「がんばらない」と最近言いますよね?
この教えも、間違った捉えられ方を
しているような気がして、気になっています。
「がんばらない」というのは
「挑戦しない」とか
「なにかを実現しようとしない」とは
違うと思います。
何か状況を変えるためには、
やっぱり何かに集中して取り組む必要があります。
頑張っている時、以下のような状態に
なっている可能性があります。
- 不安に突き動かされている
- 常識などに縛られている
- 目的にしがみついて、柔軟性を欠いている
こんな状態で、やっていたことを止めても
上手くいきません。
心の状態が変わらないと
別のことに頑張りはじめたり、
別のものにしがみつきます。
頑張っている言動の良し悪しを
以下のような感じに考え始めると
分からなくなってきます。
- 止めるべきか?続けるべきか?
- やっていることが妥当か否か?
こんな感じで考えようとしても
心は、がんばらせようとしてきます。
そして、思考の「がんばらないほうがよいかも」が
ぶつかり始めます。
良し悪しを考えようとしたり
無理にやっていることを止めるよりも
感覚を見つけて除いていく方が上手くいきます。
- なぜ頑張りたいのでしょうか?
- 目標に対してどうな感覚を持っていますでしょうか?
それに関する感覚がなくなれば、
勝手に頑張らなくなります。
突き動かされていた不安がなくなれば、
バカらしくなって頑張らなくなります。
目標達成へのピリピリした執着がなくなれば、
さわやかに努力することができるようになります。
私のダイエットに取組んでいたときの感じです。
「がんばっていない」って感じ
「がんばらない」っていうより
「がんばっていない」という感じなんでしょうね。
「がんばらない」という教えは
「がんばってる」に気づいて、
「がんばっていない」状態になりなさい
という教えだと思います。
僕は、目標を決めてそれに
取り組むのはとても大切だと思います。
不用意に「がんばらないほうが良い」と
言わない方が良いと思っています。
というのは、がんばろうとすると
自分の中の邪魔な感覚に沢山気づけるからです。
下手ながんばり方は、空回りして疲弊するだけですが、
上手にがんばると、その過程で不安や
心の勘違いを正していけると思います。
ダイエットをしている時に、
劣等感や不安、みじめさみたいなものと
向合ってきました。
がんばりながら、ネガティブな感覚に向き合うことが
本当の自分を見つけ、自分の心と良好な
関係をつくっていく過程のように感じています。
でも、ついつい「がんばっている」状態に
なることも多いものです。
そういう私がついつい頑張ってしまいます。
例えば、このブログなんかも
- 読者の人に、本意は伝わっているのだろうか?
- アクセス数は増えるのだろうか?
そんなことを考えて、キリキリしていしまうことがあります。
アクセス数が増えることに興味はありますが、
キリキリする必要はないんですけどね。。。
癖です。
これからも、時々チェックして、
気楽に取り組めるように気を付けていきます。
また、もし気に入っていただけたら、リブログはご自由にどうぞ。