ニューヨーク狂人日記 -3ページ目

心の届かぬラブレター

「救急車をお願いします。危篤の女性がいるんです」
「お名前は?」
「私ですか?ビリー・フレンチです」
「どこからおかけですか?」
「どこから……」
「……アフロンマウンテンの麓のはずなんですが……どうもちょっといつもとは様子が違うような気がするんです。野っ原の真ん中から携帯でかけているんです。そうそう、近くに空き家が1軒、そして池がありますね」とビリーは言った。
「もう少し詳しく教えてもらわないと……」
「危篤の女性がいるのは山の上にある小屋です。他には男性が一人、男の子が二人。この野っ原にある錆びついた線路伝いに行くと森の中に小径が見えてきます、そこを……」
「住所が要るんですよ」
「そんなもんないですよ、あそこには」
「具体的な場所を教えてもらわなきゃどうしようもありませんね」
「わからない……」ビリーは言うしかなかった。
「もしもし……」
「よくわからないんだ」


受話器の奥、無音の音が変わり、電話が切られてしまっていることに気づいた。
〓〓〓〓〓〓〓〓〓



おかげさまで僅かずつですが
『ボヤキ新聞』購読者は増えています。

実は先週末に今号を刷ろうと思っていたのだけれど
プリンターとの接続がおかしくて断念。
(スーパーボウルは見ません)
今週末にはなんとかしようと思っています。

たまにだけれど、
今でも頂きます。

「購読を希望します」

一文からなるEメールを。

このところ続けて2通。

ネット配信のEメールマガジンなら事は簡単で、
発信者のメールアドレスを配布リストにコピペすれば事足りる。
紙面を作り、配信リストをBCCにペーストをして一括送信。
簡単だな。

実は『ボヤキ新聞』は<はがき新聞>なのです。
配布手段は郵送のみ。
したがってお名前、住所が必要となってくるわけで。

Eメールを頂いたお二人には「郵送のみ」であることを伝え、
可能であればお名前、住所を再送していただけるようにお願い。
お二人とも快く提供してくださいました。



遺失物届けを出しに警察へ行ってびっくりしたことがある。
名前、住所、電話番号の他に
Eメールアドレスを訊いてくる。
(なんだか腑に落ちなかったので、適当に答えておいたけれど)

最近では抽選グリーンカードの申し込みですら郵送は受け付けず、ネット経由のみとなっている。

その世界には
ユーザーネームだとか、
パスワードだとか、
ペッドの名前だとか、
右巻きか?左巻きか?だとか、
小学校の名前だとか、
トランクス派か?それともブリーフ派か?だとか、
母親の旧姓だとか、
シャワーではどこから洗い始めるか?だとか、
もちろん住所、電話番号
携帯電話の番号までも。

そこで存在をするためには様々な情報が必要とされる。
たとえ架空であったとしても。

ややっこしくてしようがない。



こんな時代だからこそ
「名前と住所さえわかれば(いつか)相手のもとに届く(であろう)郵便って素敵だな~」
ひとりごちていた。

お名前、住所を教えてくれた方に
受付完了メールを出した直後に読んだ短編の一部が冒頭にあげたもの。
小さな出来事も収束に向かい、
ストーリーはゆるやかなスロープを描きながら
ハッピーという場所へ辿り着こうとしていた。

Donald Antrimの"The Emerald Light In The Air"
嵐の中、近所の森のなかで車が立ち往生してしまった主人公は、一人の少年に助けられる。
避難した山小屋で起きた小さな事件にもとりあえず目鼻がつき、
少年は濁流と化した谷底から車を救出してくれた。
傷だらけの車でなんとか人里近くまで下りた主人公が
救急ダイヤルをした際のやりとりだ。



「このアメリカにだって住所のない場所はきっとあるはずだ……」

そして、少し前の自分のことに思いを巡らせる。



最低・最悪サービスの盟主として君臨を続けるUSPS(アメリカ郵便公社)。
どうして潰れないのか?
アメリカの7不思議とも言われる(個人的に言っているだけだが)。

どうして潰れないのか、本当に不思議でならない。
いや、
この郵便事情の悪さは不思議なんかではないんだ。
これが普通の状態なのだ。

ちょっと前に少しリサーチしてみたことがある。
潰れない、潰さない理由というものを。
そこには実にアメリカらしい<理由>があった。
平等。

USPSが守りぬいている指針というのが
「そこがアメリカ国内である限り、
住所のある場所である限り、
いかなる僻地であろうと、
たとえ収益の見込めないことがわかっていようとも、
どこからでも均一の料金でお届けします」

一方の宅配大手FEDEX、UPSは僻地への配達は拒否する。
これから先もamazon.comある限り、USPSは不滅なのではなかろうか。

しかし、一方では
NYのどまんなかにUSPS経由で出した小包が
途中から荷物追跡不能となり、
さんざん文句を言った挙句、約一月後に返送されてきた。
無事に返ってきただけでもこの国ではヨシとしなければならないのだろう。

しわしわになった小包は一月ほどリビングのテーブルの下に転がっていた

たまに、エルヴィス・プレスリーの"Return to Sender"を小さく口ずさみながら眺めていた。



15年ほど前までは
電話番号はおろか住所すら持っていなかった。
持っていたのは名前だけ。
それとて身分証明書の裏付けがあるわけではない。
国籍すらも。
「自称」と言われてしまえばそれまでなのだ。

個人的にはそのどれも必要だとは思っていない。
ここにぼくがいて、きみがいるだけ。
それでいい。
住所、名前、電話番号、携帯、パスワード、Eメール……。

所詮便利な道具にすぎない。
人間に何かを結びつけ
見分ける、仕分ける、区分けるための。
道具を持たない自由を与えられてもいいはずだ。

あればあったで、便利であることは認めよう。
それでも「(人間であるための)必要条件か?」と訊かれたなら
横に首を振らざるを得ない。

すべての記入欄に
N/A(Not Available)
 =該当するものなし
と書き込んでいく。



「きみのことが好きだ」
と書いたラブレターを手渡せば心は届く。
相手の心の在処は別として。



住所がなければ救急車は来ない。
住所がなければ郵便物は来ない。
住所がなくてもぼくの心は届く。



Return to Sender
邦題は『心の届かぬラブレター』



まあ、「雪」と言える程度のものが降っています。



それにしても寒いな~

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理由なき蛮行

タンスの中から豆腐が出てきたり。
頭のイカレた人と旅をしたり……。

生きてるといろんな不思議なものに出会う。
いや、不思議と思うのはぼくだけで、
自分という存在が何ものかに固執しているだけで、
すなわち普通(と信じている)側にいる、「あろう」としているからに過ぎない。

スポンジのように物事に対処することができれば
不思議なものなんてひとつだって存在しない。
あるものをあるがままに受け入れる。
ただそれだけのこと。
そうなると人間世界で言われる
発展だとか、発達だとかとは縁遠くなってしまうだろうが
それはそれでいいのではないかと思う。

すべてが普通になれば
すべてを普通と受け入れることができる。
はず。



理由不明の行動とか、
論理的に説明することのできぬものとか。

そういった面から考えてみれば、
理由や根拠のわかっている物事の方が
圧倒的に少ないのではないだろうか。

そうして理由のわからないもの、
論理的に説明できぬものを否定することでしか
ぼくたちの生きる社会は成り立ってはいかないのではないのかと。

証明することがすべてで、
証明できぬものはあたかも存在をしないように素通りをしてしまう。
犯罪には常に動機を追い求め、
お蔵入りになってしまうこともしばしば。
理由や原因がなければ、
はっきりとしていなければぼくたちは落ち着けない。
見つからなければ、狂気という言葉も持ち出す、

人間という欠点だらけの生き物が
万物を判定し支配しようとする、
そこで認められぬことには
存在する価値すらもないといったような風で。



車のタイヤは丸い。
四角でも走れないことはないが、
ガタガタで乗り心地だって良くないし、
エネルギー面から見ても非効率だ。

そうして角を落としていく。
豆腐を切り分けていくように。
四角形は八角形に、十六角形に……。
少しずつ丸に近づき、
「あ、この辺でいいや」というあたりで多角形は丸とみなされる。
その多角形を丸と、最終地点と信じているだけで、
そこで可能性にフタをしてしまっているわけで。

数千年、数万年の間最終地点と信じているだけで
そこはまだまだ一里塚なのかもしれない。
そして信じている丸にしろ、所詮多角形に過ぎず
厳密に言えば完全円とすら言えない。
「そこのところで」手を打っているだけで。



四角い豆腐を食べきれなかったわけだけれど
理由なんてなかったはずだ。
ただ、四角い豆腐を食べたくなかっただけで。
<四角い豆腐を食べられない>という事象だけを手にとってみて、
「あれや」、「これや」、「ヤンヤ」……
原因を追求してみるというのは勝手だが
個人的には実にナンセンスなことだと思う。
ただ、四角い豆腐を食べたくなかっただけで。
そういう人間がかつて存在していただけで。

ただそれだけでいい。



まだまだあるぞ。



もはや<付箋>という範疇では語れないPost-It





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キチガイじゃない方(ほう) 番外

それはハイライトのフィルターが茶色いのと似ている。

いや、丸い4本のタイヤを必要とする車と同じだ。
それは、そうしたものとして、
時には思い込まれてそこに存在をしているわけだから。

どうしたわけか四角い豆腐を食べることができなかった。
チューブに入った栄養豆腐は問題なかったのに。

四角い豆腐を四角のまま食べるようになったのはいつからだろう?
思い出せない……。

それでも豆腐は好きだった。
大好きだった。

そうした理由もあったのだろう。
子供の頃、豆腐を食べるときは深みのある小皿の中
いつもグチャクチャにしてからご飯にかけて食べていた。
食卓の向こう側に座る母親の視線を感じながら。



任天堂はは37年ぶりに麻雀パイの製造を再開したらしい。
ぼくの中では
このところ約40年ぶりの豆腐丼ブームが再来している。
あの頃と違うのは
おろし生姜を入れるようになったこと。
豆腐を5mm角のさいの目に切るようになったこと。


ハイライトのフィルターが茶色いのにも理由はある。




どうやら《栄養豆腐》は全国区ではないようです。
参考までに。



豆腐丼




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キチガイじゃない方(ほう) 6

(つづき)


生きていると色んな場面に出会う。
ま、あたりまえだ。

ごく最近では
人でごったがえす公園に似合わない、
しかしどこか聞き慣れた音を耳にした。

音の方へと顔を向けてみると
木製ベンチに座った女が小便をしているところだった。
スカートのままで。
少しずつ地面が黒々と生き返っていく。

音がやみ、しばらく経って。
女は立ち上がって南へと消えた。

人混み、話し声、排気ガスの匂い……。
夢ではなかったと思うのだけれど。



「ヤッコ食べる?」
立ち上がった友人はクローゼットの方へと歩いて行く。
キッチンのある方ではなくて。
ぼくの背後にある扉を開き、
引き出しをあけるプラスチックのこすれる音がした。
友は四角い紙パックとかつお節の袋をテーブルにのせると
その足で台所へと向かい
はさみ、箸、醤油差しを手に戻ってくる。

(タンスの中から豆腐が出てきた!)



ホンダといえば車。
パイロットといえば万年筆。
アップルといえば、今は八百屋ではなく電気屋だ。
森永といえばアイスクリームで、
ハウスといえばカレーで。

所が変われば品も変わる。
アメリカでは森永といえば豆腐で、
ハウスといえばこれまた豆腐。

タンスから出てきたのはMORINAGA製の紙パック入りTOFUだった。
この頃では日本にもあるみたいだが、
28年前にはなかった。

タンスから豆腐の構図を納得するまでのしばしの時間。
そして喜び!
アメリカで初めて出会った豆腐だった。
そのうえ常温で長期保存が可能ときている。
実は全米縦横断の旅の間、常に車中に転がっていたのもこれ。
どこにいても豆腐が食べられる。
最近では、大きめのスーパーならどこへ行っても手に入れることができる。

渡米してしばらくの間はMORINAGA TOFUとの蜜月だった。
途中キッコーマンの手作り豆腐キットに浮気もしたが、
惜しいことに、もう入手不能となってしまっている。
これは実においしかったのに。

以降、京膳庵、そしてオレゴンへ越すまでの10年はハウス。
MORINAGA以外は常温保存はきかない。

そうした流れでぼくの中の豆腐の普通も移り変わり続けてきた。

ぜいたくになる。
欲が出る。
京膳庵の豆腐はうまかったが、
アメリカから撤退してしまった。
保存の効くMORINAGAよりも、
普通の生活をしているのだったら、
冷蔵庫があるのだったらハウスの豆腐を選んでしまう。
NYでは99セントと値頃感も手伝って。
(実はNYでは『男前豆腐』なんかも手に入るのだけれど
値頃感がまったくなくって)

そうしたわけで、
いまのぼくにとってMORINAGA TOFUは普通ではなくなっていた。

そんなMORINAGAが再び食卓にのぼることになる。
近所の安売りスーパーでたまに出物があるのだ。
食事中の《作業》に気づいたのも
そんなMORINAGAの朝。



こうしてぼくの中でも
日々刻々と様々な普通が通り過ぎ、
生まれ
時に入れ替わり、
時に普通不在の日々が続き、
普通まみれの日があったりもする。

実のところ
普通が不在であっても
多少の不安こそあるものの、
それほどの不便を感じることはない。
普通とはその程度のものだ。



普通というのは、
普通の中に身を浸している時には
人々は心安らかになれる。
キチガイ病院の中、キチガイでない人が
不安にかられてしまうのもあたりまえだ。

普通というのは
多くの人が求めてやまぬ理想郷に過ぎない。



「普通って何でしょうね?」
もう7,8年くらい前になる。
「眠れない夜には、家中の茶碗、皿を全部洗います」
と言っていた、同年輩で高校生の息子を持つ女性から
問いを投げかけられたことがある。
そして、そのこだまは今も消えない。

彼女は息子の非行(?)に頭を痛めていた。
「もっと普通になんなさい!」
「ねえ、お母さん。普通ってどんなことなの?」



キチガイ病院の中、
キチガイじゃない方の人で
生きていこう。
いつかはキチガイになるかもしれない。


(おしまい)



これがアメリカでの恩乳、MORINYU TOFUです。



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キチガイじゃない方(ほう) 5



(つづき)

今では普通とは言えない喫煙者も
普通だったことがあった。
その頃の非喫煙者はどちらかと言えば
分類的に言えばキチガイじゃない方に近かった。
喫煙者はキチガイの方で。
圧倒的に数が多かったからだ。

そこに健康という大義名分をかかげ
税収アップを目論んだお役人様、政治家が切り込んでくる。
悪者に祭り上げられ
今ではぼくはキチガイ病院の中のキチガイではない方になってしまった。
(長くなってしまったのであと一度説明を。
キチガイ病院の中でキチガイでない方は少数派、
すなわちキチガイではないのだけれど、
そこではまともではないということになる)
少数≒悪でしかない。
民主主義とい名の幻想の限界がここにある。
数の論理という。

たばこを吸う人は普通ではありません。
タバコを吸う人はキチガイではない方なのです。
キチガイ病院の中では。

普通とは
歴史に対する敬意、
もしくは「現状の」数のことだ。



NYで「ラーメンブーム」と騒がれだして、もうかなりになる。
今ではアソコにも、ココにもRamen屋がある。
そして平均的値段といえば14~15ドルといったところ。
(少なくとも一桁でラーメンを食わせる店はもうないだろう)
それに消費税、チップを足すと20ドル近くになってしまう。
2000円がラーメンの相場だ。
2000円のラーメンが普通だ。
2000円のラーメンがキチガイじゃない方。

風向きが変わったのは5年くらい前だと思う。
博多から一●堂が進出し、ラーメンを$15ドルで出し始めた。
今でもそうだが、この店には行列ができる。
ぼくに関しては一度だけ行っておしまい。
以降、キチガイではない方になり、
列を作る人たちを
それこそキチガイでも眺めるように苦笑しながら通り過ぎるだけ。

それまで10ドル程度だったラーメンが
どの店でもメニュー刷新などを機に値が上がる。
今ではこの価格帯が標準で、普通であると
在NYラーメン業界の方々は信じてやまない。
ブームということもあるのだろうけれど、
とかく世間にオメデタイ人の種は尽きない。
キチガイの方々がニコニコ顔で列を作り、
ニコニコと20ドル紙幣を出してしまうから。

単なるラーメン屋の現象に見えてしまうかもしれないけれど、
これとて実際のところ数の論理になってしまう。
「日本で大人気」という
圧倒的な数を背景に標準、すなわち普通がシフトをしてしまった。



普通は儚(はかな)い。

(つづく)


こんな感じの朝飯です(この日はちょっと豪華だけど)





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キチガイじゃない方(ほう) 4

(つづき)

もう8年か。


2006年の春から夏にかけ、仕事で車の旅をした。
アメリカ大陸を北から南へ縦断。
そして東から西へと横断。
今度は南から北へと縦断。

車の中にはいつだって豆腐が転がっていた。
例えではなく、実景として転がっていた。
4ヶ月の間、ケース買いをした豆腐と醤油を切らすことはなかった

大きな町へ着くとまず補給が始まる。
まずはスーパーマーケットで豆腐を入手する。

一方、相棒のアメリカ人の方も補給をする。
彼が走るのはお薬屋さん(合法の方の)。
処方箋を手にカウンターへと向かい、
向精神薬を処方してもらう。

豆腐、向精神薬。
ライフラインの確保。



28年前、ある程度の覚悟はできていた。
「もう豆腐は食えないかもしれない」

TOFUと出会えた時の驚き。
そして喜び。



オレゴンは豆腐が高い。
NYと同じブランド、ほんの少し同じサイズのものなのに。
一方は$0.99
一方は$1.69
なかなかの高額商品だ。

日本食品の入手が困難なわけではない。
NY/NJエリア最大の日系スーパーと同規模のものが近所にはある。

「生産地が東海岸なのか?」

TRADER JOE’sの安物美味ワインは地域によって値段が違う。
ニューヨークでは$2.99
オレゴンでは$2.49
カリフォルニアでは$1.99
輸送コストが上乗せされているという。

輸送コストか?
瓶入り豆腐ではないのでそんなに重くはない。
豆腐工場を調べてみると、
東海岸に一つ、西海岸に一つ。
輸送コストゆえの値段差ではないみたいだ。

オレゴンのいいところは、
うまい豆腐屋があるということ。
小さな工場で毎日作り、毎日売っている。
1918年創業の大田豆腐という会社がある。

日系スーパーにも売って入るけれど、
お店に買いに行くとできたてのものを買うことができる。
1パウンド(約450g)の豆腐が$1.90
器を持参すれば、それが$1.65になる。
「おからください!」と言えば、
ビニール袋いっぱいに入ったものを無料で分けてくれる。
『素浪人 花山大吉』が大好きなぼくとしては嬉しいかぎりだ。
豆腐とおから、
欲を言えばそれに納豆があれば死ぬまで生きていける。
まあ、人間誰しも死ぬまで生きていけるわけではあるのだけれど、ネ。



これまで10年近く買い続けてきたH社の豆腐は、
オレゴンの豆腐業界では新参者の部類に入るのだろう。
なんたって100年間作り続けている豆腐屋さんがあるのだから。

オレゴンでの高値は、今あるマーケットを考慮しての値付けなのかもしれない。
まあ、メーカーとしては$1.69で商売になるのであれば
それにこしたことはないのだけれど、
それよりも古参者に敬意を表しつつ、
マーケットを破壊することなく共存の道を選んだのではないのだろうか。
というのがぼくの考え。

一方に、TACOMA TOFUという
ワシントン州発のものが$1.29で売られてはいるのだけれど
これは美味くない。

オレゴンでは豆腐が高い。
これが常識。
これが普通。
太田豆腐店へ足を運んでおからをもらってこなければ
決して貧乏食とは言うことはできない。



こんなことを考えていると、
「普通というのは結局は数、もしくは歴史(保守)なんだな~」
と思わずにはいられない。

そこそこの味をした豆腐を99セントで売れば
間違いなく売れるだろう。
それでもそれはやらない
あえてやらない。
少し大きめのサイズを作っ1.69ドルで売る。

歴史への、地域への敬意ともいえる。
それは素晴らしいことだ。
でも、この考え方が普通であるのかどうかは
ぼくにはよくわからない。



「どうしてこんな似たようなサイズを作るんだろう?」
初めてH社のほんの少しだけ大きいサイズの豆腐を見て考えたこと。
長い間、自分の中で納得がいかなかった。

この地へ来て謎が解けた。
あらゆる普通に対応していくためなのだろう。

普通はひとつではない。

(つづく)







おからとアゲとTOFUと





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キチガイじゃない方(ほう) 3

(つづき)


作業をしていた。
作業をしている自分に不意に気づいた。
朝飯を食いながら。

食事中の作業というものがいいものなのかどうか
よくわからない。
まあ「いい」とか「よくない」とか。
どちらかに決めつけてしまう考え方そのものがナンセンスではあるのだけれど。

ともかく<作業>という言葉が浮かんでいた。
自分を俯瞰しているときに。



American Breakfast
ベーコンの焼ける。
わずかに浮き上がりはじめたサニーサイドの縁が少しだけ茶色を帯び
白身に気泡が見え始め香ばしい匂いをたてはじめた。
トーストの上のバターは溶け黄色い脂に変じていく。
そうして淹れたばかりの濃いコーヒーの香り。

アメリカの朝食は匂いに包まれている。

想像を裏切ってしまい悪いのだけれど、
ぼくの朝食といえば
丼飯、味噌汁、お新香、納豆か豆腐(たまには双方)。
おおらかな香りとははるか遠い場所にいる。

そういえば妹の結婚式で帰国した折のこと。
式の当日、沖縄のホテルで姉夫婦とばったりと出会った。
到着が深夜だったため、それが8年ぶりの再会となった。

出会ったのは1階のレストラン・フロアで、
ぼくは和定食を食べてきたところ。
一方、先方はバフェ形式の
アメリカン・ブレックファーストを堪能してきた直後だった。



そう。
作業をしている。

自分にとってはこちらの方が普通なのだが、
ぼくの冷奴の食べ方は少数派らしい。

切り分け、皿に盛った豆腐に刻みネギをふりかける。
小皿にかつお節(あればしょうがも)と醤油を入れ即席だし醤油を作る。

さすがにこの齢になると先のことを少しは考える。
あと少しくらい生きたいので、
このところの愛用品は減塩醤油。
今ひとつ美味しくない。

おまけにその日はたまたまネギを切らしてしまっていて……。

できることならかつお節は削りたてがいい。
花かつおよりは出汁用に削られた大ぶりのものがいい。
でも、ぜいたくは言えない。

ネギがないんだ。
醤油のからみが今ひとつなんだ。
あまけに減塩だ。薄い……。
ここは減塩醤油を使う意味について考えるべきところなのだろうけれど。
もっと大切なことを考えている……。

作業をしていた。

豆腐半丁を毎朝食べる。
さらに八つ割りにして皿に盛るのだけれど
いつの間にか食べ方が少し変わっていた。

醤油小皿に豆腐を入れ、まずは箸て半分にする。
つまり、半丁を八等分にしたものの半分。
すなわち小皿の中で半分に切られた豆腐は1/32ということだ。

半分にしたものをそれぞれ転がしながら
6面に醤油をつけていく。
箸で切断した面を下向きにして落ち着かせる。
凸凹に醤油がからんでいくのだ。

食べる方のピースに醤油を含んだかつお節をのせる。
もう半分も同じ。
準備完了

残りの半分に箸を伸ばしている時だった。
<作業>に気づいたのは。

かつお節をのせ、口へと運ぶばかりとなった豆腐を小皿の端に寄せ、
次の豆腐を小皿へと移し、
3/32と4/32に切り分け醤油の中を転がしていた。
もうすでに次の準備が整い始めている。

お茶碗を上げたり箸を動かすことを作業と意識したことはなかった。
しかし、口を動かしながら次の一口のために豆腐を転がす。
これはやはり作業と言わざるをえない。

アメリカでは普通に豆腐を食べるとことができる。
そこがいい。

ぼくはMr. Tofu

(つづく)






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キチガイじゃない方(ほう) 2

(つづき)



少しいい方のニュースというのは。
タバコ屋のナジミになったということ。
(性格として「ナジミ」になるまで執拗に通い詰めるというのもありますが。
でも裏切りません)

ほぼ3日に一度の割で。
3ヶ月弱通いつめた。
30回近く同じ人から同じものを買っている
そんな計算になる。

そうして、やっと無言でブツが出てくるようになった。
理想の世界とは、口を開かなくても意思疎通ができる
そんなところだと思ったりするのだけれど。

焼き鳥屋のカウンターの端に腰を下ろすように。
ジャケットを脱ぐ頃には冷えたグラスとビールが出てくるように。

2日目からは無言の会話を交わすようになったわけだけれど、
新年第1回目は少し違っていた。
相手も新年を期に何か思うところがあったのか。
それともいきなり無言では
彼なりに照れくさかったり、
プライド関係の垣根との葛藤でもあったのか。
そこのところは緑色の池深くに沈み込んでしまっている。
ともあれ、
こうした1回目、2回目あたりの精神的揺れというのは
いつになってもおもしろい。

ほんの短い言葉のやりとりだった?
"Not menthol, right?"
"Right."
いつものが出てくる。

このところ喫っているのは
Newport Red というもの。
ブランドはNewportなのだけれど
これには青箱と赤箱があって。
ぼくが喫っているのは
メンソールではない方の赤箱。
■それにしてもメンソール=青という関係もおもしろい。
話は少しずれてしまうのだけれど、
Regular(非メンソール)=赤という図式もまた興味深い。
元々はLightと区別するために、Marlboro Redという呼び方が生まれたのだけれど、
今ではRegular=Redという色図式が定着している。
透明粘着テープをセロテープと呼ぶ、そんな感じだ。■

そうそう、このNewportというタバコ
日本では輸入タバコ専門店でしか取り扱いがないらしくて、
しかもコチラでは黒人層に根強い支持を受けている。
そんなわけで以前日本に帰るときは
特にBlack関係が好きな人のおみやげに重宝していた。
でも、ぼくは赤箱。

元々はメンソールしかなかったブランドで
レギュラーが出たのは5年ほど前のこと。
タバコ屋で「Newport」と言えば、間違いなく青箱を渡される。
それほどこのブランドに関しては
メンソールのイメージが強すぎるほどに強い。

マールボロのように
Regular
Light
Ultra Light
Medium
Special Blend
……
そんなものがメンソールと非メンソールでラインナップされていないところも
そんないさぎよさが
餃子とおにぎりしかないレストランのようで好感が持てたりする。
Newportは「Newport」とさえ言えば事足りる。
それほどNewportのメンソールは普通というわけだ。

で、
"Not menthol, right?"と問われたぼく。
実は”Right"と言う前に厳密には"……"というのがあった。

それは江戸末期の髪結所で
「旦那、ちょんまげではない方(ほう)ですね」
と座るなり言われたような気分で

黒人街で人探しをしているときに
「あー、黒人じゃないあのおっさんネ」
と相手の所在を教えられたときにも似たような気分で

精神病院に人を訪ねた際に、
「あっ!あのキチガイじゃない患者さんね」
ときれいな看護婦(あえて看護師ではなくて)微笑みかけられたような

そんな場面が映しだされてきた。

さて、普通とはいったい何なんだろう?




(つづく)








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キチガイじゃない方(ほう) 1

(タラタラと書いていたら長くなってしまったので、数度に分けてのっけます)
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓




キチガイ
びっこ
チンバ
部落
めくら
おし
ツンボ

世の中生きづらい。
どんどん生きづらくなっていく。
何かを表すにも
持って回った言い方を求められてしったり。

若い世代には馴染みの薄い言葉かもしれない。
(ちなみに、「キチガイ」の変換で最初の候補は「基地外」だった)
それでもぼくが子供の現役時代はキチガイはキチガイだった。

「オシがツンボに電話した」
なんて数え歌(?)を大声で歌いながら歩くと、
チンバの犬に出会ったり。
キチガイは町外れのキチガイ病院にいた。
父親からは
「……メクラの爺さん杖一本……」
などという尻取り歌を教えられたしね。

若い世代に馴染みが薄くなっている。
変換候補にも上がってこない。
すなわち、言葉の自主規制が功を奏したということだ。

反面、封印をされたことで
言葉を知る者にとっては
そうした存在が一段と浮き彫りにされ、
鮮明になったという皮肉。
部落なんていう言葉は
単に集落を指すものとして
日常で使われていたのだけれどね。



新年最大のショッキングなニュースだった。
看板を見上げながら、
一瞬だけまだ夢の中にいるような気分になってしまっていた。
並ぶ文字列が昨年(数日前)とは違う。

一方でちょっといいニュースも。

居を変えても
あいも変わらずイタチの一本道的生き方をしている。

つい先程のこと。
タブレットを広げスイッチを入れた。
この、タブレットというのが時として使いにくい。
ちょっと指先が滑ったりすると
見たくもないものが現れたり。
今日もそんな出だし。

<新しい場所?>
見覚えのある地図。
名前だってそうだ。
そんなものが勝手に飛び出してきて
所要時間までが親切に書かれている

自宅、あるいは毎日通う場所が出てくることはあった。
しかし、いきなりこの場所とここで出会おうとは……
もはやここまできていたとは。
地図を眺めながら
自分の中にあるイタチ性について考え込む。

出てきたのは
オレゴンに引っ越してから日参しているGrocery Store(スーパー)だった。
買い物というものはほとんどしないのだけれど、
それでも食料、ビール、タバコを欠かすことはできない。
そうして、それぞれのイタチ道はすでに固まっている。
そして、いつの間にかGoogle先生認定となってしまっていたのだ。
酒屋でなかったのはせめてものなぐさめ。

ショッキングなニュースとはタバコ税の値上げ。
2014年1月1日をもってオレゴン州のタバコ税は
20本入りに対して$1.18から$1.31へ。
シンクロして販売価格も値上げとなったようだ。
いつも買っているものが$4.70から$5.11へ。
ショック……。



赤+青

今年も新年号を発送することができました。
日本行きは空の上(OR着陸済み)

と。。。
ここまで年末には書いていたのですがそのまま放置。
いつの間にか年が明けていました。
日本にもそろそろ新年号が着く頃かと。

年末年始となにかとバタバタ状態で、友人やお世話になった方たちにすらWEBメールの年賀状が出せていない状態です。
明日、明後日くらいには発送できると思うのですが。



あらためまして、
あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い致します。
オメデトウ!と言えない方々が今年も数人。
しようがないこととはわかっているのですが、やはり寂しいものです。
でも、なんとかやっていきましょう。

今年もボチボチいきます。


2014年 正月