世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい/森 達也
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この本を書店で手にしたとき、私は内容にタイトルどおりの展開を期待して

いました。

テレビやマスメディアなどは得てして、ゴシップや、悲観主義的に性悪な人と社会の循環ばかりを選択して流しているけれども、実のところはそんなに人や世界は悪くないのだよ ということを示したルポルタージュなのだと思って読み始めたのです。


ですが読み進むうちに、ジャーナリスト兼ドキュメンタリー作家である著者が意図するところがそこではなく、むしろ地下鉄サリン事件の加害者として一区切りで人権を奪われたオウム真理教の信者達を視点として、社会の、というよりも“集団心理” の残酷さを告発した内容でした。 

著者は、『人間は個人個人では情け深く、温和であり、善良でいながらも、社会に属することによってとてつもなく残虐になれる』 と指摘し、『メディアやむき出しの感情に流されていると“思考が停止”し、善か悪かの二極論に傾向して、本来あるべき社会性が崩壊する』と警鐘を鳴らします。


そして、そういった意味で米国の9.11事件とも絡めて論旨を進めているのですが、私的にはどうしてもオウム信者とアルカイダとを同じ線上で語ることに無理があるように感じました。 著者がオウム真理教の教義について、もう少し掘り下げた知識を持っていたのなら、もう少し説得力を得たのかもしれませんが、テーマを掲げてからそれに合わせた骨子理論を固めているような印象は最後まで拭えませんでした。  

また、著者が制作・監督・プロモーションまで自ら行って世に打ち出したオウム信者のドキュメンタリー映画、『A』と『A2』に対する社会の鈍い反応に対して、著者の押さえ切れない憤慨を、日本人とその社会が持つという“憎悪”と“排除”の特性が原因なのだと訴えているようにも感じました。


今回は反論の感想になってしまうのですが、著者は一部社会の現象を見て さも日本人全体の致命的傾向のように論じるのですが、著者自身の主張に矛盾が多々あり、その理論が窮するとブレた筋の通らない理屈に逃げ込んでしまっていたように感じます。


著者が思い込むほどに人は愚かでも盲目的でも追随的でもなく、現象の心理を観ているしわきまえている。 そんな人間は大多数ではないかもしれないけど、少なくとも著者が思うほどに少数派でもない。 だから本のタイトルどおりの言葉を著者に提唱したくなるのです。 

現在と未来の私達への希望的観測でもありますが、楽観的でしょうか?


だけども私は最後の最後に気がつきます。

この本の文章を読んでいる間、始終私は上記のように、著者の観点と自分の観点とを照らし合わせ、思考しながら読んでいました。  そして著者のような視点で社会を見る人がいて、確かにそこには社会から除外された幽霊のように生きる弱者がいて、それを黙殺し意識もせずに生きている自分に辿りつくことを知るのです。

それがこの本の本来の目的だとしたら、非常に意味のある本だということです。


そして、著者 森氏の弱者を見つめる視点や文章の紡ぎ方は限りなく優しくありながらも切なく巧みで、私達の心にその情景を焼き付けます。

『小人プロレスラー』然り、『差別部落に暮らしていた同級生』然りです。

森氏はドキュメンタリストとして、どんなに日本人として恥ずべき事柄も、蓋をしておきたい事柄に対しても絶対に目を逸らさず、政治・警察・法律が人権に及ぼす矛盾点には果敢に向かっていくことを選ぶ人だと思います。

だから私はまたいつか森氏の他の著書も読んでみたいと思いました。 

アインシュタイン150の言葉
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1879年にドイツに誕生したアインシュタインは、ドイツの軍事的、政治的風潮に反発を感じており、
1933年にヒトラーが政権につくと同時に米国に移住しています。 
思想的には熱烈な平和主義者だったのにも関わらず、彼が研究を重ねてきた『理論物理学』の分野は、皮肉にも軍事戦略のための大きな産物として人々に着目され、ナチスと米国はほぼ同時期に原子爆弾の実験・実用化に踏み切ります。
そしてアインシュタイン自身も、ルーズベルト大統領宛ての“原子爆弾の必要性を訴える手紙”に署名する選択をしたのです。

彼はその時点で、確実にその後の世界がどの方向に向かっていくのかを見据えていたし、人間が未来に致命的なオプションを作りだしてしまったことに絶望感も覚えていたと思う。 

そして彼自身も含めたヒトという生物の本質と対峙した末に、彼の口から出される言葉の数々は、非常にシニカルで超現実的であると同時に、僅かな希望を託したメッセージが込められているように感じます。 

また一方でとてもユニークです。

私にとってこの本の中の言葉は、心のどこかしらに響き反応するものでした。


(抜粋)

クローバー 私が科学研究を行うのは、自然の不思議を理解したいというおさえがたい願いからです。 それ以外の感情が動機というわけではありません。

私の正義への愛と、人間の状態を改善することに貢献しようとする努力とは、科学に対する関心とはまったく別のものです。

てんとうむし ジョークについて言えることは、絵画や音楽についても言えます。

論理的な企みではなく、見る人の位置によってさまざまな色にきらめく、人生の美しい断片が感じられなければなりません。

もし、そういう曖昧さを脱したいのであれば、数学を始めることです。


クローバー この世界を、個人的な願望を実現する場とせず、感嘆し、求め、観察する自由な存在としてそこに向かい合うとき、われわれは芸術と科学の領域に入る。


てんとうむし 第三次世界大戦はどう戦われるのでしょうか。 私にはわかりません。

しかし第四次大戦ならわかります。 石と棒を使って戦われることでしょう。



もの食う人びと/辺見 庸
¥720
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『宿命』という言葉の理不尽さを測るとするならば、人々が日々何を食べているのかという単純な現実は大きなバロメーターに成り得ます。


この本は、元共同通信社の記者である著者が様々な諸事情を抱える国に足を運び、そこで人々が日常食しているものを実際に食べて記録しているルポルタージュなのですが、読後の衝撃は強く、いつまでも印象に残る本でした。


食べる、飲むということに“栄養”や“味”を求められる時点で、私達は相当に恵まれていることを自覚しなくてはなりません。 

蛇口をひねれば無菌無害な水が流れ出し、調理後に一定の時間を過ぎたら次々と捨てられていった動物の肉は半世紀ほどでどれほど大量の“生ゴミ”となってしまったのでしょう。 ハンバーガー

例えば韓国の従軍慰安婦についてのルポや、人肉についての件などは、読んでいてもの悲しくなります。

また放射能が残る土地で暮らす老人の食生活や、残飯で生き延びるしかないバングラディッシュの子供達などについても、体験したありのままを記しています。


劣悪な境遇であろうとも、何かを口にして僅かながらも血肉に変えて生きていく人間の極限での強さも感じますが、やはり根底には、その国や地域で生きている人間の苦悩や寂寞の思いが伝わる本でした。


“食物を選べる側”の国に生まれた者として知っておく『義務』があるような気がして、読んでよかったと思える一冊でした。
ハードカバーよりも文庫本の方が、写真付でお薦めです。

(文庫本にあたって、“喰う”から“食う”に変更されたのは、それぞれの人間個人に対する著者の敬意の表れからなのでしょうか...?)


シンクロニシティ―「奇跡の偶然」による気づきと自己発見への旅/フランク ジョセフ
¥1,890
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誰もが“偶然”という言葉で通り過ぎてしまう出来事について、著者は4年の月日をかけて約800人以上からの体験談をまとめ、著者自身の見解を述べています。
シンクロニシティとは『共時性』と訳されますが、その言葉の示す現象は“虫の知らせ”、“正夢”、“パラレル・ライフ”などを含み幅広く、またそれらを認知するのは常に個人的レベルな為、研究自体が難しく、しかも忘れられやすい事柄です。

ですがきっと、この本を読んでいるうちに、『あぁ、確かにそういうことがあった』と思える出来事が浮かんできて、改めてその不可解且つ魅力的な要素に心を奪われるはずです。

そしてそれらの“偶然の一致”が何かのルールに従って現れた“必然的”なものであったと思えるかもしれません。


個人的にはこういった証明のしずらいながらも人々が“何か原理・道理があるのではないか”とうっすらと意識している突発現象が、今後期待できる科学の開拓分野なのではないかと感じています。 

物理的な見地からすべて説明できる現象なのかもしれません。


セレンディピティ然り、こういった本はたくさん出ていますが、説得力や事例に無理や貧弱性を感じる本も多いものです。

ですが、このフランク・ジョセフ氏著書の本は例証も充分に問題提起に堪えるもので面白い内容でした。


(一例) ドイツの数学者マリア・ライヒは、南米ペルーにある

『ナスカの地上絵』になぜか人並みならぬ魅力を感じ、1930年以降60年に渡って現地での研究を続け、地上絵の保護活動にも多大な貢献をした女性だ。
1930年に彼女は、ナスカ平原に描かれた渦巻き模様から調査を始めることにしたが、後になってこの渦巻き模様はさらに大きい“サル”の姿の尾の部分でしかなかったことを知る。 何ヶ月もかけて地上の線を追う生活を続けた結果、やっと全体像が明らかになった。 そして最後に残った右手の部分を仕上げた時、指が一本足りないことに気づいたのだ。 左手には指がちゃんと5本ついているのに、右手には親指がなかった。
彼女は、自分がなぜそこまで『ナスカの地上絵』に惹かれるのか、そこで初めて理由がわかった。 ライヒ女史は、生まれたときから右手の親指が欠損していたのだ。 自分とナスカの地上絵の関連性が明らかになった瞬間、ライヒ女史は自分しかいない研究小屋でいつまでも笑い続けたという。 (以上本文より抜粋)

なぜそれは起こるのか―過去に共鳴する現在 シェルドレイクの仮説をめぐって/喰代 栄一

¥590
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例えば、鳥のカッコウは自分では卵を育てず、ビンズイなど、他の種類の鳥の巣に自分の卵を産みつけ、その親鳥に成長するまで育てさせます。

そして、他の卵よりいち早く孵化したカッコウの雛鳥は、無意識にもビンズイの卵を巣の外に捨ててしまい、親鳥ヒンズイの愛情を独り占めにして成長します。 さらに不思議なことに、カッコウの卵の色は、相手の卵と同色、同模様で産み付けられるのです。

生化学者であるシェルドレイクは、こういった現象がなぜ起こるのかということを、遺伝子の突然変異や本能からくるものではなく、『ある行動や思考が一定の量に達すると、それは時と空間を越えて伝染する』という説で唱えています。

1羽のカッコウの親鳥が、ある時たまたま他の鳥の巣に産み落としたら、運良く上手に他の鳥が育ててくれた。 そして2羽、3羽と、同じ行動を別のカッコウが真似した時、地球の反対側にいるカッコウにもその習性が、教えることなく伝染したのでは? という理論です。


他の研究機関からは、立証性に欠けた突飛すぎる発想だからという理由で、当時全く相手にされていないのですが、その他の豊富な実例と、実験の数々が面白く、そういう考えも在りうるかもと、好奇心を充分に刺激する内容です。