倒もよく見て、○○ごっこをよくしてますが、

○○ごっこではすごいシナリオライターで、

弟をシナリオ通りに動かします(笑)(それに応じる弟も面白い(笑))

 

息子は34カ月。

最近は「かくれんぼしよ~」と誘ってくれたりするようになりました。

自分より小さな子がいると何かしてあげようと必死になる姿を見ると、

大きくなったものだなぁと感じます。

 

息子に「ミンス最高!ミンス大好き!」って言うと

「オンマ最高!オンマ大好き!オンマ可愛い!」って返してくれます(*^^*)

 

お姉ちゃんは「ミンソ最高!ミンソ大好き!」と言ってもただ聞いていただけなのですが、

これをオウム返ししてくれる技はすごいなぁと思っております。

幸せ過ぎです(*^^*)

 

でも逆に

「おんまあっちいけ!」「おんまば~か」「おんまめんめ!」

などの言葉も言われます💦

(これは長女にはなかった💦)

 

男の子と女の子の違いなのか、

はたまた一番上と二番目という位置の違いなのか。

いろんな要因はあるとは思いますが、全く正反対な二人の性格も面白いです(*^^*)

対話法で大切なのは「話すこと」より「聞くこと」
だという事はよく耳にしますよね。
 
私は英語が好きなのですが、
日本で英語を学んでいた時、
「英語は相手が話すときは
  自分は何も言わずにただ、
  相手の話を聞くことに集中する。
  でも自分の言いたいことはちゃんと伝える
  そういうコミュニケーション能力が高い言語なんです」
と学び、感銘を受けました.

今日はその「聞き方」に触れてみようと思います。
 
聞き方にはいい聞き方と悪い聞き方があります。
悪い聞き方は
 1相手の話を勝手に推察しながら聞く
 2相手の話の答えを準備する
 3聞きたいところだけ聞く(全部聞かない)
 4善悪を判断しながら聞く
 5違う事を考えながら聞く
 6助言する
 7言い争う
 8相手の話が正しいべきだと思いながら聞く
 9適当に聞く
 10機嫌を取る
です。
 
これ、私結構当てはまってて、やっちゃってましたね~って思いました💦
特に近い人や自分が相手より高い立場にいたりするとこういう傾向になりやすいですよね💦
 
要するに、相手の話を自分なりに聞いちゃうのがよくないって感じですね。
 
一方いい聞き方は
目を見て、
「オウム返し」をして、
相手の内容を確認し、
相手に「あなたの話を積極的に聞いてますよ」
という態度を示すこと
だそうです。
 
さっきとは逆で、どんな話でも100%受け入れて聞くという事ですね。
100%聞いてもらえることが、自分を受け入れてくれてるって安心感にもなって
共感してもらえることが喜びや癒しになったり、力になったりします。

よく聞くし、簡単なように聞こえるけど、これが結構大変なんです。
 
特に話の長い人だとこの「オウム返し」自体が至難の業。
 
特にうちの夫のように怒ったりすると
「あれもこれも」と話が広がりやすいので、
火種が大きくなる前に、一つ一つの話を消化する必要があるのだと思います。
 
オウム返しも、実際に自分が聞き取れたところだけでも話して
「これであってる?」と聞くか、
「もう一度言ってもらっていい?」ってお願いします。
 
もちろん伝えるときも相手に分かり易く、簡潔明瞭に、が大切なんですね。
これは「話す」方の技術でまたお話ししますが。

たとえば
「あなたってどうしてがさつなの?」とか
否定的な言葉であったとしても、
「ああ、あなたは今私に私ががさつだって言ったんだね?」と返すと
「そう」となって、
怒りのエネルギーがシュンと減り
解決法を一緒に探していく事も出来るようになります。
 
これ、実際やってみるとすごく分かり易いんですが💦
文章でも少しでも伝わったら嬉しいです(;・∀・)
 
こちらがイラッとするようなことを言われても
その事実をそれ以上でもそれ以下でもなく、
そのまま返す。
これが出来ると争いも減りますし、相互理解も深めやすくなります(*^^*)