【恋愛の名言2】
男性を魅力的にするのは
女の役目なのよ
こんにちは
私のブログに来てくださり
ありがとうございます。
「開運♡Happy心理学」
愛と癒しの専門家♡
つねずみ 詩子です。
私のブログでは恋愛依存
追いかける女を卒業して✨
当たり前に溺愛される✨
幸せ美人になる方法を
お伝えしています。
あなたの愛と幸せを叶える
ハッピーカウンセリング
詩子へのご相談はお気軽に✨
👇
『開運♡happy心理学』
♡始めましてましての方
詩子のプロフィールと合わせて
溺愛される女性と
追いかける女性の違いを解説💖
思い通りに愛される女性になる💖
お得なカウンセリング
プライベートセッション
オンライン
プライベートセッション
お申込みはこちら💁♀️
開運♡happy心理学
もっと詳しく見る👀
👇
恋愛の名言集から
不安定な恋愛に生きた男と女の
愛と人生
私なりに感じたままに
お伝えしたいと思います。
e恋愛の名言集より
👇
岡本敏子
画家・岡本太郎の実質的な妻
岡本敏子さんのプロフィール
岡本 敏子
日本女子大学 文理学部卒業
生: 1926年1月1日千葉県に生まれる
没: 2005年4月20日(享年79歳)
東京女子大学文理学部卒業後、
出版社勤務を経て、岡本太郎主催
「夜の会」で太郎と親しくなり秘書となる
事実上の妻であり、のちに太郎の養女に
なった女性
太郎が死去した際に未完成の
作品の監修として携わり、
すべて完成させた。
岡本敏子さんの動画👇
岡本敏子さんは
大阪万国博覧会の「太陽の塔」の作者
「芸術は爆発だ!」で一世を風靡した
鬼才の芸術家、岡本太郎の実質的な妻です。
生涯、太郎を支え寄り添い続けた女性
岡本太郎を作った女とも
言われています。
二人にはどんな愛の絆が
あったのか?
奇才な彼を心底、愛し彼の才能を
開花させた女性の名言から
あなたは何を感じるでしょう。
私は、岡本敏子さんに脱帽しました。
岡本敏子の恋愛名言
1.素敵な男でなければ女はつまらない。
男をそういう魅力的な存在にするのは
実は女の働き、役目なのよ。
2.賭けなきゃ。自分を投げ出さなきゃ
恋愛なんて始まらないじゃない。
3.愛情があるかどうかを確認しないと
成り立たない関係ならやめたほうが
いいわね。彼のことをすきなんでしょう?
いいじゃない、それで。
4.私のほうを向いてくれなければとか
優しくしてほしいとかそういうのは
我欲ね。所有したいというのは
本当の恋じゃない。
6.もしかしたらこの人は、私のために
身を捨ててしまうんじゃないかという
危険な香りをほのかに漂わせて
近寄ってくる男がいたら
これは美貌よりも、権力よりも、
勿論お金よりも、段違いに魅力的ね。
7.出会いがないという人は、
出会ったことに気づいていないか
自分に都合のいい恋をしたいと
思っているだけなんじゃないかしら。
8.いいじゃない、傷ついたって
楽しかろうと苦しかろうと
それが人生なんだもの。
9.自分だけの問題なの。
ありふれる愛を人から与えて
もらおうと思っても、それは無理。
10.男と女が本当に見つめあい、
付き合うというのは辛いことでもある。
切ない。だって別の人間同士なんだから。
11.恋愛っていうのは必ず片思いなのね。
12.誰も認めてくれなくったっていいの。
「わたしっていいなぁ!」ってときどき
にっこりして自分を抱きしめるの。
そうすれば、恋は豊かよ。
そういう自分を、ある人のために
無条件に、惜しげもなく投げ出すのよ。
13.ほんとうは傍にいたい。
二十四時間抱き合っていたい。
でもそれが出来なくても、
黙ってその人を感じている。
その人が世界の中にいるというだけで
存在が充たされ、磁石の針がぴたっと
一つの方向を指すように心はその人に
向かっている。
14.たとえ地位や権力がなくっても本当に
大事で愛しいのはお互いの裸.かけがいのない
いのちのありようだから。
15.恋なんて、人生の中では一番無目的で
危なくて、自分を投げ出さなければ
できないことなんですもの。
16.女性が、男の人のはなしに
心から耳を傾けること
「うわぁ、素敵、それで?」と
眼を輝かして夢を聞いてあげること。
それだけでいい。
17.男と女は真剣勝負,それが楽しいのよ。
18恋愛は、男と女がそれぞれに、
「自分」であってこそ成り立つもの。
二人がいまこの瞬間いっしょにいる。
それだけで素敵なことなの。
19.私は胸を張って言う。
この人に惚れずにいられましょうか。
20.美談でもないし恋でもなかったかも
しれない。ただ、本当に、好きで、
好きで、好きで、好きで、なんでも
しれない。ただ、本当に、好きで、
好きで、好きで、好きで、なんでも
やってあげたい。
21.男と女は支えあって生きるのだ。
ほんとうにそう言いきれる、
パートナーを持ちえた人は、
人生の勝者です。何でも出来るの。
22.自由である、ということが
男の魅力の前提条件だ
岡本敏子さんの名言
彼女は岡本太郎と言う男性が
自由に生きることを受け入れ
太郎を、全肯定したすごい女性
彼女は、ご自身を
私は秘書として有能でもなく
芸術家でもなく、いい女でも
なかったけれど、
あらゆる瞬間に自分のありったけのもの
を注いだということは胸を張って言える。
出し惜しみはしなかった。
と言っています。
岡本敏子は奇才な太郎を
どう思っていたのか?
あんなに素敵な人がいたんだぞって
ことをもっともっとみんなに教えてあげたい。
太郎さんのような人が本当に
日本に生きていたってことは奇跡よ。
岡本太郎を支えたのは
岡本敏子の究極の愛
それだけです。
彼女は、彼の全てを
リスペクトしていました。
「岡本太郎という奇跡を伝えたい」
彼女はそう言って
自宅を記念館として開放。
絶版になっていた著書の復刻に
奔走し新しい本も次々に出版しました。
さらに全国を講演に飛び回り
メディアにも登場して太郎を語り続けた。
すべては太郎を次代に伝えるため
岡本太郎が今人々に
共感されている理由
「俺は、ピカソを超える!」
自分を天才たらしめる!と言う決意
から、自分を追求し続け
自身を天才と称し疑うことなく
情熱を燃やし続けた行動の人!
岡本太郎の生き方や美意識
「岡本太郎という存在」に対する
共感の輪が広がっているのは
岡本敏子と言う女性が
長い人生をかけて彼に寄り添い
彼の言葉、生き様を記録し続け
作品を保護し続け
彼の存在を世の中に肯定的に
伝え続けたからです。
岡本太郎を心底愛し全肯定し
天才として尊敬し続け
彼の真実を伝え続けるために
生涯を投げ出す覚悟を持っていた
彼女の存在
敏子さんの尽力なしでは、
太郎の魅力は現代に伝えることが
できなかったかもしれないのです。
心底、愛に生きた女性の力って
なんてすごいんでしょうね。
彼女は、彼の死後
私は太郎さんをなま身の生が終わっても
最後の最後まで女にいのちを
預けてくれた人として
大切に、胸の谷間に子宮の奥に
抱きしめて、ともに生きてゆきたい。
と語っています。
敏子さんは彼の秘書であり
事実上の妻です。
親友であり、恋人であり、
彼の母であり
あらゆる役割を果たし続け
彼を愛で包みこんで支え続けました。
死んでも、彼を
胸の谷間に、子宮の奥に…
抱きしめて生きる!
敏子さん、女ですょネェ〜
岡本敏子さんに
私は、完全に脱帽しました。
二人の愛着スタイル
彼女の名言からも
お分かりになるように
敏子さんは自立している女性
岡本敏子さんの愛着スタイルは
まさに、安定型
最強メンタルの持ち主だからこそ
彼の妻として相応しい女性でした。
彼女がもし、
不安定なメンタルであれば
岡本太郎と言う男性とは
絶対に長くはいられません。
岡本太郎の愛着スタイルは不安定型
彼は自己愛の強い回避型の男性です。
岡本太郎の両親からの影響
岡本太郎の父は人気の漫画家
母は、歌人、作家
岡本太郎は幼少期に異常な
家庭環境で過ごしています。
太郎の両親はいわゆる
普通の夫婦ではなかったからです。
彼の父は人気漫画家のプレーボーイ
酒と女に溺れて太郎は貧しい生活を
送っていた事もあります。
母は、お嬢様育ちの世間知らず
家事や育児など苦手な女性でした。
母は、父親の放蕩ぶりや
太郎の下に生まれた子供を二人亡くし
兄や母も亡くし、自殺未遂をおこし
精神病院へ
彼の母、岡本かの子さんは
強烈なキャラクターの女性
瀬戸内寂聴さんの初期の
代表作『かの子撩乱』のモデルに
なった女性です。
岡本太郎の母 岡本 かの子さん
大正、昭和期の小説家、歌人、仏教研究家。
東京府東京市赤坂区青山南町生まれ。
跡見女学校卒業。
漫画家岡本一平と結婚し
芸術家岡本太郎を生んでいます。
若年期は歌人として活動しており
その後は仏教研究家として知られ
ました。
太郎の母親の岡本かの子
父は遊び人の人気漫画家
二人の両親の長男が太郎です。
母、岡本かの子人生は
不倫相手と、夫と、かの子の
同居生活をしていたと言う
「爆発」といってよいくらい
ぶっ飛んでいた女性です。
ナルシストな彼女の人格
凄まじい生き様は
太郎と被るものがあります。
昭和初期、男性が妾を作るのは
当たり前でも、
その時代に女性である
かの子が、妾の男性を作り
妾と暮らす事を夫に承諾させ
夫と、愛人とかな子
三人での生活を可能にした
自由奔放過ぎる
お騒がせな女性なのです。
彼女は、それを夫に許されるほど
超絶なワガママな愛すべき
姫キャラ持ち主で
天使と悪魔が同居しているような
意図せず男性を振り回わす
魅力的な女性でした。
世間的な常識では、到底
計り知ることのできない
波乱に満ちた人生を送った女性が
岡本太郎の母です。
かの子は、普通の母親では
ありませんでしたが
太郎を彼女なりの接し方で
愛していました。
太郎は、幼少期からこの普通ではない
自由奔放な天然キャラの
お騒がせで童女のような
幼稚性の強い母の相談役でした。
岡本太郎の父は自分の放蕩ぶりのせいで
自殺未遂を起こした幼女のような
危ういかの子への罪悪感もあり
彼女の自殺未遂があってからは
改心して、かの子の願いならば
何でも聞き入れ彼女の不倫を認め
ながらも、彼女を崇拝するほど
溺愛していました。
彼は太郎にも支配するような
育て方をせず一人の人間として尊重する
育て方をする父でした
かの子にも同じで愛人を同居させる
奇妙な暮らしを認めていました。
太郎の両親は、放任主義で
太郎は、幼少期から童女のような
母の相談役でした。
子供の頃から親子がまるで
逆転していたような
自立した男性として
両親に育てられたのです。
太郎の幼少期
太郎は慶應義塾大学幼稚舎(小学校)
に1年生として入学しました。
太郎はここへ入学する前に
別の小学校を1年で退学しています。
慶應義塾大学幼稚舎は
2回目の1年生でした。
退学の理由は太郎の「自我の強さ」
「妥協できない性格」が原因だった
ようです。
太郎は文学は学問の知識がなければいけない、
音楽は歌がうまくないとダメ、
しかし芸術は何をやったって良い。
自分の我をを貫き通す型破りな
岡本太郎にとって芸術は、
自分らしさと自由を手に入れるものでした。
母に似て、ナルシストで
何者にも囚われない奔放な岡本太郎を
丸ごとリスペクトし
彼が彼として生きることを
支え続け愛した敏子さんは
どんな、かの子のことも許し続け
破天荒な母を愛し続けた夫
岡本一平の存在と、同じでした。
かの子の夫、岡本一平こそ
かの子の才能を開花させた男性
同じように、太郎の独自の才能を愛し
開花させたのは敏子さんの愛の力が
あったからなのだと感じずに
はいられません。
太郎が敏子さんを
妻ではなく、養女にしたわけ
彼女は、彼の妻ではなく養女として
彼の籍に入っています。
岡本太郎は独身主義者であり
結婚はしないと決めていました。
彼が結婚を望まなかっのは
異常な家庭環境、幼少期の両親から
の影響だと言われています。
お話ししたように
岡本太郎の
母、岡本かの子さんと
父、岡本一平さんが
普通ではない結婚生活
破天荒な夫婦生活を送ったこと
が原因だと言われています。
彼の破天荒さは
生まれつきの性格でも
あったかもしれませんが
波瀾万丈な夫婦関係から
多大な影響を受けたことは
間違いありません。
彼が結婚を望まなかった理由は
フランスの自由恋愛主義に
影響を受けたのもあるでしょうが
本当の理由は彼の幼少期や
愛着スタイル回避型に
あったためだと思います。
二人の関係
「岡本敏子あっての岡本太郎」と
よく言われます。
敏子さんはなによりも
回避型の岡本太郎の心の拠り所
安全基地になった女性です。
自由恋愛の国、フランシス
パリにいた頃から
太郎はモテてもいたようです。
岡本太郎も、女性には
マメな男性でした。
敏子と知り合った後も変わらず
彼は恋人は、幾らもつくるが。
そういう男に惚れちゃったんだから
仕方ない。
敏子さん、頑張らなくっちゃ。
ヤキモチを焼くヒマなんてないよ。
と言う
恋愛自由主義を持つ男性でした。
それでも、どんな時も彼に寄り添い
隣で支え、愛情を注いだ敏子さん
彼女の日記には
名言には語られていない
切ない女心が綴られています。
岡本敏子の日記
女性が現れて
彼をゴルフに誘ったり
夜を一緒に歩いたりしている
思えば、寂しい生活ではないか
彼女の名言は
どれも前向きな言葉です。
ですが、心の内に切ない女心を
自分の中に抱えながら
彼のありのままを全て受け入れ
彼の安全基地であり続けたのが
岡本敏子さんなのです。
岡本太郎は決めた通り
一生独身を貫きましたが
彼女を養女として迎えました。
彼が彼女を養女にしたのは
自身の死後に全財産を
相続できるという考えも
あったからだとも言われています。
彼女はまさに自立した
考え方のできる安定した考えをもつ
最強メンタルの持ち主
太郎に勇気と希望の愛の光を
与えた安定型の女性です。
不安定な男、自由と孤独を愛する
回避型の男性と愛を保ち続けることが
出来るのは女性がドンと安定していること
笑顔を向けてあなたって素敵ね。
私は、あなたの味方でいるわと
どんな時も、彼を愛し離れない
そんな女性でなければできません。
強く、しなやかな
全てを包み込む自立した女性
まさに運命の人と出会た二人
奇才の天才芸術家
岡本太郎さんに生涯、究極の愛を注いだ
岡本敏子さん
あなたはどう感じましたか?
アメブロ無料相談👇