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終電をパスしてしまい、
タクシーを待っている間、頭上に看板が…





この時期(と言うより、何だかんだ云って年間通じて)良く目にする、
入会キャンペーンの看板である。






私は運営側については基本的に素人であるので、
素朴な疑問が幾つか。






最近流行りの「登録料」って何?

入会金と何が違うの???





こんなに登録料を割引するなら、
いっそ、「入会保証金」にして、もうちょい高額にして、
退会時に返金する仕組みにした場合の
試算(保証金を何らかの投資に回した場合の効果)して、
どっちが利益率が高いか、
考えた事はあるのかしら???









こんなに何でもかんでも割引するなら、
登録料なんか無しにするとか、
実際に試算したことあるのかしら???






…な~んて。







あたしはビジネスの専門家じゃ~ないんですが、
トレーニングやコンディショニングの世界でも何でも、



素人の感覚に、プロが明確に答えらんないこと…



に、実は答えが隠されている…







ま、全て実証済みなんかも知れないけど…





しっかし、何年も、何十年も、
根本的には何も変わってないって、
一体どーなのよ???


ってさ~
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今日の夜は、
私がサポートするチーム(アインズスキーチーム)の、言わば納会。


お世話になった取引先、関わってくれた方々、OB、トレーナー(私)など…が集まり。













年々、人数が増えて行っているようで、
やはり、日本のスキー界の発展の為には、
こういう会は大変重要だと思う。





選手のパフォーマンスには、これだけ多くの方々が関わっているのだ、
と改めて実感する日でもある。








冒頭の写真は、
若干の修正は加えているものの、
ここ最近、選手の諸君のトレーニングの際、
最初に「頭のトレーニング」という意味で、必ず講義する内容の板書の一部であ
る。






学力うんぬんではなく、
結果を出せるアスリートに「頭の悪い」選手はいない。





要は、感覚的なものも含めた
「理解力」「直感力」が無ければ、世界では闘えない。







つまり、





バカはダメなのよ。
バカは。
確か昨年も、だったかしら…



告知、すっかり忘れてました…



遅くなりましたが、
第23回フィットネスセッション2009

今年も末席に登場させていただきやす。





もはや恒例になってますが、
今年も「パフォーマンス向上プログラム2009」と題して。



恐らく、フィットネス関係者にはあまり興味が無いでしょうな、
こういうのは。



パフォーマンス、って言うと、ほとんどアスリートをイメージしますから。




でも、興味がある方でお暇なら、ぜひ。




お待ちしてます~

人の行動には、必ず意味がある。



例えば、無意識に「何か」をしたり、
あるいは「何か」をしなかったり。




何かの行動を起こすか、あるいは起こさないかは、
瞬間的にでも何でも、
無意識下で何らかの「意図」がある。



別の表現で言うと「判断」。







具体的な例を挙げる。





フィットネスクラブのトレーニングジム(ランニングマシンやら、バーベルやらが並んでるとこ)
には、スタッフが何人か配置されている。




おおよそ、繁忙期で100平米あたり一人、
昼間の閑散期ならその半分から三分の一くらい。





フィットネスクラブもサービス業なので、
お客様に対して接客するのが仕事なのだが…




一時間あたり、どれぐらいの時間、
お客様に接しているか、想像がつくだろうか?







この10年間、日本全国(といっても限られているが)、
様々なフィットネスクラブを巡り、
統計をざっくり録ると…





五分もあれば、結構良い方である。






これ、接客業としては結構、センセーショナルな数字だと思う。





結果的に、55分は「何もしていない」のである。





では55分間、本当に何もしていないかと言うと、
実際は何もしてない訳ではない。




(中には本当に何もしてないスタッフもいる)





外見上、何もしてないように見えても、
心の中では何らかの「意図」のもと、
結果的に何もしていないのである。




重要なのは、
それが「意識下」か「無意識下」なのかで、
意味合いは大きく異なる、という事である。






例えば、





「わっ…あのお客様、(怖)そー…
近寄り難いから、そっとしておこーっ、と」




「すんげぇ~マッチョだから、自分なんかが話し掛けても、バカにされそうだし…」




「何だか気難しそうな…たぶん、人と話したくないんだろうな…」





などなど。







これらが、
「オレは今、こういう認識、判断の下、声を掛けるのをやめた」
という「意識下」ならば、まだ良い。




問題なのは、
ほぼ「無意識」での瞬間的な判断、
つまり「意図」。





意識下での「意図」があれば、
「その判断、考え方は正しかったのか?」
と、考えられる材料にはなる。





だが、ほとんど無意識下で判断がなされていると、
その人間は永遠に成長しない。








人の行動には必ず「意図」がある。







例えば、お客様が10人いた場合、
当然同時には接客出来ないわけで、
必ず順番がつく。





その順番も、意識下か無意識下か別にして、
意図がある。




「過去に話したことがある人から」


「外見上、優しそうな人から」


「男性から」


「女性から」


「年配者から」



などなど。






自分の無意識の「意図」というのは、
自分ではなかなか気付けない。





第三者、
出来れば上司、または教育的立場の人間から言われないと、
ほとんど気付けない。





いや、もしかしたら気付いているかも知れないが、
そこから無意識に
目をそらし、自己防衛しているのかも知れない。






お恥ずかしい話だが、
私も所詮は人間。



若かりし頃、自分の接客の癖にハタと気付いた。



いわば、ある程度「意識下」だったのだろう。





それを何とかしたくて、
優先順位をあえて、意識的に逆から接客するようにした。



つまり、
「最も声を掛けにくいお客様から」。






すると、
「怖そう」
「声を掛けられるのがイヤそう」
などと云うのが、自分の勝手な思い込みであることに気付く。




世の中、所詮はそんなもんで、
大半は「思い込み」で出来ている。









大事な事は、
自分の無意識な「意図」を明確にすること。




意識下か無意識下は別にして、
その意図を分析し、


「何故、そうしたのか?」


「それは客観的に正しいか?妥当性はあるか?」


「自分の勝手な思い込みではないか?」


「勇気を持って声を掛ける事で、デメリットはあるか?」





恐らく、全て、何てこたぁ無いのである。







人の行動は、
必ず何らかの判断、「意図」がある。




ほとんど反射的みたいなものだから、
それにはあまり意味がない事が多い。





その、意識下無意識下含め、
それをもう一度「意識化」して、
何故自分はそうしたのか?
それは正しいか否か?




…を、自分で反芻する事を習慣化することが肝要である。





それでしか、人は成長出来ない。






また、それを示してやるのが、
上司である。






でなければ、上司の存在価値は無い。







「こうしなきゃ駄目じゃないか」



は無能な上司の決まり文句。





答えは、本人の「無意識下の意図」にあるのである。
全く興味の外の分野なんで、
知らなかった…



オーケストラアンサンブル金沢の指揮者で、
大河ドラマ・篤姫のテーマ曲の指揮も務めた井上道義氏である。



今日、フジテレビのとくダネの一コーナーでの話である。





このコーナーは社会の様々なニュースや事象を
全く異なった分野の専門家が独自の視点でその事を語るもので、
なかなか興味深い。(場合もある)






この日は政府が発表した13兆円の追加景気支援策についてで、
要はそれを決めて発表した麻生総理を始めとした、この国のリーダーたちのリーダーシップについてである。






私は知らなかったが、
何らかの交響曲などを演奏する場合、
同じ作曲家の同じ曲でも、
いわゆる解釈の違いで全く違う曲になるそうで。




例え、その作曲家が「このように演奏せよ」と指示まで記してあったとしても、
そこだけでは表せていないであろう部分…


曲が作られた時の時代背景や、作曲家が置かれていた環境、
その他を指揮者なりに解釈し、


「きっと、こう言いたかったに違いない」


「恐らく、こう解釈せよ、と言っているのだろう」


と、演奏の方針を決めるのは指揮者だそうだ。





ただし問題はここからで、
昔から何万回と演奏されているクラシックなどであれば尚更、
演奏家としての解釈もあるし、
ある意味の定番、言い方を変えれば固定観念もある。

(この曲はこうでしょ、フツーは、みたいな…)





で、そういう事を踏まえて、
指揮者はオーケストラの面々、一人一人に説明し、理解を求めるらしいのである。




「自分はこの曲をこう解釈している。だからこのように演奏しようと思うが、理解してくれないだろうか。」

と。






まさに、一人ひとりに。








つまり、井上氏が言いたかったのは、
今の政府には、


「目的はこうだ。その為にこのようにしようと思う。」

という、「方針説明」「目的説明」が無い、
と。






井上氏はさらに続けて、


「結局は、演奏に『正解』なんてない。いわば間違いもない。
どのように解釈するか、またそれを周囲に理解してもらうように努めたか。
それだけだ。」






つまり、政治も同じだ、
と。







いやあ~





久しぶりに膝を打ってしまいました…








映像でもあったが、
自分なりの考え方がある演奏家たちひとり一人に歩み寄り、
頑としてポリシーを曲げない人たちに辛抱強く説得して回る姿…








政治のみならず、
会社組織のリーダーも同じでしょー。






スポーツチームの監督、コーチも。

無論、同様。







もちろん、私たちトレーナーの世界も同様。





ある種の自信を持つことは大事だが、
実はトレーニングやコンディショニング方法に「正解」なんて、無い。




明らかな間違いはあるだろうが(これすらも疑わしい)。






私も今日で、今月の選手のミニキャンプが終わったが、

「自分はこのことをこう解釈している。だから君の場合はこうなるようにしたいと思う。
その為に、これをやって行って、10ヵ月後のオリンピックにこうなっているように目指したいが、どうか。」




と、一見回りくどいような説明を三分の一の時間を費やす。




だが、ある意味、
ここが最も重要なのだ。






さらに私は、
今後もこれを繰り返す。




相手が嫌がって、
夢に言葉が出てくるくらい。




ただ、ホントに嫌がられると意味ないので、
表現法を変えながら。(笑)








井上道義氏のおっしゃることは、
非常に重要なことを示唆されている。





この部分を面倒がり、
手を抜いたり割愛するリーダー、指導者の、
何と多いことか。





特に、組織に所属していると、
その傾向が強い。





最終的には、ポジションパワーで押し切る習慣が身に付いているから。





ホントに、相手がアホで理解力欠如な場合もあるが、
それはそもそも「採用」が誤っているからである。






この、お上と現場の不一致も、結構多いし、
最大の笑い話である。
今日から、私がサポートをしている選手のトレーニングが始動。



先のノルディック世界選手権で団体金メダルに輝いた、
サッポロノルディックスキークラブの加藤大平選手である。






細かい内容は企業秘密なので書けないが、
「考え方」の講義で頭のトレーニングと、
今季、重点的に取り組む予習のような感じ。




どんなにトレーニング科学が進化しようが、
あくまで方法論であって、
基本はいつも変わらないものである。






その後移動して、
次は同じくサポートする明治大学スキー部の今季コーチ会議に出席。






名門クラブも、
先シーズンはジャンプでは団体・個人を制したものの、
クロカン・アルペン・コンバインドの活躍が欠かせない。






会議中も、何となく「闘う集団」の雰囲気が徐々に出来つつある。







月並みですが、
ぜひ「チームとして」勝てる集団になりましょう~
少し前になるが、新聞に興味深いコラムがあった。













先般の北京五輪の日本体操チームの活躍は記憶に新しい。






前回大会の団体金メダルには及ばなかったが、
美しい体操を追い求め、
落下しても諦めず、上位に食い込んだ冨田洋之選手。


彗星のごとく現れ、次世代の体操ニッポンを担うべき内村航平選手。



などなど。





素晴らしいパフォーマンスを発揮してくれた事に、拍手を送りたいものだ。








それ以前、日本体操チームは長い低迷期があり、
そのまた以前は、日本の体操は世界最強を誇った時代があったことを知らない世代も多いだろう。









さかのぼって、1972年ミュンヘン五輪。


日本体操チームは圧倒的な強さで団体総合四連覇を果たし、
個人総合と種目別を含め合計16個!!
のメダルを手にした。

(この16個、驚異!単独大会でとは…)






そんな世界最強を誇った日本チームのミュンヘン選手村の部屋に、
19歳のロシア人の若者がウォッカの瓶を携えてやって来た。



彼こそ後に歴史的に名を残す名選手、
ニコライ・アンドリアノフである。





私と同世代ぐらいの人は記憶にあると思うが、
お笑いのビートたけしさんがデビュー当時、

「アンドリアノフ!」

と叫んで妙な格好をした芸を盛んにやっていたが、
あのアンドリアノフである。



ちなみに、
「コマネチ!」

「メリー・キム!」

「ディチャーチン!」

と言うのもあったが、
全て当時のトップ体操選手である。









さて、脱線したが話を戻す。







当時の事を、「月面宙返り(ムーンサルト)」を開発した塚原光男氏は語る。




「アンドリアノフが何人かの旧ソ連の選手を引き連れてね、
『一緒に飲もう』って言うんだ」と。



氏の話は続く。

「彼らは日本から何かを学ぼうとしていた。
で、我々も酔っ払って説教するわけ。『あんなんじゃダメだ』なんて(笑)」



身振り手振りに片言の英単語、
体操の公用語だったドイツ語を挟んで意思疎通。


そこで伝えたのが、

「技術だけでなく、巧くなりたければ器具を大切にしろ」

「日本では練習の前後に頭を下げて挨拶をする。
礼儀であり、他者への感謝を示すためでもある」



世界一奪還に執念を燃やすかつての王国・旧ソ連の選手にとって、
それはたかが酒の席の話ではなく、
日本選手の言葉は正に「金言」であった。






ミュンヘンから二年後の74年世界選手権で、塚原氏たちの目が丸くなる。




以前の彼らはウォーミングアップも何でも、いつもバラバラ。


それが…







お辞儀の習慣が無い国の男たちが整列し、
一斉に礼をして練習を開始したのであった。












実は体操の競技規則には、
「演技前後に主審に礼をしなければならない」
とあり、
「規律のない態度は減点の対象とする」
と定めている。


しかし、国際大会において現実に減点されるケースは、まず無い。


だから、多くの選手が軽く右手を挙げるだけで済ませてしまう。




それでも、現在のロシアやウクライナなどの旧ソ連勢は、
今でも大半の選手が律儀に敬意を表して礼をする。






「うれしいですね、そういうの。」
と、アテネ金メダリストの冨田洋之選手は語る。



頂点を極めた男にとっても、
自国の文化の広がりは、メダルの数よりも誇らしい。









北京五輪での内村選手の立ち振る舞いに気付いた人はいただろうか。





演技に入る前、審判に向かって二度礼をする。



そして開始を促す緑色の旗が上がった時点で頭を下げ、
右手を挙げてまたペコリ。



本人いわく、
「誰かのマネをしたと思うんですが、いつ始めたのかな…」
と言うことらしい。












礼を尽くしたから、
態度を整えたがら、




だから勝てる…とは限らない。





また、礼儀正しくして、
10年で金メダルが穫れるか、20年懸かるかも分からない。





この辺は何とも、科学的にも説明のしようも無いが…








ただ、内村選手のように、いつの間にか当たり前に身に付いていた、
となると、邪心は無く、ただそうしている。






「態度」は「習慣」になって、
初めて「心」の「構え」が出来るようになるのかも知れない。





「構え」とは「備えなり」と、武道の世界では云われる。







先般のWBCでも感じたが、
長きに渡ってメジャーリーグが全て正しい、と云われ、
事実日本はアメリカに歯が立たず、苦杯をなめて来た。






それだけで必ず結果が出るものではないだろうが、
やはり「態度」をつくることは、
時間は懸かろうが、物事を成し遂げようとする「心」に繋がるのではないか。









少なくとも、私にはそう思えるのである。
伊東と伊藤が雪印入社へ


ようやく正式発表になりましたな。


よかったヨカッタ…



<ジャンプ>伊東と伊藤が雪印入社へ…北海道支店に配属予定
毎日新聞 - 2009/3/27 17:04

 ノルディックスキー・ジャンプの伊東大貴(23)と伊藤謙司郎(19)=ともにサッポロスキッド=が、4月1日付で雪印に入社することになった。27日に雪印が発表した。両選手は北海道支店に配属される予定で、スキー部員として活動する。

 両選手は昨年12月末まで土屋ホームに所属していたが、同社のスキー部への支援縮小を受け、1月から所属先をスポーツ用品販売のサッポロスキッド(札幌市)に変更していた。伊東は2月にあった世界選手権(チェコ・リベレツ)のジャンプ男子団体ラージヒルで、日本の銅メダル獲得に貢献した。
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先週、スーパーGTシリーズが開幕したが、
初戦のチームは残念な結果に。


ま、気を取り直して次から挽回してくれれば。








今季から一台体制になったり、
大会会期が短縮され、土曜日に公式走行と予選が行われる新たなスタイルになったり、
みな手探り状態。







で、今日はチームのコンディショニングの為にオフィス&整備場を訪問。






ドライバーの本山哲選手も来ていて、
去年クラッシュで痛めた肩の状態で相談があるとの事で、
少し診察。






第二戦、頑張ってくらはい~
…って言っても大した話じゃ~ないんですが。







WBC連覇!!



何はなくとも素晴らしい偉業!!




決勝戦の韓国との死闘は、
間違い無く世界の球史の一ページに刻まれる、
ベストバウトの一つである。






それにしても、原監督の采配は見事であった。





…結果的に。






采配なんてのは、結局のところは「結果論」。




正解なんてのは実は無くて、
成功すれば「名采配」。
失敗すれば「バカ監督」。





今回だって、仮にもし負けていたら、


「何で抑えを藤川からダルビッシュにしたんだ!!」


「何で四番に代打出すんだ!!」


「あそこはエンドランじゃなくて、バントだろ!!」


「最後まで安定している杉内に投げさせろ!!」




などなど…





もし負けていたら、
全てが監督の無能で負けた!

なんて言われる材料のオンパレード。





トレーニングと同じで、
究極的には正解なんて無くて、
金メダルを穫った選手のトレーニングが「正解」。


栄養学にしても、
勝った選手に「何を食べたんですか!?」
なんて愚問をして、それが勝利の食事の「正解」。





研究なんてのは、
戦術にしろトレーニングにしろ栄養学にしろ、
結局のところは結果に対する後付け。








とにかく、賛否両論はあろうが、
あの超個性派軍団を一つの方向に向かせた原監督の手腕は文句の付けようがない。








それはそうと、
報道を見ていて、印象に残った点を幾つか。





決勝トーナメントから、
いわゆるクローザーが藤川球児投手からダルビッシュ投手に変わった。




確かに、数試合の藤川投手の投球を見ると、
彼の絶好調時とは程遠い出来であることは、素人目にも明らか。



短期決戦であるから、変えることは理解出来るとしつ、
藤川投手の気持ちは…?







ダルビッシュ投手が、期しくも語っていた。



「球児さんもきっと内心はいい気はしなかったと思いますが、
それでもクローザーの仕事について、こういう場合はこうした方が良いとかアドバイスしてくれました。
ホントに球児さんには感謝してます。」


と。





例え百歩譲って社交辞令だとしても、
そういう気遣いが出来るようになったダルビッシュ投手の精神的成長も素晴らしいし、
そういう関係性だったチーム状況が分かり、
こういう点も勝利を許されたチームであった所以であろう。







また、松坂投手も。





延長10回ウラ、勝利の瞬間。



松坂投手はダッグアウトに居なかった。



私も不思議に思っていたが…






報道で分かったが、彼はブルペンにいたそうだ。





もちろん彼は投げられないのだが、
リリーフ準備をしている仲間の事が気になって、
何か手伝える事があるかも知れないと、
ブルペンにいて、仲間に声を掛けていたそうだ。






もちろん、これも結果論の美談であるが、
少なくとも、侍ジャパンは紛れもない「チーム」であった。







あたし、年のせいか…





こういう話に、涙腺が緩むんっすよね~







仕事に邁進する、男(もちろん女性も)の姿って、
良いっすよね~








日本、バンザイ!!