人はなぜ笑うのか―笑いの精神生理学/志水 彰
¥861
Amazon.co.jp


この本はさらっと読めておもしろいです。 

著者はなんと3名で、大阪大学医学部大学院で博士号を取得後、精神医学の大学教授をされている志水氏と、同大学院博士課程修了後に人間科学研究所所長を勤められている角辻氏、さらには同大学院人間科学研究科博士前期修了後、心理学の大学教授を勤めておられる中村氏が、各々専門分野について執筆しています。

妹の出産した子供が笑わないことを少し心配していたのですが、3ヶ月になる頃にとても表情豊かになり、声を出して可愛らしい笑顔も見せてくれるようになり、『どうして笑うのだろう?』と思ったのがこの本を読んだきっかけです。

人間の遺伝子には感情表現が元々組み込まれていて、例えば盲目で聾唖である新生児であっても、微笑みだとか啜り泣きなどの基本的な表情を身につけているのだそうです。  笑いの表情や声など、視覚や聴覚で知りえない情報でありながら、快適なときには口元に微笑みの表情が浮かび、自然な笑い声が出てくるということは、当たり前のようでいてすごいことだと思います。 

また、生後数時間で“味覚”もあり、甘い時には安らぎの表情、苦い時にはしかめ面、酸味の時にはすっぱい表情になるそうです。  快・不快の感覚と顔の筋肉との関係は、生まれる前から遺伝子に組み込まれているのですね。

ですが意外なことに、笑う時の『口が広がり、口角が上がり、歯を出す』という一連の行為は、

“動物が誤って口に入れた毒物を吐き出す動作” であり、“サルが驚いたときの表情”なのです。 そしてサルの場合、相手が自分より強い場合で、自分には敵対する意思が無いことを示す時に、目の周囲の筋肉を緩め、正に人間が笑うときの目元の表情に近いのだそうです。

サルのこうした、いわゆる媚を売るような一連の意思表示が、更に進化した人間の場合には、緊張感の緩和時にこぼれてしまう笑いとなり、さらに顔が平面になるにつれ眼が横に広がり、白目が見えるようになったことから表情が豊かになり、人間関係において様々な笑いが出来るようになったのではと推論しています。

確かに人の笑いには、純粋な“快の笑い”の他に、“攻撃の笑い(冷笑)”、“社交上の愛想笑い”、くすぐられて笑う笑い” など様々です。  (人間がくすぐられて笑うのは心を許した人のみで、きらいな人にくすぐられても弛緩できないので笑えないのだそうです)

蛇足ですが、個人的には『勘違いネタ』には弱いです。 この本の中にも、

『ボストン行きのチケットを外国で買う際に、"to Boston"と言ったら、チケットが2枚(two)渡され、"for Boston"と言ったら、チケットが4枚(four)渡されてしまった。 困ってしまい、『エート、エート』と考えていたら、チケットが8枚(eight)渡された。』 という笑い話が書かれていました。

私自身も、ニュージーランドのカフェで、"a cupptino, please"と言ってカプチーノを注文したら紅茶(a cup of tea) が出てきました。

内容は勿論ですが、数々の“笑い”の例え話や素朴な挿絵も同時に楽しめました。

病的な笑い、人種による笑いの文化・感覚の違いなどについても書かれていて興味深かったです。

(神々の沈黙の続きは週末に読みます。)

ジュリアン ジェインズ, Julian Jaynes, 柴田 裕之
神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡

小学4年生の頃、夏休みの自由研究に『人間はなぜ夢をみるのか』という題を掲げたものの、その抽象的で心理学的な題目にやがては途方に暮れ、すぐに『植物の研究』に切り替えたことがあります霧  

現在この本を手にして、人間の抽象的な性質についての解明に果敢に仮説を立て、定説については研究し、自論の証明に至るまでの経緯は、この上なく刺激的で面白いのだと知りました。カギドア


著者のジュリアン・ジェインズ氏は米国で心理学の権威であり、研究者としては動物行動学から人間の“意識”に関わる分野へとシフトしていきました。 

その他、文献学や考古学にも勤しみ、1976年にこの本が出版されると

『20世紀で最も重要な著作のひとつ』 と評されました。


その後、実に29年の月日を経て、2005年に日本語訳版が出版されましたが、その内容は少しも色あせることが無く、未だに衝撃的な理論を私達に投げかけています。


彼の仮説は、『人類の意識は今からわずか3000年前に芽生えたもの / 意識誕生以前の人間は右脳に囁かれる神々の声に従う二分心(Bicameral Mind)の持ち主で、彼らこそが世界各地の古代文明を創造した / やがて二分心は崩壊、人間は文字と意識を得た代わりに神々は沈黙した』 という意表を突いた大胆なものです。 

しかし、彼が提示する様々な理論や実験内容を読んでいるうちに、“意識”について深く考えたことのなかった自分に気づき、思い込みやこれまでのあやふやな定説の不確定さを知るのでした。


この単行本は厚さにして丁度4センチ。 読み手の都合もありますがあせる

内容の濃さも素晴らしいので、何回かに分けてご紹介させていただきます。


今日は、 『意識のルーツ』についてです。 私の学習帳のようになりますが、ご興味がある方はお付き合いください虹


過去の主な意識の定義はつあります。

(これらは本書を読んで、私の意識と思考がタッグを組んで噛み砕いた理解ですので、間違いや他の解釈がありましたらご指摘ください)


1.物質の属性としての意識 (化学的概念)

  時代背景に、素粒子物理学の驚嘆すべき成功の数々があり、

  素粒子学的な見地から意識が生まれたとする定義


2.原形質の属性としての意識 (化学的概念

  ダーウィンの進化論をベースとしたもので、生物の進化の属性とする定義


3.学習としての意識

  太古の昔から積み重ねてきた『学習』を土台として生まれたとする定義


4.形而上の付与物としての意識 (哲学的概念)

  生命の始まり⇒意識の始まり⇒洗練された文化の始まりの流れのうち、

  意識の始まりには何か形而上的な力が進化を導いたとする定義


5.無力な傍観者論としての意識 (悲観主義的概念)

  外界の刺激に対する身体の反射作用にただ付加しているだけの現象

  であり、動物にとって意識は重要でないとする定義


6.創発的進化論

  複数の要因(分子・化学成分・生命体)が進化の過程で結合して“創発”

  されたものが意識であり、それは脳内活動全てを支配するとする定義


7.行動主義の中の意識 (超現実主義的概念)

  心理学が哲学から独立した学問として分裂しようともがいていた時代に

  支持された、“全ての行動(刺激)に反応した条件反射的な現象”であり、

  意識は実体が無く、無いに等しいという定義


8.網様体賦活系としての意識 

  神経系、人体構造に答えを見出そうとした時代、“思考”を特定の

  ニューロンとして、“気分”を特定の神経系伝達物質として定義し、

  意識を宿す脳の部位については、フランスの物理学者デカルト

  (1598-1650)は、脳の松果体とした。

  一方、現在は脳幹にある『網様体』と呼ばれる部位を意識の座とした。

  『網様体』は神経系の中で一番古い部位であり、脳全体(感覚系と連絡系)

  の統合中枢として機能している。

  

これら8つの仮説に対して著者は、実験データに基づいた消去法にてその可能性を否定し、『あらゆる脳内の神経繊維や神経伝達物質の何十億というシナプスのメカニズムを知ったとしても、はたして脳が『意識』を持っていたかを 知ることは絶対に出来ない』と主張します。 

彼の意識についての査証は下記に及びます。


雪の結晶 意識は“反応性”と混同されてはならない

雪の結晶 意識は多くの知覚現象に関わっていない

雪の結晶 意識は技能の遂行に関与せず、その実行を妨げることも多い

雪の結晶 意識は話す事、書く事、聞く事、読む事に必ずしも関与する必要はない

雪の結晶 たいていの人が考えているように、経験を複写してもいない

雪の結晶 意識は信号学習に無関係であり、技能や解決法の学習にも

    必ずしも関与する必要はない。 これらは全く意識せずに起こりうる

雪の結晶 意識は判断を下したり、単純な思考をしたりするのにも必要ない

うお座 意識は理性の座ではなく、非常に困難な創造的推理の事例のうち

    には、意識の介在なく行われるものさえある

雪の結晶 意識の在りかは、想像上のものでしかない


ここで、うお座 のところですが、『意識の構築は、思考・概念・学習の土台を成すものではなく、むしろそれらを時に阻害するものであり無用なものである』と断言します。 面白い具体例も記述していました。 

今でいう“セレンディピティ” の現象についてです。


うお座アインシュタインの偉大な思いつきの多くは髭を剃っている最中に不意に

  ひらめくのだそうだ。 そのため、彼は毎朝それは慎重にかみそりの刃を

動かすのです。 

  さもないと驚いたはずみに顔を切ってしまいかねないから。

うお座イギリスのある高名な物理学者はかって、次のように語りました。

  『我々の間では、よく3つのBといいます。 バス(Bus), 風呂(Bath),

  ベッド(Bed)です。 

我々の科学における偉大な発見は、これらの場所でなされるのです』 

うお座ドイツの物理学者・生理学者のヘルマン・ヘルムホルツ氏は

  『しばしば、その重要性を考えてもみぬ時にそっと思考の中に忍び込んで

  きた...。 またある時には、こちらが何の努力もしないのに突然訪れ

た...。 とりわけ、天気の良い日に木々の繁った丘をぶらぶらと散歩

しているときに、姿を現したがるのだった』と延べます。


更に著者は、“このように突然洞察を得るという現象が、最も顕著に見られるのは、研究題材に日常の経験が干渉する余地のごく少ない、より観念的な学問においてではないか” と興味深い指摘もしています。



...どうでしょう、疲れましたよねショック!

でもこれらは要約であり、それらを検証する論理がとても面白いのです合格


個人的には、意識=思考だと思っていたのですが、思考の殆どは自分の脳が創作しているもので、意識とは別だといいます。

過去の自分の行動を思い返してみると、私達は自分をまるで第三者のような視線で思い返していることを知ります。 

自分自身の姿を脳で創作して思い返しているのです。


また、経験が意識の構成要素という説も、動物さえもが経験から行動を改めることを例に挙げ、経験が意識とは無関係であり、経験とは神経系による自動推論の賜物に他ならないと表現しています。


それでは『意識はどこにあるのか?』、またそもそも『意識は人間にとって必要なのか?』 という疑問に辿りつきます。

著者は意識は身体のどの部位にも座しないものであり、意識が漂う場所をあえて“空間”と表現します。

また、私達の活動の多くに意識はたいした影響を持たないと定義し、全く意識を持たずに生活していた人間の可能性について示唆します。


それでは次を読んでいくことにします本

最後まで読んでいただいてありがとうございましたラブラブ 

デイヴ ペルザー, Dave Pelzer, 田栗 美奈子
“It”(それ)と呼ばれた子 幼年期
デイヴ ペルザー, Dave Pelzer, 田栗 美奈子
“It”(それ)と呼ばれた子―少年期ロストボーイ
デイヴ ペルザー, Dave Pelzer, 田栗 美奈子
“It”(それ)と呼ばれた子―完結編さよなら“It”

この本が国内外でベスト・セラーになってもう久しいですが、未読の方には是非読んでいただきたい本の一つとしてご紹介させていただきます。

この本は、幼児・児童虐待を母親から受けて育った子供側の視点から書かれたノン・フィクションです。

母親の子に対する愛情が“本能”であり、“先天的な性質”である、という絶対的な固定観念は、最近絶え間なく耳にする虐待関連のニュースから考えても捨てざるを得ません。 母親に精神的なストレスやアルコール依存症の兆しがあるのであれば尚更です。

一方、子供側にとって母親の愛情はどんな状況であっても乞い焦がれるものであり、生きる上での糧に値するものだということが読んでいて伝わってくる本でした。


かっては優しくて清潔で美しかった母親が、何かをきっかけに4人兄弟の中で3男のデイビッドだけを心身共に痛みつけるようになります。 まだ赤ちゃんの弟や犬の汚物を食べさせたり、コンロで腕を炙ったり、ナイフでお腹を刺したりと、その行動は日を追うごとに正気を失っていきます。 どれだけ負傷させても警察を恐れて病院には行かず、そのまま寒くて孤独な地下室に放っておくのです。 デイビッドをかばいきれない父と母の夫婦仲は次第に悪くなり、酒の量も増えて虐待の度合いもエスカレート。 それでも母親の愛情を信じて求め続ける子供の生い立ちは残酷過ぎました。


必ず虐待が行われるのは、近所の人や学校のスタッフが入ることの出来ない『家の中』で行われています。

ですが、洗濯がされずに汚れて破れた衣類や、何日もシャワーを浴びずに身体から放っている異臭、さらには、空腹感から“盗む”ことを覚えた被虐待者の行動によって周囲の人は感ずいていきます。

そこに『救い』の人間が介入し、試行錯誤しながらもデイピッドを光の方向に導いていく経緯が、幼年期、少年期、青年期と3部に分かれて書かれています。 

少年期には養護施設やフォスター・ファミリーを転々とし、自由とまともな生活を手に入れた彼も、しばらくは自制できない不安定な感情と、偏見の多い社会への適応にトラブルを抱えて暮します。 どうして自分だけ母親に忌み嫌われたのかを知りたいという欲求も増します。


読書中は勿論のこと、読み終えていくら時間が経っても、心の奥がズーンと重くなっていて、人間の両面性(光と闇)にあらためて気づかされたような感じでした。 ですが、この本の著者が意図する趣旨は、虐待に関するルポではなく、虐待を受けても尚、人間性を見失わずに自分の人生を掴んでいったことへの“希望”です。 

そしてそれを支えていたたくさんの“第三者の愛情と救い”です。
実話だけに奇麗事だけでは済まされない展開にもなっていますが、私にとってはとても印象深く為になる本でした。

現在のDAVE PELZER氏のサイトはこちら  です。

水は答えを知っている―その結晶にこめられたメッセージ/江本 勝
¥1,680
Amazon.co.jp

この本は、以前働いていた会社の上司が、私が退職する際にプレゼントしてくださった一冊です。
"何だろう?” と思い頁をめくっていると、綺麗な結晶の写真がたくさん掲載されていました。

そして、それらの写真が、“氷結された水の結晶写真”であり、語りかける言葉や、流す音楽、更にはそばに置いておく風景写真によってさえも、驚くほどに結晶の姿を変えていることを表しているのだと知り、胸をつかれた思いがしました。


例えば『ありがとう』と書かれた紙を貼り付けた容器に入っていた水の結晶の姿といったら本当に美しくて、逆に『ばかやろう』と書かれた紙を貼り付けた容器に入った水の結晶は、破壊された細胞のような形をしていました。 不思議なことに、音楽に対しても、写真に対しても、それぞれに合った結晶の姿をしているのです。

もちろん水が、目や耳を持っている訳では当然なくて、水が持つ分子構造が、それぞれの対象が持つ波動を受けて、結晶の形を作っているような気がします。 (あくまでも個人的な、科学について全く素人の自論なのですが流れ星


赤ちゃんは語りかければ語りかけるほど、また良い音楽を聴かせるほどに心身共に発達が促進されることだとか、植物に話しかけていると枯れにくく青々とした葉が茂る、などといったことと同じ原理なのかもしれません。

“ことだま”の力を感じると共に、水の神聖さについても思いを巡らせてしまいました。


またこの本では、体内の70%を水が占めている人間にとっても、見ること、聞くこと、話すこと、考えることの内容が健康を左右しているのだということが、興味深いたくさんのデータから説明されています。


著者の江本氏は、アメリカで共鳴磁場分析器と出会い、オリジナルな視点から水の研究に取り組んできた人です。

自費出版から口コミで広がり、英訳も添えていたことからスイスを始めとした欧米諸国で絶賛を受け、今では何ヶ国語にも訳されて、世界中の書店に並んでおり、各国の講演会に飛び回っているのだそうです。


こういった本はやもすると読む人を選ぶのかもしれませんし、“全く科学的ではない” とお叱りを受けてしまうのかもしれませんが、個人的にはこの本を選んで贈ってくださった会社の上司に、今でも心から感謝しています。
世界は1つの生命からはじまった―サムシング・グレートからの贈り物/村上 和雄
¥1,000
Amazon.co.jp
最初に告白してしまうと、私はこの本の著者、村上和雄氏の講演会に出かけたことがあり、依頼彼の博士的な風貌と温かな瞳、ユーモアと愛情が溢れる語りの大ファンになりました。
もう数年前の講演ですが、“笑うことが人間の健康を改善する ” “努力していると偶然が成果を後押ししてくれる” “DNAは人知の及ばない巧みな設計図を構成している” といった、今では証明されつつある事柄について静かに語ってくれるのでした。

彼は、1963年に京都大学大学院博士課程修了後、アメリカ・バンダービルト大学医学部助教授を経て、78年に筑波大学応用生物化学系教授になりました。
83年、高血圧の原因である酵素「ヒト・レニン」の遺伝子解読に成功し、以降バイオ分野の研究で世界の注目を集めました。
90年マックス・プランク研究賞を受賞、96年日本学士院賞受賞と、正に遺伝子研究の権威者です。

ですが、彼はその先をいつも思考しています。
例えば学会での発表に鎬(しのぎ)を削るべく、現実的な研究課題に取り組むことが『昼の科学』だとすると、夜になって科学者が酒に肴でもつつきながら、しみじみと密やかに語るような非現実的で神秘的な事象を『夜の科学』と呼んでいるのだと、村上氏は笑います。 
第一線で活躍をしている科学者が、例えば科学的には未解明の現象を万が一にも精神的・神秘的(非現実的)な見地から公言したのなら、科学界から軽視され一笑に付されてしまう、というのは未だありがちな現実なのだろうと思います。

それでもやはり多くの科学者や医者が、生命の神秘や宇宙の規則性、自然物の想像を超えた緻密な構成・設計図を解明していけばいくほどに、彼らは

“何か偉大なるもの”の存在を意識せずにはいられないというのも否定できない事実だと思います。

村上氏はそれを『SOMETHING GREAT』と呼び、『昼の科学』のみならず『夜の科学』にもいつも大きな興味を持ち続けているのです。


前置きが長くなりましたが、この本には統計・確率的な切り口から“いかに1つの命が誕生することが奇跡的に尊いこと”なのか、また、30億という膨大な遺伝情報を持ちながら、実際にそれを“ON”にしているのは僅か5%~10%だという事実について、そしてその遺伝子の構成は、ガリレオやアインシュタインなど天才と呼ばれる偉人達と一般人とでは、0.05%の違いしかないということなどが書かれています。

更に、この本のタイトルである『1つの生命』 というのは、魚も鳥も人間も、そして微生物や植物さえもが1つの同じパターンで遺伝子が構成されていることが解き明かされたことから、全ての命は、1つの生命体から派生したものではないかということが書かれています。

そういえば、母体の中で生まれた生命体が人間の形を形成するまでには、全ての生命体の形状を辿っていくという説も聞いたことがあります。 (それじゃあ最も進化した生命体が現状 人間なのかというのはまた別課題ですが)


この本は、葉 祥明氏の優しい挿絵と共にエッセイ風に仕上げられているので、とても読みやすく老若男女問わずに受け入れられるかと思います。 更には日本語と共に、英語、エスペラント語(国際共通語)でも書かれているので、国籍を問わず素敵な贈り物になるかと思いました。