広島平和記念公園の「マルセル・ジュノー博士記念碑」
ジュノー博士は9月8日に岩国に着くと翌日府中町の東洋工業に間借りしていた県庁に向かった。途中瓦礫だらけの街を眺めながらジュノー博士は案内役の松永勝さんたちにこう言った。医大を出たばかりの松永さんは英語ができた。
「…たった一発の爆弾で何万という人が殺され、あれから一か月も経っているというのに、毎日のように傷ついた人々が死んでいますね。ひどい人殺しです。人間のどこにこんなことをする権利があるのでしょうか。これは悪魔がやったとしか思われません。そうです。アメリカの悪魔のしわざです。私はこのように征服だけを目的とした、人間を虫けらとも思わない戦争を心から憎みます」(大佐古一郎『平和の勇者ドクタージュノー 探せ!ヒロシマの恩人の軌跡』蒼生書房1989)
松永さんは、どこかに置き忘れていたものを突然目の前に突き出されたように感じた。原爆に遭ったあの日からずっと虚脱状態にあったけれど、今人間の心が蘇ってくるようだった。確かに原爆は「悪魔のしわざ」なのだ。日本人が口を閉ざしているのにジュノー博士は真正面からアメリカを告発したのだ。そして「人間を虫けらとも思わない戦争を心から憎みます」と断言する。そんなジュノー博士に松永さんは心の底から信頼を寄せるようになった。
ジュノー博士は県庁で知事と面会し15トンの医薬品の提供を申し出ると、翌10日は福屋百貨店から始まって広島市北部、そして袋町国民学校の臨時救護所を見てまわった。ジュノー博士は自ら診察し、患者を励ましてもいる。「もう少し頑張るんですよ。ニ、三日中にはいい薬が来ますからね」と。
医薬品のリストにあったのは、ペニシリン、乾燥血漿、ブドウ糖、リンゲル、サルファ剤…。ペニシリンはどうもどこかで盗まれたようだが、他の医薬品は大いに役立ち松永さんたちを感激させた。
血漿は血液から血球を除いたもので輸血の代わりに用いられた。サルファ剤は抗菌薬。それ以上深くは立ち入らないが(無知をさらしそうなので)、ジュノー博士がもたらした医薬品について、当時県衛生課の嘱託医で袋町国民学校にいた嘉屋文子さんはこう語っている。
…三途の川を渡りかけた患者をずいぶん救いましたよ。特に血漿やサルファ剤は即効でしたからねえ。あのころは、注射薬など使ったことのない人が多かったので、薬がドカンと体内に入ると、すぐ反応したんですよ。治療は誰かれの区別はなくすべて無料で、ほんとうに仁術でしたねえ(『平和の勇者ドクタージュノー 探せ!ヒロシマの恩人の軌跡』)
1979年、広島平和記念公園に「マルセル・ジュノー博士記念碑」が建立された。碑銘は「無数の叫びがあなたたちの助けを求めている」。2004年には袋町小学校平和資料館と広島市まちづくり市民交流プラザの間にジュノー広場がつくられ顕彰碑が建てられた。そして2025年には広島市が故人として初めて特別名誉市民の称号を贈った。それでも今ジュノー博士の功績を知る人は少ないだろう。けれど、ジュノー博士の怒りは、忘れていいものではない。



