普通人の映画体験―虚心な出会い -44ページ目

普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

2016年12月30日(金)吉祥寺オデヲン(東京都武蔵野市吉祥寺南町2-3-16、JR吉祥寺駅東口徒歩1分)で、17:30~鑑賞。

作品データ :
原題 ROGUE ONE:A STAR WARS STORY
製作年 2016年
製作国 アメリカ
配給 ディズニー
上映時間 133分


映画史に燦然と輝く金字塔シリーズ『スター・ウォーズ』(cf. 本ブログ〈January 18, 2016〉)のアナザー・ストーリーを描く、スピンオフ(外伝)「アンソロジー・シリーズ」(Star Wars Anthology Series)の第1弾。
エピソード3『スター・ウォーズ/シスの復讐』とエピソード4『スター・ウォーズ/新たなる希望』の中間を描く物語で、一匹狼のヒロイン、ジン・アーソが反乱軍の仲間とともに、帝国軍から“デス・スター”の設計図を奪う決死のミッションに挑む。
主演は『博士と彼女のセオリー』でアカデミー主演女優賞にノミネートされたフェリシティ・ジョーンズ。共演にディエゴ・ルナ、ベン・メンデルソーン、ドニー・イェン、フォレスト・ウィテカーほか。監督は『モンスターズ/地球外生命体』『GODZILLA ゴジラ』のギャレス・エドワーズ。

ギャレス・エドワーズ監督によれば、タイトルの『ローグ・ワン』には三つの異なる意味が込められている。一つ目は劇中で戦闘中に個人または集団を指す軍隊での「コールサイン」としての意味で、二つ目は実写映画本編9部作から逸脱する「アンソロジー・シリーズ」の第1作である本作自体が「Rogue」(「はぐれ者」や「反逆者」)だという意味で、三つ目は主人公のジン・アーソを始めとした「ローグ・ワン」を構成する戦士たちも「Rogue」(「はぐれ者」や「反逆者」)と呼べる者たちであるという意味。

ストーリー :
銀河全体を脅かす帝国軍の究極兵器「デス・スター」の設計図を入手するため、反乱軍は極秘チーム“ロ―グ・ワン”を結成。情報将校キャシアン・アンドー(ディエゴ・ルナ)、盲目の僧侶チアルート・イムウェ(ドニー・イェン)、巨大銃ブラスターを駆使するベイズ・マルバス(チアン・ウェン)、貨物船の凄腕パイロット、ボーディー・ルック(リズ・アーメッド)たちとともに、命を懸けた作戦に身を投じることになった孤独な女戦士ジン・アーソ(フェリシティ・ジョーンズ)。様々な葛藤を抱えながら不可能なミッションに立ち向かっていくが、その運命の鍵は天才科学者であり、何年も行方不明になっている彼女の父ゲイレン・アーソ(マッツ・ミケルセン)に隠されていた…。

アップ 本作は、帝国軍に捕まった科学者、ゲイレン・アーソの成人した娘、ジン・アーソのストーリーを基に展開していく。ゲイレン・アーソはおとなしく従うふりをしながら、惑星を丸ごと破壊するデス・スターの構造に致命的な弱点を仕込み、その後、命懸けで反乱軍にこの弱点を伝える。この映画の最後の場面は、スター・ウォーズ・シリーズの第1作『エピソード4/新たなる希望』の冒頭のシーン、つまり、部分的にデジタル化されたレイア姫がデス・スターの“弱点=欠陥”が記されたデータファイルを受け取るシーンにつながる。

▼予告編



▼ The Space Battle of Scarif Supercut :

2016年12月26日(月)目黒シネマ(東京都品川区上大崎2-24-15 目黒西口ビルB1、JR山手線目黒駅西口から徒歩3分)で、17:25~鑑賞。『スーサイド・スクワッド』 15:05~と2本立て上映。

※『スーサイド・スクワッド』は再見。2016年10月13日(木)丸の内TOEIで初見(本ブログ〈October 20, 2016〉)。

作品データ :
原題 Pacific Rim
製作年 2013年
製作国 アメリカ
配給 ワーナー・ブラザース
上映時間 130分


日本のマンガやアニメ、特撮作品への造詣も深い『ヘルボーイ』『パンズ・ラビリンス』のギレルモ・デル・トロ監督が、巨大怪獣と人型巨大ロボットとの壮絶な戦いを描いたSFアクション・エンターテイメント大作。出演はチャーリー・ハナム、イドリス・エルバ、菊地凛子、ロン・パールマン。また、人気子役の芦田愛菜が菊地凛子の少女時代を演じてハリウッド・デビューを飾る。
英語の作品だが、怪獣は日本語由来の「KAIJU」(カイジュー)と呼ばれる。作品の最後には「この映画をモンスターマスター、レイ・ハリーハウゼンと本多猪四郎に捧ぐ」と献辞が表示される。デル・トロは「日本の怪獣モノの単なるパスティーシュやオマージュではなく、新しいことができると感じた」と語ったうえで、「日本の漫画、ロボット、怪獣映画の伝統を尊重している」とも答えている。また、今作は「巨大怪物への美しい詩である」と語っている。

ストーリー :
2013年8月11日午前7時。太平洋の深海から突如現われた謎の巨大生命体~超高層ビル並みの巨体をもったKAIJU~によって、まずサンフランシスコ湾が襲撃された。打つ手のないまま三つの都市がわずか6日間で壊滅、人類は絶滅の危機に晒される。人類に残された道は“絶滅”するか“戦う”かの二つしかない。そんな中、環太平洋沿岸(パシフィック・リム)諸国は、PPDC(パン・パシフィック・ディフェンス・コープ)を設立、専門家たちの英知を結集して、2人組みの兵士が操縦する人型巨大兵器“イェーガー”を開発する。だが、人類をあざ笑うかのように、KAIJUは次々と海底から姿を現わし、破壊を繰り返す。KAIJUの侵攻を食い止めるため、そして人類存続のため、モリ・マコ(菊地凛子)ら選ばれたパイロットたちは“イェーガー”に乗り込んでいくのだった…。

▼予告編

2016年12月22日(木)新宿ピカデリー(東京都新宿区新宿3-15-15、JR新宿駅東口より徒歩5分)で、19:00~鑑賞。

「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」

作品データ :
原題 FANTASTIC BEASTS AND WHERE TO FIND THEM
製作年 2016年
製作国 イギリス アメリカ
配給 ワーナー・ブラザース
上映時間 133分


世界的人気を誇る大ヒットファンタジー『ハリー・ポッター』シリーズ(8作、2001~2011年)完結から5年を経て、新たに送りだされるシリーズの第1作。原作者J・K・ローリング(J. K. Rowling、1965~)が自ら脚本を手がけ、実際に発売もされたホグワーツ魔法魔術学校の指定教科書『幻の動物とその生息地』(原題:Fantastic Beasts & Where to Find Them)の編纂者である魔法動物学者ニュート・スキャマンダーが、アメリカを舞台に繰り広げる大冒険を描く。
主人公ニュートを『博士と彼女のセオリー』のオスカー俳優エディ・レッドメインが演じ、ヒロイン役には『インヒアレント・ヴァイス』のキャサリン・ウォーターストンを起用。共演にもコリン・ファレル、エズラ・ミラー、サマンサ・モートンら豪華キャストが揃う。『ハリー・ポッター』シリーズ5作目から監督を務めてきたデヴィッド・イェーツがメガホンを取る。

ストーリー :
優秀だけどおっちょこちょいな魔法使いニュート・スキャマンダー(エディ・レッドメイン)は、世界中をめぐって魔法動物を集めては不思議なトランクに詰め込んでいる。ニューヨークに立ち寄ったところ、トランクが普通の人間のものと入れ替わり、危険な魔法動物たちがトランクから逃げ出してしまう。ニューヨークは大パニック。ニュートは魔法省から追われ、さらには魔法省の壊滅を狙う謎の組織も現れ、思わぬ事態に。新たに出会った仲間たちや奇想天外な魔法動物とともに、ニュートは冒険を繰り広げる…。

▼予告編

2016年12月20日(火)吉祥寺オデヲン(東京都武蔵野市吉祥寺南町2-3-16、JR吉祥寺駅東口徒歩1分)で、16:35~鑑賞。

作品データ :
製作年 2016年
製作国 日本
配給 東宝
上映時間 145分


出光興産創業者の出光佐三をモデルとした主人公・国岡鐡造の半生~石油事業で戦後日本の復興に尽力した男の生きざま~を描く。脚本・監督は『ALWAYS 三丁目の夕日』『STAND BY ME ドラえもん』『永遠の0』を手掛けた山崎貴、国岡鐵造役は『永遠の0』の主人公役で第38回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞した岡田准一が務め、劇中で20代から90代までを演じた。吉岡秀隆、染谷将太、綾瀬はるか、堤真一らが共演する。

ストーリー :
1945年。B29の群れが東京上空を覆いつくし無数の焼夷弾が落下。燃え盛る東京をバックに離陸していく戦闘機「月光」だったが、機数も少なく上昇力も弱いためあえなく敵に迎撃されてしまう。その地獄のような光景を国岡鐡造(岡田准一)はただ見つめているしかなかった…。玉音放送が響く中、銀座歌舞伎座裏に奇跡的に焼け残った国岡商店ビルから聞こえる鐡造の声。「愚痴をやめよ、戦争に負けてすべてを失おうとも日本人がいる限り、この国は再び立ち上がる。日本は石油を求め、石油をめぐる戦いに敗れた。今後この国が復活するためには石油が必要になる。だからこそ、我々が働かなければならない。」主要燃料が石炭だった時代から、石油の将来性を予感して石油業に邁進してきた鐡造は、戦後、石油の販売ができない時にも誰一人クビにすることなく、ラジオ修理などあらゆる業種に仕事を見出しながら店員たちを鼓舞。GHQや官僚的な石油公団にも屈することなく、独自の経営哲学とその行動力により、石油販売網を拡大していくのだった。だが、やがてアメリカ石油資本のメジャーは、鐡造を警戒し敵視するようになり、その圧倒的な包囲網で国岡商店の石油輸入ルートは、すべて封鎖されてしまう。そんな八方塞がりの状況の中、鐡造は国岡商店の至宝である「日承丸」をイランに送ろうとしていた。しかし、イラン石油を輸入することは英国を完全に敵に回すことでもあった。英国の圧力により貧困にあえぐイランと自らを重ね合わせ、既得権益に胡坐をかく米英らメジャーとの本当の意味での戦いに突入する国岡商店。果たして、日承丸は英国艦隊の目をかいくぐり無事に日本に帰還することができるのか…。

▼予告編

2016年12月14日(水)吉祥寺プラザ(東京都武蔵野市吉祥寺本町1-11-19、JR吉祥寺駅北口サンロード突き当たり左)で、16:00~鑑賞。

作品データ :
原題 FLORENCE FOSTER JENKINS
製作年 2016年
製作国 イギリス
配給 ギャガ
上映時間 111分


“音痴の歌姫”として知られるフローレンス・フォスター・ジェンキンス(1868~1944)の驚きと感動の人生をメリル・ストリープ主演で映画化した音楽伝記ドラマ。絶望的な音痴でありながら、ヒロインの音楽に対する純粋な気持ちがいつしか人々の心を捉えていくさまと、そんな彼女の夢のために奔走する夫の深い愛をユーモラスなタッチで綴る。
共演はヒュー・グラント、レベッカ・ファーガソン。メガホンを握るのは、『クィーン』『あなたを抱きしめる日まで』のスティーヴン・フリアーズ。

ストーリー :
世界が憧れる音楽の殿堂“カーネギーホール”。そこで1944年に開催されたフローレンス・フォスター・ジェンキンスの公演は、今なお伝説として語り継がれている…。ニューヨーク社交界のトップ、マダム・フローレンス(メリル・ストリープ)の尽きない愛と財産は、夫のシンクレア(ヒュー・グラント)と音楽に捧げられていた。ソプラノ歌手になる夢を追い続けるフローレンスだったが、彼女は自分の歌唱力に致命的な欠陥があることに気付いていない。だが、愛する妻に夢を見続けさせるため、シンクレアはマスコミを買収し、信奉者だけを集めた小さなリサイタルを開催するなど忙しく献身的に立ち回っていた。ところが、ある日、フローレンスがカーネギーホールで歌うと言い始める。持病を抱えながらも音楽に生きる彼女の命がけの挑戦に、シンクレアも一緒に夢をみることを決意。やがて、笑いと涙に包まれた奇跡の公演の幕が上がる…。

▼予告編



ダウン Meryl Streep as FLORENCE FOSTER JENKINS sings “Adele's Laughing Song” :



アップ cf. FLORENCE FOSTER JENKINS sings “Adele's Laughing Song” ≪マダム・フローレンスの肉声!≫ :



※ 『ウィキペディア』「フローレンス・フォスター・ジェンキンス」によれば、
≪フローレンスの演奏したレコードを聴くと、彼女は音程とリズムに関する感性がほとんどなく、極めて限られた声域しか持たず、一音たりとも持続的に発声できないこと、伴奏者が彼女の歌うテンポの変化と拍節の間違いを補って追随しているのがわかる。にもかかわらず、彼女はその型破りな歌いぶりで大変な人気を博した。聴衆が愛したのは音楽的能力ではなく、彼女の提供した楽しみであった。音楽批評家たちは、しばしば彼女の歌唱を皮肉まじりに説明し、それがかえって大衆の好奇心を煽る結果となった。
音楽的才能が全くなかったにもかかわらず、フローレンスは自分が偉大な音楽家だと固く信じていた。彼女は自分を名高いソプラノ歌手フリーダ・ヘンペルやルイーザ・テトラツィーニに比肩しうると考え、自分の演奏中にしばしば聴衆が笑い出すのを、ライバルが職業的な競争心からやらせているのだと思い込んだ。しかし、彼女は批判に気付いており、「皆さん私が歌えないとおっしゃいますが、私が歌わなかったといった人はいませんわ」などと述べた。
フローレンスがリサイタルで立ち向かった音楽はモーツァルトやヴェルディ、R.シュトラウスなどの一般的なオペラのレパートリー(そのどれもが彼女の歌唱技術を大きく上回る)、ブラームスの作品やホアキン・バルベルデの『カーネーション』(お気に入りのアンコール曲)などの歌曲に加え、彼女と伴奏者(Cosme McMoon)が自ら作詞作曲した歌曲などを交えたものであった。彼女はしばしば衣装にも凝り、時には翼のついた金ぴか衣装をまとって現れた。そして『カーネーション』を歌うときには扇をはためかせ、髪に挿した大量の花を見せびらかしながら聴衆に花を投げたものである。
聴衆はもっと多く出演を望んだが、フローレンスは少数の気に入った会場でたまにしか出演しないようにしていた。そして、ニューヨーク市のリッツ・カールトンホテルの舞踏会場で年ごとのリサイタルを開いた。彼女のリサイタルに出席できたのは、彼女の忠実なファンクラブの婦人とその他特に選ばれた人々だけであった。彼女は羨望の種であった切符を自ら配布していたのである。1944年10月25日、76歳の彼女はついに公衆の希望に応じてカーネギー・ホールの舞台に立った。期待が高かったため、切符は公演の何週間も前に売り切れた。フローレンスはその1ヵ月後、マンハッタンのセイモアホテルで亡くなった。≫
2016年12月6日(火)下高井戸シネマ(東京都世田谷区松原3-27-26、京王線・東急世田谷線下高井戸駅から徒歩2、3分)で、17:15~鑑賞。

作品データ :
原題 Song of Lahore
製作年 2015年
製作国 パキスタン/アメリカ
配給 サンリス/ユーロスペース
上映時間 82分


タリバンによって禁じられた音楽文化を取り戻すため、ジャズに挑むパキスタンの伝統音楽家たちを追ったドキュメンタリー。伝統楽器を用いてジャズの楽曲「テイク・ファイヴ」をカバーした彼らがニューヨークに招待され、ビッグバンドと共演するまでを見つめる。監督は、『セイビング・フェイス 魂の救済』、『A Girl in the River: The Price of Forgiveness』で2度、アカデミー賞短編ドキュメンタリー賞を受賞したパキスタン人女性シャルミーン・ウベード=チナーイと、本作が初監督作となるニューヨーク在住のアンディ・ショーケン。

ストーリー :
かつては「ロリウッド」と呼ばれたパキスタン映画産業の中心都市、ラホール。数々の映画が作られるとともに、伝統楽器を使った映画音楽も数多く生み出された。しかし、70年代後半のイスラーム化の波、そして90年代に台頭し始めたタリバンによる歌舞音曲の破壊によって映画界は衰退。音楽家たちはウエイターやリクシャの運転手など、転職を余儀なくされる。
そんな中、細々と演奏活動を続けてきた音楽家たちが伝統音楽の継承・再生のためについに立ち上がった。きっかけはイギリスで成功したラホール出身の実業家イッザト・マジードが私財を投じて音楽スタジオを作り、往年の音楽職人たちを集めて楽団“サッチャル・ジャズ・アンサンブル”を結成したことだった。彼らはシタールやタブラなどの古典楽器を用いた、世界で類を見ないジャズのスタンダードナンバーを生み出し、伝統音楽の底力を見せつけるとともに、インターネットを駆使し世界に打って出た。名曲「Take Five」をカバーしたプロモーションビデオを動画サイトに投稿したところ、世界中でセンセーションを巻き起こし、100万以上のアクセスを記録する。さらにその映像をイギリスBBCが取り上げたことで、伝説のジャズミュージシャン、ウィントン・マルサリスが、世界最高峰のビッグバンドと共演させるべく、彼らをニューヨークへと招待することとなる。
故郷ラホールからニューヨークへ。そこで彼らは、音楽と真剣に向き合える自由な街で、音楽を愛する聴衆たちと出会いながら、音楽家である誇りを取り戻していく。パキスタンで文化が縮小し続けるなか、居場所を失った音楽職人たちと彼らの音楽“ラホール・ジャズ”の本当の旅がはじまる。

▼予告編

2016年12月6日(火)下高井戸シネマ(東京都世田谷区松原3-27-26、京王線・東急世田谷線下高井戸駅から徒歩2、3分)で、15:00~鑑賞。

作品データ :
原題 EL CLAN / THE CLAN
【スペイン語の「Clan」とは、共通目的のために複数の人々が関わる集団であり、部族のことも意味する。犯罪を臭わすときに使うことが多いが、決していつもそうではない。】
製作年 2015年
製作国 アルゼンチン
配給 シンカ、ブロードメディア・スタジオ
上映時間 110分


「エル・クラン」

アルゼンチンで実際に起きた衝撃的な事件を映画化し、第72回ベネチア国際映画祭で銀獅子賞(監督賞)に輝いた犯罪ドラマ。平和な街で多発する富裕層だけを狙った身代金誘拐事件をきっかけに、ある裕福な一家に隠された秘密が描かれる。
The true story of the Puccio Clan, a family who kidnapped and killed people in the 80s.
製作に『オール・アバウト・マイ・マザー』『トーク・トゥ・ハー』のペドロ・アルモドバル。監督はアルゼンチンの俊英パブロ・トラペロ。主演は『瞳の奥の秘密』のギレルモ・フランセーヤ。

プッチオ一家の凶悪犯罪⇒アルゼンチン国内認知度100%の異様な事件を完全映画化した本作は、2015年8月13日に同国で公開された(日本公開は2016年年9月17日)。そして、アルゼンチン国内映画史上最高となる4日間で延べ50万人、公開後2週間で150万人、8週間で300万人という驚異的な動員数を叩き出し、一躍“社会現象”を巻き起こした。

ストーリー :
ダウン 1980年代アルゼンチン。史上最悪な独裁政治から7年以上が経ち、徐々に民主政治を取り戻していた時代。一見裕福で近所の評判も申し分ないプッチオ家は、父アルキメデス(ギレルモ・フランセーヤ)を筆頭に妻、息子3人、娘2人で幸せに暮らしていた。しかし、マルビナス戦争(フォークランド紛争)の敗戦が引き金となり、軍事政権内で情報管理官として働いていたアルキメデスは職を失ってしまう。
ある日、長男アレハンドロ(ピーター・ランサーニ)は、同じラグビーチームの友人に車で家まで送ってもらっていた。そこへ突然、見知らぬ車が割り込んでくる。その車から出てきた銃を持った男たちは二人の頭に布を被せ、二人を拉致する。友人は車のトランクへ、アレハンドロは助手席へ放り込まれた。なぜか運転席の男は、乱暴されたアレハンドロを気遣う。そこで覆面を取った犯人は、父アルキメデスだった!
翌日、アレハンドロがいつものように練習場へ到着すると、チームメートが誘拐されたことが既に広まっていたが、誰一人アレハンドロを疑っている様子はない。皆、姿を消した友人を心配しており、ひとり複雑な心境になるアレハンドロだった。
犯人が捕まらず街に不穏な空気が流れるなか、プッチオ家はいつもと変わらない生活を送る。夕飯の時間になると、アルキメデスは妻エピファニア(リリー・ポポヴィッチ)の作った料理を、キッチンから食卓ではなく、2階の奥にある鍵のかかった部屋へと運んでいく。何とその部屋は、プッチオ家に特設された監禁部屋(“ブッチオ刑務所”)だったのだ!
アルキメデスは人質に対し、身代金50万米ドルを用意させるため、家族に手紙を書くよう指示する。その後、身代金の受け取りに成功したアルキメデスは、人質を監禁部屋から車のトランクへ運び、アレハンドロが見守るなかプッチオ家をあとにする。しかし翌日、アレハンドロはチームメートから衝撃の事実を告げられる。何と、人質になった友人は殺害されていたのだ。その夜、父に理由を聞くと、人質から逆に脅され、家族を守るため仕方なく殺害したことを打ち明けられる。彼は「私を信じてほしい」と次の“仕事”に向け、協力を仰ぐのだった。
数日後、アレハンドロが経営するサーフショップの開店祝いで、町の人々に祝福されるプッチオ家。その姿は依然と変わることなく仲睦まじく、誰もが羨む光景だった。家族の秘密を知るものは、未だ誰一人いない。
ある日、アレハンドロが店番をしているときに若い女モニカ(ステファニア・コエッセル)がやってきた。モニカとアレハンドロは互いに惹かれあい、自然と恋人関係になった。店の経営も恋人との関係も順調なアレハンドロは、次第に普通の生活を望むようになっていく。次の“仕事”から抜けることを父アルキメデスに伝えるアレハンドロ。そこから徐々に、プッチオ家の歯車が狂い始める…。

アップ 本作の“主役”は、アルゼンチンのブエノスアイレス郊外の高級住宅地サン・イシドロ(San Isidro)に住む「プッチオ家」(EL CLAN PUCCIO)。コワモテの父のもと、優しい母と3人の息子&2人の娘が仲むつまじく幸せそうに暮らすプッチオ・ファミリーだが、どこか普通の家族とは違っていた。
お食事の前にはお祈りをし、お料理が美味(おい)しいとほめて、お食事の後には学校の勉強を手伝う。ほとんど戯画的なほど礼儀正しく敬虔な家族ではある。しかし、よくよく見るとこの家族は「妙にヘン」なのだ…。そう、何かがオカシイのだ!?

el-clan「何かおかしい」.

父の仕事らしい仕事といえば毎朝の街角の掃き掃除くらいだが、どうしてこんなに贅沢な暮らしができているのか。また、彼らの周りでは誘拐事件が続いている。食事の際に母が作る美味しそうな料理は、どういうわけか家族の分よりもいつも多め。食べ物を運ぶのは父の役目だが、その多めのひと皿は食卓ではなく、なぜか家族が住んでいないはずの部屋に運ばれていく。その部屋に住んでいるのは、いったい誰なのか。

「裕福で幸せな」プッチオ家の仮面は、物語のかなり早い段階で取り除かれる。本作の場合、最後の最後ではなく、最初からネタバレ全開で攻めてくる点が特徴的。
…アルキメデスは家事で疲れた妻の肩を優しく揉むと、彼女の取り分けた肉料理をトレイに乗せ、それを運ぶ。息子や娘に声をかける様子は日常の風景かと思いきや、彼の向かう先はリビング…ではなく、なぜか2階。表情を変えることなく、廊下の奥の一室の鍵を開ける。その中にいたのは、黒い布で目隠しをされ、鎖に繋がれ、恐怖に怯える若者!「安心しろ。メシだ」とドスの利いた声をかけ、彼は扉を閉める…。

この一家は実に身代金目的の誘拐をして暮らしていた。お金持ちに目をつけ、車で連れ去り、公衆電話から身代金を要求して、家族からお金をせしめたら本人を殺してしまう。それは父・アルキメデスが主導し、母や5人の子供たちも何らかの形で加担した、家族ぐるみの~アルキメデスの狂気が家族をも巻き込んだ~犯罪だった(子供部屋の横に人質の監禁部屋があっても、母や娘たちは見て見ぬふり!)。

ドクロ叫び  実際の事件 :

El-Clan
 ↑ 事件の当時の報道―「プッチオ刑務所」(映画では2階の奥まった奥まった部屋だが、実際は地下室“独房”)の生々しさ!

サン・イシドロの中心街~マルティン・イ・オマール通り544~に住むプッチオ家は、当主のアルキメデス、妻のエピファニア、息子3人(長男アレハンドロ、次男マギラ、三男ギジェルモ)、娘2人(長女シルビア、次女アドリアナ)からなる。
アルキメデスを首謀者とするプッチオ家は、1982年以降に4人を誘拐した末に3人を殺害した。
①1982年7月22日、Ricardo Manoukian(24歳男)を誘拐→身代金50万米ドルを受領後に殺害…
②1983年5月5日、Eduardo Aulet(25歳男)を誘拐→身代金10万米ドルを受領後に殺害…
③ 1984年6月22日、Emilio Naum(38歳男)を誘拐未遂で~拉致途中に車から逃げようとしたために~殺害※…
④1985年7月23日、Nelida Bollini(58歳女)を誘拐→「ブッチオ刑務所」に32日間監禁する…

1985年8月23日、ブエノスアイレス州誘拐捜査課~12台の車両と45人の警察官~がプッチオ家に踏み込み、監禁されていた女性実業家ネリダ・ボリーニ・デ・プラドを救出するとともに、一家のうち5人~父・母・長男・次男・長女~と長男の恋人モニカを、4件の誘拐と3件の殺人の容疑で逮捕する(三男と次女は犯罪への加担を疑われず)。その後、母と長女、モニカの3人は釈放されるが、裁判で父と長男は終身刑を、次男は13年の禁固刑を宣告される。

【EL CLAN PUCCIO の家族構成】 (年齢は1985年8月23日のプッチオ家逮捕時のもの)
・父/アルキメデス・プッチオ(56歳)は元公務員・元外交官・公認会計士
・母/エピファニア・プッチオ(53歳)は公立高校の会計学教師
・長男/アレハンドロ・プッチオ(26歳)は街一番のサーフショップのオーナーで、地元ラグビーチーム「CASI(カシ)」の選手 
・次男/マギラ・プッチオ(23歳)は「カシ」の第3ディビジョンの選手
・三男/ギジェルモ・プッチオ(21歳)は熱心なスポーツ選手
・長女/シルビア・プッチオ(25歳)はカトリック系私立学校の美術教師
・次女/アドリアナ・プッチオ(14歳)は思春期の少女
(なお、長男アレハンドロの恋人モニカ・ソビックは、21歳の幼稚園教諭)

 ↓ プッチオ一家7人[実在の人物(前列・〇内)/本作出演者]
プッチオ一家
左からギジェルモ(フランコ・マシニ)、シルビア(ジセル・モッタ)、アドリアナ(アントニア・ベンゴチェア)、アルキメデス(ギレルモ・フランセーヤ)、エピファニア(リリー・ポポヴィッチ)、マギラ(ガストン・コッチャラーレ)、アレハンドロ(ピーター・ランサーニ)。

ブッチオ家は家族ぐるみで誘拐→監禁→身代金要求→殺害を行なった。
主犯格は父親のアルキメデス。この主犯ぶりに対比して妻と3人の息子、2人の娘たちの協力(共犯)の程度・内容は微妙である。
問題は家父長としての権威を振りかざし、家族に屈従と沈黙を強制するアルキメデスに対して、何事によらず見て見ぬふりを決め込む、妻をはじめとする家族の姿勢である。

ラグビー選手として知られた長男のアレハンドロの場合、父に命じられてチームメートの誘拐に協力するも、身代金を奪うだけだったはずなのに、父がチームメートを殺したことで苦悩する。
彼は次第に~特に恋人のモニカができ、自分のサーフショップが軌道に乗り始めると~父親に反発し、誘拐稼業から足を洗うべく、3回目と4回目の犯罪の実行に参加はしなかった※。
しかし、アレハンドロが(4回目に誘拐された)ネリダ・ボリーニの自宅電話番号が書かれていた紙切れを所持していたことが、彼の逮捕の決め手となった。
彼はもともと拉致には協力しても殺害には一切関与していないがゆえに、裁判では最後まで罪を認めなかった。だが、父親から報奨金をもらっている以上、どだい無罪が通るものではない。
彼はブエノスアイレス裁判所から移送中に係官の手を振り切って5階の回廊から飛び降り自殺を図る(本作ラストシーン)。しかし、2階部分の柔らかい屋根に落下、死ねなかった。これを含めて彼が自殺を試みること3、4回に及んだ。常に精神状態が不安定で、刑務所内の精神病棟に収容され、2007年条件付きで釈放されるも、翌年49歳で没している。

長男が犯行から抜けたあと、急遽浮上するのが、次男マギラの役割である。オーストラリア暮らしで太っちょとなったマギラを、母親エピファニアがブエノスアイレスに呼び戻す。
アルキメデスの指揮下に見事に組み込まれている妻エピファニアの、長男の抜けた分を直ちに次男で穴埋めする、静穏だが何か不気味な助っ人ぶりだ。
マギラは最後(4回目)の犯行=ネリダ・ボリーニ誘拐事件の廉で、実刑判決を受けた。
エピファニアは逮捕されるも、証拠不十分で2年後に釈放される。80歳を過ぎた現在は、一時親戚に預けられていた次女アドリアナと暮らしている。

三男ギジェルモは2回目の誘拐⇒自宅監禁で事件の概要を察知するや、ラグビー遠征で訪れたニュージーランドにそのまま亡命して帰国していない。
地下の監禁部屋の階段を上り降りしたと証言した長女シルビアも当然嫌疑をかけられたが、母親同様加担した証拠が不十分で釈放される。52歳でこの世を去っている。

エピファニアの夫にして、アレハンドロ/シルビア/マギラ/ギジェルモ//アドリアナの父でもあるアルキメデス・ブッチオ。
「家族愛」⇒“自己愛”に偏執するアルキメデスが誘拐ビジネスという「汚い仕事」に手を出したのは、何故(なにゆえ)か。一家の生計が立ちゆかなくなったためか。それとも、時の民主政権に対する復讐心が働いたのか。否、もともと犯罪に快楽を覚える体質を持っていたのか…。
“モンスター”アルキメデスは逮捕以降→最期まで、「自分こそ被害者」と罪を認めなかった。軍政が続いて失業しなければ誘拐ビジネスには手を染めなかった、悪いのは民政化という論理である。
(映画シーンで)彼は逮捕された瞬間から言い逃れの準備を始めるが、留置所で、看守に暴行されて無理矢理「嘘の証言」をさせられたと偽るために、息子のアレハンドロに殴ってくれと頼む…(犯した悪行もものかは、狡猾を弄するばかりの卑劣漢!)。
彼は収監中に弁護士の資格を取り、数か所の刑務所を経て、2008年に浴室設備のない住居指定の条件付きながら釈放される。2013年、脳血管障害のため、簡易ベッドの上で84歳の生涯を閉じた。

わが家の夫=父がその首魁だということを知りながら、程度の差こそあれ、禍々(まがまが)しい犯罪の現実から目を背け続ける妻子。ブッチオ家では、家族間に隠される秘密のベールが決して取り去られることはなかった。
このブッチオ家の事件は、いわゆる「暗黙の共謀」(コンスピラシー・オブ・サイレンス〈conspiracy of silence〉)に支えられた犯罪である。
それは、法律用語における「共同謀議」よりもっと広く、お互いに自分に不利なことを口に出さず、目前の状況から目を背け、不正の横行や危険の拡大を見逃してしまう状態のこと。
私たちはゆめゆめ忘れるなかれ!世界の歴史上、あのホロコースト(The Holocaust=ナチス・ドイツ〈1933年~ 1945年〉による、600万人のユダヤ人を中心とした大量虐殺)こそ究極するところ、この「暗黙の共謀」の問題状況に帰着することを―。
犯罪が明るみに出たとき、そんなことは知らなかったと誰もが弁明に努めるが、実際には自発的に目を瞑(つぶ)り、沈黙し続けていたわけである。

本作『エル・クラン』では、「暗黙の共謀」がまざまざと、生き生きしたリアリティーを持って描き出される。

▼ 本編映像 [(1)プッチオ家の父親がブチ切れる衝撃映像(52秒)※→(2)予告編(1分59秒)]
【※ 息子アレハンドロが経営するサーフショップの戸を激しく叩く父アルキメデス。「早く開けろ」と悪鬼のごとき形相で乗り込んできた瞬間、父は息子の首を絞め、壁に押し付ける。「直前にお前が抜けたから失敗した!」(アレハンドロは3回目の犯行から直前に抜けたが、結果として当の犯行は失敗~誘拐未遂で被害者を殺害~に帰する―。)】



◆「監督:パブロ・トラペロ(Pablo Trapero、1971~) インタビュー」
[『エル・クラン』劇場用プログラム(編集:奥村裕則・加勢恵理子、発行:株式会社シンカ、定価:700円〈税込み〉、2016年9月17日発行)]
Q:プッチオ家の事件が起きた当時のアルゼンチンについて、どのようなことが記憶に残っていますか?それは、どのように本作に影響しましたか。 
事件のニュースを最初に聞いたとき私は13歳か14歳でした。プッチオ家はごく普通の家族に見えました。近所の人たちですら、彼らが酷い犯罪の主犯格とは信じられなかったほど、彼らはどこにでもいる普通の家族だったのです。それから何年も時が流れ、プッチオ家の事件に基づく映画を作ることを考え始めたのは、2007年に『檻の中』の準備をしている最中でした。しかし、当時の私はまだこの家族の表面的な部分しか知りませんでした。あまり情報は残っておらず、特にアルキメデスとその“時代”との関連性は知られていませんでした。調査する中で、この家族のストーリーが実は世の中に完全に通じるストーリーであることに気付きはじめました。
そして、アルゼンチンの歴史の知られざる時代を語ることができるとも思いました。家族を巻き込んだプッチオ家ほど強烈な例は他にありませんが、このようなケースはいくつかありました。また、政権の移り変わりも当時を象徴しており、この移り変わりがプッチオ家のストーリーに終止符を打ったのです。ゆえに、映画の中に捜査を担う役は登場しません。なぜならこの一家を捕まえようとした具体的な人物はいなかったからです。プッチオ家や彼らのような人々の時代を終わらせたのは政治的な変化でした。プッチオ家の事件は、病んだ社会の象徴です。一家について理解を深め、彼らの私的な部分を掘り下げていくうちに、アルゼンチンの歴史のなかに生まれたこの“時代”を証言する映画になると気付きました。

<目 “事件の背景”の補足説明: アルキメデス・プッチオの犯罪の背景には、軍事政権下の非人道的な殺戮があった。アルゼンチンでは軍事政権のもとで、70年代後半から80年代にかけて、膨大な数の人々が拘引され、多くが処刑された。不当に逮捕されるという段ではなく、文字通りいなくなり、消されてしまう。左翼ゲリラへの対処が政府の言い分ながら、裁判も何もなしに殺されるもので真相は闇に封じ込められる。殺害された人数は低めの推定でも優に1万を超えるとのこと。パブロ・トラペロ監督はある電話インタビューで、「事件当時のアルゼンチンは政治的な変革期にあったようですね」との質問に対して、こう答えている。
「あの犯罪は、アルゼンチンの政治状況によって起きたものだ。冷血な軍事政権の下、多くの政治的迫害、誘拐が発生し、行方不明者が多発した。祖国という名のもとに他人の子供を誘拐して自分のものにするといった残虐行為が行われ、何の関係のない人たちまでが利害関係によって殺された。さらにはフォークランド戦争という痛ましい戦争も起きた。それ以前にも軍事政権の時代はあったが、このときほど、暴力的で残酷な時代はなかった。アルゼンチン史における暗黒の時代だ。幸いな事にその後民主化されたので、あれほど残酷な状況に戻ることはもうないだろう。」http://news.aol.jp/2016/09/15/el-clan/>


Q:収集した情報の中からプッチオ家の要素を歪めずに、インパクトある劇映画を作るのは苦労しましたか?
実在する人物が登場し、事実に基づいた映画を作るというのは初めてだったので、これは大きな挑戦であり責任重大でした。被害者家族にとっては、自分たちの名前が映画に登場するということになりますので。彼らの実体験に基づいた話をどう扱えばよいかというのが課題でした。映画を観る大半の観客の目にはフィクションのように映るでしょうが、これは実際に起きた出来事なのです。被害者家族と話せたのはとても役立ちました。事件の裁判官や、事件を追いかけていたジャーナリストたちとも会いました。事件の病的な側面についてアドバイスをくれる心理学者とも話しました。サン・イシドロ地区に住んでいた人々のもとへも訪ねました。人質が監禁されているプッチオ家に夕食に招かれた人たちもいて、詳しい情報を話してくれたのです。
ほかにも、アレハンドロとラグビーチームで一緒だったチームメイトたちからは彼の人物像を教えてもらいました。現実の世界でも映画の中でも、彼らは最後までアレハンドロが罪を犯したことを信じられずにいました。今でも彼らは心のどこかであれはひどい間違いだったんじゃないかと思っているんです。
また、アルキメデスとアレハンドロとの間で交わされた会話の記録はもちろんありませんでしたが、複数の手紙があったので彼らがどんな会話を交わしたのかは想像できました。今のように何でも動画に残す文化がない80年代の出来事でしたから、ビデオは残っていませんでした。しかし写真は多く残っていて、脚本にする際はもちろん、俳優たちにとっても役に立ちました。彼らがどのように振る舞い、アルキメデスがどのように息子を見ていたか研究できました。映画化のプロセスは大変でしたが、彼らの人生を再現するにあたっては、手に入る資料にできる限り忠実であろうとしました。

Q:プッチオ家の関係はスクリーン上では恐ろしいくらい普通ですね。アルキメデスとアレハンドロのやり取りは突出して強烈に映し出されています。片方が一家の怪物だとしたら、もう片方は明らかにより人間的で、矛盾や良心を内包しています。
アルゼンチンにはこんな言い習わしがあります。「太陽を手で隠すことはできない」。現実があまりにも激しいと、何事もなかったかのように過ごすのはとても難しいということです。『エル・クラン』は、アルゼンチン人であろうとなかろうと、一般的な観客がある一定の政治的寓話を体感することができる映画になっています。社会が問題を解決しないと、その問題はどこか別の場所で起こり得るのです。観客は30年前のアルゼンチンや今日のアルゼンチンとは関係なく、この映画の中で自分たちに通じるリアリティに直面するでしょう。時代の背景や現象の間に存在した何かがこの事件を引き起こし、不幸なことに似たようなことが様々な社会で繰り返されているのです。

Q:本作では、劇中で起きる事に対するコントラストの役割として音楽が重要な役割を果たしています。ある時には音楽が映画にブラックコメディの印象を加えたりもします。なぜ、このようなクラシックなロック曲を選曲したのでしょうか?
クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルやキンクス以外は、ほとんどが当時の曲です。それら全てが軍事政権下では禁止されていた曲でした。興味深いことに、フォークランド時代からイギリスの音楽は禁止されていました。しかし、中流階級家庭ではスペイン語の音楽を聞くことはなく、英語の曲を聞くことが流行っていたのです。また、時代を表現するために選んだ曲もあります。例えば、1985年にデイヴィッド・リー・ロスは大人気でした。そして1982年頃、アルゼンチンではセル・ヒランが有名でした。アルゼンチンのバンドVirusはエラ・フィッツジェラルドやクリーデンス、キンクスと並んで1983年を代表するバンドでした。キンクスの楽曲「サニー・アフタヌーン」(66)は歌詞の皮肉さが特別なんです。

Q:まだ存命するプッチオ家のメンバーについて、何が言えますか?また、彼らは映画製作のプロセスに参加しましたか?
僕らはエピファニア(母)に接触を試みたけど、彼女は僕らに話したがりませんでした。マギラ(次男)とアレハンドロの友達を経由して、マギラにもスカイプで話を聞こうとしましたが実現しませんでした。しかし、アルキメデスに関して面白いことが起きました。2012年に本作の製作が発表された時、僕は他の企画に取り掛かっていました。その映画が公開されると、アルキメデスからメディアを介して「トラペロに会って真実を話したい」と言ってきたのです。しかし、僕がこの映画のためにアルゼンチンに戻ってきた時には、彼はもう亡くなっていました。もし僕が彼と話せていたなら、何を語ったのか想像がつきます。彼には犯罪に関与したという罪の意識はありませんでした。むしろ彼は犠牲者でした。でも僕が知りたかったのは、なぜ彼が家族に対してあのようなことができたのか?ということでした。なぜなら、映画を見てもわかる通り、そして僕らがリサーチしていた時ですら感じたことですが、彼は家族をとても深く深く深く愛していたのです。彼が犯したことは全て家族のためでした。ただ、映画でもわかる通り、家族は彼の意見に感化されてしまうのです。
2016年11月26日(土)ユジク阿佐ヶ谷(東京都杉並区阿佐ケ谷北2-12-19-B1 JR阿佐ヶ谷駅北口から徒歩3分)で、19:00~ 鑑賞。

作品データ :
原題 Pina
製作年 2011年
製作国 ドイツ フランス イギリス 
配給 ギャガ
上映時間 104分


「ピナ」
2009年に急逝したドイツの独創的なアーティスト(舞踊家・振付家)ピナ・バウシュの世界を、『ベルリン・天使の詩』のヴィム・ヴェンダース監督が3Dで撮影したドキュメンタリー。ピナの偉大な軌跡と、彼女の振り付けによるコンテンポラリー・ダンスなどで構成。彼女が長年にわたって芸術監督を務めた「ヴッパタール舞踊団」のダンサーが、屋内外で躍動的なダンスを披露する。ピナの前衛的でたぐいまれな才能を知るとともに、ダンサーの息遣いまで伝わるような臨場感あふれるダンス・シーンに目を見張る!

ストーリー :
バレエと演劇の垣根を取り払い、境界線を自由に行き来し、そのどちらでもない全く新しいジャンルを生み出したピナ・バウシュ。伝統や常識と決別した彼女は、ダンスという身体の言葉で、強さと儚さ、歓びと悲しみ、愛されたいという願いと不安など、誰もが共鳴できる揺れる感情を表現した。世界的な功績を立て、輝かしい道を歩み続けたピナだったが、2009年6月30日、突然この世を去ってしまう。20年来の親交を続けるヴィム・ヴェンダース監督は、ピナと映画の企画を進めていたが撮影中止を決定。しかし、彼の背中を押したのは、世界中から届く映画化を願う声だった。ヴェンダースは空間の広がりを可能にする3Dがあれば、ピナとヴッパタール舞踊団の世界を再現できると確信。ヴッパタールのオペラハウスに観客を入れたライブ「カフェ・ミュラー」「春の祭典」「フルムーン」「コンタクトホーフ」を新たに撮影すると共に、彼は革新的な試みを果たす。劇場を飛び出して、モノレールや工場などの現代建築、森や庭園などの自然の中でソロパフォーマンスを繰り広げるダンサーたちをカメラが追う。さらに在りし日のピナの貴重な映像や、ダンサーたちからのピナへの追悼メッセージを挿入、未知なるダンス・ドキュメンタリーの完成~ピナが築き上げたダンス芸術の神髄の再現~にこぎ着けた。

☆★ ピナ・バウシュ(Pina Bausch、1940~2009):
ピナ・バウシュ(2)ピナ・バウシュ(1)

ピナは、ダンスと演劇との境界線を取り払った総合舞台芸術「タンツテアター(独:Tanztheater)」=「ダンス・シアター(英:dance theater)」を創設する。この新しい舞踊表現は、いわゆる純粋舞踊の部分が少なく、日常的な身振りや会話が自然に織り込まれている世界。ピナが率いる「ヴッパタール舞踊団(Pina Bausch Tanztheater Wuppertal)」は、着実に国際的な認知を高めていき、世界のダンス・演劇の在り方に決定的な影響を与える。「ダンスがこれほどまでに幅広く自由な表現をもち、かつ、これほどまでに深く人間の内奥を描くことができるのか!」と世界を驚嘆させた。

“タンツテアター”という新しいジャンルは、演劇的舞踊でも、舞踊の入った演劇でもない。演劇でも舞踊でもない何かだ。それが何であるかを説明することは難しい。
ストーリーはない。舞台に登場する人物たちをダンサーと呼ぶのも憚(はばか)られる。というのも、技巧的な「見せる」ダンスは一切ないからだ。彼らは耳に触る、お尻を突き出す、歯を剥き出すといった、さりげない日常的なしぐさを繰り返すが、それらは日常の文脈から切り離されていて、今どうして彼らがそれをやるのか、さっぱり分からない。あるいは、彼らは一列になって舞台上をひたすら歩くが、何のために歩いているのか、私たちには分からない。
彼らは何かを演じているかと思うと、彼ら自身になって、個人的なことを観客に語ったりもする。
そうした一切のことが私たちの心の深いところを痛く刺激するらしく、劇場を後にするとき、私たちは他では味わえない独特の感動に包まれている。だが、その感動がどこからくるのか、何だかよく分からない。まったく類例のない舞台芸術にほかならない。


▼予告編




■映画.comのインタビュー「ビム・ベンダース 3Dで実現したピナ・バウシュ作品への深き思い」(http://eiga.com/movie/56953/interview/ 2012年2月21日更新):

≪ドイツを代表する映画監督ビム・ベンダースが、2009年に急逝した天才舞踊家ピナ・バウシュの世界を3Dで映し出し、世界中の注目を集めたドキュメンタリーが公開される。親友でもあったピナ・バウシュが残したブッパタール舞踊団とともにつくり上げた本作への思い入れは深く、既存の3D映画とは一線を画す圧巻の仕上がりだ。五感で体感するピナ・バウシュの作品を映像で再現する方法は「3Dしかなかった」と断言するベンダース監督が、亡き友と作品について語った。(取材・文/編集部 写真/本城典子)

――あなたにとって、ピナ・バウシュの舞踊の美しさとは?
「彼女は本当に言葉では言いつくせない美しさを作りだしました。極端にいえば今までの舞踊の常識をすべてひっくり返してしまった。だけれども考えてみると、それまでの常識が常識ではなくて、本来の舞踊の姿、踊りというものの原点に戻ったと言えると私は思います。舞踊は民族的な踊りから美を追求するような華やかなものになって行きました。けれども本来、人間は自分の感情を表すために踊っていたのです。そういった意味で、彼女ははじめて普通の人間の舞踊に戻したと言えるのです。彼女は普通の人間の人生、希望や恐怖心や喪失感、そして喜び…そういったものを体を通して舞踊を通して描いてくれたと思うのです」

――ピナ・バウシュはどんな方でしたか?
「ピナは決して有名な人ではありませんでした。けれども、彼女がかつて言ったことの中で彼女が何を成し遂げたかを一言でまとめている言葉があります。それは、『私は私のダンサーたちがどう思うかということにはまったく興味がない。彼らが何によって動かされているか、そこに興味がある』と言ったのです。まさにこの言葉の通りだと思います」

――あなたとピナ・バウシュはアーティストとしてどのような部分が共鳴し合ったのでしょうか?
「実はピナと私は4つくらいしか年が離れていないのですが、生まれ育った街も40キロほどしか離れていないのです。同じドイツのルール地方の出身で、世代も同じ。第2次世界大戦後、1950~60年代のドイツで幼少期を過ごしたという共通の経験があります。戦後のドイツは独特の雰囲気がありましたし、彼女は舞踊で僕は映画というそれぞれの分野でそれまでの価値観を継続できる時代ではなく、新しいことを作り直さなければならなかったのです。お互いそういった経験をしています」

――生前のピナ・バウシュと映画を作る予定だったそうですね。
「当初僕が撮りたかった映画というのは彼女の目、彼女がどういう風に世界を見て、そして自分の作品をどういう風に見ていたかということを描きたかったのです。でも彼女が亡くなってそれが不可能になり、しばらくはこの作品をあきらめていました。ですが、徐々にダンサーを通して彼女がどういう風に世界を見てきたかということが描けるとわかったのです。ダンサーの中には20~30年と彼女とすごし、彼女の目線をそれだけの長い間に感じていた人もいるわけです。言葉ではなく、体でピナはどういう人であったか、彼女の目線はどういったものであったかをきちんと伝えてくれると思い、それで心機一転してこの映画を撮ることにしたのです」

――あなたが3D作品を手掛けるということに、周りの人は驚かれませんでしたか?
「2008年頃この映画を3Dで作り始めようと決定して、企画を進めた時に『バカか! とんでもない話だ』というのが周りの多くの意見だったのです。これは『アバター』が公開される1年半くらい前です。いくつかのシーンは『アバター』公開前から既に撮影していました。そういう意味では3Dという認識も違いましたし、3Dでダンスの映画を作るなんて……というのが当時の一般的な考えでした」

――もしピナ・バウシュが生きていたら、本作にどのような感想を述べると思いますか?
「その質問は、撮影中に僕自身に毎日投げかけていたものです。20年前にピナの映画を作りたいと話を始めてから、ずっとふたりで作ろうと思っていたのです。やっと作れる段階になって、彼女がいなくなってしまったということはとても大きな打撃でした。ですから毎日一つのシーンを撮るたび、撮った後に彼女だったらどういう風に言うだろう、気に入ってもらえるだろうか、果たして僕が彼女に約束した、彼女の映画に値するものかとずいぶん自問自答してきました。残念なことにその質問の答えは聞くことはできなかったわけですが、今となっては、確信に近い状態で彼女が喜んでくれていると思います」≫

▼ヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders、1945~)監督インタビュー(2012/05/08 に公開):

2016年11月26日(土)ユジク阿佐ヶ谷(東京都杉並区阿佐ケ谷北2-12-19-B1 JR阿佐ヶ谷駅北口から徒歩3分)で、17:15~ 鑑賞。

私がユジク阿佐ヶ谷に足を運んだのは、今回が初めて!
ユジク阿佐ヶ谷はミニシアター「ラピュタ阿佐ヶ谷」(1998年開館、座席数48)の姉妹館として、2015年4月25日にオープンした阿佐谷第二のミニシアター(座席数41)。「ユジク」は、ロシアのアニメーション『霧の中のハリネズミ』(1975年、日本初公開は2004年)に登場するハリネズミの名前。


作品データ :
原題 UN TANGO MÁS/OUR LAST TANGO
製作年 2015年
製作国 アルゼンチン ドイツ 
配給 アルバトロス・フィルム
上映時間 85分


「ラスト・タンゴ」

タンゴ・ダンス史上最も偉大なカップル~マリア・ニエベス(María Nieves、1934~)とフアン・カルロス・コペス(Juan Carlos Copes、1931~)~の波乱に満ちた軌跡を、トップダンサーたちの情熱的な踊りで綴るドラマティック・ドキュメンタリー。
『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ 』『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』のヴィム・ヴェンダースが製作総指揮を務め、『不在の心象』『ミュージック・クバーナ』のヘルマン・クラル監督がメガホンを取った。壮年期のフアン役を『タンゴ・レッスン』で本人役を演じた国際的ダンサーのパブロ・ベロン、青年期のフアン役を2014年のタンゴダンス世界選手権ステージ部門で優勝したフアン・マリシア、壮年期のマリア役を日本でもデモンストレーションを行っている人気ダンサーのアレハンドラ・グティ、若きマリア役を2015年のタンゴダンス世界選手権ステージ部門のファイナリストに選ばれた新星アジェレン・アルバレス・ミニョがそれぞれ演じる。
『ラスト・タンゴ』に収録されている楽曲は、マリアとフアンが世界的に注目されるようになった“タンゴ・アルヘンティーノ”公演のフィナーレ曲で、六重奏団セステート・マジョールの「ケハス・デ・バンドネオン~バンドネオンの嘆き」や、アニバル・トロイロ楽団が1940年代に録音したバージョンの「ジョ・ソイ・エル・タンゴ~私はタンゴ」、フアン・ダリエンソ楽団による「デ・アンターニョ~昔風に」など多様なスタイルのタンゴ音楽が使われている。また、六重奏団セステート・マジョールにより本作に提供された楽曲は全20曲で、そのうち13曲は、新たに録音されたものが使われている。

ストーリー :
名物ダンスとなったテーブル上のタンゴを考案するなど、アルゼンチン・タンゴに革命を起こした伝説のタンゴペア、マリア・ニエベスとフアン・カルロス・コペス。マリア14歳、フアン17歳の時にミロンガ(タンゴ・ダンス・ホール)で出会ってから50年近く一緒に踊り続け、世界に名声を轟かせた名コンビだ。この栄光の裏では幾度となく、愛、嫉妬、裏切りが繰り広げられていた。愛憎を芸術的なタンゴ・ダンスに昇華できたのは、タンゴへの情熱と互いへの尊敬の念があればこそだ。しかし1997年、ついにコンビを解消する。他のパートナーとでは理想の踊りができないと骨の髄まで知りながら、いったい彼らに何が起きたのか。以来、対面すら避けていた二人だったが、今それぞれに、後継者となる若きタンゴダンサーに、波乱万丈の人生とタンゴへの愛を語り始める。天使のように舞う初恋のダンス、口論のごとく激しく脚を絡め合う憎しみのダンス、そして、ゆったりと上品にステップを踏む解放感あふれるダンス。秘めた想いをダンスで表現する彼らにとって、タンゴは人生そのものなのだ。タンゴは二人の精神と肉体との、いとおしくて壮絶なる生存の証しなのだった…。

▼予告編



▼特別映像
(ヘルマン・クラル監督が本作を製作したきっかけや、マリアとフアンがタンゴに対する想いを語る姿とともに、メイキング映像などが収録されている。)

2016年11月22日(火)TOHOシネマズシャンテ(東京都千代田区有楽町1-2-2、JR有楽町駅・日比谷口徒歩5分)で、19:10~ 鑑賞。

作品データ :
原題 REMEMBER
製作年 2015年
製作国 カナダ ドイツ
配給 アスミック・エース
上映時間 95分

カナダ公開日 2015年10月23日
ドイツ公開日 2015年12月31日
日本公開日 2016年10月28日


「手紙は憶えている」
『スウィート ヒアアフター』『白い沈黙』のアトム・エゴヤン監督によるサスペンス・ドラマ。舞台は米国、多くのナチ残党がドイツ敗戦後に米国に渡る事実を基にしている。記憶も曖昧な90歳の老人が、第2次大戦の時にアウシュヴィッツで大切な家族を奪ったナチスの兵士を捜し、復讐を果たそうとする姿が描かれる。無名の新人脚本家ベンジャミン・オーガストは、これまでの“ホロコースト”を題材にした映画とは一線を画すアプローチで物語を作り上げた。主人公を『サウンド・オブ・ミュージック』『人生はビギナーズ』などの名優クリストファー・プラマーが演じ、マーティン・ランドー、ブルーノ・ガンツらベテラン俳優陣が顔を揃える。

※アウシュヴィッツ収容所は、ユダヤ人の大殺戮が行われた収容所として戦後最も広く知られ、1979年には負の記憶遺産として世界遺産にも登録された。ナチス・ドイツが占領したポーランドの南西部に1940年設置、ヨーロッパ最大の複合収容所に発展していく。最初はポーランド人の反ナチ抵抗運動参加者をとらえて収容する強制収容所だったが、1941年6月から対ソ連侵攻が始まると、捕虜となったソ連軍兵士も大量に収容されるようになる。その4か月後にはソ連軍捕虜1万名を使ってアウシュヴィッツ第二収容所(ビルケナウ絶滅収容所)の建設が始まり、ガス殺室と遺体焼却炉を併せ持った巨大なユダヤ人殺戮施設が1943年春に完成。1944年11月にガス殺が中止されるまでに計約110万人が犠牲になった。強制収容所の面も備わるアウシュヴィッツには、ユダヤ人だけでなく、政治犯ほか、「エホバの証人」信者、ロマ、本作にも登場する同性愛者等、さまざまな「民族共同体異分子」・「反社会分子」も収容されていた。cf. 本ブログ〈February 08, 2016〉記事。

ストーリー :
ゼヴ・グットマン(クリストファー・プラマー)は今年90歳で、ペンシルベニア州にある老人ホーム(高齢者ケア施設)で暮らしている。最近は認知症が進行し、最愛の妻、ルースが死んだことさえ忘れてしまう始末。記憶は目覚める度に消えたり戻ったりを繰り返す。
ある日、ゼヴは友人のマックス(マーティン・ランドー)から1通の手紙を託される。「覚えているか?ルース亡きあと誓ったことを。君が忘れても大丈夫なように、全てを手紙に書いた。その約束を果たしてほしい―」
二人はアウシュヴィッツ収容所からの生還者で、70年前に大切な家族をナチスの兵士に殺されていた。手紙には、二人の家族を殺したその男に関する情報が記されていた。名はオットー・ヴァリッシュ(Otto Wallisch)といい、現在は“ルディ・コランダー(Rudy Kurlander)”という偽名を使って暮らしているという。ルディ・コランダーと名乗る人物は、“4人”にまで絞り込まれていた。
車椅子で体の自由が利かないマックスに代わり、ゼヴは復讐を決意。「男の顔を知っているのはマックスと自分だけ。自分がやるしかない…」彼は1通の手紙とかすかな記憶だけを頼りに、単身でナチ戦犯「オットー・ヴァリッシュ」を探しに旅に出る。旅はすべてマックスが手配し、費用も彼持ち。駅には運転手が出迎え、ホテルは前払い、そして行先は彼の指示による。

ゼヴはオハイオ州クリーブランド行きの列車で、一人目の「コランダー」(ブルーノ・ガンツ)のもとへと向かう。
途中で復讐を遂げるための道具として、老人でも扱える拳銃(オーストリア製の小銃グロック)を購入してセカンドバックに忍ばせる。
1人目の88歳の老人は、家族と暮らしていて、部屋でテレビを見ながら、1人盛り上がっていた。ゼヴは家族に通されて本人に会うと、いきなり銃口を向けてアウシュヴィッツにいただろうと問いただす。
男は身じろぎひとつせず、戦時中ナチスだったが、ロンメル将軍の指揮するアフリカ戦線で従軍し、アウシュヴィッツには行っていないと言う。彼が差し出した当時の写真と勲章の数々を見て、ゼヴは納得した。第1の「コランダー」は人違いだった。

ゼヴはホテルに戻り、マックスに1人目は人違いだったことを電話で報告する。そして、ホテルで眠りにつくと記憶を失っていく…。ホテルの部屋で目覚めた彼は、妻ルースを探すが、いるはずもない。手元にあるマックスの手紙を読んで、ルースが亡くなったことを理解する。また、復讐を遂げるために旅の最中であることも…。

2人目の「コランダー」(ハインツ・リーフェン)は、カナダの老人ホームにいた。
ゼヴがアメリカとカナダの国境を抜け、老人ホームを訪ねると、男はベッドに寝たきりとなっていた。ゼヴは拳銃を取り出して、アウシュヴィッツにいたかと詰め寄る。
彼は腕に刺青の番号を持つユダヤ人、しかもナチスが目の敵にしてアウシュヴィッツに送り込んだ同性愛者だった。とんでもない思い違い!彼は自分と同じ囚人だったのだと、ゼヴは骨身にしみて思い知るとともに、すまなかったと泣きながら男を包容する。第2の「コランダー」も空振りとなった。

その頃、ゼヴの息子チャールズ(ヘンリー・ツェーニー)は、ホームから父親が行方不明になったとの連絡を受けて、必死に捜索していた。警察にも捜索願を出したが父親は一向に見つからない。

3人目の「コランダー」は、アイダホ州ブルノーの採石場の近くに住んでいることが分かった。 
ゼヴがタクシーで男の自宅へと向かうと、留守で誰もいない。仕方なく男が帰ってくるまで玄関のテラスで待っていると、1台のパトカーがやってきた。パトカーから降りてきた警官は、第3の「ルディ・コランダー」の息子、ジョン・コランダー(ディーン・ノリス)だった。彼が言うには、父は3カ月前に亡くなったとのこと。父親の古い友人だったことを伝えると、彼は快く家に招き入れてくれた。
ジョンは父親のことをとても尊敬してるようで、父親の遺品をたくさん見せる。そこには、ナチスドイツのハーケンクロイツの軍旗や、ヒトラーの著作物も多数あり、生前にヒトラーのことを崇拝していたことが伺えた。
ゼヴは彼に、父親はアウシュヴィッツにいたのかと問いかける。すると彼は、父はアウシュヴィッツになど行っていない、当時はまだ10歳で軍の調理人をしていただけだったと答えた。
全くの無駄足とわかり、ゼヴは帰ろうとする。その時、ゼヴの腕にユダヤ人の囚人番号が彫られているのを見て、彼の態度は豹変する。一体どういうことだ?アウシュヴィッツに収容され
ていたユダヤ人がなぜ父に会いに来たのか?そう言うと彼は逆上し、飼っている猛犬を放ってゼヴを襲わせた。彼は反ユダヤ主義者で、ゼヴに殺意を持つ。「薄汚いユダヤ野郎!!」身の危険を感じたゼヴは、とっさに拳銃を取り出して猛犬を→ゼヴに銃身を向けた彼を撃ち殺す。危機一髪だった!
返り血を浴びたゼヴは、シャワーを浴びる。そして、心身ともに疲労困憊して、その家でそのまま眠りについてしまう。目が覚めると、改めてマックスの手紙を読み、ルースが亡くなったこと、そして自分が殺人を仕出かしたことを理解し、ショックを受ける。電話でマックスに報告し、間違って罪のない人を射殺した事実を告げると、マックスは「どうする?続けるのか?」と聞く。ゼヴは「ここまで来て、今さら辞めるつもりはない」と答え、ネバダ州リノにいる4人目の男のもとへと向かう。

最後の男のところへ向かう途中、ゼヴは横断歩道で危うく車にひかれそうになり、頭を打って病院に搬送される。父親の行方を捜していた息子チャールズは、警察からの連絡で、病院へと急ぐ…。
ゼヴが病室でベッドに横たわっていると、そこに居合わせた美少女モリ―(ソフィア・ウェルズ)が話しかけてきた。眠りから覚める度に記憶がリセットされるゼヴだが、彼女がマックスの手紙~ゼヴの<記憶>そのもの~を代読してくれたことで想起する。ルースが亡くなった日に、ゼヴ本人が家族を殺したナチス、ルディ・コランダーことオットー・ヴァリッシュに復讐する誓いを立てたことを。
ナチ(Nazi)という言葉の意味さえ知らない清純な乙女がさりげなく朗読した※、ユダヤ人の70年越しの怨念がこもった手紙…。その文面に踊る言葉の数々を耳に留(と)めて、ゼヴはこっそりと病院を抜け出した。
一方、病院に到着したチャールズは、父が病院からいなくなったことを知り、後を追った。

※モリ―が朗読中、無邪気に「ナジーって?」と発問する。ゼヴがこれに対して、「ナチだ、悪い奴さ」と応答する。

4人目の「コランダー」(ユルゲン・プロフノウ)は、タホ湖(Lake Tahoe)の畔で家族と共に住んでいることが分かった。ゼヴが男の自宅~緑豊かな素敵なログハウス~を訪問すると、娘のクリスティン(ジェーン・スピデル)と孫娘のインゲ(ステファニー・キンバー)が出迎えてくれた。
男はまだ眠っているようで、起きるまで待たせてくれと、ゼヴは自宅に上がり込む。そして、家の中のグランドピアノを見ると、自然と指が動きだし、リヒャルト・ワーグナー※の楽劇『トリスタンとイゾルデ』の一節「イゾルデの愛の死」(Isolde's Liebestod From Tristan and Isolde)を奏でる…。

※リヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner、1813~1883)は、19世紀ドイツを代表する作曲家。作曲にとどまらず文筆活動にも積極的に精を出した人物として知られ、音楽界だけでなく当時のヨーロッパの人々に広く影響を及ぼした。彼の音楽に熱狂・心酔していた人たちは、「ワグネリアン」と呼ばれ、ヒトラーも彼の音楽と思想を愛しワグネリアンを自称していた。ナチスは書籍や新聞、またラジオ・映画といった当時の目新しいメディアを積極的にプロパガンダの手段として利用しており、ワーグナーの楽曲もナチス党大会で演奏されるなど大いに利用されていた。そのため、今でもイスラエルを始めとするユダヤ社会では、ワーグナーの音楽はタブー視されている。

すると、ピアノの音を聞きつけ、2階から男が降りてきた。男はユダヤ人に身を変えた“ルディ・コランダー”だった。ゼブは声と顔を見た瞬間に、こいつこそが張本人だと確信する。ようやく本命にたどり着いた!
男は「いつか、君が来ると思っていた」と言うと、「家族に聞かれたくないから外で話そう」とゼヴを促し、二人だけでテラスへ移動する。
ゼヴは男に、君はアウシュヴィッツの元ブロック長で、私の家族を処刑しただろうと問い詰めると、男は何を言っている?と答えた。ならば思い出させてやろうといい、ゼヴはバックから拳銃を取り出す。
その時、チャールズが駆けつける。クリスティン、インゲ母娘と共にテラスに出ると、ゼヴが男に銃を突きつけているではないか。驚愕の目を見張る3人!チャールズは父親に「やめろ!」と叫ぶが、ゼヴは聞く耳をもたない。
なかなか口を割らない男にゼヴは業を煮やし、男の孫娘インゲに銃口を向け、真実を言わなければ引き金を引くと脅した。観念した男は、真実を語りだす。
自分は実はユダヤ人の囚人ではなくナチスの軍人だった⇒アウシュヴィッツのブロック長として多数のユダヤ人虐殺に加担した…。男の娘と孫は、祖父の突然の告白にショックを隠しきれない!
そして、男は自分の本名を名乗る。「クニベルト・シュトルム(Kunibert Sturm)」と。
「いや違う、お前はオットー・ヴァリッシュだろ」とゼヴ。「何を言っている?君こそがオットー・ヴァリッシュだ」と男は主張する。
そして、腕の囚人番号を見せながら言う。お互いにアウシュヴィッツのブロック長だったが、終戦時に罪を逃れるために、二人ともあえて腕に囚人番号を刺青し、ユダヤ人になりすまして、アメリカに渡ったのを忘れてしまったのか?
男の左腕には、ゼヴの囚人番号98814より一つ若い番号が刻まれていた。二人の囚人番号は、1番違いの連番だった…。
ゼヴはすべてを思い出した(I remember)!突如として彼の認知症の霧が晴れ、忌まわしい過去が蘇る。
ゼヴという名は偽名で、自分こそがオットー・ヴァリッシュで、アウシュヴィッツでマックスの家族を処刑したうちの一人だったのだ。認知症を患うゼヴにマックスは近づき、巧妙な復讐を果たすために、ゼヴに偽りの記憶⇒情報を植え付けていたのだった。
すべてを悟り、絶望したゼヴは、お互いの家族が見守る中、男(ルディ・コランダーことクニベルト・シュトルム)を射殺、自らも頭に銃口を向けて引き金を引く…。

ニュースで、事件のことが報道される。
老人ホームの人たちは、哀れなゼヴと同情する。しかし、マックスは言う。「彼は過去に自分のやらかしたことを理解しただけだ。ゼヴ・グットマンの本名はオットー・ヴァリッシュ、その正体はナチスでクニベルト・シュトルムと共にアウシュヴィッツで私の家族を殺害したんだよ…」
マックスが入居する施設にゼヴがやってきたのは、ほんの半年前だった。その半年間のうちに彼マックスは、用意周到な復讐計画を立案し実行したのだった。≪END≫

★ ≪第二次世界大戦後のナチス関連年表≫
・1945年 4月30日、ヒトラーが総統地下壕で自殺。5月7日、ドイツ国防軍がフランスのランスで降伏文書に調印。翌8日、無条件降伏発効。これにより連合国4カ国軍(アメリカ・イギリス・フランス・ソ連)による分割統治開始。11月20日、ニュルンベルク裁判(=第二次世界大戦中、ナチス・ドイツによって行われた戦争犯罪を裁く国際軍事裁判)が始まる(~1946年10月1日)。
・1949年 5月23日、西側3カ国(アメリカ・イギリス・フランス)の管理地域にドイツ連邦共和国(西ドイツ)が成立。10月7日、ソ連の管理地域にドイツ民主共和国(東ドイツ)が成立。ドイツは東西の分断国家となる。
・1960年 5月11日、アドルフ・アイヒマン※が、イスラエルの諜報機関モサドによって潜伏先のアルゼンチンで拉致され、翌年4月11日よりイスラエル・エルサレムでの裁判(=アイヒマン裁判)にかけられ、同年12月15日に有罪・死刑判決が下る。

※アドルフ・アイヒマン(Adolf Eichmann、1906年3月19日~1962年5月31日)は、ナチス親衛隊(SS)中佐。ヨーロッパ各地のユダヤ人をアウシュヴィッツはじめ6つの絶滅収容所へ強制移送する「総元締め」の役割を果たし、数百万人のユダヤ人殺害に決定的に関与した。戦後アルゼンチンへの逃亡に成功し、リカルド・クレメント(Ricardo Klement)という偽名を用いて1960年の逮捕まで潜伏生活を送っていた。cf. 本ブログ〈May 26, 2016〉記事。

・1962年 5月31日、アイヒマンの絞首刑執行。
・1963年 12月20日、西独フランクフルトでアウシュヴィッツ裁判が始まる(~1965年8月10日)。イスラエルによるアイヒマン裁判で、ドイツ人の責任追及が十分でなかったことが明らかとなり、「ホロコースト」(=ナチ体制によるヨーロッパ・ユダヤ人大量虐殺)犯罪に対して、ドイツ人自らによる本格的な裁判として開廷された。アウシュヴィッツ収容所の副所長や医師等、22名が起訴された。cf. 本ブログ〈February 07, 2016〉記事。
・1977年 11月、オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人、サイモン・ヴィーゼンタール※の名前を冠したサイモン・ヴィーゼンタール・センター※を設立。「ホロコースト」の記録保存や世界で反ユダヤ主義が横行しないよう監視を行う。

※サイモン・ヴィーゼンタール(Simon Wiesenthal、1908~2005)は、第二次世界大戦中、ナチスによって肉親を殺害され~夫人を始めとする家族を失った他、親族のうち計89人が犠牲となった~、自らも数々の収容所をたらいまわしになり虐待されたが、奇跡的に生き残った。戦後、逃亡し行方の知れないナチ戦犯容疑者の徹底的捜索追及に尽力し、生涯で約1100人のドイツを中心としたナチス党員の犯罪者やドイツ軍の戦犯の逮捕に貢献した。名はドイツ語風に「ジーモン」とも表記される。
※サイモン・ヴィーゼンタール・センターは、ロサンゼルスに本部を置く非政府組織。「ホロコースト」の記録保存や反ユダヤ主義の監視を行ない、国際的影響力を持つ。また、現在も世界各地に潜むナチス戦犯を追い続け、「ナチ・ハンター」という異名も持つ。ナチスのユダヤ人迫害について、より認識を深めることを目的とした「寛容の博物館(Museum of Tolerance)」を運営しており、毎年数十万人の人々が訪れる。本作ではゼヴとマックスも、このセンターで宿敵“ルディ・コランダー”の情報を手に入れた。


・1989年 11月9日、ベルリンの壁崩壊。
・1990年 10月3日、西ドイツ統一。
・2011年 5月12日、ミュンヘン地方裁判所で、トレブリンカ絶滅収容所の元監視隊員であったジョン・デムヤンユクが、ユダヤ人ら2万8千人の殺害に関与したとして、禁固5年の有罪判決を言い渡された。デムヤンユク被告は翌年3月17日に老人介護施設で死亡、91歳だった。
・2012年 7月18日、ハンガリーのブタペストで検察当局が、ナチス・ドイツのホロコーストに加担したとして、ラスロ・チャタリ容疑者を逮捕した。逮捕当時97歳だったチャタリ容疑者は、翌年8月10日に入院先の病院で死亡した。
・2014年 6月18日、アメリカ連邦保安局が、アウシュヴィッツ強制収容所の元看守であるヨハン・ブライヤー容疑者(89歳)を逮捕した。ブライヤーは1944年5~10月にユダヤ人約21万6千人の殺害を幇助した罪でドイツ当局から逮捕状が出ていた。
・2016年 6月17日、ドイツ西部デトモルトの裁判所で、アウシュヴィッツ強制収容所の元看守であるラインホルト・ハニング被告が、ユダヤ人ら約17万人の虐殺に関与したとして、殺人幇助罪で禁固5年の実刑判決を言い渡された。ハニング被告は94歳。

▼予告編



▼ Trailer



■ 私感 :
映画パンフ『手紙は憶えている』(編集:東宝ステラ、発行所:東宝(株)映像事業部、発行日:2016年10月28日)のページ端に、本作の核心をずばり衝く、次のような英文が記(き)されている。
Dark truths will come to light.(暗い真実はいずれ明るみになる)
It’s never too late for revenge.(復讐を求めるのに遅すぎるということはない)

クラブ ベテラン俳優クリストファー・プラマー(Christopher Plummer、1929年12月13日~)の芸が光る!
さまざまな試練に直面しながらも、人生最後の思いを必死に遂げようとするゼヴ・グットマン(Zev Guttman)を、御年85歳の老優が巧演・好演!
老いの不安や戸惑いと、認知症による記憶・意識の混濁と、容疑者一人一人の証言に接して増幅するナチスへの憎悪を、確かな演技力で体現している。細かな表情や身のこなしまで~ルースを呼ぶ声、おぼつかない歩き方、恫喝された際の反応~片時も目が離せない。

スペード ≪クリストファー・プラマーの来歴≫
カナダ・オンタリオ州トロント出身。ピアニストになるために勉強していたが、1950年頃にカナダの舞台に俳優としてデビューし、53年にブロードウェイへ進出。世界各地でシェイクスピアなど多くの舞台に出演し、トニー賞ほか数々の栄誉に輝く。
スクリーンデビューは58年の『女優志願』。そして、不朽の名作となった『サウンド・オブ・ミュージック』(65年)のトラップ大佐役で一躍有名に。以降、テレビ・映画・舞台・ラジオと縦横に活躍し、多数の作品で悪役をはじめ幅広い役柄を演じる。
はじめは端整な顔立ちと美声を生かし、歴史ドラマやサスペンス映画で知的で重厚なキャラクターを多く演じたが、一転してサイコスリラーの名作『サイレント・パートナー』(78年)でパラノイア傾向のある不気味な犯罪者を演じてからは、70年代後半より悪役や強烈な脇役として登場することが多くなり性格俳優として脚光を浴びる。
90年代は『マルコムX』(92年)など複数の映画にも出演するかたわら、主にテレビでの主演を重ねていた。2000年代に至ると『ナショナル・トレジャー』(04年)や『シリアナ』(05年)など、再び映画で多数の作品に出演している。
09年の『終着駅 トルストイ最後の旅』ではオスカー(第82回アカデミー賞助演男優賞)初ノミネートされ、10年の『人生はビギナーズ』~主人公の息子に自らがゲイであることをカミングアウトし、余生を謳歌する父親を好演~で第84回アカデミー賞助演男優賞に輝く。82歳での受賞は、演技部門の受賞者の中では史上最高齢である。

ハート 私はこれまで、プラマーの出演作を何作観ただろうか。
遠い記憶を探れば、初めて出会ったそれは、1964年7月に日本公開の『ローマ帝国の滅亡』 だった。その後、記憶に誤りがなければ、私の鑑賞した作品は、次の通りである。
『サウンド・オブ・ミュージック』(1965年)
『サンセット物語』(1965年)
『将軍たちの夜』(1966年)
『空軍大戦略』(1969年)
『ワーテルロー』(1969年)
『王になろうとした男』(1975年)
『インターナショナル・ベルベット/緑園の天使』(1978年)
『サイレント・パートナー』(1978年)
『ザ・アマチュア』(1981年)
『ドーバー海峡殺人事件』(1984年)
『ブロンドはお好き』(1986年)
『スター・トレックVI 未知の世界』(1991年)
『マルコムX』(1992年)
『ハードジャッカー/標高10,000フィートの死闘!』(1994年)
『インサイダー』(1999年)
『ビューティフル・マインド』(2001年)
『アララトの聖母』(2002年)
『ナショナル・トレジャー』(2004年)
『アレキサンダー』(2004年)
『シリアナ』(2005年)
『イルマーレ』(2006年)
『インサイド・マン』(2006年)
『終着駅 トルストイ最後の旅』(2009年)
『人生はビギナーズ』(2010年)
『ドラゴン・タトゥーの女』(2011年)
『トレヴィの泉で二度目の恋を』(2014年)

この都合27作を、私は学生時代このかた~1960年代から2010年代にかけて~、ほぼ公開順に観た(ただし1970~90年代については、前掲作よりもう少し多くの作品を観たように思うが、記憶が定かでない)。
各作品に一定の思い出が残るものの、そのストーリー全体を今なお確(しか)と記憶にとどめる作品は、『サウンド・オブ・ミュージック』→『マルコムX』→『ビューティフル・マインド』→『アララトの聖母』→『アレキサンダー』→『終着駅 トルストイ最後の旅』→『人生はビギナーズ』→『ドラゴン・タトゥーの女』の8作に限られる。
そして、この8作中、鮮烈な混じりけのない感動~終生忘れ得ぬ感動!~を味わった作品こそ、ほかでもない、プラマーがジュリー・アンドリュース(Julie Andrews、1935~)と共演したミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』(原題:The Sound of Music、上映時間:174分、日本公開:1965年6月)だった。

『サウンド・オブ・ミュージック』 :
リチャード・ロジャース作曲、オスカー・ハマースタイン2世作詞、ハワード・リンゼイ、ラッセル・クラウス脚本によるブロードウェイ・ミュージカルを原作とするミュージカル映画で、監督は『ウエスト・サイド物語』(1961年)に続きミュージカルを手掛けたロバート・ワイズ。ナチス支配を乗り越えて生きようとするトラップ一家の姿を、アルプスの雄大な自然を舞台に、美しい音楽~「サウンド・オブ・ミュージック」、「マリア」、「もうすぐ17歳」、「私のお気に入り」、「すべての山に登れ」、「ひとりぼっちの山羊飼い」、「ドレミの歌」、「何かよいこと」、「エーデルワイス」、「さようなら、ごきげんよう」など劇中で歌われる数々の名曲~を盛り込んで描き出す。第38回アカデミー賞で作品賞・監督賞・編集賞・編曲賞・録音賞の5部門を受賞。

私はこの映画史に名を刻む“傑作ミュージカル”を、これまでに何度鑑賞してきたことか!
同作を観ること、映画館で10回ばかり、さらにVHSやDVDで繰り返し何遍(べん)となく、たぶん合算して30回以上に上るだろう。
3時間近い尺を一瞬たりとも飽きさせない作り!音楽の素晴らしさ~主演のジュリー・アンドリュースの透き通るような美しい歌声!~はもちろん、軽快なテンポとリズム、そして映像の躍動感は見事というほかはない。アルプスを望む圧倒的な自然、子供たちの豊かな表情…いつ見ても、心を鷲づかみにされる。
それは万人向けのミュージカル作品としては、まさしく最高峰に位置する金字塔ではあった。

同作では、見習い修道女で、天真爛漫・自由奔放なマリア・ライナー⇒マリア・フォン・トラップ(Maria Von Trapp)(ジュリー・アンドリュース)の物語、オーストリア=ハンガリー帝国海軍の退役将校で、ナチスの脅威にさらされる祖国オーストリアへの熱い思いと揺るぎない信念を持つゲオルク・フォン・トラップ(the Navy captain Georg Von Trapp)(クリストファー・プラマー)の物語、そしてトラップ夫妻と7人の子供たち~リーズル(16歳)・フリードリッヒ(14歳)・ルイーザ(13歳)・クルト(11歳)・ブリギッタ(10歳)・マルタ(6歳)・グレーテル(5歳)~の家族の物語、この3種の物語が緊密に絡み合いながら、重層的・生成的に展開する。

ダイヤ 『サウンド・オブ・ミュージック』で大ブレイクしたクリストファー・プラマーは、ちょうど50年後に、悲劇系サスペンスの秀作『手紙は憶えている』で主演し、重厚な演技を披露するにいたった。

◎『サウンド・オブ・ミュージック』で、35歳のクリストファー・プラマーが演じたフォン・トラップ大佐は、ナチスの統治を嫌って祖国からアルプスを越えたオーストリア人。
そして『手紙は憶えている』で、85歳のクリストファー・プラマーが演じたゼヴ・グットマン=オットー・ヴァリッシュは、アウシュヴィッツで膨大な数のユダヤ人を死に追いやりながら、戦後はナチス逃亡犯としてユダヤ人に成り済ましてアメリカで生き延びていたドイツ人。
プラマーは俳優人生50年において、何とも不思議な巡り合わせを背負った―。

◎トラップ大佐=プラマーは、オーストリア・ザルツブルグのトラップ邸で自ら「エーデルワイス(Edelweiss)」をギターで弾き語りする。[彼はドイツに併合され消えゆく祖国オーストリアを想い、オーストリアの象徴として「エーデルワイス」(=セイヨウウスユキソウ〈西洋薄雪草、学名:Leontopodium alpinum〉、ヨーロッパで最も有名な高山植物)を愛でて歌う。]
そしてゼヴ=プラマーは、アメリカ・ネバダ州のタホ湖近くの「ルディ・コランダー」宅で自らワーグナーの楽曲をピアノで弾く。[劇中の別なシーンで、彼はユダヤ人の作曲家フェリックス・メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn、1809~47)の「ピアノ協奏曲第1番ト短調作品25・第2楽章」(Piano Concerto No. 1 In G Minor, Op. 25: II. Andante)も演奏している。]
両場面とも、もともとピアニストを目指して、音楽の才能に長けたプラマーならではの見せ場である―。

『サウンド・オブ・ミュージック』から『手紙は憶えている』までの行程は、クリストファー・プラマーにとって俳優としての厚みのある演技人生を全開し、確固たる存在感をわがものとする【したがってまた、人類・人間の取返しのつかない過ちが奈辺にあるかを我々観客に広く知らしめる】長途の旅路にほかならなかった。

▼ cf. (♪) “Edelweiss(エーデルワイス)”(『サウンド・オブ・ミュージック』より):


*子供たちやマリア=ジュリー・アンドリュースが歌を歌うのは許したけれど、自分は頑なに拒否し続けたフォン・トラップ大佐(Captain Von Trapp)=クリストファー・プラマー。子供たち、そしてマリアに強く押されてついにギターを手に取り、歌う。
<エーデルワイス>は劇中ではオーストリアの国歌または民謡のように扱われているが、作曲リチャード・ロジャース(1902~79)、作詞オスカー・ハマースタイン2世(1895~1960)のコンビによる創作曲(最後の曲)であり、オスカー・ハマースタイン2世の遺作でもある。エーデルワイスの小さな白い花が持つ永遠の命を讃え、祖国を見守るようにと願う歌。



*ナチス・ドイツによるオーストリア併合の状況下、トラップ一家は中立国であるスイスへ亡命することを決意。→ザルツブルクの祝祭劇場で開かれた音楽祭(合唱コンクール)で、トラップ家「合唱団」は歌声を披露。⇒トラップ大佐は「オーストリアの皆さん。私は当分この国を離れます。お別れに歌を送ります。愛の歌です。祖国への愛の歌です。歌い継いで行ってください」と挨拶し、<エーデルワイス>を美しいクルーナー・ボイスで歌いはじめる。途中、彼が感極まって声を詰まらせると、それを助けるように、マリアと7人の子供たちの声が加わり、そして最後は会場全体が一体となった大合唱となる!

▼ cf. (♪) “The Sound of Music”(『サウンド・オブ・ミュージック』のテーマ曲):
映画の冒頭、ヒロインを演じるジュリー・アンドリュースがアルプスの山々に囲まれた緑の大地の上で歌い踊る…。『サウンド・オブ・ミュージック』全体をとおして、アンドリュースの存在感・演技力・歌唱力は圧倒的!その透き通った4オクターブのソプラノは、文句なしに素晴らしい!



▼ cf. Maria and the Captain dance together(『サウンド・オブ・ミュージック』より):
(Julie Andrews as Maria and Christopher Plummer as the Captain dance together in the 1965 Film version of THE SOUND OF MUSIC.)
トラップ邸で開かれた舞踏会。屋敷の中では、たくさんの大人たちがおしゃべりをしたり、ダンスを踊ったり。その様子をテラスで見ながら、トラップ家の子供たちは見よう見まねでダンスをやってみる。クルトの相手をマリアがしていると、そこにトラップ大佐がやってきてクルトと交代。大佐とマリアは「レントラー」(独語:Ländler)という、オーストリアに伝わるダンス(民族舞踊)を踊る。全部踊り終わらないうちにマリアはほっぺが真っ赤に…。マリアは大佐に恋をしていたのだ。 
プラマー&アンドリュースは、品格が高いダンス⇒優雅なステップを披露!それにしても、黒い燕尾服で正装した、若かりしクリストファー・プラマーのカッコよさが秀逸!




◆「私のウィーン行きとニューヨーク行き~『サウンド・オブ・ミュージック』に促されて~」

私は1980年の夏、初めてオーストリアの首都ウィーンを訪問→約1か月半滞在。翌年の夏もウィーンに約1か月半滞在。この滞在中、幾度となく朝な夕なに、『サウンド・オブ・ミュージック』の舞台(ロケ地)である(Salzburg)市内とザルツカンマーグート(Salzkammergut)地方を足の赴くままに散策した。

※ザルツブルクは≪音楽祭とモーツァルトの生誕地として世界中にその名を知られる、中世が息づく美しい街≫。ザルツカンマーグートは≪多くの山や湖に恵まれた、オーストリアを代表する景勝地≫。

私は1999年7月、初めてアメリカのニューヨークを訪問→以後2000年9月まで約1年3か月滞在。この間、【ブロードウェイ】シアターに足繁く通いつめた。
1965年に『サウンド・オブ・ミュージック』によってブロードウェイ・ミュージカルの存在を明白に認識して以降、私はその本場ミュージカルの観劇を切実に希求しつづけてきた。そして34年後、ニューヨーク・マンハッタンにあるアパート[住所:347 West 57th Street (between 8th Avenue and 9th Avenue)、そこはあの音楽の殿堂「カーネギー・ホール(Carnegie Hall)」(住所:881 7th Ave)から歩いて数分足らずの近い場所!]の住人となった私は、ついにその積年の夢を叶(かな)えるにいたった。

※アメリカには各地にブロードウェイ(Broadway)の名で呼ばれる通りがあるが、ニューヨークのマンハッタンのブロードウェイが日本人には最も有名である。このブロードウェイは本来、マンハッタン島を南北に縦断する全長20キロに及ぶ通りの名称である。しかし、一般に「ブロードウェイ」という場合には劇場街 (Theater District) の意味で使わることが多く、特に日常的に多くの有名な演劇や舞台、ミュージカルなどが開催されているタイムズ・スクエア周辺の一部を指すことが多い。「ブロードウェイ」という単語は今では、ブロードウェイ・シアター(Broadway theatre)の、また「ミュージカル」の代名詞ともなっている。

※タイムズ・スクエア(Times Square)は、ニューヨーク市マンハッタン区ミッドタウンにある繁華街・交差点の名称。マンハッタン島の42丁目と7番街、ブロードウェイの交差を中心に位置し、東西は6番街から9番街まで、南北は39丁目あたりから52丁目あたりに広がるが、厳密な境界はない。ブロードウェイ・ミュージカルが上演されている各シアターが所在するシアター・ディストリクトの中心とほぼ一致する。

※シアター・ディストリクト(Theatre District)は、劇場、映画館、レストラン、ホテル、娯楽施設、ほとんどのブロードウェイ・シアターが位置する、ミッドタウン・マンハッタンの一地区である。この地区は40丁目から54丁目、6番街の西から8番街の東まで及び、タイムズ・スクエアを含んでいる。ニューヨーク市は8番街の西の42丁目から45丁目までのエリアを加え、40丁目から57丁目、6番街から8番街に拡大し、「シアター・サブディストリクト」を定義している。公式ではないが、多くのオフ・ブロードウェイやオフ・オフ・ブロードウェイを含む、42丁目に面し、9番街から11番街にかけての地域、シアター・ロウも、シアター・ディストリクトの拡張と考えられる場合がある。

※いわゆるブロードウェイは通常、客席数が500以上の大劇場(約40軒)であり、オン・ブロードウェイ(On- Broadway)と呼ばれる。ここで上演される作品は有名劇作家による大作揃いで、巨額な製作費用をかけた超一流のミュージカルが多い。ブロードウェイで当たった作品は、全世界でも上演される。
500席に満たない劇場もあり、それらはオフ・ブロードウェイ(Off-Broadway)と呼ばれ、主にブロードウェイから少し離れたダウンタウンに集まっている(*「オフ・ブロードウェイ」とは、ニューヨークのマンハッタンにある比較的小さい劇場であり、また、そこで上演されるプロの演劇を指す。ブロードウェイにあっても、劇場が小さければオフ・ブロードウェイと呼ばれる)。成功して当たり前なオン・ブロードウェイとは異なり、低予算ながら実験的・挑戦的な作品が多く上演される。オフ・ブロードウェイで成功を収めて、オン・ブロードウェイへとランクアップする作品や俳優たちも多い。
ブロードウェイではミュージカルが多いのに対して、オフ・ブロードウェイではストレート・プレイ(歌唱を含まない演劇)、パフォーマンス、1人芝居、ダンス、ミュージカル(歌唱を含む演劇)など様々なジャンルの作品が上演される。規模は小さいながらも、多彩なジャンルが上演できるオフ・ブロードウェイは可能性が広い。
さらに、小劇場やロフトなど、客席が100席未満のシアターもニューヨーク・マンハッタンに数百軒あるといわれる。オフ・オフ・ブロードウェイ(Off-Off -Broadway)と呼ばれるもので、オフ・ブロードウェイよりも一層芸術性・前衛性を求めた作品が多く上演される。


私は1999年から2000年にかけて、平均して週に2、3度~マチネ/ソワレを問わず~、オン・ブロードウェイは言わずもがな、オフ・ブロードウェイにもオフ・オフ・ブロードウェイにも足を踏み入れた。
訪れた40軒以上の劇場はどこも魅惑的な空間であり、そこで繰り広げられるミュージカルを始めとする様々な演劇は、私の心身を揺すぶり、新しい発見と楽しみをもたらす作品の連続だった。
私はこの素晴らしい、NYマンハッタン→ブロードウェイ体験をとおして、まざまざと実感した。【ブロードウェイ】という言葉は、もはや単なる狭義のそれ=「オン・ブロードウェイ」に矮小化してはならないこと、そうではなく、最広義~拡大解釈?~のそれ=「≪オン+オフ+オフ・オフ≫ブロードウェイ」としてとらえ返さなければならないことを。私にとって、【ブロードウェイ】こそは、あくまで「オン・ブロードウェイ」と「オフ・ブロードウェイ」と「オフ・オフ・ブロードウェイ」の有機的な統一体にほかならなかった。

私は2000年9月にアメリカから日本に帰国。
その後も平均して2年に1度、1か月ばかりニューヨーク・マンハッタンに滞在し、相変わらず【ブロードウェイ】の魅力と魔力に取り憑かれた日々を送りつづけ、今日にいたっている。