人の行動には、必ず意味がある。
例えば、無意識に「何か」をしたり、
あるいは「何か」をしなかったり。
何かの行動を起こすか、あるいは起こさないかは、
瞬間的にでも何でも、
無意識下で何らかの「意図」がある。
別の表現で言うと「判断」。
具体的な例を挙げる。
フィットネスクラブのトレーニングジム(ランニングマシンやら、バーベルやらが並んでるとこ)
には、スタッフが何人か配置されている。
おおよそ、繁忙期で100平米あたり一人、
昼間の閑散期ならその半分から三分の一くらい。
フィットネスクラブもサービス業なので、
お客様に対して接客するのが仕事なのだが…
一時間あたり、どれぐらいの時間、
お客様に接しているか、想像がつくだろうか?
この10年間、日本全国(といっても限られているが)、
様々なフィットネスクラブを巡り、
統計をざっくり録ると…
五分もあれば、結構良い方である。
これ、接客業としては結構、センセーショナルな数字だと思う。
結果的に、55分は「何もしていない」のである。
では55分間、本当に何もしていないかと言うと、
実際は何もしてない訳ではない。
(中には本当に何もしてないスタッフもいる)
外見上、何もしてないように見えても、
心の中では何らかの「意図」のもと、
結果的に何もしていないのである。
重要なのは、
それが「意識下」か「無意識下」なのかで、
意味合いは大きく異なる、という事である。
例えば、
「わっ…あのお客様、(怖)そー…
近寄り難いから、そっとしておこーっ、と」
「すんげぇ~マッチョだから、自分なんかが話し掛けても、バカにされそうだし…」
「何だか気難しそうな…たぶん、人と話したくないんだろうな…」
などなど。
これらが、
「オレは今、こういう認識、判断の下、声を掛けるのをやめた」
という「意識下」ならば、まだ良い。
問題なのは、
ほぼ「無意識」での瞬間的な判断、
つまり「意図」。
意識下での「意図」があれば、
「その判断、考え方は正しかったのか?」
と、考えられる材料にはなる。
だが、ほとんど無意識下で判断がなされていると、
その人間は永遠に成長しない。
人の行動には必ず「意図」がある。
例えば、お客様が10人いた場合、
当然同時には接客出来ないわけで、
必ず順番がつく。
その順番も、意識下か無意識下か別にして、
意図がある。
「過去に話したことがある人から」
「外見上、優しそうな人から」
「男性から」
「女性から」
「年配者から」
などなど。
自分の無意識の「意図」というのは、
自分ではなかなか気付けない。
第三者、
出来れば上司、または教育的立場の人間から言われないと、
ほとんど気付けない。
いや、もしかしたら気付いているかも知れないが、
そこから無意識に
目をそらし、自己防衛しているのかも知れない。
お恥ずかしい話だが、
私も所詮は人間。
若かりし頃、自分の接客の癖にハタと気付いた。
いわば、ある程度「意識下」だったのだろう。
それを何とかしたくて、
優先順位をあえて、意識的に逆から接客するようにした。
つまり、
「最も声を掛けにくいお客様から」。
すると、
「怖そう」
「声を掛けられるのがイヤそう」
などと云うのが、自分の勝手な思い込みであることに気付く。
世の中、所詮はそんなもんで、
大半は「思い込み」で出来ている。
大事な事は、
自分の無意識な「意図」を明確にすること。
意識下か無意識下は別にして、
その意図を分析し、
「何故、そうしたのか?」
「それは客観的に正しいか?妥当性はあるか?」
「自分の勝手な思い込みではないか?」
「勇気を持って声を掛ける事で、デメリットはあるか?」
恐らく、全て、何てこたぁ無いのである。
人の行動は、
必ず何らかの判断、「意図」がある。
ほとんど反射的みたいなものだから、
それにはあまり意味がない事が多い。
その、意識下無意識下含め、
それをもう一度「意識化」して、
何故自分はそうしたのか?
それは正しいか否か?
…を、自分で反芻する事を習慣化することが肝要である。
それでしか、人は成長出来ない。
また、それを示してやるのが、
上司である。
でなければ、上司の存在価値は無い。
「こうしなきゃ駄目じゃないか」
は無能な上司の決まり文句。
答えは、本人の「無意識下の意図」にあるのである。
例えば、無意識に「何か」をしたり、
あるいは「何か」をしなかったり。
何かの行動を起こすか、あるいは起こさないかは、
瞬間的にでも何でも、
無意識下で何らかの「意図」がある。
別の表現で言うと「判断」。
具体的な例を挙げる。
フィットネスクラブのトレーニングジム(ランニングマシンやら、バーベルやらが並んでるとこ)
には、スタッフが何人か配置されている。
おおよそ、繁忙期で100平米あたり一人、
昼間の閑散期ならその半分から三分の一くらい。
フィットネスクラブもサービス業なので、
お客様に対して接客するのが仕事なのだが…
一時間あたり、どれぐらいの時間、
お客様に接しているか、想像がつくだろうか?
この10年間、日本全国(といっても限られているが)、
様々なフィットネスクラブを巡り、
統計をざっくり録ると…
五分もあれば、結構良い方である。
これ、接客業としては結構、センセーショナルな数字だと思う。
結果的に、55分は「何もしていない」のである。
では55分間、本当に何もしていないかと言うと、
実際は何もしてない訳ではない。
(中には本当に何もしてないスタッフもいる)
外見上、何もしてないように見えても、
心の中では何らかの「意図」のもと、
結果的に何もしていないのである。
重要なのは、
それが「意識下」か「無意識下」なのかで、
意味合いは大きく異なる、という事である。
例えば、
「わっ…あのお客様、(怖)そー…
近寄り難いから、そっとしておこーっ、と」
「すんげぇ~マッチョだから、自分なんかが話し掛けても、バカにされそうだし…」
「何だか気難しそうな…たぶん、人と話したくないんだろうな…」
などなど。
これらが、
「オレは今、こういう認識、判断の下、声を掛けるのをやめた」
という「意識下」ならば、まだ良い。
問題なのは、
ほぼ「無意識」での瞬間的な判断、
つまり「意図」。
意識下での「意図」があれば、
「その判断、考え方は正しかったのか?」
と、考えられる材料にはなる。
だが、ほとんど無意識下で判断がなされていると、
その人間は永遠に成長しない。
人の行動には必ず「意図」がある。
例えば、お客様が10人いた場合、
当然同時には接客出来ないわけで、
必ず順番がつく。
その順番も、意識下か無意識下か別にして、
意図がある。
「過去に話したことがある人から」
「外見上、優しそうな人から」
「男性から」
「女性から」
「年配者から」
などなど。
自分の無意識の「意図」というのは、
自分ではなかなか気付けない。
第三者、
出来れば上司、または教育的立場の人間から言われないと、
ほとんど気付けない。
いや、もしかしたら気付いているかも知れないが、
そこから無意識に
目をそらし、自己防衛しているのかも知れない。
お恥ずかしい話だが、
私も所詮は人間。
若かりし頃、自分の接客の癖にハタと気付いた。
いわば、ある程度「意識下」だったのだろう。
それを何とかしたくて、
優先順位をあえて、意識的に逆から接客するようにした。
つまり、
「最も声を掛けにくいお客様から」。
すると、
「怖そう」
「声を掛けられるのがイヤそう」
などと云うのが、自分の勝手な思い込みであることに気付く。
世の中、所詮はそんなもんで、
大半は「思い込み」で出来ている。
大事な事は、
自分の無意識な「意図」を明確にすること。
意識下か無意識下は別にして、
その意図を分析し、
「何故、そうしたのか?」
「それは客観的に正しいか?妥当性はあるか?」
「自分の勝手な思い込みではないか?」
「勇気を持って声を掛ける事で、デメリットはあるか?」
恐らく、全て、何てこたぁ無いのである。
人の行動は、
必ず何らかの判断、「意図」がある。
ほとんど反射的みたいなものだから、
それにはあまり意味がない事が多い。
その、意識下無意識下含め、
それをもう一度「意識化」して、
何故自分はそうしたのか?
それは正しいか否か?
…を、自分で反芻する事を習慣化することが肝要である。
それでしか、人は成長出来ない。
また、それを示してやるのが、
上司である。
でなければ、上司の存在価値は無い。
「こうしなきゃ駄目じゃないか」
は無能な上司の決まり文句。
答えは、本人の「無意識下の意図」にあるのである。