ニューヨーク狂人日記 -4ページ目

アダムとイブの手首

装飾品であり。
実用品でもある。

実用品であり。
装飾品でもある。

こんな不思議な存在で
ここまで行き渡っているものも珍しい。
洋服にしたところで
「なくてもなんとかなる」といった類のものではなくなった。
アダムとイブの後からは。

「なくてもなんとかなる」
気持の隙間にあるアソビとも似ている。

腕時計とはなんとも不思議な存在だ。



便利なようで不便な世の中ではある。
ガソリンスタンドが
給電所がなければ
車はお荷物な箱に過ぎない。

今ある殆どの時計は
電池が切れてしまえば、
ただの環という地位へと瞬時に転落をしてしまう。

ここでも不思議なのだけれど、
動かぬ腕時計は装飾品としての美さえも喪ってしまうのだ。

鳴ることのない教会の鐘は
それはそれでなんとなく納得をしてしまうのだけれど、
止まったままの時計台はどこかデクノボウを思わせる。

太陽光で充電する腕時計もあるらしいが、
それとて洞穴の中ではやはり止まってしまうだろう。



腕時計が止まって半年が過ぎようとしている。
いったい皆はどこで、
どういったタイミングで電池を入れるのだろう?

止まってしまった時計に気づいたときというのは
どこか哀しい気持ちに包まれてしまうものだ。

ニューヨークに居る頃は
「いつでもできる」
安心感が傍らにあった

街を歩けば靴屋がクリーニング屋が、
中国人の小間物屋が
気軽に交換をしてくれる。
安心感のためかついつい店を通り過ぎてしまうのだけれだ……。

なにより、通り過ぎたときに
止まってしまった時計を巻いているということは
皆無といっていいほどにない。

やはり腕時計の電池交換には
それなりの心の準備をして赴かねばならないのだろう。
歯医者へ向かうときのように。



みなはどこで電池を交換するのだろう?
やはり時計屋か?デパートか?
いずれにしても時計をいうものを専門に
(もしくは業務の一環として)
扱う場所へと足を向けるのだろう。
まあ、それが本筋といえば本筋だ。
魚を買いに金物屋の扉を開ける人のいないように。

それにしても腕時計というのは
やはり不思議な存在だ。
魚は金物屋で売ってはいないが、
時計の電池はクリーニング屋で交換出来たるする。
いや不思議だ。



家には3つの腕時計がある。
すべて止まっている。
それでもさしたる不自由を感じることはない。

この頃は携帯電話というものがある。
身につけている率ではもう腕時計をしのぐのではないだろうか?
それでも不思議なことに
そこには腕時計にある不思議さを感じることはない。

昔のメモ取りを復活させたので
近頃、腕時計のない不自由さを感じることがたびたび。
時間を書き込むときに
ポケットをもぞもぞ
携帯のボタンを押して、
また押してポケットにねじこむ。
そんな小さな動作がわずらわしかったりする。



気づいてみると走り始めてからひと月が過ぎていた。
でも、走っている最中に腕時計を覗き込みたくはない。
巻いているとどうしても腕を振り上げて見てしまうことだろう。
あー、それは嫌だな。



電池を入れようか。
やめとこうか。
持ち運びのできる電気の池を。
またいつか枯れてしまう泉を。


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夏時間を指す、冬の時計






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11月3日

Windows7 or 8

夢について。旅について

田吾作。Bitch

イマジネーション

谷口浩美

省エネ

永谷園のお茶漬け

後ろ姿

フランク・ショーター

野グソ

ジョン・レノンと真珠湾

コマネチ

文化

路面電車

結城慎吾

新地獄車

本屋

準備と整理

ピンク色のバラ

線と輪

指輪。首輪。

飲酒スケジュール

カタチ

両立


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今日、走りながら考えたこと。
アホだな。



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かつてここは海だった

1週間も経つだろうか?
埋められてから。

それは久しぶリに降った
雨らしい雨の翌朝のこと。
いつものベンチでタバコを吸う。
こんもり盛られた土が目に留まった。

前日通りかかった際には
丸いプールで泳ぐ子どもたちのように
長い物、短い物
吸い殻が浮かんでいたのに。

プールにはこんもりと土が盛られていた。
あの子どもたちはすくい上げられたのだろうか?
それとも生き埋めに……。
それを知るしもない。

たぶん埋められてしまったのだろう。
清掃をしているいつもの男性に。
水に浮かぶ子どもたちを眺め
―もしかしたら舌打ちをしながら―
盛ったのだろう、土を。

水はあふれたのだろうか?
それとも土の中に染みこんでいったのだろうか?
いや、電柱を短くしたような灰皿を傾けて
10cmほども溜まった水を出してから盛られたのかもしれない。
手押し車を押しながら清掃に勤しむ太っちょのオジサンに。

灰皿と土。
言葉から浮かぶのは白い(あるいは黒い)砂なのだが、
ここに盛られたのは黒々とした土だ。
まだ生命を内包している艶やかさがある。

饅頭のような盛りを眺めながら、
震災で液状化してしまった土地
そして稲穂のなびく故郷の干拓地を想う。

いつたいいつの頃から我々は
水を埋めるということを覚えたのだろう?
水を埋める。

埋める。
果たしてそれは正当な行為なのだろうか?
根元近くまで吸い終えたたばこを
盛り土の頂上付近に差す。
昨夜来の小雨で柔くなった土に吸い込まれていく。

冬の風が吹いてきた。

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コーヒー

ベンチで魔法瓶のコーヒーを飲む。
外でくつろぐ人も少なくなってきた。

初めてのコーヒーはいつだったろう?
歳の離れた従兄が帰省した折りに
飲ませてくれた情景が浮かんでくる。
やはりあれが最初なのか。

「ゴリゴリ、ゴリゴリ……」
木製ミルのハンドルを回しながら浅黒い豆を挽いていく。
立ち込める初めての匂い。
火を点けたアルコールランプをフラスコの下にあてる。
サイフォンで淹れてくれた。

そう、コーヒーには。
いや、珈琲には
淹れるという漢字がよく似合う。
コーヒー・スタンドよりも喫茶店が似合うように。
淹れるという言葉が、
その、一種儀式めいた一連の行為を凝縮している。

ただ単に飲み物の準備をするという
動きの集合体であるだけではなく、
そこには冒しがたい精神性のようなものがあった。



今のようにカフェインの引き起こす害について
取り沙汰されていたわけではないけれど。
あの頃もやはり、
コーヒーは大人の飲み物だった。



いつしか自宅のインスタント・コーヒーも
ネスカフェの黒ラベルからGOLDへ替わっていた。
机の横にはいつも
丸盆にのせられた魔法瓶とクリープ
そしてインスタント・コーヒー。

1階の物音がやむとコーヒーを飲む。
時折通り過ぎる車の音とラジオ。
夜の闇が深かった頃。


コーヒーの味ではなく、
それを飲むという行為そのものに、
飲んでいる自分自身にひたっていた。

何かのために勉強をしていたのだとしたら、
それはコーヒーを飲む、おいしく飲むということだ。
医者になったり大会社へ入るための勉強ではなくて。
ただ、コーヒーを飲むために勉強をしていた。
その時間を手に入れるために。



クリープをいれなくなった。
砂糖を入れなくなった。



このところ「夢」という言葉の乱用が目立つ。
大安売りの挙句その価値は暴落してしまった。
夢とはそんな簡単なものではない。
形にできるものは夢ですらない。

コーヒー。
いや、勉強はコーヒーーというもののため。
言い換えれば大人になるためだったように
今にして思う。
その立ち位置は酒やタバコとは少し違う。

出世や金持ちになることを〈夢〉と言う人が多い中、
あの当時、ぼくの夢はコーヒー。
その周囲にある
他よりほんの少しだけ重く
香りをたててまとわりつくものこそが夢だった。

夢という言葉に関して言えば
こちらの方が幾層倍も純然としていて
夢らしいと思うのだけれどどうだろう?

努力の結晶として、結果として叶うものを
夢と言うことはぼくにはできない。
夢にはカタチがあってはならず。
はなはだ漠としてものでなければならない。

あまにりも安易に夢という言葉を使わないでほしい。
そんな言葉で人々を導き、惑わすのはやめにしてほしい。
言葉に頼らねば何かをなしとげられないのか。
夢の価値をそこまで貶めていいものなのか。



ピープル・ウォッチングというものを
初めて意識したのもコーヒーと一緒だった。
熊本市の繁華街、新市街と下通りの角にある(あった?〉
マクドナルドの2階から。
スタイロ・フォームのカップを片手に。

アメリカにいることを感じたのも
コーヒーと一緒だった。不思議とビールではなくて。
ダイナーの窓際の席でいつまでもいつまでも。
薄いコーヒーを何杯もおかわりしながら
話し込んだいくつもの夜。
車のヘッドライト。ネオンサイン。
少しずつ空が白くなってくる。


アメリカ縦横断の旅でも
車内ではいつもコーヒーとラジオの音が揺れていた。

ヨーロッパでは
濃いコーヒーですぐにお腹いっぱいになり、
アメリカーノばかりを飲んでいた。



この6年間。
コーヒーを飲むのは年に数えるほど。
そんなぼくがこの2ヶ月ほど
また毎日コーヒーを飲むようになっている。
朝のテーブル。
昼の机。
いつだってそばにはコーヒーがある。

新しいコーヒーの章が始まったみたいだ。
湯気の向こうにはどんな夢が広がっていくのだろう。

ミルクを入れなくなった。
砂糖を入れなくなった。

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オ・イ・シ・イ ウサギ

「それはそのままでいいのかもしれない」

事実を知り不幸になってしまうことがある。
知らなくても
生きていく上では何の支障もないことがたくさんある。
それでも。
知る前と後では
世界がまったく別の軸足で回り始めてしまうことが。

そこで幸福に完結をしている世界。
わざわざ修正されなくとも。

小豆島のことを「コマメトウ」と思っていても
(ちなみにぼくではありません)
生きていく上ではそれほど大変なことではない。
「コマメトウ」のままでもいいじゃないか。
「しょうどしま」と知り、「あずき」の方まで影響がないといいのだが。



思い違いだとか。
勘違いだとか。
そういったものがあちこちにある。
今でも
雰囲気と書くときには
頭の中では「ふいんき」と言っているし、
あさってのときは
「あしたあさってしあさって」と言っている。



あのことを。
ぼくの中では完結していたことを。
あの世界を揺り動かされたのは
いったいいつだったのだろう?

「あーそうかー。
昔の人はウサギを食べてたんだ。
うまいんだー。
でも、やめとこー」

あの歌を口ずさむ時、
いつも描かれるのは
黒光りする柱をつ広い部屋。
板張りに切られた囲炉裏をかこむ家族の風景だ。
湯気の立つ鉄鍋から母親がそれそれによそってくれる。
今夜はウサギ鍋。

小学校で習った歌に「ふるさと」というのがある。
♪ウサギ美味しい かの山♪ではなくて
♪ウサギ追いし かの山♪が本当らしい。
少しだけだが世界が変わってしまった。


それでも、ぼくの中では
やっぱり「ふるさと」はウサギが美味しい。



「なんのためにここにいるんですかねー?」
「思うんですが、日本という国を、
日本人である自分を見つめるため
ただそのためだけにここにいるのでは?と」

ぼく自身も何度も噛み直しているこの言葉。

そうして地元へ帰り友人たちに会う度に思うのは
「こうして守り神たちが
地元を守っていてくれるからこそ……」
ということ。

ふるさとはいつも温かくぼくを迎えて、
迎え入れてくれる。
そこでのぼくは他の町でのぼくとは違い
お客さんではなく、帰るべきところへ帰ってきた人間に過ぎない。
生きていれば辛いことだって、大変なことだってある。
それでもいつだって笑顔で、無条件に手を広げてくれる。
だからこそぼくも何度も帰るし、
異国でもなんとか生きていくことができる。



アメリカは移民の国だけれど
多くの中国や韓国の人たちと日本人が違っているのは
決して故郷を捨ててはいないということ。
<思い>という面だけではなくて物理的にも。

フライドチキンやハンバーガーを売るチャイニーズ・レストランはあるが、
ブリトーやホットドッグを売るジャパニーズ・レストランを知らない。

覚悟のことを言われてしまえば
実に安定性のないものかもしれない。
それでもぼくは、日本人はそれでいいのだと思う。
いや、そうであるからこそ日本人なんだ。
帰るべき場所。帰ることのできる場所。



前回の本では
今はもう閉店をしてしまった金善堂書店さんが
全面的にバックアップして下さった。
そして今回も故郷の本屋さんが応援をしてくれる。

ありがとう!



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積文館書店ゆめタウン大牟田店
では、玄関入口話題の本コーナーに。

福岡県大牟田市旭町2丁目28-1
Tel: 0944-59-8210




$ニューヨーク狂人日記
積文館書店ゆめタウン大牟田2号店
では、ビジネス・文芸書新刊コーナーエンド平台に。

福岡県大牟田市旭町2丁目28-1 ゆめタウン新館2階
Tel: 0944-41-1772



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「ゴリゴリゴリ」

ボンヤリ。
しばらく眺めたあと。
数えてみることにした。



考えてみれば
日常の道具としての
鉛筆から離れて6年が経つ。



左から右へ。
1本ずつ、
マグカップの間を移していく。
左のカップから尖ったものを引き抜き、
再び書き始める。
最後の1本
先が丸くなってしまったら
書くのをやめて削る。

丹念に削ってゆく。
カップが空にならない限り
途中で削ってはいけない。
それが1日の終りであろうと
始まりであろうと。

時計というものではなく
鉛筆という海に身をゆだねる。

「ゴリゴリゴリ」

1本1本を丹念に削ってゆく。

「ゴリゴリゴリ」
たとえ深夜でも。
鍋がふいていようとも。
誰かが隣で眠っていたとしても。
すべてを削り終えるまでやめてはならない。

カールした無数の木屑。
粉になった芯のふりかけをまぶされて。
いったい、あのプラスチック製コンテナには
何本分の削りかすをためることができるのだろう?
真新しい1本の鉛筆を
根本まで削ったら
どれほどのかさになるのだろう?

「ゴリゴリゴリ」

すべての鉛筆が再び尖り右のカップに収まった。
少し前と違うのは
ほんの少し丈が縮まったことくらい。
さっきまでの自分と今の自分。

それにしても
同じ時におろした新品の鉛筆。
同じだけ使い、
同じだけ削っているはずなのに。
長いの、短いの
時とともにどうして差が出てしまうのだろう?

「ゴリゴリゴリ」

過去とは少しだけ違う新しい過去を歩む。
今度は右から左へ
1本、また1本……。
右のカップが空になるまで。



眺めるのにも飽きて数えてみることにした。
59本と1本と1本。
黄色い軸をしてお尻に消しゴムを持つ59本の鉛筆。
青色と黒色のボールペンが1本ずつ。
青色はノック式で
黒色はキャップ式。

そうさ、生きていれば
ボールペンが必要な日だって出てくる。
黒字を求められる日も、
青いインクで書きたい時だって。
ただ、ボールペンだけはいつだって
左のマグカップにさしたまま。

黒インクのノック式ではどうだろう?
青インクのキャップ式を使う時があるかもしれない?
赤インクはいらないか?
赤インクのいらない日常を生きているだけなのかもしれない。
それにしてもだ、
緑インクのボールペンを初めて手にした時の驚きを今も忘れない。
この世にこんなボールペンがあるなんて?
BICの4色ボールペンだった。

「ゴリゴリゴリ」
「ゴリゴリゴリ」



そうやって生きていくのもいいかな?と思う。
まったく同じではないかもしれないけれど、
右から左へ。
左から右へ。
少しだけ違う過去をいつまでも生きる。

「ゴリゴリゴリ」

昔、穴を掘るバイトをしたことがあった。
あれは雨の日。
3人で4時間ほどをかけて大きな穴を掘っていく。
昼の休憩を挟んでそれを埋める。
ただそれだけ。

「ゴリゴリゴリ」

不毛と思っていたものが
別なものに見えてくることがある。



「ゴリゴリゴリ」

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恋鯵の煮物

1日が始まる。
ノートへ向かう。
何の材料も、思いもなく。
ただ、ペンを動かしていく。
準備体操のようなもの。
だからタイトルはない。

長い間「ジャンプ・スタート」と呼んでいた。
近頃では「アイドリング・トーク」とも。
「徒然なるままに」、そうつぶやく人もいる。



この小さなノートを買って1週間。
万年筆の整備、インク組み合わせで苦悩。
そんな間に
機種変更後うまくいかなかった
携帯のメモ・アプリが使えるようになったり。
いまだにボイスレコーダーを使っていたり。

いくつものことが
マイナスにプラスに揺れながら同時進行。
新しいノートには名前を書いただけで。

恋焦がれていたインクと一緒になった万年筆も
今のところは快調に飛ばしてくれている。
さて、どれくらい「心地良く」書けるものか。
書き続けることができるものか。
(窓の外、落ち葉が大きく渦を巻く)
ペンだけではなく、
違うブランド、初体験のノートとの相性は?
とりあえずインクの裏抜けはないみたいだ。

そんなわけで、今日のジャンプ・スタートは
普段とは違うこのノートで。
使途から外れてしまうが、
最初の一歩を踏み出さねばどこへもいけない。
いつまでも使い始めそうにない。
そんな予感も少しあるので。
バージン・スノーにゴム草履で足跡を残す。

「おや!?」
ここまで書いてきて
インクの流れががついてきていないような気がするが……。
大丈夫か?
おい。

まあ、このペン+ノートの組み合わせは
文章ではなくてメモが主だから
大丈夫といえば、大丈夫。
浮かんだものを消えてしまわぬうちに。
手のひらに落ちた雪の結晶を
慌ててアイスボックスへ放り込むようなものだから。
消えてしまわぬうちに。

それでも
言葉が、
ほんのひとコマの画が
浮かんだその時に文章の形が見えてくることがある。
そんな時に
文章という形で残しておきたいからこそ
こうした形状・大きさのノートを選んでいるわけだから。

書き進めながら
指先にストレスを感じてしまい
気持ちがそれてしまうのはいやなんだ。

少し太い字になってしまうけれど、
次は一番出番の多いペンで書いてみようか。
でも、今握っているペンの意味は
わざわざ買い求めたのは、
キャップを外す煩わしさのないというところだ。

ノック式だから浮かんだ次の瞬間には
ノートに雪を定着させることができる。
それは魚と同じで
釣り上げた次の瞬間から
劣化が始まってしまう。

キャップを外し
正しい位置であることを確認して
ペンのお尻に差す。

そんな1秒程度の時間に
感じ、思い、考え……
そんなものたちが姿を変えてしまうことがある。
雪が溶ける。

だからこそ
本来ならば感じたことのそのすべてを
文章として残しておくのがベストなんだ。
醤油やワサビをつけぬ刺し身は旨くはないかもしれない。
それでも
釣り上げた次の瞬間にパクリ。
それが本当の魚の味なんだよ。
良くも、悪くもね。

もちろん釣り上げた魚を吟味して、
刺し身ではなく干物にしたり
煮たり、焼いたり。
それだって美味しいのだけれど。
今のキミを食べてみたいんだ。



ノートを開く前にPCの電源を入れておいた。
ブラウザを立ち上げ、
気になっていた検索ワードを叩く。
朝から今晩のおかずのことを考えていて。
「濃い味の煮物」

元々は濃い口の味付けなんだが
レストランでのバイト、
周囲への気遣い、
最近では柄にもなく健康のことなど
いつのまにか「自分」を薄味に修正している。
本当の自分、濃い味、の感覚が薄れている。
タイムマシンに乗って取りに戻るんだ。

濃い味を好きな人がいる。
「うまい」
そんな顔を見たくて。
やっぱり笑顔が見たいから。



ノートを書いている間
そんなことは忘れていた。
$ニューヨーク狂人日記
このペン(+インク)とノートの相性はよさそうだ。
うん、なんとかなる。

そして頭の中で変質を始めていることに気づく。
いつのまにか
「恋鯵の煮物」になっていた。
Love LoveなHorse Mackerel

ほら、雪が溶けてきた。


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Floridaという幻想


万年筆のインクを走って買いに行く。
慌てているとか
緊急であるとかではない。
ただ、ランニングのついでに買いに行っただけで。

日常で使うノートを替えてみた。
と言うよりも、旧に復した。
このノートはマス目が小さいものなので、
ペン先も細いものを使わなきゃならない。

そんなわけでしばらく眠っていたペンを引っ張りだす。
まずは洗浄、そしてインクを入れる。

どうも書き心地がよくない。
日常使いのPilot製Blue Blackではインクがスムースに流れない。
試し書きをしばらくして諦めた。

入っているインクを抜き、
今度はWatermanのBlue Blackを入れる。
マシだ。
でも、まだスムースではない。
それにしてもだ。
いつも思うのだが。
「マシ」という価値基準ほど悲しい物はない。



引っ越しをすると様々な物を失う。
以前からこのペンには別のインクを入れて使っていた。
WatermanのFlorida Blueというやつだ。
インクのわずかばかり残ったボトルは
引っ越しの際置いてきてしまっていた。

そんなわけで走った。
いや、走る途中で買い求めた。



最初は呼吸が乱れているせいだと思った。
脳に酸素が十分に回りきっていないのだと。
心を落ち着けてみた。
それでも。
やはり違う。

店員が奥の棚から持ってきたものは
頭の中に思い描いていたものとは全く違っていた。
訊ねてみると、
「パッケージ、そして名前が変わったのですが中身は同じです」
とのこと。
結局、そのインクボトルをポケットにねじ込み再び走りだす。
$ニューヨーク狂人日記
(色はBlue Blackだけれど)左が旧パッケージ。右が新。




マシだ。
でも、まだスムースではない。

ペン先にまだ以前のインクが残っているのかもしれない。
大判ノートに1ページほど試し書きをしてみる。
まだスムースではない。
数種類のインクが混じり化学反応を起こしてしまったのかもしれない。

残念だが、意を決して再度ペンを洗浄することに。

今朝、起きだして真っ先にやったことはペン先を水から取り出し乾かすこと。
1時間後にインクを入れてみた。
水が残っているせいで色が薄い。
まだスムースではない。



3時間後。
そしてこれを書いている。



■■■ここから試し書き■■■
ちょっとドキドキしている。
インクを入れて3時間が経過。
書き味はどのようになっているのか?
どれだけ書きよくなっているのか?
期待と不安。

今朝までは出ていなかった色の方は
どうやら以前のFlorida Blueのものに近いような気がする。
(実際に、眼前で昔のものと比べているわけではないので
厳密に判定を下すことはできないが)

書き味の方はわからない。
まだ。
今の時点では。
まだ4行余りしか書いていないわけで
ここまでのところ、そこそこのインクフローはある。
しかし、このまま長い文章を休みなく書き続けてみなければ
結果はわからない。

ただ、書いたばかりの文字を見てみると
インクの盛り上がっている箇所が見られるので
ある程度潤沢なインクが流れてきてくれているのでは?
と思うのだが。
それも
「希望・期待混じりの観測だ」
と言われてしまえばそれまでのこと。



それにしてもだ。
パッケージだけならまだしも、
もしも以前と変わらぬ品質のものであるなら
どうして商品名までも変えてしまうのだろう。
こちらとしては混乱してしまう。
企業、商品としてのイメージを刷新するためか?
それともFlorida故なのか?

以前の商品名:Florida Blue
それが何時名付けられたのか知らないが
Floridaの海(もしくは空)が
以前ほど美しい青を連想させるものではなくなったということなのか?

それともアメリカ人の、世界中の人たちが抱く
Floridaというものが変質をしてしまったからなのだろうか?

たしかにFloridaという言葉から導き出される風景が
抜けるような透明感を持ち
陽気で楽しかった頃というのは
(その頃の現実としてのFloridaは横へ置いておこう)
アメリカにとって実に良い時代でもあったのだろう。

今、この国にいてその言葉で描くものは
犯罪
老人
中南米人
ディズニーワールド
などで、<青>というイメージをとっさに引き出すことはできない。

かといって美しい青を引き出せる地名は
環境破壊の進む今でも地球上のあちこちに残っている。
しかし万人が知っている、思い描くことのできる。
かつてのフロリダが思い描かせたあの空気を
呼び起こすことのできる地名をぼくは知らない。



やっと1ページか書けた。
青のトーンが少し違うようだけれど
書き味はいい。
試運転はどうやら成功のようだ!



ぼくの抱く、この、Florida Blueというのも
実のところはただの幻想に過ぎないのかもしれない。



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2013年11月11日

$ニューヨーク狂人日記
素晴らしい朝日とともに1日、
そして新たな旅がはじまりました。
ありがとう。


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ねじまき

今日のぼくはきげんがいい。
らしい。



物音で目覚めた。
常夜灯に影が揺れる。
鐘を12数えたのはつい先程のような気がするんだけれど。
音そのものよりも
その後にやってきた闇に揺れる静寂を夢のなかで聞いていた。

共犯者。
目を覚ました僕を従兄が連れ出す。
枕元近くにある棚の上、
アイロンの入った木箱から出した車の鍵を見せながら。
常夜灯の中の笑顔。

夜中の無免許ドライブ。
浪人生の従兄、小学生のぼく。
伯母は鍵を上手に隠したつもりなのだろうが、
その在処はぼくですら知っていた。
子が親の裏をかくのは世の常だ。



玄関を出る時ひとつ鳴った。
玄関を入るとひとつ鳴った。
再び眠りに落ちる頃またひとつ。
また30が分経った。
深夜には一つずつの2時間が過ぎていく。
そして朝へ。

祖父の家に泊まる時にはいつも
柱時計の下で眠っていた。
アイロンの入れられた木箱の下で。

「ギリギリ、ギリギリ、ギリギリ……」
左を。
そして右を。
朝は伯母が柱時計のゼンマイを巻く音で目覚める。



目覚める。
居間へやってくると一人がけのソファーに座り靴下を履く。
立ち上がると縁側のカーテンを開け台所へ向かう。
給水器の水で薬を飲みダイニングのカーテンを開ける
再度腰を下ろしてテーブルに手を伸ばす。
何かを愛くしみでもするかのように。
旧い友人に話しかけでもするかのように。
スナップをきかせながらしばらくのあいだ右手を振る。
「おはよう。今朝はどうだい?」
そんな会話が聞こえてきそうな規則正しい音が伝わる。
朝日で影になった横顔を見せて

金色のアクセントの入った銀色バンド。
自動巻きの腕時計を左手首に巻きつける。
毎朝、寸分違うことなく。
自分という時計にねじを巻いていくように。



走り始めて10日ほどになる。
最初の頃は
義務感、そして苦痛がまったくなかったとは言えない。
今ではそれも消え
時が来るのを心待ちにしている自分がいる。

意識せずとも呼吸が整ってきた。
少しずつ身体の記憶が呼び醒まされてきている。
今、意識が集まるのは足の裏。

かかとから爪先まで。
リニアな曲線を描きながら
無数の点で地面を感じていく。
右の爪先が地球から離れる頃、
左かかとが大地を捉える。

今日の後半には
両肘そして後頭部に少しだけ意識が動くのを感じた。
懐かしい匂いをかぐような感触だ。

「1,2 1,2 1,2……」
「ギリギリ、ギリギリ、ギリギリ……」
ほぼ毎日走っている。
ねじを巻いていくように。

残った時間は
ゼンマイのほどけてゆく心地よさの中で揺れる。
ねじを巻く作業は楽しく、
そして緩みきっている日常にテンションを与えてもくれる。
ねじを巻いていく。
ねじ切ってしまわぬよう、少しだけ手加減をしながら。
ねじを巻いていく。



今日のぼくはきげんがいい。
らしい。

朝起きてもゼンマイはゆるみきっていない。

「サカイさんが鼻歌を歌ってる時って機嫌いいんですよね」
長い間音信不通で、
1年前のハリケーンの翌日
「大丈夫ですか?」
そんなメールをくれ、また途絶えた。
かつての同僚の顔、そして声を思い出しながら歌う。
クールス・ロカビリークラブ
『Let's Go To The Charity』

口ずさみながらやかんを火にかける。
歌っている自分に気づいている。



1分を60等分に
1時間を3,600等分に
1日を86,400等分にしてゆくように。

小気味良く、そして正確なギターのカットが
身内から湧き上がってくる。
次の建物へと向かう足が軽快になってくる。
音のしないスニーカーのかかとでリズムを刻むように。

ベンチを過ぎたところでホーンが加わった。
またギターだけが時を刻んでいく。
またホーンだ。
柔道着を着た若者が座っている。
白帯だ。

Blues Brothers
『She Caught the Katy』




今日のぼくはきげんがいい。



「ギチギチ、ギチギチ、ギチギチ……」

あと少しねじを巻いておこう。


<おまけ>
オリジナルのTaj Mahal(ギターはTodd Rundgren)




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