映画『エル・クラン』 | 普通人の映画体験―虚心な出会い

普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

2016年12月6日(火)下高井戸シネマ(東京都世田谷区松原3-27-26、京王線・東急世田谷線下高井戸駅から徒歩2、3分)で、15:00~鑑賞。

作品データ
原題 EL CLAN / THE CLAN
【スペイン語の「Clan」とは、共通目的のために複数の人々が関わる集団であり、部族のことも意味する。犯罪を臭わすときに使うことが多いが、決していつもそうではない。】
製作年 2015年
製作国 アルゼンチン
配給 シンカ、ブロードメディア・スタジオ
上映時間 110分


「エル・クラン」

アルゼンチンで実際に起きた衝撃的な事件を映画化し、第72回ベネチア国際映画祭で銀獅子賞(監督賞)に輝いた犯罪ドラマ。平和な街で多発する富裕層だけを狙った身代金誘拐事件をきっかけに、ある裕福な一家に隠された秘密が描かれる
The true story of the Puccio Clan, a family who kidnapped and killed people in the 80s.
製作に『オール・アバウト・マイ・マザー』『トーク・トゥ・ハー』のペドロ・アルモドバル。監督はアルゼンチンの俊英パブロ・トラペロ。主演は『瞳の奥の秘密』のギレルモ・フランセーヤ。

プッチオ一家の凶悪犯罪⇒アルゼンチン国内認知度100%の異様な事件を完全映画化した本作は、2015年8月13日に同国で公開された(日本公開は2016年年9月17日)。そして、アルゼンチン国内映画史上最高となる4日間で延べ50万人、公開後2週間で150万人、8週間で300万人という驚異的な動員数を叩き出し、一躍“社会現象”を巻き起こした。

ストーリー
ダウン 1980年代アルゼンチン。史上最悪な独裁政治から7年以上が経ち、徐々に民主政治を取り戻していた時代。一見裕福で近所の評判も申し分ないプッチオ家は、父アルキメデス(ギレルモ・フランセーヤ)を筆頭に妻、息子3人、娘2人で幸せに暮らしていた。しかし、マルビナス戦争(フォークランド紛争)の敗戦が引き金となり、軍事政権内で情報管理官として働いていたアルキメデスは職を失ってしまう。
ある日、長男アレハンドロ(ピーター・ランサーニ)は、同じラグビーチームの友人に車で家まで送ってもらっていた。そこへ突然、見知らぬ車が割り込んでくる。その車から出てきた銃を持った男たちは二人の頭に布を被せ、二人を拉致する。友人は車のトランクへ、アレハンドロは助手席へ放り込まれた。なぜか運転席の男は、乱暴されたアレハンドロを気遣う。そこで覆面を取った犯人は、父アルキメデスだった!
翌日、アレハンドロがいつものように練習場へ到着すると、チームメートが誘拐されたことが既に広まっていたが、誰一人アレハンドロを疑っている様子はない。皆、姿を消した友人を心配しており、ひとり複雑な心境になるアレハンドロだった。
犯人が捕まらず街に不穏な空気が流れるなか、プッチオ家はいつもと変わらない生活を送る。夕飯の時間になると、アルキメデスは妻エピファニア(リリー・ポポヴィッチ)の作った料理を、キッチンから食卓ではなく、2階の奥にある鍵のかかった部屋へと運んでいく。何とその部屋は、プッチオ家に特設された監禁部屋(“ブッチオ刑務所”)だったのだ!
アルキメデスは人質に対し、身代金50万米ドルを用意させるため、家族に手紙を書くよう指示する。その後、身代金の受け取りに成功したアルキメデスは、人質を監禁部屋から車のトランクへ運び、アレハンドロが見守るなかプッチオ家をあとにする。しかし翌日、アレハンドロはチームメートから衝撃の事実を告げられる。何と、人質になった友人は殺害されていたのだ。その夜、父に理由を聞くと、人質から逆に脅され、家族を守るため仕方なく殺害したことを打ち明けられる。彼は「私を信じてほしい」と次の“仕事”に向け、協力を仰ぐのだった。
数日後、アレハンドロが経営するサーフショップの開店祝いで、町の人々に祝福されるプッチオ家。その姿は依然と変わることなく仲睦まじく、誰もが羨む光景だった。家族の秘密を知るものは、未だ誰一人いない。
ある日、アレハンドロが店番をしているときに若い女モニカ(ステファニア・コエッセル)がやってきた。モニカとアレハンドロは互いに惹かれあい、自然と恋人関係になった。店の経営も恋人との関係も順調なアレハンドロは、次第に普通の生活を望むようになっていく。次の“仕事”から抜けることを父アルキメデスに伝えるアレハンドロ。そこから徐々に、プッチオ家の歯車が狂い始める…。

アップ 本作の“主役”は、アルゼンチンのブエノスアイレス郊外の高級住宅地サン・イシドロ(San Isidro)に住む「プッチオ家」(EL CLAN PUCCIO)。コワモテの父のもと、優しい母と3人の息子&2人の娘が仲むつまじく幸せそうに暮らすプッチオ・ファミリーだが、どこか普通の家族とは違っていた。
お食事の前にはお祈りをし、お料理が美味(おい)しいとほめて、お食事の後には学校の勉強を手伝う。ほとんど戯画的なほど礼儀正しく敬虔な家族ではある。しかし、よくよく見るとこの家族は「妙にヘン」なのだ…。そう、何かがオカシイのだ!?

el-clan「何かおかしい」.

父の仕事らしい仕事といえば毎朝の街角の掃き掃除くらいだが、どうしてこんなに贅沢な暮らしができているのか。また、彼らの周りでは誘拐事件が続いている。食事の際に母が作る美味しそうな料理は、どういうわけか家族の分よりもいつも多め。食べ物を運ぶのは父の役目だが、その多めのひと皿は食卓ではなく、なぜか家族が住んでいないはずの部屋に運ばれていく。その部屋に住んでいるのは、いったい誰なのか。

「裕福で幸せな」プッチオ家の仮面は、物語のかなり早い段階で取り除かれる。本作の場合、最後の最後ではなく、最初からネタバレ全開で攻めてくる点が特徴的。
…アルキメデスは家事で疲れた妻の肩を優しく揉むと、彼女の取り分けた肉料理をトレイに乗せ、それを運ぶ。息子や娘に声をかける様子は日常の風景かと思いきや、彼の向かう先はリビング…ではなく、なぜか2階。表情を変えることなく、廊下の奥の一室の鍵を開ける。その中にいたのは、黒い布で目隠しをされ、鎖に繋がれ、恐怖に怯える若者!「安心しろ。メシだ」とドスの利いた声をかけ、彼は扉を閉める…。

この一家は実に身代金目的の誘拐をして暮らしていた。お金持ちに目をつけ、車で連れ去り、公衆電話から身代金を要求して、家族からお金をせしめたら本人を殺してしまう。それは父・アルキメデスが主導し、母や5人の子供たちも何らかの形で加担した、家族ぐるみの~アルキメデスの狂気が家族をも巻き込んだ~犯罪だった(子供部屋の横に人質の監禁部屋があっても、母や娘たちは見て見ぬふり!)。

ドクロ叫び  実際の事件

El-Clan
 ↑ 事件の当時の報道―「プッチオ刑務所」(映画では2階の奥まった奥まった部屋だが、実際は地下室“独房”)の生々しさ!

サン・イシドロの中心街~マルティン・イ・オマール通り544~に住むプッチオ家は、当主のアルキメデス、妻のエピファニア、息子3人(長男アレハンドロ、次男マギラ、三男ギジェルモ)、娘2人(長女シルビア、次女アドリアナ)からなる。
アルキメデスを首謀者とするプッチオ家は、1982年以降に4人を誘拐した末に3人を殺害した。
①1982年7月22日、Ricardo Manoukian(24歳男)を誘拐→身代金50万米ドルを受領後に殺害…
②1983年5月5日、Eduardo Aulet(25歳男)を誘拐→身代金10万米ドルを受領後に殺害…
③ 1984年6月22日、Emilio Naum(38歳男)を誘拐未遂で~拉致途中に車から逃げようとしたために~殺害
④1985年7月23日、Nelida Bollini(58歳女)を誘拐→「ブッチオ刑務所」に32日間監禁する…

1985年8月23日、ブエノスアイレス州誘拐捜査課~12台の車両と45人の警察官~がプッチオ家に踏み込み、監禁されていた女性実業家ネリダ・ボリーニ・デ・プラドを救出するとともに、一家のうち5人~父・母・長男・次男・長女~と長男の恋人モニカを、4件の誘拐と3件の殺人の容疑で逮捕する(三男と次女は犯罪への加担を疑われず)。その後、母と長女、モニカの3人は釈放されるが、裁判で父と長男は終身刑を、次男は13年の禁固刑を宣告される。

EL CLAN PUCCIO の家族構成】 (年齢は1985年8月23日のプッチオ家逮捕時のもの)
・父/アルキメデス・プッチオ(56歳)は元公務員・元外交官・公認会計士
・母/エピファニア・プッチオ(53歳)は公立高校の会計学教師
・長男/アレハンドロ・プッチオ(26歳)は街一番のサーフショップのオーナーで、地元ラグビーチーム「CASI(カシ)」の選手 
・次男/マギラ・プッチオ(23歳)は「カシ」の第3ディビジョンの選手
・三男/ギジェルモ・プッチオ(21歳)は熱心なスポーツ選手
・長女/シルビア・プッチオ(25歳)はカトリック系私立学校の美術教師
・次女/アドリアナ・プッチオ(14歳)は思春期の少女
(なお、長男アレハンドロの恋人モニカ・ソビックは、21歳の幼稚園教諭)

 ↓ プッチオ一家7人[実在の人物(前列・〇内)/本作出演者]
プッチオ一家
左からギジェルモ(フランコ・マシニ)、シルビア(ジセル・モッタ)、アドリアナ(アントニア・ベンゴチェア)、アルキメデス(ギレルモ・フランセーヤ)、エピファニア(リリー・ポポヴィッチ)、マギラ(ガストン・コッチャラーレ)、アレハンドロ(ピーター・ランサーニ)。

ブッチオ家は家族ぐるみで誘拐→監禁→身代金要求→殺害を行なった。
主犯格は父親のアルキメデス。この主犯ぶりに対比して妻と3人の息子、2人の娘たちの協力(共犯)の程度・内容は微妙である。
問題は家父長としての権威を振りかざし、家族に屈従と沈黙を強制するアルキメデスに対して、何事によらず見て見ぬふりを決め込む、妻をはじめとする家族の姿勢である。

ラグビー選手として知られた長男のアレハンドロの場合、父に命じられてチームメートの誘拐に協力するも、身代金を奪うだけだったはずなのに、父がチームメートを殺したことで苦悩する。
彼は次第に~特に恋人のモニカができ、自分のサーフショップが軌道に乗り始めると~父親に反発し、誘拐稼業から足を洗うべく、3回目と4回目の犯罪の実行に参加はしなかった
しかし、アレハンドロが(4回目に誘拐された)ネリダ・ボリーニの自宅電話番号が書かれていた紙切れを所持していたことが、彼の逮捕の決め手となった。
彼はもともと拉致には協力しても殺害には一切関与していないがゆえに、裁判では最後まで罪を認めなかった。だが、父親から報奨金をもらっている以上、どだい無罪が通るものではない。
彼はブエノスアイレス裁判所から移送中に係官の手を振り切って5階の回廊から飛び降り自殺を図る(本作ラストシーン)。しかし、2階部分の柔らかい屋根に落下、死ねなかった。これを含めて彼が自殺を試みること3、4回に及んだ。常に精神状態が不安定で、刑務所内の精神病棟に収容され、2007年条件付きで釈放されるも、翌年49歳で没している。

長男が犯行から抜けたあと、急遽浮上するのが、次男マギラの役割である。オーストラリア暮らしで太っちょとなったマギラを、母親エピファニアがブエノスアイレスに呼び戻す。
アルキメデスの指揮下に見事に組み込まれている妻エピファニアの、長男の抜けた分を直ちに次男で穴埋めする、静穏だが何か不気味な助っ人ぶりだ。
マギラは最後(4回目)の犯行=ネリダ・ボリーニ誘拐事件の廉で、実刑判決を受けた。
エピファニアは逮捕されるも、証拠不十分で2年後に釈放される。80歳を過ぎた現在は、一時親戚に預けられていた次女アドリアナと暮らしている。

三男ギジェルモは2回目の誘拐⇒自宅監禁で事件の概要を察知するや、ラグビー遠征で訪れたニュージーランドにそのまま亡命して帰国していない。
地下の監禁部屋の階段を上り降りしたと証言した長女シルビアも当然嫌疑をかけられたが、母親同様加担した証拠が不十分で釈放される。52歳でこの世を去っている。

エピファニアの夫にして、アレハンドロ/シルビア/マギラ/ギジェルモ//アドリアナの父でもあるアルキメデス・ブッチオ
「家族愛」⇒“自己愛”に偏執するアルキメデスが誘拐ビジネスという「汚い仕事」に手を出したのは、何故(なにゆえ)か。一家の生計が立ちゆかなくなったためか。それとも、時の民主政権に対する復讐心が働いたのか。否、もともと犯罪に快楽を覚える体質を持っていたのか…。
“モンスター”アルキメデスは逮捕以降→最期まで、「自分こそ被害者」と罪を認めなかった。軍政が続いて失業しなければ誘拐ビジネスには手を染めなかった、悪いのは民政化という論理である。
(映画シーンで)彼は逮捕された瞬間から言い逃れの準備を始めるが、留置所で、看守に暴行されて無理矢理「嘘の証言」をさせられたと偽るために、息子のアレハンドロに殴ってくれと頼む…(犯した悪行もものかは、狡猾を弄するばかりの卑劣漢!)。
彼は収監中に弁護士の資格を取り、数か所の刑務所を経て、2008年に浴室設備のない住居指定の条件付きながら釈放される。2013年、脳血管障害のため、簡易ベッドの上で84歳の生涯を閉じた。

わが家の夫=父がその首魁だということを知りながら、程度の差こそあれ、禍々(まがまが)しい犯罪の現実から目を背け続ける妻子。ブッチオ家では、家族間に隠される秘密のベールが決して取り去られることはなかった。
このブッチオ家の事件は、いわゆる「暗黙の共謀」(コンスピラシー・オブ・サイレンス〈conspiracy of silence〉)に支えられた犯罪である。
それは、法律用語における「共同謀議」よりもっと広く、お互いに自分に不利なことを口に出さず、目前の状況から目を背け、不正の横行や危険の拡大を見逃してしまう状態のこと。
私たちはゆめゆめ忘れるなかれ!世界の歴史上、あのホロコースト(The Holocaust=ナチス・ドイツ〈1933年~ 1945年〉による、600万人のユダヤ人を中心とした大量虐殺)こそ究極するところ、この「暗黙の共謀」の問題状況に帰着することを―。
犯罪が明るみに出たとき、そんなことは知らなかったと誰もが弁明に努めるが、実際には自発的に目を瞑(つぶ)り、沈黙し続けていたわけである。

本作『エル・クラン』では、「暗黙の共謀」がまざまざと、生き生きしたリアリティーを持って描き出される。

本編映像 [(1)プッチオ家の父親がブチ切れる衝撃映像(52秒)→(2)予告編(1分59秒)]
息子アレハンドロが経営するサーフショップの戸を激しく叩く父アルキメデス。「早く開けろ」と悪鬼のごとき形相で乗り込んできた瞬間、父は息子の首を絞め、壁に押し付ける。「直前にお前が抜けたから失敗した!」(アレハンドロは3回目の犯行から直前に抜けたが、結果として当の犯行は失敗~誘拐未遂で被害者を殺害~に帰する―。)】



◆「監督:パブロ・トラペロ(Pablo Trapero、1971~) インタビュー
[『エル・クラン』劇場用プログラム(編集:奥村裕則・加勢恵理子、発行:株式会社シンカ、定価:700円〈税込み〉、2016年9月17日発行)
Q:プッチオ家の事件が起きた当時のアルゼンチンについて、どのようなことが記憶に残っていますか?それは、どのように本作に影響しましたか。 
事件のニュースを最初に聞いたとき私は13歳か14歳でした。プッチオ家はごく普通の家族に見えました。近所の人たちですら、彼らが酷い犯罪の主犯格とは信じられなかったほど、彼らはどこにでもいる普通の家族だったのです。それから何年も時が流れ、プッチオ家の事件に基づく映画を作ることを考え始めたのは、2007年に『檻の中』の準備をしている最中でした。しかし、当時の私はまだこの家族の表面的な部分しか知りませんでした。あまり情報は残っておらず、特にアルキメデスとその“時代”との関連性は知られていませんでした。調査する中で、この家族のストーリーが実は世の中に完全に通じるストーリーであることに気付きはじめました。
そして、アルゼンチンの歴史の知られざる時代を語ることができるとも思いました。家族を巻き込んだプッチオ家ほど強烈な例は他にありませんが、このようなケースはいくつかありました。また、政権の移り変わりも当時を象徴しており、この移り変わりがプッチオ家のストーリーに終止符を打ったのです。ゆえに、映画の中に捜査を担う役は登場しません。なぜならこの一家を捕まえようとした具体的な人物はいなかったからです。プッチオ家や彼らのような人々の時代を終わらせたのは政治的な変化でした。プッチオ家の事件は、病んだ社会の象徴です。一家について理解を深め、彼らの私的な部分を掘り下げていくうちに、アルゼンチンの歴史のなかに生まれたこの“時代”を証言する映画になると気付きました。

目 事件の背景”の補足説明: アルキメデス・プッチオの犯罪の背景には、軍事政権下の非人道的な殺戮があった。アルゼンチンでは軍事政権のもとで、70年代後半から80年代にかけて、膨大な数の人々が拘引され、多くが処刑された。不当に逮捕されるという段ではなく、文字通りいなくなり、消されてしまう。左翼ゲリラへの対処が政府の言い分ながら、裁判も何もなしに殺されるもので真相は闇に封じ込められる。殺害された人数は低めの推定でも優に1万を超えるとのこと。パブロ・トラペロ監督はある電話インタビューで、「事件当時のアルゼンチンは政治的な変革期にあったようですね」との質問に対して、こう答えている。
「あの犯罪は、アルゼンチンの政治状況によって起きたものだ。冷血な軍事政権の下、多くの政治的迫害、誘拐が発生し、行方不明者が多発した。祖国という名のもとに他人の子供を誘拐して自分のものにするといった残虐行為が行われ、何の関係のない人たちまでが利害関係によって殺された。さらにはフォークランド戦争という痛ましい戦争も起きた。それ以前にも軍事政権の時代はあったが、このときほど、暴力的で残酷な時代はなかった。アルゼンチン史における暗黒の時代だ。幸いな事にその後民主化されたので、あれほど残酷な状況に戻ることはもうないだろう。」http://news.aol.jp/2016/09/15/el-clan/


Q:収集した情報の中からプッチオ家の要素を歪めずに、インパクトある劇映画を作るのは苦労しましたか?
実在する人物が登場し、事実に基づいた映画を作るというのは初めてだったので、これは大きな挑戦であり責任重大でした。被害者家族にとっては、自分たちの名前が映画に登場するということになりますので。彼らの実体験に基づいた話をどう扱えばよいかというのが課題でした。映画を観る大半の観客の目にはフィクションのように映るでしょうが、これは実際に起きた出来事なのです。被害者家族と話せたのはとても役立ちました。事件の裁判官や、事件を追いかけていたジャーナリストたちとも会いました。事件の病的な側面についてアドバイスをくれる心理学者とも話しました。サン・イシドロ地区に住んでいた人々のもとへも訪ねました。人質が監禁されているプッチオ家に夕食に招かれた人たちもいて、詳しい情報を話してくれたのです。
ほかにも、アレハンドロとラグビーチームで一緒だったチームメイトたちからは彼の人物像を教えてもらいました。現実の世界でも映画の中でも、彼らは最後までアレハンドロが罪を犯したことを信じられずにいました。今でも彼らは心のどこかであれはひどい間違いだったんじゃないかと思っているんです。
また、アルキメデスとアレハンドロとの間で交わされた会話の記録はもちろんありませんでしたが、複数の手紙があったので彼らがどんな会話を交わしたのかは想像できました。今のように何でも動画に残す文化がない80年代の出来事でしたから、ビデオは残っていませんでした。しかし写真は多く残っていて、脚本にする際はもちろん、俳優たちにとっても役に立ちました。彼らがどのように振る舞い、アルキメデスがどのように息子を見ていたか研究できました。映画化のプロセスは大変でしたが、彼らの人生を再現するにあたっては、手に入る資料にできる限り忠実であろうとしました。

Q:プッチオ家の関係はスクリーン上では恐ろしいくらい普通ですね。アルキメデスとアレハンドロのやり取りは突出して強烈に映し出されています。片方が一家の怪物だとしたら、もう片方は明らかにより人間的で、矛盾や良心を内包しています。
アルゼンチンにはこんな言い習わしがあります。「太陽を手で隠すことはできない」。現実があまりにも激しいと、何事もなかったかのように過ごすのはとても難しいということです。『エル・クラン』は、アルゼンチン人であろうとなかろうと、一般的な観客がある一定の政治的寓話を体感することができる映画になっています。社会が問題を解決しないと、その問題はどこか別の場所で起こり得るのです。観客は30年前のアルゼンチンや今日のアルゼンチンとは関係なく、この映画の中で自分たちに通じるリアリティに直面するでしょう。時代の背景や現象の間に存在した何かがこの事件を引き起こし、不幸なことに似たようなことが様々な社会で繰り返されているのです。

Q:本作では、劇中で起きる事に対するコントラストの役割として音楽が重要な役割を果たしています。ある時には音楽が映画にブラックコメディの印象を加えたりもします。なぜ、このようなクラシックなロック曲を選曲したのでしょうか?
クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルやキンクス以外は、ほとんどが当時の曲です。それら全てが軍事政権下では禁止されていた曲でした。興味深いことに、フォークランド時代からイギリスの音楽は禁止されていました。しかし、中流階級家庭ではスペイン語の音楽を聞くことはなく、英語の曲を聞くことが流行っていたのです。また、時代を表現するために選んだ曲もあります。例えば、1985年にデイヴィッド・リー・ロスは大人気でした。そして1982年頃、アルゼンチンではセル・ヒランが有名でした。アルゼンチンのバンドVirusはエラ・フィッツジェラルドやクリーデンス、キンクスと並んで1983年を代表するバンドでした。キンクスの楽曲「サニー・アフタヌーン」(66)は歌詞の皮肉さが特別なんです。

Q:まだ存命するプッチオ家のメンバーについて、何が言えますか?また、彼らは映画製作のプロセスに参加しましたか?
僕らはエピファニア(母)に接触を試みたけど、彼女は僕らに話したがりませんでした。マギラ(次男)とアレハンドロの友達を経由して、マギラにもスカイプで話を聞こうとしましたが実現しませんでした。しかし、アルキメデスに関して面白いことが起きました。2012年に本作の製作が発表された時、僕は他の企画に取り掛かっていました。その映画が公開されると、アルキメデスからメディアを介して「トラペロに会って真実を話したい」と言ってきたのです。しかし、僕がこの映画のためにアルゼンチンに戻ってきた時には、彼はもう亡くなっていました。もし僕が彼と話せていたなら、何を語ったのか想像がつきます。彼には犯罪に関与したという罪の意識はありませんでした。むしろ彼は犠牲者でした。でも僕が知りたかったのは、なぜ彼が家族に対してあのようなことができたのか?ということでした。なぜなら、映画を見てもわかる通り、そして僕らがリサーチしていた時ですら感じたことですが、彼は家族をとても深く深く深く愛していたのです。彼が犯したことは全て家族のためでした。ただ、映画でもわかる通り、家族は彼の意見に感化されてしまうのです。