- ジュリアン ジェインズ, Julian Jaynes, 柴田 裕之
- 神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡
小学4年生の頃、夏休みの自由研究に『人間はなぜ夢をみるのか』という題を掲げたものの、その抽象的で心理学的な題目にやがては途方に暮れ、すぐに『植物の研究』に切り替えたことがあります
現在この本を手にして、人間の抽象的な性質についての解明に果敢に仮説を立て、定説については研究し、自論の証明に至るまでの経緯は、この上なく刺激的で面白いのだと知りました。

著者のジュリアン・ジェインズ氏は米国で心理学の権威であり、研究者としては動物行動学から人間の“意識”に関わる分野へとシフトしていきました。
その他、文献学や考古学にも勤しみ、1976年にこの本が出版されると
『20世紀で最も重要な著作のひとつ』 と評されました。
その後、実に29年の月日を経て、2005年に日本語訳版が出版されましたが、その内容は少しも色あせることが無く、未だに衝撃的な理論を私達に投げかけています。
彼の仮説は、『人類の意識は今からわずか3000年前に芽生えたもの / 意識誕生以前の人間は右脳に囁かれる神々の声に従う二分心(Bicameral Mind)の持ち主で、彼らこそが世界各地の古代文明を創造した / やがて二分心は崩壊、人間は文字と意識を得た代わりに神々は沈黙した』 という意表を突いた大胆なものです。
しかし、彼が提示する様々な理論や実験内容を読んでいるうちに、“意識”について深く考えたことのなかった自分に気づき、思い込みやこれまでのあやふやな定説の不確定さを知るのでした。
この単行本は厚さにして丁度4センチ。 読み手の都合もありますが
内容の濃さも素晴らしいので、何回かに分けてご紹介させていただきます。
今日は、 『意識のルーツ』についてです。 私の学習帳のようになりますが、ご興味がある方はお付き合いください
過去の主な意識の定義は8つあります。
(これらは本書を読んで、私の意識と思考がタッグを組んで噛み砕いた理解ですので、間違いや他の解釈がありましたらご指摘ください)
1.物質の属性としての意識 (化学的概念)
時代背景に、素粒子物理学の驚嘆すべき成功の数々があり、
素粒子学的な見地から意識が生まれたとする定義
2.原形質の属性としての意識 (化学的概念)
ダーウィンの進化論をベースとしたもので、生物の進化の属性とする定義
3.学習としての意識
太古の昔から積み重ねてきた『学習』を土台として生まれたとする定義
4.形而上の付与物としての意識 (哲学的概念)
生命の始まり⇒意識の始まり⇒洗練された文化の始まりの流れのうち、
意識の始まりには何か形而上的な力が進化を導いたとする定義
5.無力な傍観者論としての意識 (悲観主義的概念)
外界の刺激に対する身体の反射作用にただ付加しているだけの現象
であり、動物にとって意識は重要でないとする定義
6.創発的進化論
複数の要因(分子・化学成分・生命体)が進化の過程で結合して“創発”
されたものが意識であり、それは脳内活動全てを支配するとする定義
7.行動主義の中の意識 (超現実主義的概念)
心理学が哲学から独立した学問として分裂しようともがいていた時代に
支持された、“全ての行動(刺激)に反応した条件反射的な現象”であり、
意識は実体が無く、無いに等しいという定義
8.網様体賦活系としての意識
神経系、人体構造に答えを見出そうとした時代、“思考”を特定の
ニューロンとして、“気分”を特定の神経系伝達物質として定義し、
意識を宿す脳の部位については、フランスの物理学者デカルト
(1598-1650)は、脳の松果体とした。
一方、現在は脳幹にある『網様体』と呼ばれる部位を意識の座とした。
『網様体』は神経系の中で一番古い部位であり、脳全体(感覚系と連絡系)
の統合中枢として機能している。
これら8つの仮説に対して著者は、実験データに基づいた消去法にてその可能性を否定し、『あらゆる脳内の神経繊維や神経伝達物質の何十億というシナプスのメカニズムを知ったとしても、はたして脳が『意識』を持っていたかを 知ることは絶対に出来ない』と主張します。
彼の意識についての査証は下記に及びます。
意識は“反応性”と混同されてはならない
意識は多くの知覚現象に関わっていない
意識は技能の遂行に関与せず、その実行を妨げることも多い
意識は話す事、書く事、聞く事、読む事に必ずしも関与する必要はない
たいていの人が考えているように、経験を複写してもいない
意識は信号学習に無関係であり、技能や解決法の学習にも
必ずしも関与する必要はない。 これらは全く意識せずに起こりうる
意識は判断を下したり、単純な思考をしたりするのにも必要ない
意識は理性の座ではなく、非常に困難な創造的推理の事例のうち
には、意識の介在なく行われるものさえある
意識の在りかは、想像上のものでしかない
ここで、
のところですが、『意識の構築は、思考・概念・学習の土台を成すものではなく、むしろそれらを時に阻害するものであり無用なものである』と断言します。 面白い具体例も記述していました。
今でいう“セレンディピティ” の現象についてです。
アインシュタインの偉大な思いつきの多くは髭を剃っている最中に不意に
ひらめくのだそうだ。 そのため、彼は毎朝それは慎重にかみそりの刃を
動かすのです。
さもないと驚いたはずみに顔を切ってしまいかねないから。
イギリスのある高名な物理学者はかって、次のように語りました。
『我々の間では、よく3つのBといいます。 バス(Bus), 風呂(Bath),
ベッド(Bed)です。
我々の科学における偉大な発見は、これらの場所でなされるのです』
ドイツの物理学者・生理学者のヘルマン・ヘルムホルツ氏は
『しばしば、その重要性を考えてもみぬ時にそっと思考の中に忍び込んで
きた...。 またある時には、こちらが何の努力もしないのに突然訪れ
た...。 とりわけ、天気の良い日に木々の繁った丘をぶらぶらと散歩
しているときに、姿を現したがるのだった』と延べます。
更に著者は、“このように突然洞察を得るという現象が、最も顕著に見られるのは、研究題材に日常の経験が干渉する余地のごく少ない、より観念的な学問においてではないか” と興味深い指摘もしています。
...どうでしょう、疲れましたよね
でもこれらは要約であり、それらを検証する論理がとても面白いのです
個人的には、意識=思考だと思っていたのですが、思考の殆どは自分の脳が創作しているもので、意識とは別だといいます。
過去の自分の行動を思い返してみると、私達は自分をまるで第三者のような視線で思い返していることを知ります。
自分自身の姿を脳で創作して思い返しているのです。
また、経験が意識の構成要素という説も、動物さえもが経験から行動を改めることを例に挙げ、経験が意識とは無関係であり、経験とは神経系による自動推論の賜物に他ならないと表現しています。
それでは『意識はどこにあるのか?』、またそもそも『意識は人間にとって必要なのか?』 という疑問に辿りつきます。
著者は意識は身体のどの部位にも座しないものであり、意識が漂う場所をあえて“空間”と表現します。
また、私達の活動の多くに意識はたいした影響を持たないと定義し、全く意識を持たずに生活していた人間の可能性について示唆します。
それでは次を読んでいくことにします
最後まで読んでいただいてありがとうございました