今や「スタビライゼーション」やら、
「コアトレーニング」やらが市民権を得て、
一つのブーム的になっているが…




私なりに、考えを付け加えておきたい。






スタビライゼーション、とは、
身体を動きの中で、安定させる働きの事である。




「コア」とは、身体の深層部の筋、という概念らしいが、
人によっては概念が違う…


インナーか、アウターか、
という概念とも、必ずしも一致しない。







ややこしい事は別にして、
つまり、ある局面に於いて、
止まるべき箇所が止まらないと、力が伝わらない。



てこの原理と同様、
支点が固定出来ないと、力そのものが伝わらない、



と、云うことである。






そのような能力を高めようとする時、
敢えて不安定な状況下で訓練をする場面がある。





例えば、大きなボールの上でバランスをとるようにする…




または、バランスディスクと呼ばれる半円形のボールの上で、
様々な動きをしながらバランスをとる訓練をする…






それらは全て、否定されるものではない。





ただ…




本質的に言うと、
「バランスをとる」という事を主目的にしてしまうと、
本末転倒。







力ます、柔らかくバランスを取るには、
身体の深層部が活動する事が必要不可欠。





ボールに乗ろうがバランスディスクに乗ろうが、
どちらでも構わないが、
最も重要なことは、全身(特に表層)の筋を出来るだけ脱力する事である。





一度、全ての力をリセットして、
その上で、必要な力を「積み上げて行く…」



全てゼロベースに、
が大前提である。








そんな事の繰り返しで、
「本当に必要な、最低限の力」が分かり、
「無意識的に入っていた、意味の無い力」が認識出来る。








スタビライゼーションも含めて、バランス系トレーニングに於いて、
最も重要なのは、一度全ての力を抜き、
本当に必要な力から積み上げて行く事を、身体に再教育する…







これこそに、意味があるのである。









前エントリーの「入力と出力」にも関連するが、
ただ、不安定な場所に立って何かの能力が高まる…



というのは、かなりラフなトレーニングと云わざるを得ない。





「それをやる事によって、何をどこに入力したいのか?」




を、明確化する事が肝要である。







ただ不安定な状況下でバランスをとる…



だけでパフォーマンスが高まるなら、
トレーニングコーチやトレーナーは、
地球上に必要ない。
先週から新たな期のパートナーストレッチ(ペアストレッチなんて言ったりもする)の、
指導者養成コースが開始。




今回は30名近くもの参加で、
人数が増えればそれなりに指導も大変なのだが、
しかし人が多いと熱気が感じられ、
講習全体としては、活気があってなかなか良いものである。




これから全八回、反復練習を重ねて、「食えるストレッチ技術」を叩き込んでいく。







ストレッチなどは比較的分かりやすいのだが、
実はトレーニングなども然り、


「入力」



という概念が非常に大切である。






ウェイトトレーニングなどを指導していると、
相手にある重さなり負荷を掛けて、


「力を出させる」=「出力させる」



という概念になりがちである。





もちろん、トレーニングにおける局面に於いては、
細かい事は置いて出力のみに意識を集中させる事はあるが、
指導者側としては、常に


「入力する」




という感覚を忘れてはならないような気がする。






パフォーマンス向上が身体の各機能の向上による結果だとすると、



「どの程度の負荷を」


「身体のどの部位に」


「どの動作パターン上に」


いま、「入力」しているのか…?







目的によっては、ただ単に力を出させているだけでは、
非常に「ラフ」な訓練になる。





訓練から、「鍛錬」へ。







トレーナーの皆さん、
クライアントの身体に、何を「入力」しようといているか?





意識してみる事をお勧めする。
私は、自分のトレーニングに行くと、
基本的には他のお客様とは、あまり懇意にしない事にしている。






絶対的に決めている、という訳ではないが、
積極的には…というレベル。






理由は単純で、
話をし出せば、互いの仕事の話になり、
トレーナー、なんて云うと根掘り葉掘り聞かれたりと、少々気を使う。




適当にウソつけば、という意見もあるが、
あたし、結構ウソがヘタ。

すぐバレる。





浮気なんてしようもんなら、
恐らくアッと言う間に。



(それが分かってるから、しまへんけどね)







話を本題に戻して…






と云うわけで、
他の方とは極力会話をせずに、ひたすら黙々。






ところが今日は、仕事の絡みで時折訪れるクラブにて。




ゴツい身体をした若者から、


「いい脚、してらっしゃいますよね~」




と、声を掛けられ。






もちろんあたしは、話し掛けられれば、愛想全開で対応する。



ひたすら腰低く対応する中で、私が、




「あの~失礼ですが私、お会いしたことありましたっけ…?」



と訪ねた。

(ホントに、覚えが無かった)




すると、




「いや、私は何度かお見かけして、いつも脚のトレーニングを黙々とやってらっしゃるので…
競輪選手かと…」






ま~確かに、脚は多少はゴツいけど、
全体的にはメタボ予備軍的。





とりあえず、社交辞令と受け取っておくとして。






しっかし、皆さん結構、
他の人のこと、見てんのね~








そうそう、そーいえば、



今年の初め、雪印の仕事の関係で札幌に行った際、
時間が空いたので、いつも選手がトレーニングに使うジムに、
完全なプライベートでトレーニングに行った時…






やはり、他のお客様
の、ゴツい会員の方に唐突に、






「…何かやってらしたんですか?」




と。








格闘技時代の全盛期の事を言ってもややこしいので、



「高校まではバレーボールで…
それ以降は皆さんと同じで、普通にフィットネスクラブで汗流してるくらいですよ~」




と。





ひとしきりトレーニング談義に華を咲かせ、
その方は一緒に来ていた奥様(彼女?)の近くに行き、




口の動きで分かる…







(バレーボールだってさ…)






と、はっきり言っていたのを確認。









それにしても、
フィットネスクラブ関連に携わっている身分でありながら、
改めて、


「お客様が、如何に他の方を見て、気にしているか」



が、今更ながら分かりましたわ~







でも、言葉の掛け方は難しいけど、
他の方から

「見られてる」


あるいは「誉められた」りしたら、
やっぱ、嬉しいんだろーな~




なんて、思っちゃいました。







互いに誉めあうクラブ…








いいかも!!
米メジャーリーグ・マリナーズのイチロー選手へのバッシングが後を絶たないという。




「一番打者として機能していない」


「チーム一の高給取りを放出すべき」



などなど。






あれだけの実力者が、何故これだけバッシングされるのか…?






法政大学国際日本学研究所客員学術研究員で、
野球史研究家でもある、鈴村祐輔氏がタブロイド紙で解説している。







まず前提として、


「イチローはなぜ、これほどアメリカのファンとメディアから嫌われるのですか?」


という問いに対しては、
彼の実績は多大なる評価をされている、
ということは間違いないようだ。



でなければ、八年連続してオールスター戦にファン投票で選出されるはずがない。

(ごもっとも)








要は、


「実力からいけばもっと出来るはずなのに、あえてやろうとしていない」

ように、ファンの目には映るらしい、




ということらしい。







アメリカ人が理想とする典型的一番打者は、
今もリッキーヘンダーソンである。



野球に疎い人は分からないかも知れないが、
メジャー最多盗塁記録(1406個)を持ち、
高い出塁率と長打力を誇った。
(出塁率4割超、297本塁打)




本塁打は別にして、
出塁率は四球をどれだけ選べるか、による。




イチロー選手は基本的に四球が少なく、
彼なりのヒットゾーンなのだろうが、悪球に手を出して凡打…

というのも少なくない。








イチロー選手が八年連続200本安打を達成しても、
四球をあまり選ばず、長打力もあるはずなのに敢えて封印(しているように見えるらしい)し、
バントヒットで安打数を稼ぐ…





それでいて、チームは弱い。



シーズン終盤には既に優勝争いの蚊帳の外。




イチロー選手だけの責任だけではないものの、
終盤にはイチロー選手の安打数のみが話題に。






だが時折、目の覚めるような本塁打をかっ飛ばすことがある。



(確か日本でも、シーズン30本近く打った年があったはず…)



だから、ファンの目には、彼の潜在能力を見抜いているし、知っている。





リッキーヘンダーソンを理想の一番とするアメリカ人からすると、
イチローは彼を超えられるポテンシャルを持っているはず、
と思っているに違いない。








それが、チーム事情と相まって、
早々にに優勝争いから脱落した後にコツコツとヒットを重ねる姿に、
個人成績しか重視していないイチロー…





…という図式が出来上がっているようだ。











つまり、



「アナタはもっと出来る子なのに、ナゼやらないの!!」





という感情に近いようだ。




むしろ、それをやろうとしない姿勢(そう見える)に、
疑問すら感じているようである。









ただし…









イチロー選手の若干「クセ」のある発言も、少なからず影響はあるようだ。








2007年にシーズン途中でマクラーレン監督代行に変わった際、


「野球をよく知っている」


とコメントしたが、
これは裏を返せば
「前の監督は野球を知らなかった」
ともとれる。





また、2008年のオールスター戦では、
「この出場メンバーを見て、地味だなと思える自分が嬉しい」

と発言しているが、
聞きようによっては、非常にイヤ~な感じがするのも事実だろう。









ここから先は私の個人的主観だが、
WBCなどでも、彼のちょっと配慮の足りないと云うか、
若干、幼児性を感じる立ち振る舞いや言動が気になったことがある。








何かの意図を持った意識的な行動か否かは定かでないが、
私はかなり気になった。






私がイチロー選手のコーディネーターやマネジメントをする立場なら、
恐らく苦言を呈するかも。








とは云っても、メジャーが誇るスーパースターであることには変わりない。







もしかしたら、彼の周囲には、
正しいことを言ってくれる「大人」が居ないのかも知れない。






プレースタイルについては、イチロー選手なりの持論やポリシーがあるだろうから…










ま、バッシングされる、ってのも、
実力が認められているからこそ。







たとえ好成績挙げても、
高年俸を得ようとも、
スーパースター故の憂鬱、ってのは付きまとうんでしょーな~







あたしには分かりまへんが…
時々、若い人に話すこと。





「なぜ、貴方はその仕事に就きたいと思ったのか」

と。



学生さんなどにも、
「なぜ、その道を目指そうと思ったのか」
と問う。





仕事なんてものは、どんなに夢を持ってその道に入ったとしても、
始めてしまえば、むしろ辛いことばかり。




だからこそ、その世界に入ろうと考えた「原点」を振り返ることで、
いまの辛いことをしている「意味」を再確認しよう、


ということである。





だが、これは所詮は綺麗事で、
パーセンテージは分からないものの、
今の仕事をしているのは
「食うため」。


やりたいとかやりたくないとか、
夢とか目標とか、そんな悠長な話ではない!!

…と、怒り出す人もいるかも知れない。



今年の大学生に聞いても、
就職戦線は想像を絶する厳しさだそうだ。



面接にまで漕ぎ着ければ御の字で、
ほとんどその前ではじかれる。



夢だ、目標だ、なんて言ってる余裕は無い。






だからこそ、自分の目指した世界の職に就けたことは、大変幸せなこと。





だからこそ、そういう人達にこそ、
壁に当たったら、「原点」を通して「意味」を再認識し、
再度、発奮して欲しいと思うのである。







例えば私が関連する世界で言えば、





トレーナーという職に何らかの形で就けた人も、
本来、自分が望んだ形で無かったり、思うような活動が出来なかったり、収入が思うようにいかなかったり、
長く続ければ続けるほど、色々あるものだ。



そこから、自分でも気付かないうちに「惰性」になってしまう日々…





また、特にフィットネスクラブの仕事の場合は顕著だ。





学生のうちに思っていた世界と、
実際に働いてみると、まるで様相が違う。
(と、感じる人が多い)




端から見るほど華やかでも無く、
お客様の個別に合わせてトレーニングプログラムを処方し…



なんて、大部分がウソ。




ただジムに立ち続け、愛想笑いを振り撒き、
器具の使い方をひたすら教えて。



ちょっとスタジオでの集団指導を覚えて、
大衆に受け入れられたかのように錯覚し、
辛うじてモチベーションを保つ日々…




では、通常のジムでの業務に喜びを感じ、何の疑問を持たないのはハッピーか…




というと…






ほとんどは、そうではない。





ジムにいる大半の時間を、ただ立っていたり、
同じ人ばかりと話している人は、既に負のスパイラルに入り込んでいると見て間違いない。




アルバイトの方ならいざ知らず、
社員だと、要は、


「何も考えていない」


となる。、






これはこれで、不幸。





何故、自分はそうなってしまったのか、
いつからそうなってしまったのか、




考えが及ばないと、かなりヤバい。






いわゆる、チームトレーナーや、アスレティックトレーナーと呼ばれる人は、
多くは切実。




結果を出さなければ、
即、用済み。





ボーっとしている時間は無い。



作業、でなく、
「どーしなければならないか」を思考するので、手一杯。















運良く、自分の希望する仕事に就けた方々。



壁にぶち当たったら、
自分の「原点を振り返り、いまこの仕事をしている「意味」を考え直そう。



その上で、

「大した意味なんか無ぇや」

だったら、辞めてしまえば良い。





だが、大多数は、

「これだから、この仕事は辞められねぇ。」


だと推察する。
(希望的観測)





…、で、再度モチベーションに火を点ける。





学生さんたちも、




もちろん、若いうちは単なる「憧れ」で目標を決めるのは悪くない。





だが、早いうちに、

「オレって、何でこの道に行きたいの?」

と、確認した方が良い。




想いに、確信が持てたら、
突き進めば良い。






再確認して、
自分の想いに



「?」



が点くようなら、
考え直したらいかが?





正しい判断の為には、
正しい、多くの情報を。
今日で一人、選手のミニキャンプ(アインズ・クロスカントリー山岸修選手)が終わり、
また明日から別の選手が上京し(コンバインド加藤大平選手)、
また東京合宿。



というわけで、
5月もそろそろ中盤。



次なるステージに向けてのトレーニングが徐々に本格化。




TEAM NISMOは先のレースで優勝を果たし、
次のレースまでは間が空くものの、
今月は鈴鹿でマシン&タイヤのテスト。




みな、序盤の勝負所に差し掛かる。








さて、ここで「良いトレーニング」について考えてみたい。




もちろん「良いトレーニング」とは、
その選手やクライアントの弱点を克服すべき理にかなったトレーニング、
ということになる。





だが、ここで問題になるのは「納得度」。





つまり、トレーニングコーチは専門的観点から、あるいは経験値から、
「これが必要」とトレーニングプログラムを提案しても、
本人が心の底で納得していないと、
いくらそのプログラムが専門的に素晴らしくとも、
それは「良いトレーニング」とはならない。




となると、
内容は少し足りなくとも、
選手の納得度が非常に高いと、それは結果的に「良いトレーニング」となる可能性もある。





だが、トレーニングコーチの伝え方が絶妙だと、
どんな選手にも主旨が理解させられ、
結果として最高のプログラムになる。


理論的には。




もう一つ、考えなければならないのは、
選手及び対象者の「実践能力」。




つまり、頭では理解しても、
身体で体現出来ないと意味がない。



時間が潤沢にあれば、じっくり時間を掛ければ良いが、
時間が無いとなると、そこばかりに時間を掛けると、
結果的には何一つ身に付かないことにもなる…





つまり、「良いトレーニング」、
または、「選手にパフォーマンスを発揮させる為に鍛える」とは、
これらの「変動要素」を全て、トータルバランスとして考慮しなければならない、






…と、いうことなのである。








トレーニングコーチ、トレーナーが自らの能力を高めるのはもちろんのこと、
加えてプレゼンテーション能力も高める必要がある。




また、それにも増して、
目の前の選手が、果たしてどの程度の理解をしているか、
読み取る能力が、何より必要である。




特に、かなりの実績のあるトレーニングコーチであると、
選手は無条件に飲み込み、
分かっていないのに分かった「フリ」をすることもある。



無論、「この人に指導受けたんだから、オレは勝てる!」
という精神的側面も否定はしない。




だが、残念ながら、
その関係は長続きしない。



つまり、最後の変動要素は、
「選手(クライアント)とトレーナーの関係性」
である。






これだけの変動要素を考慮した中で、
その結果として、「良いトレーニング」か否かが決定される。



同時進行的に、
選手やクライアントの理解力を増す努力も必要になる。


言ってみれば、選手・クライアントの「教育」である。









素晴らしいプログラムやメソッドをどこかで習ってきて、
それで「良いトレーニング」が指導出来るかと言えば、
そんなに容易いことではない。







もちろん、私もまだまだ修行中であるが、
様々な変動要素をどこまで意識出来るか?



そもそも「目的は何か?」






流行りのプログラムに流されず、
まずは「基本」である。
俳優の寺島進さんの言葉を、とあるウエブサイトで見た。


今日、徹子の部屋にご出演されたそうで、
私は見ていないが、
放映前に内容を見ることが出来た。




氏が以前、大俳優である北大路欣也さんに云われた言葉だそうだ。









「はたらく」とは、「傍」が「楽」になること。

つまり、他人様を楽にさせることが、
すなわち「働く」と云うことである…


と。



よって対義語は、
「傍迷惑」となる…











…と、若かりし頃の寺島進さんは、
大先輩の北大路欣也さんに云われたそうだ。





やはり、一芸に秀でた方の言葉は重い。



ついつい忙しかったりすると、私も愚痴ってしまったりするが、
傍の誰かが楽になって下さっているのなら、それを素直に喜びとすべきなんでしょーな~




仕事がある、ってことは、
誰かが自分を必要としてくれている、ということ。




それで、誰かが楽になることが、
「働く」の本質、であると。






いやあ~




北大路欣也さん、ステキ~
今年は教鞭を執っている専門学校で、一年生を受け持っている。



今まで約10年間、二年生だけだったので、
これはこれで新鮮~




最近は社会人経験を経て入学する人や、
大学を卒業して後、入学する人もいる。



これもまた、昨今の社会情勢か。





一年生はまだ気持ちが前向きで、
将来の希望を聞くと、八割以上が

「トレーナーになりたい!!」

と答える。




これが二年生になると、色んな現実を知り、
だんだんエネルギーが失せていく…





これはこれで問題だが、
現実を早いうちに知り、自分の身の丈に合った、
夢に近い形を提案してやる事が大事である、
と考えている。






例えば「トレーナーになりたい!!」と言っても、
「どんな苦労も厭わない!!」とまでか?と言えば、だいたい10%未満になる。





つまり、多くは、
「スポーツ好きだし、何となくスポーツに関われる仕事っぽいから」で希望するケースが大半。



無論、それを全否定するわけではない。


若いうちなんて、将来の希望なんてそんなもんだ。



あとは「自分がどこまで辛抱する覚悟があるか」と、自分の夢とのギャップとの折り合いをつけて、
夢を「目標」にまで昇華出来るレベル…



そこを探せば良いだけ。






例えば、私は最初に、



「皆さんがイメージするトレーナーって言うのがどういう形か分からないけど、
トレーナーには全員がなれますよ」



と告げる。



ただし、と繋げて、


「この学校で享受されることを全て習得して…
そうですね、クラスでトップクラスに入っていれば、という前提で。」



と。




そーなると、たいてい多くのモチベーションが一気に下がる。


そこで、
「トレーナーってのは、皆さんがイメージするトレーナーばかりじゃ~ないから。
オリンピックとかプロ野球とかJリーグとかばかりじゃないから」

と、次のステージを提案してあげる。





それでもダメなら…






こりゃ~これから考えますが…






ただ、以前にも書いた事があったが、
私は徹底的に「マナー」と「ルール」を叩き込む。


二年生になると色々知恵(悪知恵)が付いてくるので、大変面倒くさい。

結局は武力で制圧するしかなくて、これもまた疲れる。








一年生のうちが、最も良い。





それでも、何を勘違いしているのか、
社会の恐ろしさを知らないアンポンタンがいる。






ま、これはこれで徐々に。







話はこれに繋がりつつ、若干変わるが…







よく若い人に話すのだが、
「今の状況は、過去の結果である」と。





はっきり何年前、とは言えないが、
5~10年前の自分の行動、振る舞いが今日の結果である、と感覚的には思う。





逆に言えば、今の行動、
心の在り方が、10年後の自分を作る…

という認識が、どこかで必要なのである。





端から見たら、どう見ても恵まれた環境なのに、
ネガティブな発言、考え方のオンパレードな方は、
結局は恵まれた環境さえも逃がしてしまう。



それをまた他者のせいにしてしまうのだが、
実は自分の5年前~10年前の在り方が結果として現れているに過ぎない。





…と考えるべきなのであろう、


と思えるのである。







誰が云ったか失念したが、
昔の武士の言葉に、次のようなものがあった。




表現は違うが、意味としてはおおよそ、こんな感じ、でお許しを。







「浪人中は、ひたすら己の刀の手入れをせよ」





刀とは武士の魂。


いや、その武士本人、そのもの。






私の勝手な解釈だが、


浪人とは、今で言えば無職。
(士官というのが就職。言わば公務員。)


昨今、派遣切りやなんやで騒がれている状況と、さして変わりは無いだろう。





刀の手入れ、とは、
刀を研げ、刀を磨け、


つまりは「己を磨け」と云うことである、
と私は考えるのである。





もっと私なりの解釈をすれば、
自分に起こる現象は全て自分の中に原因がある。


最近の心の在り方か立ち振る舞いか、
五年前か10年前か…




現状を変えたかったら、
先ずは己を磨き直せ、と。





恐れながら、
私自身も、このことを常に肝に銘じている…





つもり…なのである。







と言っても、





目の前のキレイなオネエちゃんに目と心を奪われていちゃうんでんがな~







どーして、ドーシテ…


私は挨拶には
「刺さる挨拶」と、「刺さらない挨拶」の二種類がある、と考えている。






これはある意味、理屈で説明出来ない面が多く、
観念的、且つ主観的であるのだが。





刺さらない挨拶の典型は、
コンビニなどで頻繁に展開されている、

「いらっしゃいませ、こんにちわ~」

という、何とも気だるいような心ここにあらず、といった挨拶。






まさに、そのお客様に言っているというわけでなく、
たまたま目の前を通り過ぎた人に、シャワーの如く振り掛けた挨拶…





逆に、コンビニではこれでも良いのかも知れない。



そのコンビニに行く理由というのも、
「自宅から近い」
「会社から近い」
「帰り道」
「たまたま近くにあった」


などなどが相場。



つまり、
「アンタという一個人に挨拶してるわけじゃ~ないわよ」
という姿勢がありあり。



ま、そんなホスピタリティではコンビニなんて選んでないから、
これも良し。






だが、お客様との関係や距離が密な商売では、
これは困る。






仕事上、頻繁に訪れるフィットネスクラブにおいても、
コンビニ的な、シャワー風の挨拶が目立つ。





シャワーってのは、
あれだけ多くの水の線があるから、どれか当たれば事が足りる、
ていう事で、そういう挨拶のこと。





「刺さる挨拶」ってのは、言わばレーザービーム。



つまり、


「私」は、
「あなた」に挨拶したんですよ!!


っていう挨拶。





方法論は表現するのは難しいし、
はっきり言って、個人のパーソナリティによっても変わってくる。






それよりも問題なのは、
そういう認識や感覚があるかどうか。




「あっ、オレの挨拶、刺さってねーな~…反省」

「あのお客様には、どーも刺さらねーな~」




とか。






お客様ってバカじゃないし、
表面上は能面のようでも、実は敏感に感じてるもの。




もちろん、飲食業しかり、技術提供系しかり、
お客様との間合いが近い職種、全般に云えること。







まず、こういう認識を、
現場リーダー、管理職が持つことですな~
旅行、ってのはオーバーですか…




年の初めのエントリーで、
「今年は物事をよく“見る・観る・診る・視る…”」を自らのテーマにすると書いた。



これには、様々なことを「見直す」「捉え直す」という意味も含むし、
実際のアスリートの動きをビジュアル的にも「見る」という直接的な意味も含む。





というわけで、今年は出来るだけ色々なスポーツを直に見て、
出来れば動きも記録していきたいと思っている。



自分の研究材料にもなるし、セミナーなどでも活用出来れば、と。





今日は天気も良かったので、
新宿に買い物に出たついでに、新聞で調べておいた都内のスポーツ大会を幾つか回ろうと。




行けそうなのが、体操の全日本選手権(代々木)と、六大学野球あ(神宮)。







買い物終えて、まずは代々木体育館へ。


だが、試合開始にはまだ間があった。





そこで近くの神宮球場へ。





すると、明治対慶応が終わったところで、これから早稲田対法政が始まる直前。






偶然にも応援に来ていた明大スキー部の選手に会って、明治が勝ったことを聞く。


「今日は早稲田、佑ちゃんが投げますよ!」


と教えてくれた。





こりゃ~グッドタイミング。




早速、球場入りすることにした。





いや~いい写真、撮れましたわ~




ここでは動画アップ出来ないけど、
スーパースロー映像も記録出来て。





いろいろ参考になりそう。







何枚かご披露しまっさ。

クリックしたら大きくなるわよ~



斎藤佑樹1














先発、斎藤佑樹投手の雄姿。
りりし~





斎藤佑樹リリース瞬間













リリースの瞬間。

これ、連写じゃなくて、何十枚もチャレンジして、
このタイミングが一枚だけ撮れたやつ。



プロカメラマンの凄さが分かりますな~



投げる瞬間はキャッチャーを見ていない、ってことが
改めて分かる一枚。

でも本人の意識では「見ている」(つもり)。



ここが大事。






法政・加賀美投手














法政大学先発、加賀美投手の見事な腕のしなり。


う~ん、美しい。







結局、試合は2-2の引き分けだったようですな。





体操の試合にも行こうと思ったんだけど…




何だか、疲れちゃって。





先日は、巨人阪神戦も行って、
金本アニキの三連発も記録出来たし。





これからも記録しまくりまっせ~