「愛すること」を「支配すること」と勘違いしてしまうことがあります。

同様に、「服従すること」と勘違いしてしまうこともあります。

 

これは、「愛を失いたくない」という執着や依存が関係します。

 

 

 
愛のために支配される人

 

愛のために精神的に支配されてしまうときがあります。

 

「精神的に支配される」というのは、ある人に許可や承認を得ることが最優先になってしまい、自分の価値観や気持ちよりも、相手からの承認を優先してしまう心の状態をいいます。



 

精神的に支配されると、自由に考えたり感じたりすることができなくなります。


常に「こんな考えで良いのだろうか?」「こんなふうに感じて良いのだろうか?」と、そのある人の承認が得られるか気になってしまうからです。


精神的に支配されると、そのある人がいない時にも自分の考えを疑い、承認が得られるかどうか気になってしまいます。



 

こうなってしまうと、自分の考えに自信が持てなくなり、自己肯定感が下がっていきます。

すると、ウツっぽくなったり、引きこもり気味になったり、強い孤独感に襲われるようになります。


 

 

こうなってしまうのは、そのある人からの愛を失うことへの恐れが関係しています。


つまり、愛への執着です。

 

 


相手への思いやりは自分をも幸せにしますが、それが「相手からの愛を得るための手段」にすり替わってしまうと苦しみに代わります。

 

精神的に支配されやすい人は、モラハラの被害者になりやすい人で、愛を失うことへの恐れが強い傾向があります。



 

このような人は「手順①:考えと感情の関係に着目(2/2)」などで、「その人からの愛を失ってもいい」と思えるようになると、精神的な支配から逃れるきっかけがつかめると思います。

 

 

 
愛のために支配する人

 

支配する側も支配しようと意識しているわけではなく、愛への執着がそうさせています。

  • 愛されていることを確認したい
  • 愛を失いたくない

そんな思いから、支配するような言動になってしまいます。



 

私を愛しているなら

  • 私の気持ちを説明しなくても、わかるはずだ
  • 私の気持ちを、いつも最優先するはずだ

と考えていて、相手ができないと相手を責めます。


そんなことは不可能で誰にもできません。


でも、支配されやすい人は責められると、愛を失いたくないことから、自分を疑い、自分を責めることで支配されていきます。



 

また、支配する人はワガママをいったり自分の感情をあらわにして、それでも相手が自分への愛を優先するかを試したりします。


そして、相手がそれに答えられないと責めます。

 

支配する人は、いつも自分の都合や気持ちが最優先で、相手の都合や気持ちを無視してしまうのは、「愛しているのなら、私の気持ちを優先するはず」と考えてしまうからです。

 


これには、矛盾があります。

「あなたも相手を愛してたら相手の気持ちを優先するんじゃないの?」と…


でも、それを本人に質問をしても「私を愛してない人を、愛せるわけないでしょ?!」と言うことでしょう。


この考え方、変ですよね?

どこまでいっても、自分の都合でしか考えられないのです。



 

この傾向が強く人間関係の問題を起こすことが多い性格的な問題を「自己愛性人格障害」といいます。


自己愛性人格障害の人は、「私は愛されているのか?」と愛されることに不安を抱えています。

 

つまり、「自分は愛される」ということに自信を持てない人で、愛を失うことを恐れているのに、愛し合う関係を壊しやすい気の毒な人とも言えます。

 

 

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ちなみに、自己愛性の人は身内の人とは揉めますが、外の人とはうまく付き合えたりします。
 
外の人に対しては、「愛があるのか?」を確認したり試す必要がないからです。

 
 
愛への執着は苦しみ

 

支配する側も支配される側も、そうなってしまう心の中の要因は「愛を失いたくない」という思いです。

 

「思い」というより、「愛を失うという恐れの感覚」という感じかもしれません。



 

その感覚から、支配する人は相手を試す言動につながり、支配される人は相手から承認を得ようとする言動につながってしまいます。

 

 

お釈迦様が「愛への執着は苦しみだ」とおっしゃるのは、このようなことかもしれません。