ワクワクも幸せも感じない考えが、同じような内容で何度も頭に上がってきたり、強い不快感を伴うときは、その裏に受け入れ難くて、ふり払いたい考えがあるからです。
その振り払いたい考えを受け入れると、人生が回り出します。
ある考えが何度も頭に登ったり、強くしがみつくのは、ふり払いたい考えがあるからです。
ふり払いたい考えがなければ、強く考える必要が無いので、多くのものはすぐに消えます。
前の記事でみてきたような
- ~べきだ
- ~やらずにはいられない
- ~したい
以外にもいろいろあります。
例:「僕なんかダメだ」
一見、「ダメな自分を受け入れている」ようにも見える考えですが、強い感覚をともなったり、何度も頭に浮かぶのであれば、この考えの裏には、「こんなダメな僕を変えたい」という考えがあることが分かります。
「僕を変えたい」という考えがなければ、「僕なんかダメだ」と強く考える必要がないので、何度も頭に上がったりしません。
そして、「僕なんかダメだ」「僕を変えたい」という考えが喧嘩するのは、「変えるのは無理だ」と考えがあるのに、それを受け入れられないからです。
ここにも、"みじめさ" を恐れている構造があります。
ちなみに、受け入れるべきなのは、「“変えるのは無理だ”という考えが自分の中にある」ことであって、「変えるのは無理だ」と信じろということではありません。
例:「彼はxx すべきだ」
この考えが強い場合は、「彼は、どうせ xxしない」や「彼は、なかなかxx しない」という考えがあることが分かります。
この考えがながければ、「彼はxx すべきだ」と考える必要が無いからです。
そして、ここにも「彼が、xx してくれない」ということを受け入れられず、"みじめさ" を恐れている構造があります。
みじめさに繋がってしまいそうな、考えを受けれていあげることです。
前述の例であれば
「僕を変えるのは無理だ」
「彼は、どうせ xx しない」
という考えが、自分の中にあることを許します。
つまりは、それらの考えが繋がる 「みじめになる恐れ」を受け入れるということです。
関連:
本当に望むことも、何度も頭に浮かびます。
でも、この時はワクワクや喜びなどの感覚があります。
それがないときは、ふり払いたい考えが隠れています。
ところが、「みじめになる恐れ」を受け入れ、振り払いたい考えを受け入れると、嬉しいことが起こります。
しつこい考えが、本当の望みに変わったり、消えたりします。
つまり、その考えにワクワクや喜びがくっついてくるようになったり、
もしくは、必要のない望みだったことに気づいて、考えが浮かばなくなります。
