〈第3回本部幹部会〉 原田稔会長のあいさつ(要旨)2024年7月6日

仏縁を結ぶ人間革命の夏に
平和の世紀へ未来部・青年世代を育もう

 一、「世界青年学会」建設への息吹みなぎる第3回本部幹部会、ならびに全国青年部幹部会、池田華陽会大会、学生部大会の開催、誠におめでとうございます。さらに本日は、SGI(創価学会インタナショナル)青年研修会のため、60カ国・地域から来日された、260人もの新時代のリーダーたちも参加されています。遠いところ、ようこそお越しくださいました(拍手)。
 
 一、この5月、ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇と会見をしてまいりました。語らいは約30分に及びましたが、なかでも、核兵器廃絶に向けた創価学会の半世紀以上にわたる取り組みに対して、教皇は強い言葉で核兵器を批判するとともに、「素晴らしい。私も同意します」と語られました。
 
 また、小説『人間革命』の冒頭の一節「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」を通して、学会はこの精神を根本として平和運動を展開していると語ると、教皇は「大切なことです。賛同します。私も同じ意見です」と述べるなど、平和への信念において深い一致を見たことは、大きな歴史的意義があると確信します。
 
 と申しますのも、すでに1975年、池田先生はバチカンでローマ教皇と会見することが決まっていました。かねて世界平和に向けた宗教間対話を志向されていた先生は、その8年も前からバチカン市国駐日大使らローマ教皇庁の関係者と対話を重ね、その流れのなかで教皇との会見を勧められ、ローマ教皇庁から正式な招待を受けられていたのです。
 
 しかし、出発の直前になって、教条的・独善的な宗門からの横やりによって、中止せざるをえなくなってしまいました。
 
 池田先生は小説『新・人間革命』で当時を振り返り、「この会見が実現すれば、どれほど有意義な世界平和への語らいがなされたことであろうか」とつづられています。
 
 私も当時、会見の準備に当たり、また、突然の会見中止を枢機卿に説明しに行った一人として、池田先生の平和への信念を50年越しで実現できたことに、深い感慨を覚えずにはいられません。
 
 また、イタリアをはじめ、教皇の母国・アルゼンチン、さらには、それぞれの国や社会の良き市民として信頼を築いてこられた世界中の同志の奮闘があったればこそと、心から感謝申し上げる次第であります。
 
 私たちは、池田先生が“世界平和の基盤をつくる”と展望された「第2の『七つの鐘』」を高らかに打ち鳴らし、必ずや、先生のご構想を実現していきたい(拍手)。
 
 一、作家で神学者でもある佐藤優氏は、「世界宗教とは、政治の現実の泥にまみれるなかで、自分たちの価値観を実現しようとする困難な道を選ぶ宗教のことだ」とし、迫害を乗り越えて「与党化」し、やがて宗教改革に至るキリスト教の歴史と重ね合わせながら、「創価学会が世界三大宗教の一つとなる時代」の到来を展望しています。
 
 創価学会として文化部による政治進出に挑んでいた当時、戸田先生は支援活動の意義を、3点にわたり論じられました。
 
 1点目に、それは仏縁を結ぶ下種活動であり、功徳を積みゆく、自分自身のための宿命転換の戦いである。
 
 2点目に、組織の最先端まで見えるようになる、個人指導・訪問激励の戦いである。
 
 3点目に、決して“数”で功徳が差別されるのではなく、一人一人が自身の持てる力を悔いなく発揮し、すがすがしい気持ちでやりきれるかどうかの戦いである。
 
 こう振り返ってみたとき、支援活動は決して“普段と一線を画す活動”ではなく、同一線上にあるものであり、「信心即生活」という私たちの信条が、政治という一分野において実践されるものにすぎないことが分かります。すなわち、どこまでも学会は「折伏の団体」であり、ゆえに、あらゆる活動もまた、一切が下種の拡大に通じていくのであります。
 
 池田先生は随筆につづられました。「『人と会うこと』が『人間革命』である。『人と語ること』が『広宣流布』である」
 
 まさしく「仏種は縁より起こる」(新1953・全1467)であります。この夏は全国を舞台に心軽く動き、一人でも多くの人と会い、人と語り、「わが人間革命」と「わが広宣流布」に一歩前進の夏としていきたい(拍手)。
 

広布後継の友と、希望の未来へ新たなる前進を約し合った第3回本部幹部会(6月29日、巣鴨の東京戸田記念講堂で)

広布後継の友と、希望の未来へ新たなる前進を約し合った第3回本部幹部会(6月29日、巣鴨の東京戸田記念講堂で)

 一、池田先生は、若き日より、とりわけ多くの友と会い、激励し、薫陶してきた文京の同志に、こう語られたことがあります。「私と口をきいたこともないし、会ったこともない。そういう人の中に、本当に学会を守って、頑張ってくれている人がいるんだ。そういう人の信心が、私は本物だと思っている」
 
 ここに師弟の真髄があり、「世界青年学会」建設の要諦があります。
 
 そしてそれは、池田先生が創価大学の第3回入学式で語られたご決意とも、相通じているように思えてなりません。先生は、こう宣言されました。
 
 「私のこれからの最大の仕事も教育であり、私の死後30年間をどう盤石なものとしていくかに専念していく決心であります」
 
 先生のご逝去より30年――それは2050年に「第2の『七つの鐘』」を鳴らし終え、いよいよ「生命の尊厳」の哲学を時代精神にし、世界精神へと定着させゆく、「第3の『七つの鐘』」を打ち鳴らす時であります。
 
 この時に世界広布の本舞台へと躍り出る人材を輩出できるか否か。それは今、池田先生とは直接にはお会いしていない、しかし、「本物の信心」に立ち上がる「一人」を、育てられるか否かにかかっているのです。
 
 「本物の信心」は「本物の信心」によってしか磨けません。池田先生の決心を、わが誓願として、宝の未来部・青年世代を、必ずや先生直結の広宣流布の闘士へと育て上げ、平和の世紀を断じて開いていこうではありませんか(拍手)。

〈第3回本部幹部会〉 活動体験 和歌山総県・圏池田華陽会キャップ 榛原雪さん(要旨)2024年7月8日

  • ありのまま語り友や家族が入会

 一、私が幼い頃、両親が離婚し、母方の祖父母の家で育ちました。祖父母は理容室を営み、母は美容師として働き、忙しくしていたため、家族でけんかすることも多く、私は多くの時間、部屋で引きこもっていました。そんな中で次第に自分は“どうして生きているんだろう”と思い悩むようになりました。
 
 転機は高校3年の時。働きづめだった母が、ついに体を壊してしまい、入院することに。この時、母は職場の方から仏法の話を聞き、2015年に入会。家族の中で最初に信心を始めました。
 
 母は、お題目をあげる中で、すっかり元気になり、その後、自宅をリフォームし、美容サロンをオープンしました(拍手)。
 
 信心の功徳を実感した母に連れられ、私も座談会に参加しました。ある日、経済苦と病気を克服した体験を聞き、「私もやってみたい」と翌16年、18歳で晴れて入会することができました(拍手)。
 
 一、学会に入ってから、とても驚いたことがあります。
 
 皆が「あの人のため、この人のため」と分け隔てなく、お互いの幸せを祈っていたことです。
 
 それまでの私は、苦手な人がいると距離をとり、避けてきました。“誰にでも嫌いな人はいるはずなのに、どうして学会の皆さんは「仲良くしよう」と思えるんだろう”と不思議に感じたのです。
 
 学会活動に参加する中で、その振る舞いの源に、池田先生という存在があるからだと感じました。師匠の行動を模範とするから、小さな自分の心を大きく開いていけるのだ、と。“私も目の前の一人の幸せを願い、行動できる人に成長したい”との思いから、仏法対話にも挑戦。自分が見た学会の素晴らしさを、ありのまま語っていきました。
 
 はじめは、うまく話ができず、落ち込むこともありました。それでも「自分を変えること」を諦めなかったのは、池田先生の言葉が背中を押してくれたからです。「君が自分で自分を、だめだと思っても、私はそうは思わない。あなたが自分で自分を見捨ててしまっても、私は見捨てない」
 
 この励ましを胸に、今度は私が大事な人たちに関わり続け、励ましを送れる人になろうと決意。だんだん仏法を語ることが楽しくなっていきました。
 
 そして自分と縁した全ての人と対話を重ねた末、近隣に住む同世代の友人に弘教を実らせることができました(拍手)。
 
 さらに母と共に、家族への折伏にも挑戦。題目をあげる中で、不思議と感謝の思いが湧いてきました。
 
 自分の心が変わった時、家族との関係も変わり、17年には姉が、翌年には祖母、さらにその翌年には祖父と、皆、1月2日に入会することができました!(拍手)
 
 その功徳か、22年には、長年の夢だった自分の美容サロンをオープンすることもできました。

仲良く幸福のスクラムを広げる榛原さん(前列左端)と華陽姉妹(昨年9月、和歌山文化会館で)

仲良く幸福のスクラムを広げる榛原さん(前列左端)と華陽姉妹(昨年9月、和歌山文化会館で)

 一、今、池田華陽会の圏キャップとして折伏や家庭訪問に挑戦する中、“同世代だからこそ喜びも悩みも何でも語り合える、華陽姉妹の輪を大きく広げていきたい”と決意しています。
 
 それは学会だけにとどまらず、“幼い頃から暮らす大好きな地域に、創価家族のような温かいコミュニティーを広げたい!”と思うように。2年前、商店街の未来を考える実行委員会に加入し、今では中心者の一人として、さまざまなイベントを企画するなど、同世代の仲間と奮闘しています。
 
 一、池田先生は「勇気ある信心の乙女が一人立ち上がれば、そこから希望が生まれ、喜びが生まれる。家庭でも、職場でも、地域でも、聡明な福徳の女性があれば、未来へ確かな繁栄の陽光が輝いていくのだ」と万感の期待を寄せてくださいました。
 
 池田華陽会の私たちが、今いる場所で立ち上がり、足元から、世界へ、未来へ、幸と平和の大輪を咲き薫らせていきます(拍手)。

〈第3回本部幹部会〉 海外活動体験 イタリア創価学会 ジャスミーナ・チプリアーニ青年部長、バレストラ・スズキ学生部長(要旨)2024年7月8日

  • 人間主義の社会貢献活動に共感

イタリア創価学会のチプリアーニ青年部長㊨とバレストラ・スズキ学生部長

イタリア創価学会のチプリアーニ青年部長㊨とバレストラ・スズキ学生部長

 チプリアーニ青年部長 イタリア創価学会青年部は、カトリックが大きな影響力を持つわが国において、仏法の人間主義を基調とした社会貢献活動に、積極的に取り組んでいます。社会の多様性を尊重し、立場や境遇、そして宗教の差異も超えて、共に幸福を築いていく仏法を信奉していることこそ、私たちの最高の誇りです。
 3・16「広宣流布記念の日」前後には、「共に、今、平和を創りゆこう」と題し、SDGs(持続可能な開発目標)、気候変動、核軍縮などをテーマに語り合う集いを、地域ごとに開催。イタリア全土で1840人の青年が参加しました。
 
 バレストラ・スズキ学生部長 イタリア学生部は、1994年に行われた池田先生のボローニャ大学記念講演から30周年となった本年6月1日、西洋最古の同大学内で、先生の思想と世界市民をテーマにパネルディスカッションを行いました。多くの学生が参加し、同大学の副学長とも個別の語らいの場を持つことができました。
 
 チプリアーニ 本年5月、ローマ市内にあるバチカン市国で、原田会長がカトリック教会のフランシスコ教皇と会見したことは、イタリアのみならずヨーロッパ全土、そして世界中に大きな共感と希望を与えました。
 イタリアでは長年、カトリックをはじめとする団体との宗教間対話を推進し、青年部が開催する平和イベントにも、他の宗教団体の青年たちを招待するようにしています。
 こうした交流を通して、自らの信仰の価値を再確認するとともに、平和という共通目標を掲げれば、宗派を超えた協力は可能なのだと実感しています。
 
 バレストラ 2011年、イタリア青年部が中心となり、核兵器廃絶運動「センツァトミカ(核兵器はいらない)」がスタートしました。運動の中心となる展示は、80以上の都市を巡り、40万人以上が見学。その4割以上が小・中学・高校生でした。
 現在、このキャンペーンは国内最大規模の、核軍縮のための市民社会運動として認知されています。
 本年5月、ローマで、G7サミットに先立って行われた、市民社会による「C7サミット」では、センツァトミカの代表が参加。3月に日本で行われた「未来アクションフェス」の実行委員会の代表と共に、分科会で登壇しました。
 
 チプリアーニ 2020年には、イタリア創価学会として、気候危機を巡る現状に目を向け、行動を促していくための「私が変われば、世界が変わる」キャンペーンをスタート。展示会を開催した各都市で、市長や大学教授、研究者、専門家らが、池田先生の思想への感銘と、創価学会の活動への称賛を語りました。

60カ国・地域から260人のSGIの友が集った第3回本部幹部会。世界広布への誓いに燃えて(6月29日、巣鴨の東京戸田記念講堂で)

60カ国・地域から260人のSGIの友が集った第3回本部幹部会。世界広布への誓いに燃えて(6月29日、巣鴨の東京戸田記念講堂で)

 バレストラ 私が初めて創価学会を知ったのは、高校生の頃です。フィレンツェにあるイタリア文化会館のすぐ近くに住んでおり、学会員の誠実な人柄に触れる中で、大学生だった21歳の時に入会しました。
 イタリア学生部で「センツァトミカ」キャンペーンについて学ぶ中、平和分野に興味を抱くように。国際協力に関する分野で、修士号も取得しました(拍手)。
 昨年、ウクライナでの人道支援活動に参加し、紛争の前線から数キロメートルしか離れていない場所に、多くの生活必需品と発電機を運びました。とても濃密な日々の中で、師匠と心を合わせて平和を祈り、行動することが、どれほど力をくれるかを再確認しました。
 帰国後、先生がそうされたように、私は一民間人として、地元の市長に会いに行き、ウクライナでの体験を共有し、今後の取り組みを提案しました。
 現在は、自分の学んできたことを生かして、教育事業に携わっています。
 
 チプリアーニ 10代の頃の私は、両親の不和、家族の病気など、多くの悩みに向き合っていました。人生の意味が見いだせず、高校も中退。曇り空のような人生に、光を差し込ませてくれたのが信心でした。
 最初に信心を始めた父に続いて、2005年に入会。私と同じ日に、母も信心を始めました。
 私は、一度は諦めた学問の道に再び挑戦。奨学金を得てフィレンツェ大学に入学し、教育学を学んだ後、社会的苦境にある若者の支援に長年、携わりました。そして、難関の教員採用試験に1回目で合格することができました(拍手)。
 私の胸にはいつも、「その人には、その人にしかできない使命がある。平凡であっていい。『自分らしく』輝くのだ」との池田先生の指針がありました。
 やがてわが家は一家和楽を勝ち取り、家族全員が健康になり、宿命転換を果たすことができました。
 報恩感謝を胸に、昨年は、先生のご期待に必ずお応えするとの決意で、毎月、新しい友人と一緒に、座談会に参加。青年部の一人一人も、力の限り、広布拡大に挑戦してきました。その結果、昨年以降、イタリアで入会したメンバーの35%は青年です。
 イタリア創価学会として、本年中に10万人、2030年までに15万人の幸福の連帯を築いていきます!(拍手)