過日、「正論を聞く集い」で村田春樹氏(自治基本条例に反対する市民の会会長)の講演を聞いてきました。
今年は、三島由紀夫生誕90周年と没後45年という節目の年だという。村田氏は、三島が創設した民兵組織である「楯の会」最後の5期生であり、当時最年少会員だったそうだ。
冒頭、村田氏は、自衛隊による国賓らを迎えるときに行われるセレモニーである「栄誉礼」に着目。通常外国の軍隊では、国家元首を迎えた場合、自国の国家元首が共に「栄誉礼」を受けることになるのだが、自衛隊においては、国賓のみが「栄誉礼」を受け、その際、天皇陛下は一段下がって、脇でその様子をご覧になるのみであるという。
なぜなら日本には国家元首がいないからだと村田氏。村田氏は、これ一つとってみても日本という国は極めて珍妙だと表現。実はこのことは、かつて三島が指摘した内容だった。いわく「今の制度がそうさせるのか、陛下のお気持ちがそうさせるのか知らないが、外国使臣を羽田で迎える時に、陛下が脇に立って自衛隊の儀仗を避けられるということを聞いた時、私は何とも言えない気持ちがしました」と。
村田氏はこう聞いたことがあるという。権力闘争を勝ち抜き、総理大臣となって、「天下を取った」と実感するのは、国会議事堂ではなく、自衛隊の観閲式の場面なのだと。加えて菅直人は自分が自衛隊の最高指揮官であることも知らないで、そういう立場に立ったと。
村田氏は、防衛庁訓令第14号「自衛隊の礼式に関する訓令」(昭和39年)に栄誉礼、儀仗、と列などについての規定を示し、最高の栄誉礼を行うべき天皇についてなされていないことを問題視。では帝国陸海軍においてはどうだったのかといえば、天皇と軍隊は栄誉の絆で結ばれていた。
たとえば、大日本国憲法第1条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇コレヲ統治ス」、第4条「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総覧シ~」、第11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」などと憲法にも軍人勅諭にもはっきりと軍隊と天皇の関係が表されていたと村田氏。
さて村田氏は、平成12年11月3日に行われた「憲法を守りくらしに生かす護憲の集いシンポジウム」における辻元清美氏(当時衆院憲法調査会委員)の発言を引いた。
いわく「憲法について言えば、私は今護憲派と言われているわけですが、本当のことを言えば、1条から8条はいらないと思っている。天皇制を廃止しろとずっと言っています。天皇制を廃止する、女が総理大臣になる、安保を廃棄する。この3つで日本は大きく舵を切れると思っている。(中略)本当は1条から8条はカットして、日本国憲法は9条から始め、天皇は伊勢にでも行ってもらって、特殊法人か何かになってもらう。財団法人でも宗教法人でもいいけど。そして、皇居をセントラルパークにし、アジア平和記念館とかをつくり、アジアの留学生を呼ぶという計画を立てているのですが、賛同者は少ないのです」と。
その上で村田氏は、現憲法第一条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあるのは、非常に危ういと警鐘を鳴らした。小選挙区による政権交代がいつ何時起こるかわからないわけであり、数年前まで鳩山氏や菅氏を戴く民主党政権が存在したではないかと。
自衛隊法第一章第三条 に「自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする」とあるが、天皇、皇室、国体について一切言及はなし。
主権の存する国民の総意に基づけば、辻元氏の発言が実現されないといえないし、そうはさせるかと暴動を起こせば、今度は自衛隊の治安出動によって、鎮圧されるのだと村田氏。 よって楯の会とは、100名でもいいから天皇、皇室を中心とする国体を護らんとして結成されたと村田氏は解説した。
三島の著作である「文化防衛論」にこうある。
「時運の赴くところ、象徴天皇制を圧倒的多数を以て支持する国民が、同時に、容共政権の成立を容認するかも知れない。その時は、代議制民主主義を通じて平和裡に『天皇制下の共産政体』さえ成立しかねないのである。およそ言論の自由の反対概念である共産政権乃至容共政権が、文化の連続性を破壊し、全体性を毀損することは、今さら言うまでもないが、文化概念としての天皇はこれと共に崩壊して、最も狡猾な政治的象徴として利用されるか、あるいは利用されたのちに捨て去られるか、その運命は決っている。このような事態を防ぐためには、天皇と軍隊を栄誉の絆でつないでおくことが急務なのであり、又、そのほかに確実な防止策はない」
この三島の予言は的中したと村田氏。これは民主党政権下で、われわれが目にした光景だったろうと。
「三島事件」は、昭和45年11月25日に起きた。時に三島由紀夫45歳、森田必勝25歳。
三島いわく「終局目標は天皇の護持であり、その天皇を終局的に否定するような政治勢力を、粉砕し、撃破し去ることでなければならない」。これを自衛隊に求むべく蹶起したと。
よく「三島由紀夫さんはなぜ死んだんですか?」と聞く人がいるがいるのだそうだ。しかしそれは愚問中の愚問だと村田氏。三島は、戦後の象徴たる「憲法に体をぶつけて死んだ」のだと。三島本人も自決直前「自衛隊と天皇を栄誉の絆で結ぶためにやった」と言い残している。
拉致、尖閣事件、(李明博の)竹島上陸、従軍慰安婦などなど、日本ていつからこんな状態になったのか。すべて昭和45年11月25日以降の出来事。要するに、何をやっても自衛隊は蹶起しないということが国内はおろか世界中に周知されたため。「自衛隊こそ戦後レジームそのものだ」と村田氏。ならば、憲法改正は当面無理でも自衛隊法改正に取り組む必要。すなわち3条に「平和と独立」とともに「皇室を守り」ということを挿入するべきなのだと提言し、講演を結んだ。
村田氏の柔和で温厚な人柄の根底にこのような原点があったのかと感心させられたし、あらためて敬意を深くしました。
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