車内観察日記 -3ページ目

車内観察日記

鉄道の車内の観察する日記ですよ。目次に記載した「☆お願い☆」をご一読の上、ごゆっくりどうぞ。

某番組で「移動時間の割に、移動距離がそう長くない」と有名Dのアナウンスでぼやかれていた立山黒部アルペンルート。そのルートの一部を支えるのが、立山黒部貫光の黒部ケーブルカーです。

 

黒部平から黒部湖までを結んでいるケーブルカーで、日本で唯一全線がトンネルとなっています。車両には番号が振られていますが、特に公称の形式名は無いようです。

 

ケーブルカーの駅には、定期と臨時を表すランプがあります。「あれ、この時間にあったっけ?」なんていう問題を解決するためにあるんでしょうね。

 

車内です。何だか古めかしいデザインですが、今はなき汽車製造会社が製造した車両で、1969年から半世紀以上に渡って使われ続けています。

 

ドアです。片開き式で、今では珍しくなった塗りドアです。幅が広くないので、混雑時には乗り降りに少々時間がかかりそうです。

 

隅には汽車会社のメーカーズプレート。会社が無くなった今、その製品たちも次々と姿を消していっています。

 

最前面です。ケーブルカーの運転席は駅にありますので、右側は非常ブレーキを扱ったりするための乗務員スペースとなります。かつては左側も旅客エリアだったと思われますが、現在は封鎖されています。

 

天井です。一年中気温の変わらないトンネルを走行するため、非冷房になっています。照明はカバー無し、若干ですが吊革も下がります。

 

後付けであろうLED表示機もあります。このように二段式表示が可能です。

 

窓です。トンネル区間であることからか面積は小さめ、一応開閉も可能で上部が内折れ式で開きます。

 

座席です。クロスシートで、4人組のボックスシートが並びます。床面が階段になっているため、山頂側座席の背ズリ上端は、山麓側座席の座面より下の位置にあります。一応うっすらバケット構造になっておりますが、この座席幅では狭くなりますね…。あと通路側にはしっかり肘掛けがあります。なぜか山頂側座席は仕切り調ですが、山麓側はパイプオンリーになっています。

 

乗務員スペースです。もちろん、立ち入り禁止です。

 

向かい側は立ち席スペースですが、先述の通りこちらも立ち入りが出来ません。

 


北陸エリアでは平行在来線の三セク化を前に旧国鉄型車両の置き換えが実施されており、能登方面のJRとして残存した枝線、七尾線も例外ではありません。


置き換えに導入されたのはやっぱり521系、帯色は前任の415系800番台に合わせたか茜色になっています。

 

これまでの仕様と異なるのは、227系以降のJR系列と同じく行き先表示と種別表示が一体化したことですね。415系の全てを置き換えましたが、2両編成と言うこともあり運用両数は1~2両の純減、旅客減少があるとは言え朝夕ラッシュ時は大丈夫なのでしょうか?


車内です。基本的な車内構成は3次車以降に準じていますが、227系以降の登場ということでちょこちょこと変更点があるようです。

 

ドアです。LED表示機は全てのドア上に設置されています。元々は千鳥配置だったので、各方向からも見やすく…なったのでしょうか、クロスシートからはどのみち少し視認しにくいことに変わりはありません。

 

ドア横には整理券発行機が備わります。七尾線ではICOCA等の交通系ICカードに対応するようになっており、そのためのリーダーも併設されています。駅にリーダーを取り付けるより、こっちの方が安上がりなんだとか。こちらは乗車用のリーダーで、青色となっています。

 

車端部、ワンマン運転も考慮してか、妻窓があります。これはJR西日本のワンマン運転対応2両編成ではお馴染みですが、ここ最近のJRの車両としては非常に珍しいと思います。

 

トイレのある区画です。トイレはバリアフリー対応の大型タイプで、近年のJR西日本ではお馴染みのスタイルです。


最前面です。車掌乗務列車や最後部はこんな感じです。仕切り扉は横引き式、多少窓は下方向に拡大されているものの、小さなお子さまの前面展望にはあまり向きません。まぁ、415系よりはマシになりましたが…。

ワンマン運転対応時はこんな感じ。運賃箱をセットします。前面にもICカードリーダーがあり、こちらは降車用で黄色となっています。


2編成併結時はこんな感じです。車掌台側は機器にカバーがされているものの、立入禁止となっています。

 

天井です。照明カバーが廃止され、LED灯による直接照明となっています。意図としては天井部材に照明を反射させて車内全体を照らすようにしたとのことですが、LED特有の直接光が下に降り注ぐ直接照明はもう少し何とかならんものかと思います。それこそ、あいの風とやま鉄道の1000番台とかと同じものでもよいようには思いますが…。まぁ、415系と比べれば明るくなりましたし、交直デッドセクションでの消灯が無くなり快適性は大幅に向上したことでしょう。

 

窓です。521系グループにして一番の変化はここで、225系と同じ窓配置となりました。柱が太い部分は、やはり眺望が微妙です。

 

座席です。まずはドア間のクロスシートから行きましょう。415系の時はボックスシートだった点を考えると、転換クロスシートとなったことで着席定員の増加と定員着席にも貢献しているんでしょうね。

まずは転換クロスシートからです。225系以来続くこのスタイル、七尾線にも入って参りました。正直転換クロスシートとしてはコスト削減に走った成れの果ての姿なのでほめる点は少ないのですが、近年の227系や225系100番台と比べると、座面が少々沈み込みが大きいものになっているように感じました。まだ比較的新しい段階で、これが経年でどこまで維持出来るかがカギですが…。転換クロスシートとして眺望が比較的よいのはこの区画、前後は太くされた柱が視界を邪魔します。後列に関しては肘を窓枠下辺に置こうとするとしっかり干渉してくるんですよね。こういうケースがあるので、全席平等に肘周りに余裕が無い場合、窓側にも肘掛けはあって然るべきと考えています。

続いてドア横の固定クロスシートです。通路側の肘掛けは転換クロスシートの転換部をカバーするため空白が少ない形状になっています。この角度からは見えませんが、内側にはモケットを貼っております。少しばかりの気配りですね。

眺望的には進行方向向きのこの区画が一番恵まれているかもしれません。転換クロスシートに準じた形状で、こちらも座面が少々沈み込む仕様です。背ズリは相変わらず工夫もへったくれもありませんが…。

優先座席です。ヘッドレストカバーが上部を緑にピクトグラム付きとしたものにして区別しています。

 

中央のドアの横には補助椅子があります。こちらも大穴が空いたもので座り心地はダメですが、「座れるだけマシ」と思えば・・ね。

 

車端部のロングシートです。全て優先座席で、お馴染みのピクトグラムを散りばめた仕様です。袖仕切りは大型化され、内側にはモケットを貼っているのでもたれても冷たく有りません。シルエットは321系由来の完全なダメ座席で背ズリはその血を争えない残念仕様なのですが、こちらも転換クロスシート同様、座面に関しては少々沈み込むようになっています。

 

反対側のロングシートです。妻窓が無いためか、握り棒の形状が異なります。どちらかと言えば、妻窓が有る方もそうしたかった、が正しいのかもしれません。その握り棒の下には消火器が収納されており、その上には非常通話装置や非常灯もあります。

 

フリースペースです。握り棒・非常通話装置のほか、消火器も隅に置かれています。戸袋の関係でスマートに収納出来なかったのでしょうね。


トイレです。バリアフリー対応の大型タイプで、ドアの開閉はボタンによる自動式です。



 

 





 







 

 

 


石川県の能登半島を営業範囲とする名前の通りの「のと鉄道」。かつては本当に奥能登までそれなりの路線を持っていたのですが、今や七尾-穴水間のわずかな距離が残されたのみとなっています。

現在の主力がこのNT200形です。2005年に在来車両のNT100形の置き換え用として導入されました。

バックミラーには網が取り付けられています。



こちらは漫画家、永井豪さんの作品にまつわる永井豪記念館のPR車両である「NOTOGO!」仕様車です。
 

車内です。こちらは2005年10月に増備された10番台です。中間にボックスシートを配置したセミクロスタイプ、地方ローカル線車両のお手本のようなパッケージです。
 

ドアです。一枚引き戸、化粧板は貼られていません。そのせいかあまり目立ちませんが、地味にドアレールが残っています。そして、地方の低床ホームに対応するためステップがあります。足元にご注意下さい。
 

キューティーハニーに見とれている場合じゃない穴水方の運転台です。全景が全く頭に入ってきませんが(^^;;  この手の車両ではよく見かける半室タイプで、車掌台側は客室として開放されています。
 

反対側の七尾方はデビルマンですね。
 

七尾方の車掌台側は車椅子スペースとなっています。固定用具や非常通話装置が備わります。
 

天井です。照明はカバー無しの蛍光灯、冷房の吹き出し口はラインフロータイプで送風補助としてラインデリアが備わります。一昔前と比べると、地方ローカル線の車両もえらく鉄道車両らしくなり、レールバス感はかなり減ったように思いますね。
 

窓です。日除けはフリーストップ式のロールカーテンとなっています。窓枠は肘掛け程度には使えますが、テーブルはありません。
 

座席です。まずはクロスシートから参りましょう。最近導入されるこの手のボックスシートは、キハ100系列が搭載しているタイプからこのタイプにモデルチェンジした感じがありますね。
 

見た目的には、JR西日本223系2000番台の固定クロスシートをぶっ立ててみました、みたいな。ボックス間ピッチを広げて足元を広くしたい意図と思われますが、本来それなりに傾斜を付けて(それでも元々の形状に工夫が感じられませんが…)組み付けるものをほぼ垂直にやらかしているものですから、まぁ苦痛以外の何物でもありません。
 

トイレ横はスペースの関係から2人組みとなっています。裏面にもモケットが貼られているのが細かい。横にはゴミ箱が置かれています。車内美化にご協力を。
 

ロングシートです。背ズリはやはり少し立ち気味ですが、その実座り心地だけ見ればクロスシートよりこちらの方がいいのではないかと思っています。
 

トイレです。車椅子対応の大型洋式トイレ、入口にはマジンガーZがおります。


順番が逆になりましたが、こちらが最初、2005年3月に投入された0番台の車内です。片側の座席が2人組ボックスシートとなっています。この着席定員の少なさから、10番台では両側が4人組となったんでしょうね。

というわけで0番台のみの2人組ボックスシートです。

足元の配管は今更仕方ないとして、通路側席が無いので足を逃がすことは出来ますね。

何卒、よろしくお願いいたします。↓↓

 

 

 

 

 

 

 

 


 













 

 

↑ ↑ ↑

グリーンにクリームのツートン塗装、長崎電気軌道お馴染みの塗装の電車として活躍しているのが500形です。何でも、長崎電気軌道で初のワンマン運転を実施した車両なんだとか。昭和41年に旧型車両の置き換え用として導入されましたが、財政難のため走行機器は元大阪市交の路面電車からかっぱらったものとなっており、コストダウンを念頭に置いた車両となっています。

 

車内です。‥なるほど、財政難の影響を色濃く映していると言っても仕方ない部分が(^^;; 座席のモケットは変更されており、この車両は薄い紫色となっています。

 

ドアです。入口はカクカクした窓の引き戸で、当たり前ですがステップがあります。低床車も増えてきた中、ちょっと難儀するポイントではありますね。

 

出口は折戸式です。広告がペタペタと貼られております。あと窓は長くないので、足元が暗くなってしまいます。夜間は特に足元注意でしょうか。

 

最前面です。路面電車ではお馴染みの中央の仕切りに、運賃箱のセットです。運賃箱に関しては運転士さんの出入りを考慮してスライドが可能ですが、可動域にイエローラインを入れて注意を促しています。あとご時世柄、右側の遮光幕は下げられています。その上にはLCDディスプレイがあり、運賃や次駅案内などを行っています。

 

天井です。外観は古くとも冷房改造が実施されており、暑い真夏でも安心です。吊革はレール方向と交差方向どちらにもあり、レール方向に関しては近年一部がバンドの長さ変更と吊り輪の交換を実施しています。それにしても…交差方向の吊革の間隔がまちまちになっているの、何か理由があるのでしょうか…。

 

窓です。二段窓で、下段が上昇式で開閉可能です。日除けは爪を引っ掛けるロールカーテンタイプのものが備えられています。こちらも窓に様々な広告が貼られており、ささやかな増収の途になっていることでしょう。

 

座席です。財政難の苦労はここに一番現れており、なんと背ズリは上部にしかありません。「追い込まれるとここまでやるか」と言った感はありますが、登場当初は座席下の暖房も無かったそうです。80年代に様々な改造を施され幾分快適になってきたんだと思いますが、座席だけは相変わらずなようです(苦笑)  まぁ、乗車時間もそこまで長くなるわけではないですから…。

 


 

 







日本初の気動車特急型車両として登場したのがこのキハ80系です。国鉄初の電車特急となった151系電車の流れを汲んだボンネットスタイルですが、幅が広くなったため「かっこいい」とは言えないスタイルになりました。犬のマズルに見えることから「犬顔」や「ブルドック」などと呼ばれました。

 

運転台後方は機器室になっております。晩年は「くろしお」運用に使用され、最後まで残った3号車が大阪市の弁天町にあった交通科学博物館に保存されていました。同館閉館後は京都鉄道博物館に移設され、現在も展示されています。

 

京都鉄道博物館に来てからはごくまれに車内が公開されています。今回はその特別公開時と、交通科学博物館での公開時の画像を合わせてご紹介。まずはデッキから、ドアは引き戸で、低床ホームに対応するためステップがあります。

 

この車両には売店が設けられております。当時、車内販売はどのように実施されていたんでしょうかね。

 

向かい側は・・冷蔵庫なんですかね?

 

チラッと見えた冷水機。今ではこのようなサービスもほとんど無くなってしまい、自販機やひのとりのようなカフェスポットがある程度になりました。

 

車内です。今でいうところの普通車で、紺色のモケットがその証です。今でも日本中を走り回っている気動車特急の全ての源流がここにあります。

 

デッキとの仕切りです。展示中は仕切り扉が開きっぱなしにされています。その仕切り扉は当時は手動式、閉めると「ガチャン」と大きな音がなるそれです。今でこそ自動になり比較的静かになりましたが、当時のデッキ仕切り際の座席はハズレ席だったでしょうね。

 

乗務員室との仕切りです。こちらは仕切り扉が開き戸になっています。また下部の化粧板は木目調になっているようです。

 

天井です。冷房装置が搭載されており、当時は通勤電車も非冷房が当たり前だったので快適に移動が出来たことでしょう。分散冷房なので、席によりばらつきがありそうですが…。照明はカバー付きの蛍光灯、部分的に非常灯が挟まっています。

 

窓です。2席に1枚の割り当てで、日除けはロールカーテンになっています。そうです、中央にカーテンレールなんてものはありませんから、前後で日除け戦争が起きていたこともあったのでしょう。この仕様、後継のキハ181系にも受け継がれてしまってました。

 

座席です。回転クロスシートで、リクライニング機構はありません。かつてはこれで特別料金を取れましたし、183系電車が登場するまでは普通車としては全国的にも標準的なものでした。ヘッドレストカバーは白いビニール製、このスタイルで保存されているのはここだけですね。

 

とは言え、今の水準からするとシートピッチは広くなくて足元は埋まっている、何よりリクライニングが無いというのはキツいと思います。最長で上野-青森間の「はつかり」にも入っていた訳で、ずーーっとこれは…ねぇ? 付帯設備は折り畳み式のテーブルと灰皿、当時は車内喫煙も当たり前で、今のように喫煙コーナーオンリー&地下線内NGとなった令和の世からすると、隔世の感がありますね。ちなみにこのカットは交通科学博物館時代のもので、京都になってからは着席等は許されておりません。

 

肘掛けにもビニールのカバーがかかっています。恐らくカバーの下はモケットになっていると思われます。今や木や樹脂などが主流ですからねぇ。

 

壁際は固定テーブルとなっています。

 


 

 








古くより「箱根の山は天下の険」と言われてきた箱根山へと上る箱根登山鉄道、2両編成電車の3両編成化や旧型車両の置き換えのため、2010年代より新型車の運転がスタートしています。

 

3000形、スイスのロマンシュ語の挨拶のひとつを取った「アレグラ号」の愛称を持っており、増結用の両運転台車のクモハ3000形と、片運転台で2両編成を組むクモハ3100・3200形の3形式が存在します。ええ、鼻炎の薬ではありません。

 

注目すべき点はガラスの面積が非常に大きくなった「展望スペース」を設けていることで、眼下に広がる景色を存分に堪能出来ます。高いところがダメな人には厳しいかもですね(笑)

 

車内です。デザイナーが一緒だからということもあるかと思いますが、小田急VSEに通じるカラーコードですね。空間、特に縦方向の高さを意識させた辺りもそのように思わせる要素の一つでしょう。全車2扉クロスシートとなっています。

 

ドアです。片開き式ですが、窓が大きくなっております。箱根登山鉄道は観光輸送でも大量に乗客を運びますし、通勤・通学の足にもなっています。その割に、ドアの引き込み注意の文字はかなり大人しくなっています。デザインとしてはシックで煩くなくていいのですが、実用面では少し役不足感が否めません。

 

箱根登山鉄道では初となるLCDディスプレイです。運行案内に徹しています。

 

車端部です。ある意味伝統、貫通路は非常用で通常時は施錠されています。車体幅もショート、いかに厳しい路線環境を走るかが伺えます。

 

最前面です。2000形では両側共にクロスシートでしたが、この形式ではクロスシートは片側のみ、左側は車椅子スペース兼立ち席スペースとなっています。開放的な窓が気持ちよく、急勾配、急カーブ、スイッチバック等ダイナミックな前面展望が楽しめます。

 

天井です。照明は間接タイプ、吊革はドア付近のみの設置です。吊革は箱根登山鉄道ではお馴染みの丸形なのに枕木方向を向いたタイプ、クルクル回すことは出来ません。吊革の支持棒は斜めから出るようになっており、これが視覚的な天井高さに繋がっているようです。

 

窓です。日除けは無く、着色ガラスとなっています。一方で窓は戸袋窓を除き開閉可能、近年の車両としては換気目的とは思えない程大きく開きます。従来車よりも大きな面積で、展望も良ければ自然の風をダイナミックに取り入れることが出来ます。冬はやめといた方がいいですが(笑)

 

座席です。全席クロスシートで、ヘッドレストが分割された赤いモケットとなっています。氷河急行の一部車両の座席にも通じるスタイルとも言えますね。

 

通路側には肘掛けのようなものがありますが、その用途としては全く使えないので、何を意図して付けたのかは全く分かりません。ドア横は晒し席で、空いていれば脚を伸ばせますが冬は寒風直撃という地獄を味わいます。箱根の自然を目一杯満喫出来る席とポジティブに捉えることも出来ますが(笑)

 

車端部の展望スペースです。通路側の腰掛けに寄りかかって景色を見られるように…ということだと思うのですが、混雑時は更に窓側にも人が詰まるものと想像されます。

 

向かい側、車端部の座席です。ボックス配置にすることが多い区画なのですが、ロット数を削減するためか離反式となっています。この車両、荷棚が無いため床面をちょっとだけかさ上げして「荷物置き場」としています。でもこれ、「床」ですよね?(笑)  ボックスシートで空いている時は、絶対脚伸ばしますし…。

 

車端部を向いた妻面、窓枠には木の台が付いています。ドア間の座席には固定テーブルがあるので、その代わりとも言えます。

 

優先座席です。ヘッドレスト裏のステッカーで対応していますが、赤色なのでモケットに埋もれています(^^;;  この座席の脚台には消火器が収納されています。

 

この座席は座面が跳ね上げ可能となっており、混雑ピーク時は立ち席となります。ドア間も含めて座面は薄め、以前の車両と比べるとちょっと頼りなさはあります。

 

向かい側の展望スペース。ここには腰掛けがありませんが、付いている車両もあります。

  

全体的に窓の大きさを強調したデザイン、大自然箱根を楽しむのには狙って乗車するのもいいと思います。駅員さんも運用を教えてくれるので、気軽に問い合わせて狙って乗車するのもいいと思います。

 

 

 

 









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かつて陰陽連絡線の一端を担っていた木次線。同線を走行した急行列車が廃止された結果典型的なローカル線となってしまったわけですが、ヤマタノオロチ伝説が息づく奥出雲を走ること、沿線の景観の素晴らしさに定評があるということで観光列車が走っており、奥出雲観光の定番となりつつあります。

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「奥出雲おろち号」、非電化単線を走る客車列車のため、ディーゼル機関車が動力となっていました。基本的に木次-備後落合間の運転ですが、日曜日を中心に備後落合行きのみ出雲市からの運転となっておりました。この場合、種別は普通列車ながら宍道-木次間で三つ程通過駅が存在しました。

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ジョニー曰く、「JR西日本で唯一異次元体験が出来る列車」だそうです。え、ジョニーって誰だって?それは乗ってのお楽しみです(いないかもしれませんが)。

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牽引機は専用塗装となったDE15形2558号機です。後藤総合車両所に所属し、運用がある日は木次鉄道部に駐在していました。

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もともと冬季のラッセル列車用として登場した機関車なので、前面にはラッセルヘッドを取り付けるアダプタが設置されています。ナンバープレートをぶったぎってますね(笑)

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キャブ上部、金の駒のようなものがクルクル回っています。

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乗務員室が開いていたので一枚。運転席は入れ換え等を考慮して座席が横向きに配置されています。

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先頭にはヘッドマークも取り付けられています。2016年は、木次までの先行区間開業から100年を記念したオリジナルヘッドマークでした。

 

そんな奥出雲おろち号ですが、客車の老朽化により残念ながら2023年をもって運行終了となってしまいました。なお、晩年は本務だったDE15が先に引退・廃車となり、予備機だった同じ塗装のDE10形1161号機がラストランまで動力車を務めておりました。


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さて、私のメインはこちら、運転終了の理由となった後ろにぶら下がる2両の12系客車です。塗装が青一色からカラフルなものに塗り替えられています。機関車を含めた3両編成で、画像は備後落合方のトロッコ車両です。こちら側には運転台が付いており、備後落合行きでは木次・出雲市方の機関車を遠隔制御して運転します。しかしこの客車の名は「スハフ13-801」、運転台のことは見事に無かったことにされてます。今改造されると「スクハテ」みたいなのになるんでしょうね(^^;;

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トロッコ車両らしく窓ガラスは取り払われ、開口面積を更に広げています。

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山陰地区でも屈指の秘境へ向けて運転されるため山陽方面からのアクセスは皆無に等しいですが、2010年代あたりまでは「奥出雲おろち号」が運転される時に限り、三次から備後落合行きの臨時普通列車が運転されていました。

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それではまいりましょう、まずはトロッコ車両、スハフ13-801の車内です。ほとんど原型を留めない程に改造を受けており、「奥出雲おろち号」らしい装飾も施されています。

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ドアです。ここは従来通りの折戸となっています。折戸くらいは同線を走るキハ120でも見ることが出来ますが、「そんなのとは格が違うんだ」と言った元優等種別車両らしい雰囲気が漂います。

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車端部です。こちら側には出入口は有りません。仕切り扉もありますが、普段は開けっ放しにされています。


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最前面です。運転台は横幅の1/3を使用しており、残りは客室として開放されています。同じ半室構造でも、キハ120あたりと比べると横幅もかなり広めです。窓は二段式となっており、上段は開閉可能となっています。普段は閉まってますが…。

 

上を見上げると、禁煙・指定席のステッカー、号車表示、そして扉全閉知らせ灯なるものがあります。車掌さんが確認でもするんですかね?


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天井です。かつてあったであろう冷房装置は「けしからん! 」と言わんばかりに撤去され、中央にランプ風の電灯が間隔をあけて設置されています。見た目的にもほとんどのトロッコ列車で見られる骨組みを露出したワイルドなものではなく、化粧板仕上げでオシャレに見えます。この辺り、「ワイルド」だけをウリにしてるわけじゃないんだなぁと思わせられる次第。


トンネルに入るとこんな感じ。トンネル内は涼しい…かと思いきや、木次行きは機関車が先頭となるため排気熱によりかなりの熱風が流れてきます。まぁこれも汽車旅の醍醐味ですね。
 

中央にはヤマタノオロチのイルミネーションが設置されています。頭が八つないのはこの際気にしてはいけません。


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肩部分には星座と各駅に掲出されたヤマタノオロチ伝説に関わる人のイラストが描かれています。

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側面です。柵と柱のみ、それ以外は何もない吹きっさらしの空間です。雨天でもお構いなしにそのままゆったり走ります(^^;;

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座席です。トロッコ列車ではもうお馴染み、木で出来たボックスタイプのクロスシートが並びます。

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というわけでボックスシートです。急行型客車時代よりもボックス間シートピッチは広げられています。背ズリも高めになっていますが、座り心地は見た目のまんまです。しんどくなったら後ろのスハフ12に行きましょう。

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中央には固定式のテーブルが設置されています。九州のような開けば面積拡大、と言った機能は有りません。窓側にはカップホルダーが人数分設置されており、中央は据え置き式、外側は跳ね上げ式となっています。

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車端部に近いボックス4組は変則的な座席配置になっています。こちらも同等の4人掛けですが、背ズリは少々低めです。

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テーブルは窓側据え付けです。カップホルダーも固定式が二つ。

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自動販売機です。わずかながらも需要はあるようです(わずかな理由は後述)。

 

晩年は自動販売機が撤去され、ラストランカウントダウンコーナーとなっていました。


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その向かい側の開放式業務スペースです。木製の椅子とアンケート用紙入れ、ポスターを入れるホルダーがあります。特にアンケートはやってなかったですが…(笑)

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ゴミ箱です。開口面積が狭められた独特なものです。

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島根観光の主幹として認知されているようで、しまね景観賞を受賞しています。

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その向かい側には乗車人数記念プレートが設置されています。2016年には通算10万人を突破しているようです。


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最前面にはスタンプ台と用紙が備えられています。乗車時には1枚どうぞ。

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続いて編成中間のスハフ12-801へと参りましょう。この車両は定員外の控車で、雨天時は吹きっさらしとなるトロッコ車両の避難場所となります。全席指定の奥出雲おろち号、実質販売されるのは1両分なので指定席を取るのは中々難しい列車でもあります。また団体が列車丸ごと枠を事前予約して占有することもあり、一般発売ではどう頑張っても指定席が取れない場合がありました。

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外観は塗装以外変わらないように見えますが、この車両はかつて大阪-出雲市間を結んだ夜行急行「だいせん」の座席車に使用されていた3000番台唯一の生き残りで、3000番台時代はトップナンバーを名乗っていました。最後は800番台となり、この観光列車で車歴を終えることとなりました。

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デッキです。「フ 」の形式らしく、車掌室が両側に配置されています。貫通扉を開いて中間に連結することも出来るようになっています。機関車のラッセルヘッドのアダプタも間近に見ることが出来ます。

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くずもの入れです。書きぶりは国鉄ですが、なんだか少し違和感…。

 

晩年は上から表示が加えられ、もえるゴミ限定となっていました。トロッコ車両の方に飲料系を捨てられるからなんでしょうね。


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トイレです。大きなマークを貼って分かりやすくしています。中はやっぱり和式のままです。

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その横には鏡が設置されています。急行時代の遺物ですね。

 

向かい側の洗面台です。国鉄時代のそれではなく、少しリニューアルが行われて小綺麗にしています。国鉄急行型車両でお馴染みだった痰壺も無くなっています。


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連結面の仕切り扉です。形状はそのままですね。奥のトロッコ車両とは形式は同じでも雰囲気は全く異なります(^^;;

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車内です。12系なのにも関わらず、なんとリクライニングシートが並んでいます。急行「だいせん」投入時の3000番台化でこのようになったそうで、「だいせん」がキハ65形エーデル仕様車に置き換えられた時から配置は変わっていないとのこと。ちなみにこの車両、トロッコ車両と座席数がピッタリ一致しているため、雨天時はトロッコ車両と同じ座席番号の席に座ることが出来ます。

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デッキとの仕切りです。仕切り扉部分のみ化粧板の色を変えており、視認性を向上しています。

 

晩年は、広告枠に車両の軌跡が入れられておりました。


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天井です。こちらは冷房完備で通風器も残っており、青い急行型客車時代の面影をよく残しています。

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窓です。二段窓で、上段・下段共に開閉することが出来ます。いや、開けるくらいならトロッコ車両行けって話ですが(^^;;

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座席です。「12系客車=ボックスシート」という概念を持っている人からすれば「何があった」的な感じで並んでいますが、この座席の出自は北陸本線系統で走っていた485系のフリーストップ式リクライニングシートへの改座に伴い発生したもので、やはり急行とはいえ料金も取る夜行列車でボックスシートというのも時代的に問題がありますよねぇ、ということで持ってきたのでしょう。え、「きたぐに」?あれは構造上の問題ですから許してあげましょうよ・・。

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座席自体は現在もJR東日本189系で見ることが出来る簡易リクライニングシート由来のそれで、リクライニング機構はストッパー付で回転機構も生きていますが、トロッコ車両が4人組ボックスシート配置となっているため、こちらの座席もデフォルトではボックス配置でセットされています。

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なお窓はボックスシート時代から変わっていないため、場所によってはこのように柱にガッツリ被ってしまう区画も・・。座り心地はトロッコ車両や同線を走るキハ120のボックスシートと比べれば雲泥の差、普通列車に対する指定席と捉えれば悪いものではありません。そりゃあ昨今のリクライニングシートと比べれば着座位置が判然としない座面に硬めなヘッドレスト部分と大いに不満が残るそれですが…。

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窓側には木製のテーブルが設置されています。「だいせん」時代から窓側にテーブルの類はあったと思われますが、やっぱり簡リクのデメリットは座席周りにテーブルが無いことです。

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デッキ仕切り際に関しては固定テーブルが設置されています。とは言え、ボックス配置がデフォルトなのでこの設備もイマイチ持て甘し気味です。

 

最後にオマケで、車内販売についても触れておきましょう。この列車、多くの駅でホームからの渡し売りが有り、地元業者による車内販売もリレー形式で行われることから飲食に関しては全く困ることのない列車だと思います。まずは一回目、乗り込んできた地元の方からクリーム大福を購入いたしました。
 
続いてやってきたのは仁多牛のお弁当。今回は先約がありましたので、カートだけ撮影。
 
そしてお楽しみ、亀嵩駅でのお蕎麦の渡し売りです。事前に予約しておき、現金と引き換えに商品を受け渡すシステムとなっております。
 
そしていただいた、お蕎麦(大盛り)のお弁当です。お蕎麦は田舎そばで、青ネギと鰹節がかかり、とろろもつおてきます。
 
そして笹ずしの販売もやっておりました。この他出雲坂根駅では焼き鳥の販売も行っており、まさに食道楽と言った感じの列車でした。


景色を見ながら地元で販売されるグルメを楽しみ、風を受けながら進んで行ったかと思いきや突然の雨に見舞われ、夏の草木が伸びた状態で伐採も十分でないローカル線を走るもんだからトロッコ車両に木がバシバシぶつかり時には枝が車内に飛んできたり・・。五感をフル活用することが出来る非常に内容の濃い列車でした。後任として山陰本線の観光列車、キロ47形「あめつち」が木次線の観光列車を引き継ぐこととなりましたが、運転本数が少なくなること、鈍重なキロ47では急坂を登れないことから出雲横田までの運転となるため、木次線のハイライトである三段スイッチバックやおろちループが見られないという、「運転すりゃあいいってもんじゃない」と突っ込みたくなる状況となります。三江線の廃線や列車本数減でキハ120形も余ってるでしょうに、加工がしやすい200番台辺りを改造して同程度の観光列車を作ってあげても・・と思ったりしますが、そんなお金が出せないですねこの会社‥。


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束の間の折り返し時間に佇む青と白のおろち号。日本屈指の秘境ジャンクション駅、備後落合を出発します。長年に渡る活躍、お疲れ様でした。なお、最後まで動力車として残ったDE10形に関しては、もうしばらく工事用牽引車として残るとのことですので、末永い活躍を期待します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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【2024年】


明けましておめでとうございます。

今年も車内観察日記をどうぞよろしくお願い致します。










【2023年】








【2022年】








【2021年】


 

 

【2020年】

 

【2019年】

 

【2018年】

 

広島には、モノレールとゴンドラとリニアモーターカーを組み合わせた鉄道路線が存在してきました。それがスカイレールサービスのスカイレールみどり坂線こと広島短距離交通瀬野線です。駅ではリニアモーター駆動で出発・到着し、駅間はワイヤロープで懸垂式レールを走ります。

 

車両は200形というゴンドラ車両です。乗車定員25人で、急坂を登り降りしています。

 

この路線のメリットは通常の鉄道と異なり高低差を克服出来ること、索道と異なり風に強いこと等があります。一方でデメリットは、乗り心地が非常に悪いことでしょうか。こんなユニークな鉄道路線ですが、残念ながら汎用性もなくメンテナンスに手を焼いたか、バスに置き換えられて運行終了となります。南無…。

 

車内です。やや広めのゴンドラ車体、所々鉄道車両らしいパーツもあったりします。

 

それがこの天井。高さが低いためか照明にはカバーが付いています。また立ち席もオーケーですので、吊革も付いております。乗車定員は25名ですが、最大乗車人数は37名でございます。

 

柱にはローレル賞のプレートがあります。山岳地帯の交通網を変える新しい鉄道の方法としての受賞ですが、令和の世になってもここの他にはこの方式の鉄道路線は登場しておりません。

 

ドアの無い反対側の窓下には車椅子固定用具があります。

 

座席です。片側4人掛け、車両全体では8人が座れます。座面の下には消火器が収納されています。

 

中には背ズリの表地が座面と統一されている車両もいます。座り心地は見ての通り壊滅的ですが、窓際席は一応肘が逃せるようにしているのが配慮ですね。まぁ、「乗車時間5分でこれ以上何を求める」と言ったところですかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








 

 

 

えちごトキめき鉄道、最近就任した(私称)国鉄時代大好き鉄道会社社長が就任した時点で色々とウワサが立っていましたが、その答えは413系の導入でした。が、同時に別の編成に組み込まれていたこんな車両も一緒に購入していました。

 

クハ455-701、413系と組成するために中間車のサハ455-1より改造された先頭車で、現時点で唯一営業線上に残る国鉄急行型電車です。塗装も国鉄交直流急行型用の塗装になっておりまして、元々組み込まれていたクハと差し替えて連結しています。種別表示はJR時代につらら対策で埋められているので、「急行」表示はステッカー対応です。また、ヘッドマークはかつて運転されていた急行列車のものを日替わりで表示します。なお、ヘッドマークはこのクハ455にのみ設置されています。

 

「雪月花」と並びました。土休日にまず妙高はねうまラインで料金不要の臨時快速(2024年3月より普通列車)として1往復し、その後有料の急行として日本海ひすいラインの直江津-市振・糸魚川間をそれぞれ1往復します。

 

車内です。最後の急行型電車とはいいますが、車内は近郊型用に様々な改造が施されています。なおJR時代からそれ以外に大きく変わった点は無かったため、一部画像はJR時代のものを使ってますので悪しからず。

 

車端部です。一番のJR時代からの変化点のひとつはデッキが無くなったことで、ドアを半自動対応とすることで寒冷地対策を施しています。あとJR時代から、地味にゴミ箱が変わってるんですよね。トイレと洗面台はそのまま残されています。

 

最前面です。こちらもデッキが無くなったため、見通しが良くなっています。仕切り自体は特に変わった点は無く、413系に施されていた黄色化もされていません。

 

天井です。ロングシート化された部分は地味に荷棚ごと変わっており、吊革を設置する支持棒付きのユニットで、荷棚本体も網棚となっています。

 

吊り広告は国鉄時代のダイヤ改正や行楽に関するものが装着されています。この辺りも雰囲気は国鉄時代に近づけています。

 

で、かつてデッキがあった部分の車端部側は一段下がった形状になっています。枕木方向に設置された蛍光灯もポイントです。

 

窓です。二段窓ですが、下段はつまみが撤去され開閉不能となっています。また上段も一部は固まってしまっているのか開閉が出来ない区画もあります。

 

座席です。まずはボックスシートからです。一応、座席は急行型のそれを維持しています。413系車両よりはややグレードは高いですね。

 

イメージ画像がこちら。元々あったはずのテーブルは撤去されているため、せっかくの立ち売り駅弁もゆっくり楽しめないのが少し残念です。ペットボトルくらいは置きたいものでしたが…。

 

続いてロングシートです。4+2+4で区切られた10人掛けで、袖仕切りは413系同様にアクリル板が付いたものになっています。このロングシート化で、ボックスシートは413系と同じ数にまで減少しております。

 

トイレです。昔ながらの和式のまま、この時代にそぐわないと言えばそうですが、それを楽しむための列車ですから、そのように捉えましょう。

 

洗面台です。トイレ内にも手洗い用の蛇口がある中で、洗面台機能がそのまま残されているのは奇跡です。

 

洗面台をアップで。湯のボタンは撤去されており、水しか出ないようになっています。

 

この洗面台部分は戸袋も兼ねておりまして、ここは戸袋窓となっています。ドアが「スー」っと(笑)

 

外に戻りまして、避難用のはしごがこんなところにあります。そのため、急行時代にあった鏡が無くなっています。で、このはしごですが・・。

 

モハ470-7・・・?

 

最後に各種表示。川重で落成し、松任工場改造の経歴を知ることが出来ます。

 

さて、この観光急行は地域輸送の大幅増が見込めないトキてつの貴重な収入源として定着してきており、近年高価格帯の乗車プランが設定され、さらなる増収を図っています。これに合わせ、登場当初からこの車両にも変化が生じています。

 

運行開始当初は用意されていなかった「妙高高原」の方向幕が、ここ最近は追加されています。小さく「快速」の文字も入っていますが、2024年3月からは北新井駅にも停車するようになり、この幕の常時表示も見納めですね。

 

サボ受けにも行き先が入れられております。幕があるのでわざわざ入れる必要は無いのですが、観光列車としての雰囲気作りですね。

 

というわけで車内です。譲渡後からの雰囲気から一変、国鉄時代への回帰と観光列車らしい設備の追加という、良く言えば両ベクトルへの対応、悪く言えばどっち付かずな仕様に仕上がっています。

 

ドアです。かつてのステップが埋められており、埋めたボックスの上部は黄色で塗られております。実質的な段差の高さは変わらないのですが、この方が注意喚起出来て良いと判断されたのでしょうか。

 

続いて変化のあった座席、まずはボックスシートからです。ここは「朝から夕まで455」という、朝の妙高高原行きから始まり夕方の直江津行きまでを1ボックス占有出来る特別企画商品用の座席として指定される区画となっています。


モケットが北陸標準タイプから国鉄標準の青モケットに交換され、妙高高原·市振側には大型の固定テーブルが設置されています。企画商品予約時は朝食、昼食、スイーツが提供されますので、それに対応した設備となっています。ええ、かつて窓側にあったテーブルが無くなって飲食物の置き場に難儀したことを考えると、観光列車としての使い勝手は格段に向上しました。一方でせっかく国鉄モケットに貼り替えたのに、それが半分ほど分からなくなってしまったのはやや残念に思います。

 

ロングシートも青モケットに貼り替えられています。こちらは区間利用時に充てられる区画で、簡易的な長机が置かれています。ボックスシートと比べると、どうしても迫力負けしてしまいますね(苦笑)

 

優先座席はこれまた懐かしのシルバーシートを思わせる色調となっています。

 

 テーブルが無い区画はこんな感じ。ここは自由に使えそうですね。なお、アナウンスではこの車両が全席指定席と案内されていますが、空席があればその区画は自由に利用してよいことになっています。利用出来るかどうかは運次第ですね。

 

 

妙高高原行きへの乗車は、多くの地域で前乗りが必須になります。

宿泊はこちらでどうぞ。

 

 

 

 

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