今日は私の過去のお話をさせていただこうかと思います。
ちょっと重たい話ですし、恥ずかしい話ですが、お付き合いいただけたら嬉しいです。
こう見えても私、小さなころは引っ込み思案で保育園のころからお友達を作るのが苦手でした。
小学校のころから中学にかけてはいじめられっ子でした。
私がいた軽井沢中部小学校は全学年が参加できるスケートクラブというクラブがあって、スケートに力を入れていたのですが(練習もきつく、彼らは私から見たらエリートでした)、
そのクラブのつながりからか、知らない学年の人上下関係なくからかわれたり、石を投げられたりもしました。
物を隠されたり、給食袋を川に流されたり、トイレに閉じ込められて上から水をかけられたり、ヨシエ菌の歌を作られて大声で歌ってからかわれたり、無視されたり。
今思うと、母が分裂病を持っていたので、たぶん私の衛生管理を上手に出来なかったのだと思います。
他の子より汚かったりしたのだと思います。
だから汚い汚いと罵られ、それでも黙って耐えてるし、笑って越えようとしちゃったものですから、
「こいつは何言ってもやっても平気だ」みたいな感じになり、
それをきっかけにいろんなことされちゃったんだと思います。
でも小学生の私はそれに気付けず、ただただ自分が変わり者で、みんなとは違う低い世界に生きてるんだって感じてました。
学校に行くのが嫌でしたし、自分がこの世で一番醜いと思ってました。
自分の存在価値、全く感じられませんでした。
私に出来ることがあるなんてことも考えたことありませんでした。
いやいやながら、親に心配かけたくなくて
我慢して通ってました。
ですから好きなことも、やりたいこともなく、無気力に
ただただ時間を無駄に過ごしてきていたように思います。
それでも我が家は信仰がありましたので、
「人にされて嫌なことはしない」を信じて、守ってました。
神様を信じながら、祈っても状況が良くならず、ただただ耐える毎日に、神様なんていないと思った時期もありました。
ただ、兄弟は多かったので、妹弟の存在に支えられ、
彼らは可愛いく、愛おしい存在でしたし、
家では彼らが頼ってくれるので、
そこに存在価値を感じていました。
そんな私が中学で英語に出会いました。
この英語の存在が私の人生に彩を与えてくれる一つのきっかけになっていきます。
が、今回は長くなってしまったのでここまで。
くら~いお話、
長文お付き合いいただきありがとうございます。