世界解体 -2ページ目

世界解体

知らないことは ボクらの道を狭くする
情報の海と訣別し 本当に必要な知識を今 ものにするんだ
世界解体は その力強い 道連れだ!

そもそも・・・

食の安全

この発想が出てきたのは・・・

ボクらが自らの手で食べるものを調達することをやめ、他の誰かが用意してくれたものを買って食べるようになったことが端緒だね。さらに科学の進展によって食品を見栄え良くしたり、保存が効くようにしたり、良い匂いにしたり、安いコストで作ることが出来るようにしたりすることが可能になったことも大きい。

つまり、今現在、ボクらの食べ物というのは、食べたその時は良くても

長期的に摂取すればどうなるか分からない

ものが入っているんだね。

だから、「この食品は大丈夫なのか?」となることは当然のことで、むしろ何にも気にしないなんていうのは

よっぽど感性の低い単なるバカ

と言っても間違いないだろう。

一応は様々な規制やルールを作って食の安全を守ろうとしているんだけど、これが国によって、地域によって、民族によって、宗教によって違っているからなかなかややこしいんだ。

この国では「食品安全基本法」や「食品表示法」「食品衛生法」などの法律をもうけて、食の安全を守ろうという建前なんだけど、それが今や・・・となってきてるようなんだよね。

詳しく見ていこう。
少し分かり易い・・・

食の安全

ハナシをしよう。

と言っても、実はなかなか込み入っていて、かなりややこしいのが「食の安全」なんだよね。

まず、大前提として、ボクらが生きていくには何かを食べなくてはならない。
それも毎日毎日、多くのヒトは1日に3食。それがボクらを支え、ボクらを作り、その

過去も現在も未来も決定している

と言っても過言じゃない。

ジブンたちが作ったものや採集したもの、狩ったものや釣ったものを食べているうちは、ボクらはジブンたちの食の安全を自らでコントロールしていたんだけど、今はそうじゃない。

ほとんどのヒトはジブンたちが食べるものを他の誰かに頼っているよね。
ジブンの足でスーパーまで買いに行って、ジブンの手で調理していたとしても、それはジブンの食べ物をジブンで調達しているのではないんだよ。

つまり、今ではボクらのカラダやココロは他の誰かの手によって作られているということ。
まずはこのことを押さえておこう。

今から食べようとしている「それ」、ホントに大丈夫?
シッカリと考えていこう。
大それた自由なんて・・・

ボクらは自由なのか?

想像することすら出来ない・・・

それが現状のボクらの偽らざるスガタ。
小さな小さなとてもちっぽけな自由が制限されるまで、ボクらはこれまでずっと大きく自由が制限されてきたということに気付くことは出来ない。

ヨノナカというものはそのようにして推移してきたんだ。
ボクらが気付いていようがいまいが、強く反抗心を感じるなんてことはほとんどなく、ボクらの自由を制限し、

喰い物にしようとしてきた勢力の思うまま

にされてきたんだよ。

今ではゴイム(タダ飯喰らい、穀潰し)呼ばわりまでされて、粛清の対象になっているのに、ジブンたちのささやかな楽しみが許されるなら、いかなる気付きもなく、また気付こうとする意思すらなく、ゆりかごから墓場まで流されていく・・・

ボクらが自由であるかどうかの判断はムズカシイ。
ジブンが自由であると思うなら自由だし、そうではないと思うならそうではない。

でもね、原点に返って、自由というのは誰に妨げられることなく自らの本性に従って生きることだとするならば、ボクらは間違いなく自由ではない。それどころかボクらは

完全に隷属するだけのその他大勢

なんだ。

ここは一度シッカリと我が身を振り返って欲しい。
週末の予定も大事だろうけど、それ以上に大事なことだってあるんだ。
少なくともジブンが何を感じ、どう考えるかについては自由はボクらの側にある。
その自由をムダにしないようにしようよ、ね。
もう一度あらためて・・・

ボクらは自由なのか?

自由とは・・・

ジブンの思うように生きることが出来るということ。

だからね、

ジブンが何を思うことが出来るのか

ということがもっとも重要なポイントになるんだ。

「何となく流れで生きていけば良い」なんて考えが思うことのすべてなら、今のままで何もモンダイはないということになってしまう。「幸せな家庭を作って家族仲良く暮らせれば良い」なんてことが思いのすべてなら、それ以上大きなことについては何も考えなくて良いということになるだろう。

そして、今ほとんどのニンゲンがそうなってしまっている。
ジブンさえ得すれば良い、ジブンの家族に波風が立たなければ良い、1年に一度は海外旅行に行けたら良い、オシャレな服や豪華な宝飾品を身に着けることが出来れば良い、大きな家、お気に入りの別荘が持てれば良い・・・

多くのニンゲンが上に書いたようなことを追い求め、それが実現すれば大満足なんだよね。
思うことの内容がお粗末過ぎるんだけど、ザンネンながらそうなってしまったんだよ。

彼らにとっては自由は今もあるのだろう。
その程度のことが望みなのだから、それ以上の自由なんて考えもつかないということ。

そろそろまとめよう。
ボクらの多くは・・・

ボクらは自由なのか?

呆けてしまっているんだよね。

ストレートに言えば、

もはやジブンのアタマで考えることが出来ない

ぐらいにダメダメになってしまったということ。

お国がこうしろと言えば素直にそれに従うし、テレビや新聞がこうだと言えば疑うことなくそれを信じ込んでしまうんだ、いともカンタンにね。

自由よりも安定、ジブンで考えるより誰かの考えに従う・・・

もはや根っからの奴隷

だと言っても間違いじゃないんじゃないかな。

どれほどの困難があろうとも、自らの本性に忠実に生きるなんてことはもうない。
というより、自らの本性そのものが奴隷のそれになってしまい、それに忠実に生きていると言った方が正しいかも。

ともかく、ボクらは自由ではない。
でもね、それがボクらの多くが望んでいることなんだよね。

それで良いのだろうか?
ホントにそんなことで良いのかい?