夏至の日。
夏至点の通過が真夜中だったことから、
本当の意味で一番日照時間が長かったのは、
昨日だそうですが。
でも、夏至。
陰が一番極まる日。
なんかこの日、
夏至点の通過に向けて、
私だけでなく、
多くの人たちが、
自分の内側に目を向けながら、
変化、変容に向けての
様々な思いを感じていた。
そんなここ最近だったように感じています。
私は今朝、
すっきりした感覚がありました。
越えたんだな、っていう感じ。
(どんな感じだよ、おい w)
なんていうのかな。
何でも大丈夫で、
何でもオッケーで、
いつでも大丈夫で、
いつでもオッケーなんだ。
という感覚が、
ストンと落ちた感覚。
自分で決めたらいいし、
自分で選んだらいいし、
いつでも自分の意思でできる。
そしてそうしたものが
今手の中にあるし、これからもそう。
やってもやらなくても、
必要なものは手に入るし、できる。
今自分にできることが、
今自分がやることだし、
それが
そう望んでいようといなかろうと、
今日できたことが、
やるべきことだったってこと。
ムダなことなんて起こりはしないし、
ムダなことなんて存在しない。
今ここ。
今自分が感じていることに気付き、
今自分が感じていることを味わい、
そこから湧き上がってくることに気付き、
そしてまた味わう。
それだけでよくて、
そしてそれが一番大切なこと。
原点はそこ。
そこからどうしたいか?
それを純粋に、
純粋に、
ただただ
そのままを受け取って、
そのまま流れるように、
流れるように
動くままに
ただただ動いていくのがいいのだと思う。
それはもちろん、
考えているだけでは分からないから、
ただ身体の感覚に耳を澄ませて、
自分に寄り添っていったらいいのだと思う。
だって、唯一の正解なんてないし、
だって、全てが正解なのだから。
みんな正しいのだから、
私だって正しいんだ。
なんでもいいのだし、
なんだって大丈夫なのだから。
もう全て自分は持っているから、
足りないものなんてありはしない。
たくさんの情報に触れられるから、
いろんな人がいることに気付くけれど。
「ない」ことや
「まだできていない」ことを
早く
って言ってくるような、
そう言われているような、
不安をあおられるような感覚になった時は。
それが、
自分にとって心地よい感覚でないのなら。
それが、
恐怖や不安を増幅させるものならば。
どうぞそこからそっと離れて、
「大丈夫」と自分が感じられる、
そんな場所に身を置くことを、
どうぞ許してあげて欲しいと思います。
なぜなら。
自分が自分らしく生きるために、
目印となる感覚は、
安心とわくわくだから。
自分の方向に進むためには、
不安を原動力にするよりも、
安心とワクワクを原動力にした方が、
よりスピーディーに、
より遠くまで飛べる。
だから、離れることに安心をして。
自分の内側を信じて、
自分が喜ぶ方向へと、
自分を導いてあげる。
そんな勇気を私に授けてください。
私は夏至の日の願いとして、
自分のこの言葉を放ちます。
私は、私を生きるのだ。
私は、私が決めるのだ。
夏至点の通過が真夜中だったことから、
本当の意味で一番日照時間が長かったのは、
昨日だそうですが。
でも、夏至。
陰が一番極まる日。
なんかこの日、
夏至点の通過に向けて、
私だけでなく、
多くの人たちが、
自分の内側に目を向けながら、
変化、変容に向けての
様々な思いを感じていた。
そんなここ最近だったように感じています。
私は今朝、
すっきりした感覚がありました。
越えたんだな、っていう感じ。
(どんな感じだよ、おい w)
なんていうのかな。
何でも大丈夫で、
何でもオッケーで、
いつでも大丈夫で、
いつでもオッケーなんだ。
という感覚が、
ストンと落ちた感覚。
自分で決めたらいいし、
自分で選んだらいいし、
いつでも自分の意思でできる。
そしてそうしたものが
今手の中にあるし、これからもそう。
やってもやらなくても、
必要なものは手に入るし、できる。
今自分にできることが、
今自分がやることだし、
それが
そう望んでいようといなかろうと、
今日できたことが、
やるべきことだったってこと。
ムダなことなんて起こりはしないし、
ムダなことなんて存在しない。
今ここ。
今自分が感じていることに気付き、
今自分が感じていることを味わい、
そこから湧き上がってくることに気付き、
そしてまた味わう。
それだけでよくて、
そしてそれが一番大切なこと。
原点はそこ。
そこからどうしたいか?
それを純粋に、
純粋に、
ただただ
そのままを受け取って、
そのまま流れるように、
流れるように
動くままに
ただただ動いていくのがいいのだと思う。
それはもちろん、
考えているだけでは分からないから、
ただ身体の感覚に耳を澄ませて、
自分に寄り添っていったらいいのだと思う。
だって、唯一の正解なんてないし、
だって、全てが正解なのだから。
みんな正しいのだから、
私だって正しいんだ。
なんでもいいのだし、
なんだって大丈夫なのだから。
もう全て自分は持っているから、
足りないものなんてありはしない。
たくさんの情報に触れられるから、
いろんな人がいることに気付くけれど。
「ない」ことや
「まだできていない」ことを
早く
って言ってくるような、
そう言われているような、
不安をあおられるような感覚になった時は。
それが、
自分にとって心地よい感覚でないのなら。
それが、
恐怖や不安を増幅させるものならば。
どうぞそこからそっと離れて、
「大丈夫」と自分が感じられる、
そんな場所に身を置くことを、
どうぞ許してあげて欲しいと思います。
なぜなら。
自分が自分らしく生きるために、
目印となる感覚は、
安心とわくわくだから。
自分の方向に進むためには、
不安を原動力にするよりも、
安心とワクワクを原動力にした方が、
よりスピーディーに、
より遠くまで飛べる。
だから、離れることに安心をして。
自分の内側を信じて、
自分が喜ぶ方向へと、
自分を導いてあげる。
そんな勇気を私に授けてください。
私は夏至の日の願いとして、
自分のこの言葉を放ちます。
私は、私を生きるのだ。
私は、私が決めるのだ。
今日も気付いてしまいました…
私のあるあるパターン。
試しに記事に書いてみました。
名付けて、「ひとり芝居劇場」!!!
(いいネーミング!)
今日の演目は、「自己嫌悪」。
ではお楽しみください!
*
97歳の祖母が、明日退院します。
(ちょっとしたケガで一週間ほど入院中)
入院した翌日にお見舞いに行ったっきり、
入院していることすらすっかり忘れるほど
安心して過ごしていたこの一週間。
しかし、退院日が決まった連絡を
母からもらった時から、
「もう一回くらい行っとかなくちゃ」
という思いが湧いてきていました。
昨夜、母に連絡して今日行けそうだから、
一緒に行こうと伝え、
今朝も連絡して話した後、
猛烈に行くのが面倒くさくなり、
今日じゃなくてもいいんじゃないか?など、
いろんな言い訳が頭の中を駆け巡り、
結局行くのをやめたと連絡し、
その後自己嫌悪に陥っていたという、
ひとり劇場です。
*
今回のひとり劇場を振り返ってみると、
まず一番初めの段階、
「「もう一回くらい行っとかなくちゃ」
という思いが湧いてきた。」
というところからして、
純粋性に欠けていることに気付きました。
行っとかなくちゃ ☞ 行かなければならない
のように、
半ば義務のように受け取っていたんですよね。
純粋におばあちゃんに会いたい、
顔見せたい、様子を見たい、
という理由ならば、
こんなに面倒くさいことにせずに、
お見舞いに行っていたはず。
そしてさらにその裏にあった私の思いは、
「母を喜ばせたい」
でした。
母は電話でいつもの通り、
「無理しなくていいからねー」と言ったけれど、
一緒に来てくれたら嬉しい
という気持ちは手にとるように分かる。
だから私は、
その母の思いに応えてあげたかったんだ。
だからこそその後、
結局面倒くさくなって
「今日は行かない」と伝えるんだけれど、
母をがっかりさせてしまったような気がして、
その後自己嫌悪に陥っていました。
ふと、
このパターン何度も繰り返していることを
思い出して、
もういい加減にしたいので、
この記事に書いて成仏させたいと思っています。
(成仏してくれるといいなー)
*
自己嫌悪、といっても、
そもそも誰にも期待されていないことを、
自分で勝手にねつ造して、
(一緒に行ってと言われたわけでもないのに、
自ら言い出した)
そのねつ造した、
自分で勝手に創り出したどこにも存在しない期待に
応えられなかった
という妄想を、
また自分の中でねつ造して、
そんな自分に勝手に自己嫌悪しているって…
あぁぁぁぁぁ…
どんだけ…
どんだけ…
私って…
暇なんだろう…
恥ずかしいっす。
めちゃめちゃ、恥ずかしいっす。
こんなに子供じみたことを、
いまだにまだまだ繰り返しているとはね。
でも、
自分の中にいまだに強く、
強く強く、
「母を喜ばせてあげたい」
「母の期待に応えたい」
という思いがあることに気付きました。
そしてきっと、
昨日の記事の、
それが出来なければひとりぼっちになってしまう
という、
そんな恐怖につながっているんだろうな。
そんなことないのにね。
ひとりぼっちになんてならないのにね。
だって
自分が自分の味方でいさえすれば、
絶対にひとりぼっちにはならないんだから。
ここをこれからじっくりと感じて、
目を逸らさずに、
なかったことにせずに、
無視することなく、
愛を注いで、
もう大丈夫って感じられるまで、
見守ってあげたいし、
そうすることにチャレンジしてみたい。
そうやってしばらく見守っていこうと思います。
私のあるあるパターン。
試しに記事に書いてみました。
名付けて、「ひとり芝居劇場」!!!
(いいネーミング!)
今日の演目は、「自己嫌悪」。
ではお楽しみください!
*
97歳の祖母が、明日退院します。
(ちょっとしたケガで一週間ほど入院中)
入院した翌日にお見舞いに行ったっきり、
入院していることすらすっかり忘れるほど
安心して過ごしていたこの一週間。
しかし、退院日が決まった連絡を
母からもらった時から、
「もう一回くらい行っとかなくちゃ」
という思いが湧いてきていました。
昨夜、母に連絡して今日行けそうだから、
一緒に行こうと伝え、
今朝も連絡して話した後、
猛烈に行くのが面倒くさくなり、
今日じゃなくてもいいんじゃないか?など、
いろんな言い訳が頭の中を駆け巡り、
結局行くのをやめたと連絡し、
その後自己嫌悪に陥っていたという、
ひとり劇場です。
*
今回のひとり劇場を振り返ってみると、
まず一番初めの段階、
「「もう一回くらい行っとかなくちゃ」
という思いが湧いてきた。」
というところからして、
純粋性に欠けていることに気付きました。
行っとかなくちゃ ☞ 行かなければならない
のように、
半ば義務のように受け取っていたんですよね。
純粋におばあちゃんに会いたい、
顔見せたい、様子を見たい、
という理由ならば、
こんなに面倒くさいことにせずに、
お見舞いに行っていたはず。
そしてさらにその裏にあった私の思いは、
「母を喜ばせたい」
でした。
母は電話でいつもの通り、
「無理しなくていいからねー」と言ったけれど、
一緒に来てくれたら嬉しい
という気持ちは手にとるように分かる。
だから私は、
その母の思いに応えてあげたかったんだ。
だからこそその後、
結局面倒くさくなって
「今日は行かない」と伝えるんだけれど、
母をがっかりさせてしまったような気がして、
その後自己嫌悪に陥っていました。
ふと、
このパターン何度も繰り返していることを
思い出して、
もういい加減にしたいので、
この記事に書いて成仏させたいと思っています。
(成仏してくれるといいなー)
*
自己嫌悪、といっても、
そもそも誰にも期待されていないことを、
自分で勝手にねつ造して、
(一緒に行ってと言われたわけでもないのに、
自ら言い出した)
そのねつ造した、
自分で勝手に創り出したどこにも存在しない期待に
応えられなかった
という妄想を、
また自分の中でねつ造して、
そんな自分に勝手に自己嫌悪しているって…
あぁぁぁぁぁ…
どんだけ…
どんだけ…
私って…
暇なんだろう…
恥ずかしいっす。
めちゃめちゃ、恥ずかしいっす。
こんなに子供じみたことを、
いまだにまだまだ繰り返しているとはね。
でも、
自分の中にいまだに強く、
強く強く、
「母を喜ばせてあげたい」
「母の期待に応えたい」
という思いがあることに気付きました。
そしてきっと、
昨日の記事の、
それが出来なければひとりぼっちになってしまう
という、
そんな恐怖につながっているんだろうな。
そんなことないのにね。
ひとりぼっちになんてならないのにね。
だって
自分が自分の味方でいさえすれば、
絶対にひとりぼっちにはならないんだから。
ここをこれからじっくりと感じて、
目を逸らさずに、
なかったことにせずに、
無視することなく、
愛を注いで、
もう大丈夫って感じられるまで、
見守ってあげたいし、
そうすることにチャレンジしてみたい。
そうやってしばらく見守っていこうと思います。
昨日友人とメールのやりとりをしていて、
話題が脱線した流れから、
(脱線の話の方がむしろメイン w)
オンラインでワークしながら深めよう!
って話になって、
今日の午後はそんな時を過ごしていました。
まず、
そういう仲間がいることに、
本当に有り難い気持ち。
ありがとうと、感謝。
あと、信頼。
もうほんとうに、ありがとう。
それで、
オンラインで話しながら、
湧き上がってきた思いを言葉にして
外に出すことを繰り返し、
本当に深いところで握りしめている、
強い強い思いっていうのに
ようやく気づいてあげられた感。
私ね、自分を追い込んじゃう癖があって。
苦しめるというか、
悩みをわざわざ生み出しちゃうというか、
「悩んで苦しめる(自分を)」
そういう特有のパターンがあって。
どんなに条件が整っていたとしても、
どんなに今不自由がないとしても、
そんなことはどっかにすっ飛ばして、
私今とても大変で苦しいの。
どうしたらいいんだろう。
みたいな自己憐憫にハマるってことを、
百万回では足りないくらいくりかえしてて、
もうこりごりっていうところ。
今日はその部分をガッツリ引き出してもらって、
せっかくだからそこを深く感じて味わいながら、
何が出てくるのかと思ったら、
置いてけぼりになりたくない。
またひとりぼっちになりたくない。
という思いでした。
涙が溢れた。
そうかそうかー。
そうなんだねー。
そういえばいつも、
「置いてけぼりになりたくない」
という思いが、
私を行動に駆り立てていた気がする。
そう、「駆り立てて」いたなー。
せっかちで、
焦り気味で、
遅れをとることが恐怖で、
とにかく、
ついていかなくちゃ、
遅れないようにしなくちゃ、
って、
いつもいつも
スピーディーかつ効率的に、
そう動くことに慣れてきたから。
止まって休むこと。
時間を気にせず自分のリズムで動くこと。
って、
正直なところ、
どうやっていいのかわからない。
それくらい。
それくらい私は、
置いてかれないようにいつもいつも、
前のめりでやってきたんじゃないかと。
だから、
自分ができないこと、
それはつまり、
能力でもあり、
時間的なことでもあり、
予算的なことでもあり、
すべてのことが、
できない = ひとりになってしまう
と結びついて。
強烈な恐怖となっていたんだなと。
それくらい私にとって、
ひとりになってしまうことが怖かったんだなと。
そんなことに気付いた時間でもありました。
なぜそんなに強烈な恐怖を
自分の中に持っているのか、
その理由や原因はわからないし、
そこを掘っていって突き止めるような、
そんなつもりもあんまりなくて。
ただ、ある。
それだけ分かれば十分だから。
きっとあることから目を背けずに、
ちゃんと見て、耳を傾けていったら、
安心して
自分のペースを刻めるようになる。
そしてその安心感は必ず、
自分を自由にしてくれる。
より快適にしてくれる。
それはもうわかっているから。
それを信じて、
それを信じたいからこそ、
まずは自分を信じて、
今自分が感じていることをすべて信じて、
信じて行動して、
行こうと思う。
よ。

話題が脱線した流れから、
(脱線の話の方がむしろメイン w)
オンラインでワークしながら深めよう!
って話になって、
今日の午後はそんな時を過ごしていました。
まず、
そういう仲間がいることに、
本当に有り難い気持ち。
ありがとうと、感謝。
あと、信頼。
もうほんとうに、ありがとう。
それで、
オンラインで話しながら、
湧き上がってきた思いを言葉にして
外に出すことを繰り返し、
本当に深いところで握りしめている、
強い強い思いっていうのに
ようやく気づいてあげられた感。
私ね、自分を追い込んじゃう癖があって。
苦しめるというか、
悩みをわざわざ生み出しちゃうというか、
「悩んで苦しめる(自分を)」
そういう特有のパターンがあって。
どんなに条件が整っていたとしても、
どんなに今不自由がないとしても、
そんなことはどっかにすっ飛ばして、
私今とても大変で苦しいの。
どうしたらいいんだろう。
みたいな自己憐憫にハマるってことを、
百万回では足りないくらいくりかえしてて、
もうこりごりっていうところ。
今日はその部分をガッツリ引き出してもらって、
せっかくだからそこを深く感じて味わいながら、
何が出てくるのかと思ったら、
置いてけぼりになりたくない。
またひとりぼっちになりたくない。
という思いでした。
涙が溢れた。
そうかそうかー。
そうなんだねー。
そういえばいつも、
「置いてけぼりになりたくない」
という思いが、
私を行動に駆り立てていた気がする。
そう、「駆り立てて」いたなー。
せっかちで、
焦り気味で、
遅れをとることが恐怖で、
とにかく、
ついていかなくちゃ、
遅れないようにしなくちゃ、
って、
いつもいつも
スピーディーかつ効率的に、
そう動くことに慣れてきたから。
止まって休むこと。
時間を気にせず自分のリズムで動くこと。
って、
正直なところ、
どうやっていいのかわからない。
それくらい。
それくらい私は、
置いてかれないようにいつもいつも、
前のめりでやってきたんじゃないかと。
だから、
自分ができないこと、
それはつまり、
能力でもあり、
時間的なことでもあり、
予算的なことでもあり、
すべてのことが、
できない = ひとりになってしまう
と結びついて。
強烈な恐怖となっていたんだなと。
それくらい私にとって、
ひとりになってしまうことが怖かったんだなと。
そんなことに気付いた時間でもありました。
なぜそんなに強烈な恐怖を
自分の中に持っているのか、
その理由や原因はわからないし、
そこを掘っていって突き止めるような、
そんなつもりもあんまりなくて。
ただ、ある。
それだけ分かれば十分だから。
きっとあることから目を背けずに、
ちゃんと見て、耳を傾けていったら、
安心して
自分のペースを刻めるようになる。
そしてその安心感は必ず、
自分を自由にしてくれる。
より快適にしてくれる。
それはもうわかっているから。
それを信じて、
それを信じたいからこそ、
まずは自分を信じて、
今自分が感じていることをすべて信じて、
信じて行動して、
行こうと思う。
よ。

数日前、
「行きたい!」
と、声に出して言った場所があって、
そしてその場所に希望の日程で、
お部屋に空きがあることが分かり、
行けることになった。
という出来事が、
昨日今日で展開していきました。
この出来事を通じて痛感したことは、
「望む」ことから始まるのだなってこと。
純粋な望みには、
純粋な力があって、
拍子抜けするくらいスムーズに、
そこに繋いでいってくれる。
引き寄せの法則とか、
それは真実だと思うけれど、
「純粋に願うこと」
それがあってこそのことだと思うのです。
*
ここのところ私は、
「できない」とか
「手に入らない」とか
「行けない」ということに
とても意識が引っ張られていました。
(いや、今もまだそう。)
そして、
「ない」ことにフォーカスしている、
そんな自分はダメな人間だ…
というジャッジ。
そんな自己否定と自己憐憫に、
もううんざりしていたところです。
(いや、今もまだそう。)
でもね。
そもそもね。
「できない」とか
「手に入らない」とか
「行けない」とか言う前に、
私は、
それをやりたい!と
純粋に願ったのだろうか?
私は、
それが欲しい!と
純粋に望んだのだろうか?
私は、
そこに行きたい!と
純粋に表現したのだろうか?
それを思い返してみると、
完全に答えはNoでした…
残念っ…
私はそもそも、
それをやりたい!と
それが欲しい!と
そこに行きたい!という
純粋な自分の望みを、
「望む」前に
「諦めて」いた。
だって、無理だ。
と。
仕事を入れちゃったから
予算がないから
去年散々わがまま言ったから
また?って言われたくないから
って、
改めて思い返してみると、
あまりにもくだらない理由
自分を正当化するために、
それっぽいことを並べて、
「無理」を前提にして、
言い訳していたことに気付く…
ちっとも望んでなんていなかった。
ちっとも表現してなんかいなかった。
ただただ、
「無理」を前提にして、
望むことすら自分に許していなかったし、
なんなら、
こんなに一生懸命頑張っているのに、
やりたいことができない私って
可愛そうじゃない?
みたいな、
超絶気持ち悪い自己憐憫に浸ってた私。
あぁぁぁぁぁ~~~~~~…
気持ちわる!!!!
と同時に、
純粋に望み、願うことは、
実現してゆくのだなぁということも。
気付きつつ、
実感しつつ。
*
まずは「望む」ことそのものを
許していくということ。
そしてそんな望みを持っている自分を
丸ごと認めていくこと。
自分が望みを持っていることを楽しむこと。
それこそが、
現実化する根底にあるあり方なんだろうなと。

望みは、ある。
いつだって、ある。
私の中にいつも、ある。
そしてそれは、枯れることなく、
いつだって自分の中から
湧き出てくるもの。
あって、いい。
あるからこその、私だ。
それがなくなってしまった人生なんて、
なんてつまらないのだろう。
そんなことをひしひしと感じつつ、
望むことを常に自分に許可できる、
そんな自分がデフォルトで在れるよう、
常に自分に耳を傾けつつ、
許す、の瞬間を
積み重ねていこうと、
改めて約束をした、
夏至2日前。
陰と陽。
豊かで、ありがたいなぁ。
そしてそして、
そんなタイムリーなタイミングで、
七夕から始まるイベントを開催する私って、
いいと思う! 笑
本当の願いを許し、繋がろう、みんなで。
2019年7月7日(日)スタート!
「自分の本当の願いに繋がる」AFP 5days
詳細・お申込みはこちらのページへどうぞ
「行きたい!」
と、声に出して言った場所があって、
そしてその場所に希望の日程で、
お部屋に空きがあることが分かり、
行けることになった。
という出来事が、
昨日今日で展開していきました。
この出来事を通じて痛感したことは、
「望む」ことから始まるのだなってこと。
純粋な望みには、
純粋な力があって、
拍子抜けするくらいスムーズに、
そこに繋いでいってくれる。
引き寄せの法則とか、
それは真実だと思うけれど、
「純粋に願うこと」
それがあってこそのことだと思うのです。
*
ここのところ私は、
「できない」とか
「手に入らない」とか
「行けない」ということに
とても意識が引っ張られていました。
(いや、今もまだそう。)
そして、
「ない」ことにフォーカスしている、
そんな自分はダメな人間だ…
というジャッジ。
そんな自己否定と自己憐憫に、
もううんざりしていたところです。
(いや、今もまだそう。)
でもね。
そもそもね。
「できない」とか
「手に入らない」とか
「行けない」とか言う前に、
私は、
それをやりたい!と
純粋に願ったのだろうか?
私は、
それが欲しい!と
純粋に望んだのだろうか?
私は、
そこに行きたい!と
純粋に表現したのだろうか?
それを思い返してみると、
完全に答えはNoでした…
残念っ…
私はそもそも、
それをやりたい!と
それが欲しい!と
そこに行きたい!という
純粋な自分の望みを、
「望む」前に
「諦めて」いた。
だって、無理だ。
と。
仕事を入れちゃったから
予算がないから
去年散々わがまま言ったから
また?って言われたくないから
って、
改めて思い返してみると、
あまりにもくだらない理由
自分を正当化するために、
それっぽいことを並べて、
「無理」を前提にして、
言い訳していたことに気付く…
ちっとも望んでなんていなかった。
ちっとも表現してなんかいなかった。
ただただ、
「無理」を前提にして、
望むことすら自分に許していなかったし、
なんなら、
こんなに一生懸命頑張っているのに、
やりたいことができない私って
可愛そうじゃない?
みたいな、
超絶気持ち悪い自己憐憫に浸ってた私。
あぁぁぁぁぁ~~~~~~…
気持ちわる!!!!
と同時に、
純粋に望み、願うことは、
実現してゆくのだなぁということも。
気付きつつ、
実感しつつ。
*
まずは「望む」ことそのものを
許していくということ。
そしてそんな望みを持っている自分を
丸ごと認めていくこと。
自分が望みを持っていることを楽しむこと。
それこそが、
現実化する根底にあるあり方なんだろうなと。

望みは、ある。
いつだって、ある。
私の中にいつも、ある。
そしてそれは、枯れることなく、
いつだって自分の中から
湧き出てくるもの。
あって、いい。
あるからこその、私だ。
それがなくなってしまった人生なんて、
なんてつまらないのだろう。
そんなことをひしひしと感じつつ、
望むことを常に自分に許可できる、
そんな自分がデフォルトで在れるよう、
常に自分に耳を傾けつつ、
許す、の瞬間を
積み重ねていこうと、
改めて約束をした、
夏至2日前。
陰と陽。
豊かで、ありがたいなぁ。
そしてそして、
そんなタイムリーなタイミングで、
七夕から始まるイベントを開催する私って、
いいと思う! 笑
本当の願いを許し、繋がろう、みんなで。
「自分の本当の願いに繋がる」AFP 5days