『オッペンハイマー』64 原子力帝国14 | ヒロシマときどき放送部

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2016年広島で高校の教員を定年退職し現在は山奥のお寺の住職をしています。ヒロシマのこと、放送部顧問をしてきたことを書いてみます。

 映画の中での聴聞会。思い出したくない過去をほじくり返されてもオッペンハイマーはひたすら耐える。妻のキティの目には、文字通り「丸裸」にされたオッペンハイマーの惨めな姿が映った。それでもキティはオッペンハイマーにきつい一言をぶつける。

 

 “Did you think if you let them tar and feather you the world would forgive you? It won't”

 「あなたがあの人たちから酷い眼に遭わされたなら、世界はあなたを赦してくれるとでも思ってたの?そうはいかないわ」(映画『オッペンハイマー』)

 

 その聴聞会は後に違法だったことが知れ渡り、ストローズを政界から葬り去ったのだが、だからといってオッペンハイマーの犯した罪が全て赦されたことにはならないというのが映画のメッセージなのだろう。原子力という火を人類にもたらした現代のプロメテウスは、死ぬまで腸を抉られるような痛みに呻くのだ。

 実際はどうだったか。イシドール・ラビは、オッペンハイマーは聴聞会で「政治的な殉教者」を演じていたと述べている。またヴァネヴァー・ブッシュは聴聞会でこう証言した。「強硬な意見を表明したことを理由に、その人が果たして国のためになるか否かを論ずるような委員会は、この委員会に限らず、この国で一切開かれるべきではないと考えます」。(カイ・バード マーティン・J・シャーウィン『オッペンハイマー(下)贖罪』ハヤカワ・ノンフィクション文庫2024)

 ブッシュはこうも言っている。「自分の国が破滅への道を歩んでいると考えるとき、個々の市民は意見を述べる義務がある」。オッペンハイマーはそれを実行した。オッペンハイマーが愛するのは自由で開かれた国アメリカ。それを守るためには自分の地位も名誉を投げ捨てる本当の愛国者として生きようとしたのかもしれない。

 そうであるとすれば、聴聞会がやったことはオッペンハイマーの追い落としではなく、アメリカという国を貶めることでしかなかったと言えよう。聴聞会で評決に当たった3人の委員でただ一人、オッペンハイマーは「無罪」であり保安許可を延長するべきだと主張したウォード・エバンズは、報告書にこう記している。

 

 オッペンハイマー博士に許可を与えないこととなったら、それはわが国の国旗についた汚点である。(『オッペンハイマー(下)贖罪』)

 

 しかし結局、オッペンハイマーは政府の中枢から排除された。映画の原作は、「今やすべての科学者は、国家政策に疑問を呈した人々には深刻な結果が待っているという警告を受けたのである」と記す。今や世界は、強大な核の力に守られた政治権力によって、見えない檻に囲われてしまったのだ。

 映画『オッペンハイマー』は核の連鎖反応による世界の破滅を予言しただけでなく、オッペンハイマーを通して見たアメリカそのものを描こうとしたと言えよう。それは、オッペンハイマーの指摘した「秘密、隠蔽、管理、機密といったものに支配される体制」(中沢志保『オッペンハイマー』中公新書1995)が核の力で世界を恫喝する帝国だ。そんな原子力帝国が、今では世界にいくつもできてしまっている。

 映画の中で、オッペンハイマーはアインシュタインに、“I believe we did”と告げた。「私たちはやってしまった」という核の連鎖反応は、現在もまだ進行中だ。