本日4月29日は、昭和天皇が崩御された日です。
この日を迎えるに当たり、『祖國と靑年』4月号掲載の記事「昭和天皇の全国御巡幸」を一部紹介致します。
――――――――――――――――――――――――――――
昭和天皇の全国御巡幸は、昭和21年2月、東京近郊を皮切りにはじまったが、その御志について、当時の宮内省官房主管・加藤進氏は、昭和天皇から次のようなお達しを受けたと語っている(筧素彦著『今上陛下と母宮貞明皇后』)
「この戦争によって祖先からの領土を失い、国民の多くの生命を失い、たいへんな災厄を受けた。この際、わたくしとしては、どうすればいいのか考え、また体位も考えた。しかし、よくよく考えた末、この際は、全国を隈なく歩いて、国民を慰め、励まし、また復興のため立ち上がらせる為の勇気を与えることが自分の責任と思う。わたくしとしては、このことをどうしてもなるべく早い時期に行ないたいと思う。ついては、宮内官たちはわたくしの健康を心配するだろうが、自分はどんなことになってもやりぬくつもりであるから、健康とか何とかはまったく考えることなくやってほしい。宮内官はそのことを計画し実行してほしい」
そして、「どうしてもなるべく早い時期に」というお言葉の通り、昭和天皇は、翌21年のうちに関東・東海・の9県、翌22年には近畿・東北・甲信越・北陸・中国の21県をお巡りになった。とき、あたかも終戦直後の混乱期である。天皇は列車の中で、あるいは女学校の教室にゴザを敷いてお眠りになることもあったという。
(中略)
24年に九州7県、二十五年に四国4県、26年に近畿4県と続き、残るは北海道と沖縄だけになったが、北海道行幸はその3年後、昭和29年に開催された国民体育大会に合わせて行われた。
ここまでの御巡幸に要した総日数は165日、行程は33,000キロにも及んだ。
昭和天皇は、御巡幸のご感懐を次のようにお詠みになっている(唱和21年)。
戦災地視察
戦のわざはひうけし国民をおもふこころにいでたちてきぬ
わざはひをわすれてわれを出むかふる民の心をうれしとぞ思ふ
国をおこすもとゐとみえてなりはひにいそしむ民の姿たのもし
敗戦によって、我が国は確かに甚大な被害を蒙ったが、そのことによって天皇と国民の間に結ばれた絆が動揺するようなことは、どの地域においても些かも見られなかった。そして、各地における昭和天皇の直接のお励ましは、祖国再建のためにもう一度立ち上がろうという人々の勇気を奮い起こし、その後の我が国の驚異的な戦後復興を導いていったのである。
昭和天皇が行幸された際の各地の感激の模様は・・・・・・
――――――――――――――――――――――――――――
この後には、叶わなかった沖縄行幸に関するエピソードも記されています。続きは、ぜひ誌面(『祖國と靑年』4月号)をご覧ください