日々、いろんなことが起こるよね。

そんなに大きな出来事ではなくとも、
いろいろある。

というか、
感じ取っている。



誰かに言われたひと言とか、

あの時のあの人の表情とか、

言葉ではなくても伝わってくる、
本当の思いとか、

感じ取ってしまう。



本来は自分のことではないのだけれど、
自分のことと混同してしまって、
そこにエネルギー使ってしまっている。


それが原因となって、
心身ともに疲れてしまうということは、
よくある。


でも、
自分自身が思ったり考えたりしていることと、

他人のそれを切り分けられるようになると、

楽になる。


どこまでが自分で、
どこからが他人なのかが分かるようになるから。


他人のことは、
私が頑張ったところでどうにもならないから、

必要以上にそこに思いを注いでも、
ただただエネルギーを浪費するだけ。


今、自分がここにいて、
今するべきことを、する。

ということに、
全うにエネルギーを注いでゆきたい。



そんな時にはまず、
自分の内側に繋がって、

そこに意識を向けて、
身体と共に静けさを感じていく。

自分の奥深くと繋がり、
静けさを感じているうちに、

少しずつ少しずつ

頭の先から
足のつま先まで

落ち着いて
静かになっていくのが感じ取れる。



まずは自分自身を感じていく。

そして今私はここにいることを感じていく。


身体をすみずみまで感じ、

感情に耳を傾け、

自分が今この瞬間に
どんな状況にあるのかを、

しっかりと見て
その声に耳を傾けてあげる。



嬉しい時も
楽しい時も

愉快な時も
ご機嫌な時も

悲しい時も
辛い時も

怒り狂っている時も
嫉妬で焼き尽くされそうな時も


どんなときも。


どんなときも、
必ずいつもそばにいてくれるのは、


私だから。


だからどんなときも、
共に味わっていこう。


だからどんなときも、
共に感じていこう。


私たちの目的は、
きっとそこにあるのだろうから。






シェア、リブログ、大歓迎です(*'▽')
自分の内側で起こっていた大乱闘。

とりあえず、
終息の方向に向かっている様子。


ここ数日、
嫉妬や羨望という気持ちに絡み取られながら、


その、

ジワジワと胸を焼き付けられるような、

徐々に喉元を締め付けられるような、

その息苦しさと共に、

まるでマグマのような、
猛烈に高温で粘着質のエネルギーが、

お腹の底からとぐろを巻くように
胸から喉元へと突き上げて焼かれていく。


そんな、
強烈に居心地の悪い、

【悶絶】

を味わっていました。



そしてその居心地の悪さから
目を逸らすことなく、

しつこいくらいに逃げずに
味わい尽くしていたのは、


それが一番効率的だ


ということを、知っているから。



感情というのは、
味わい尽くすことをしなければ、
昇華することはないのです。


感情というのは、
一見大丈夫そうに思えても、

ちゃんと真っ直ぐに見つめて
そこに「ある」ことを受け入れない限り、

ちゃんとみてもらえるまで、
そこでくすぶり続けるのです。



だから、

どんなにしんどくても
どんなに醜くても
どんなに悲しくても

ただただ、それを味わう。

味わう。

味わう。


そうすると、
味わい「尽くす」ことができる、

その瞬間が、来る。



その瞬間を、

【吹っ切れる】

と表現するのが、
私はピッタリくる感じがする。


味わい尽くした、その瞬間。



吹っ切る、という表現は、

力技で目を逸らす

という感じがする。



それは実は一番、

効率の悪いこと

のように、私は感じる。


瞬間的に逸らすことができるから、
解決したような気が、する。


でも実は何も解決していないどころか、

力技で封じ込めたそのエネルギーは、

抑えつけられた分だけ、
密度が増し、
濃いエネルギーに変換されていく。


それはいずれ、
何らかの形で暴発していく。


ある時怒り狂う、
というのならまだ健全だけれど、

それが、望まぬ形で、

暴力や
心への不調や
自己やケガ
身体の不調

などになったときには、
相当なレベルに抑圧されているから。



吹っ切る、のではなく、

吹っ切れる、のを信頼して待つ。


内側で起こっている大乱闘を、
鎮めるのではなく、
心を寄せて見守る。

辛抱強く。


それは、愛。

己への、深い愛だ。



今朝、目が覚めた時、

頭がズーンと重くて、
身体もだるかった。


けれど、
不思議と気持ちはカラッとしていて、

仕事に向かう電車の中で、
ふと目にしたSNS。


自分は何も知らない、
自分は何もわかっていない、
ということを素直に認めること



別に何の変哲もない、
いつもどこかで見かけているような文章。


でも、

今日の私はこの文章を読んで、


「そういうことか!」


って、
そう思った。


自分は何も知らない、
自分は何もわかっていない、

それを素直に認めて、

今という瞬間を感じ、

次の瞬間も同じように感じていく。

積み重ねていく。



いつも、新しい自分なんだ。


過去の積み重ねはあるし、
今の自分を支えてくれているけれど、

今という瞬間は、
それに縛られる必要はないし、

いつもその瞬間というのは新しくて、
フレッシュで、

どんな選択も可能なのだ。



そう思ったら、
私は【吹っ切れた】。


あ、そうか。


って、ほんのその一瞬。

自分の身体が感じ取ったその感覚。


それを見過ごさない。

それをなかったことにしない。


それを信頼して、次へ進む。


だって私は、
ちゃんともう全てを分かっているんだから。


大丈夫だ。


前回の記事の中に書いた

自分の内側で起こっている大乱闘。


ピークは過ぎた?のかな?

いや、
またこれから来るのかもしれないけれど、
今はとりあえず小康状態。


で。

この自分の内側で起こる大乱闘とは、
具体的にどんなことかというと。


まずはとにかく感情が暴発した状態。


お腹の深いところから、
大きなエネルギーの塊があがってきて、
それが感情を揺り動かす。


いつも気にならないような些細なことに
カチン!ときて、

相手を責めたり、暴言を吐いたり。


私は夫や子供たちに、
それこそ分かりやすい言葉で表れてきます。


「さっき言ったでしょ?
 人の話聞いてるの?」

「何度言えばわかるの?」

「もうとっくに時間過ぎてるんですけど。」


みたいな。

わかりやす 笑


でねー、
以前は私ここで、

言っちゃった後に自己嫌悪に陥って、

こんな母親じゃダメだとか、
こんな人間くずだとか、

自分を責めて苦しくなってたのですが、

そこはどうにか越えて、
その自己嫌悪はほとんどなくなりました。

それは家族の広大な愛のおかげです。

受け止めてもらえる安心感があるからこそ、
安心して出せるようになりました。
(調子に乗って出し過ぎるなよ、おい。)



あ、それよりもっと以前に、

こんな言葉が出そうになった時に、
必死に言わないように頑張る、

みたいなのは、
実は私はあまり経験がないのですが
(というか正確にはできない w)

自然と出そうになるものを、
無理やり止めてしまうという不自然さは、

やっぱり循環としてよろしくないので、
まずは外に出す、ということを、
大切にできるといいなと感じます。



で、暴言吐いてしまった後に、
自己嫌悪にはならないのですが、

その、今言った言葉が、

それは、夫や子供に言ったつもりで、

実は自分自身に言っている言葉なのですね。


だから、
ブーメランのように帰ってきて刺さる…

えぇ、自分に。

グサリと。



「さっき言ったでしょ?
 人の話聞いてるの?」

これね、
何度も自分の思いや欲しいものを伝えているのに、
どうして耳を傾けてくれないの?って怒り。


「何度言えばわかるの?」

いいかげんにしろよ、
もうどんだけ我慢させるんだよ、ふざけんな!
って、これも怒り。


「もうとっくに時間過ぎてるんですけど。」

やるやる詐欺も、いい加減にしとけよな。
何度約束破れば気が済むんだ、ってこれも怒り。


怒ってるわけですよ、
内側の私がね。

外側の私に向かって。

いいカッコするのもいい加減にせーやと。



もちろん、

純粋な自分の思いを
そのまんまの形で今すぐに
どうにかできるかどうかはわからないし、
判断が必要な場面もあるけれど。


できるのに、
言い訳して逃げて、
自分以外の誰かや何かのせいにして、
やらないせんたくをした。


っていう、
このごまかし感?嘘つき感?

もう、私は徹底的にこれが許せない。


許せないらしいのです。


だからまずは、
その、

ブーメランとなって返ってきた
自分への言葉を、

しっかりと受け止めて、

目を逸らさずに耳を傾けて、
自分の中に染み込ませていく。


自分の至らなさとか、
自分の傲慢さとか、
自分の未熟さとか、

もう、情けないですよ。


今日はなんか一瞬、

このまま死んでいなくなってしまいたい

って、思ったもんね。
マジでね。


そのくらい、
ごまかさずに真っ直ぐ見るっていうのは、
ヘビーな感じがします。


そして、
こんなヘビーなことしなくても、

軽やかに進んでいける人たちが、
本当に羨ましい。


あ、ここでも出たね。

羨ましい。
羨望。
憧れ。


私もそうだったらいいのにな。

軽やかに、楽し気に、明るく、
いつもそう在れたら、

いいなぁ。


いつかそんな風に過ごせたら、
心地よいだろうな~。


でも今はまず、
私の質も大切にして、

これを味わい切る、のみ。


目を逸らさずに真っ直ぐに。
先日書いたこの記事。

嫉妬という感情が気付かせてくれていること。

まだ続いています(笑)



えーかげんにせーよー

って、思うだろうし、

そんなん意味ないよー

って、感じるかもしれない。



きっと今までの私も、

長いこと浸ってたって
しょうがないじゃん!

って思って、
気持ち切り替えていたと思う。


そうそう、
「気持ち切り替える」。


これね、
ここね。


切り替えることは必要だと思う。

ずっと浸っている状態は、

「甘え」だったりとか
「逃げている」だったりとか、

そういうことなんだなって
今回また気づいたから。



だけどね、
その「切り替える」をする時に、


今実際に感じている
モヤモヤっとした気持ちを

バッサリ!

と切り捨ててしまうとこれまた、
全然切り替わらないのですよね。


なぜなら、未消化だから。



いわゆる、
そこにいるのに無視されたまんま、
置き去りにされても、


「ここにいるよー」


って声は、
耳元で聞こえ続ける…

それはまたそれで、気になる、
が続くってこと。



今回の私の嫉妬の件については、
もう自分にとっては

すごくでっかくて
すごくわかりやすくて

それくらい大きな出来事だ!

と認識していたので、


もうとことん話聞いてやろうじゃねぇの!

でないとまたずっと、
背後にへばりついて囁き続けるんだろ!

そんなのごめんだ!

みたいな、
悲しいかな自作自演みたいなことになってるけど、

もうここまで来たら、
自分で蒔いた種は、
自分で刈り取って、

その後も丁寧に心を寄せながら
耕して、整えていこうって、

そんな心境で、今ここ(長い)。



あ、そうだった。

嫉妬という感情のその先にあるものね。

自分で書いたタイトル見て思い出した(笑)


どうして私は書きながら、
話しがあっち行ったりこっち行ったりするかね。

学生にPREP法とか伝えている人とは、
到底思えない…

ま、いいか。



そうそう、
嫉妬という感情のその先にあるもの。 

(はよ書け)



その先日のブログの中で


この羨望の先には、
実は怒りがあって、

そしてそのまた先には、
悲しみがあった。

何日か前に書いた記事にもあるけど、

「またひとりぼっちになりたくない。」

という、
強くて根深い、そんな思い。

孤独、ひとりぼっち、不安、焦り。

もう、それがもう、
どこがどうなっているのかも
わからないくらいに絡み合っている。



と書いているんだけれど、
まだその先があった。



ちょっと話を分かりやすくするために、
私が何に嫉妬しているかを書くと、


今まさに、

京都の比叡山の麓・修学院で、
Art of Feminine Presenceの
ティーチャートレーニングが開催されているのです。


私はそれに、参加したかった。


私は、
AFPのティーチャートレーニング
(アメジスト)に参加したかったのです。


えぇ、ものすごく。




それを、
トレーニングがスタートしてから、
ものすごく実感しているんですね。


もちろん、前々から、

「できれば行きたい」
「行けるもんなら行きたい」

という気持ちがあったことはわかっていました。


けれど、
現実的に考えると、

予算が…
仕事が…
家族との予定が…とか、

まぁ、そんなことを言い訳にして、


「今回は見送る」


と自分で決めていたわけです。


えぇ、自分で決めた。


はずだった。



そしてそれは間違いないことだけれど、

合意がされていないまま、
強引に決済・実行された。


ことも事実。


誰と?

それは、自分自身とです。


意識としての自分は
それでいいと思って決済・実行した訳だけれど、

本音の自分(インナーチャイルドともいう)は、
それに合意したつもりは全くなかった。


だから、それに対する不満が
大爆発して、

トレーニングが始まってからというもの、
大乱闘を繰り広げているのです。


私の内側でね。



あぁ、本音を本気で裏切ると、
こういうことになるんだね~。

と、
どこか客観的に見ている私もいる。


怒り、悲しみ、
孤独、ひとりぼっち、不安、焦り。


が、まず湧き上がってきたけれど、


その先には、

悔しさと
悲しみと
惨めさと
自らの愚かさと

そして
情けなさ



これはさ、
自分で自分を
守ってあげられたかったことへの、

自分で最後まで
自分を応援してあげられたかったことへの、

自分への謝罪だよね。


申し訳ない

って、気持ち。


自分で自分を救ってあげられなかった。

他のことを言い訳にして、逃げた。


本当に欲しいものを

欲しい!

と叫ばせてあげる前に、

言い訳して逃げ出した。


カッコ悪くなる前に、逃げた。


心からの欲望を叫んで、
カッコ悪くなる自分を封印したよね。

わたし。

あの瞬間ね。



だから、
せめて、
今私にできることとして、

もう心ゆくまで乱闘してもらって、
その気持ちを徹底的に聴く。

それが浸っていると言われようと、
しつこいといわれようと、

自分が自分を最後まで守ってあげられなかった、
そんな申し訳ない気持ちを、

ここで切り捨ててしまったら。


もうなんかそれは、
私ではなくなってしまうと感じるから。


私が私という人でなくなったら、

なんかもう私は、
生きる気力を失ってしまうと思う。


だれかや、なにかの、
奴隷として生きるような時間は、

私は求めていないから。



だから今回は、
とことん自分の情けなさと愚かさを感じて、

泥の底の底の底まで潜って落ちて、

そしてまた、
そこからゆっくりと水面に顔を出し、

ゆったりと呼吸を始めていこうと、

そんな感じ。



そして、
そうやって進んでいく自分も、
いいじゃないかと思うわけだ。



結局ね、
邪魔していたのはプライドだよね。


堕ちるところまで堕ちる。


その経験も必要だったのかもしれないし、

その経験をするために、

トレーニングには行かないと
決めた自分がいたとすれば。


それはもう、完敗。

恐れ入りました。


もうこんな経験は十分だから、
今回で味わい切って、

すっきりと切り替えて次へ進む。


そんな感じで、今ここ。



そして最後に気付いたことは、

私はこんなにも


アート・オブ・フェミニン・プレゼンスが
大好きなんだなってこと。






AFPのキャッチコピー
"be seen, be heard, inspire change"

人に見られる=自分の姿を表す
人に聞いてもらう=自分の声をあげる、伝える
そして、変化を促進する。変化を起こす。



理由、理屈も、
上手く説明できないけれど、

いつも私に勇気を与え、
そしてエネルギーを湧きあがらせてくれる。


ただただ純粋に、好きだ。

そして私にとって大切なものなんだ。


その大切なものを、
大切にし続けて生きる、
私は私を生きたい。


そう思う、今ここ。



そして、

京都のトレーニングに参加して
さらに!バージョンアップ真っ只中の麻子ちゃんと、

そんなこんなの渦中にいながらの私、
(おそらく遠隔でトレーニングに参加中w)

2人でお送りしてまいります、

7月7日の七夕から始まる
Art of Feminine Presence 連続5回クラス。

いやこれ、
相当パワフルになるでしょう。





まだお席ご用意できますので、
ピンときた方はすぐお申込みくださいね。


今回の私のシェア、ぜひ生かしてね~(笑)


ピンと来た時がタイミング!
そしてそんな時が合意成立してるはず。

無いこと、にしないで、
その先に共に進んで参りましょ♡


詳細はこちらのページからどうぞ。
 
====================

Art of Feminine Presence 連続5回クラス

場所:自由が丘
主催:鈴木麻子&白鳥未緒

DAY1:7月7日(日)10:00-15:30
DAY2:8月4日(日)13:00-18:00
DAY3:8月31日(土)13:00-18:00
DAY4:9月 *参加者で日程調整の上決定
DAY5:10月 *参加者で日程調整の上決定

====================



だいぶ久しぶりに、
「嫉妬」という感情に絡み取られてます…


嫉妬、というよりも、
羨望、のほうかな。

いいなぁ~
羨ましいなぁ~
私もそうしたいなぁ~

という、あれです。


今回のこの嫉妬に絡み取られる体験は、
私にとって大事なものを、
どんどんあぶり出してくるような、
そんな時間になっています。


この羨望の先には、
実は怒りがあって、

そしてそのまた先には、
悲しみがあった。


何日か前に書いた記事にもあるけど、

「またひとりぼっちになりたくない。」

という、
強くて根深い、そんな思い。


孤独、ひとりぼっち、不安、焦り。

もう、それがもう、
どこがどうなっているのかも
わからないくらいに絡み合っている。


そんな状況が自分の中にあったのです。


それが今回の、
羨望に絡み取られる経験の中で、
すこしずつほどかれていっている。

そんな感じが今、しています。



そして私は、
私の中にいる私、

純粋無垢な私、
本音の私、

インナーチャイルドともいうかな。


その子の声を、
大切に聞いていなかったんだなと、

聞いているつもりだったけど、
聞き流していたんだなと、

我慢させてきたんだなと、

すごくそれに気づいています。


本当の自分の望みよりも、
他の何かを言い訳にして、

例えば仕事があるとか、
例えばお金が足りないとか、
例えば家族の都合がとか、

そんなどうにでもなることを、
どうにもならないふりをして、

自分ではなく
他人に責任をなすりつけて、

堂々と自分で自分の責任をとる、

というか、
自分で選んで決めるということを、

ぜんぜん、
まったく、
してこなかったんだなということを、

そんなキャリコンなんていらねーよって
思われそうだけれど、

これが私だから仕方ない。


本当に恥ずかしけれど、
全部他人のせいにして逃げてきた、

自分の欲しいものを言葉にせずに、

自分が手に入れられないことを嘆き、
慰めてもらうことを選んできたんだと、

そんなことに気付いている今。


さぁ。

私はこれから何に気付いていくのだろう。

どこに繋がっていくのだろう。

そして何が見えてくるのだろう。


今の想いを綴っていく。

何に応えるのでもなく、
ただただ表していく。

整えずに、そのまま出していく。

そのチャレンジをまず、していくよ。