In Transit
「そぎゃんハンバーグばっかり食べよったら女の子にモテんばい!
ケチか~って思われて」
ステーキを食べるとき。
たまに蘇る言葉がある。
好き嫌いの多かったぼくを、
母はよくたしなめていた。
さすが女親だ。
実に巧みだ。
ただステーキを食べるようになった今、
女の子にモテるかどうかはまた別の問題だ。
In Transit
前を通るたびに浮かんでいた言葉。
ファーストフード店でもない。
かといってレストランというイメージからは遠い。
働く人たちの給料はマクドナルド並なのだろうが。
セルフサービス・レストランと言えないこともないが。
レストランを意識していたのか。
照明はしぼられていた。
行き交う人の足音。
あちこちから聞こえてくる話し声。
プラスチックのコップにあたる氷の音。
肉の焼ける匂い。
1986年11月だった。
生まれて初めてのステーキを食べたのは。
しかも自分の意志でオーダーをして。
どうしてそんな気分になったのか。
今では知る由もない。
いや、ただそこにその店があったから。
おそらくその程度の単純な理由だろう。
加えれば、
この国に来たばかりで。
アメリカ=ステーキ
ある種義務感のようなものもあった。
Gtreyhoundのバス・ディーポを出る。
シカゴは重く垂れこめた曇り空でぼくを迎えてくれた。
ありがとう。
出口の前にその店があった。
他の客の真似をしてオレンジ色のトレイをつかむ。
カウンター奥にかけられたメニューから選び、
焼き加減を伝える。
"Well"がどうしても通じなくて。
Mediumを頼む。
薄く硬いステーキ。
氷ばかりのコカ・コーラ。
久々の餌にありついた狼のように。
黙々とフォークの往復を繰り返す人たち。
レストランそのものや肉の味よりも。
空気の味が印象深い。
NYへ着いてからも看板をよく見かけていた。
少なくなりながらもあちこちで。
14丁目、イーストビレッジの店の灯が落ちたのは。
13年ほども前になるか。
そして34丁目点が看板をおろしてた。
この店のある種猥雑な空気は、
34丁目界隈そのものなのだけれど。
今のタイムズスクエアは猥雑とはほど遠い。
それでもこの店のタイムズスクエア店は、
どこか80年代の煤けた残り香がする。
消えてしまう前に足を運んでおこう。
肉は相変わらず薄く、硬いだろうが。
それでも良質なものを出すようなら足を向ける価値はない。


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ケチか~って思われて」
ステーキを食べるとき。
たまに蘇る言葉がある。
好き嫌いの多かったぼくを、
母はよくたしなめていた。
さすが女親だ。
実に巧みだ。
ただステーキを食べるようになった今、
女の子にモテるかどうかはまた別の問題だ。
In Transit
前を通るたびに浮かんでいた言葉。
ファーストフード店でもない。
かといってレストランというイメージからは遠い。
働く人たちの給料はマクドナルド並なのだろうが。
セルフサービス・レストランと言えないこともないが。
レストランを意識していたのか。
照明はしぼられていた。
行き交う人の足音。
あちこちから聞こえてくる話し声。
プラスチックのコップにあたる氷の音。
肉の焼ける匂い。
1986年11月だった。
生まれて初めてのステーキを食べたのは。
しかも自分の意志でオーダーをして。
どうしてそんな気分になったのか。
今では知る由もない。
いや、ただそこにその店があったから。
おそらくその程度の単純な理由だろう。
加えれば、
この国に来たばかりで。
アメリカ=ステーキ
ある種義務感のようなものもあった。
Gtreyhoundのバス・ディーポを出る。
シカゴは重く垂れこめた曇り空でぼくを迎えてくれた。
ありがとう。
出口の前にその店があった。
他の客の真似をしてオレンジ色のトレイをつかむ。
カウンター奥にかけられたメニューから選び、
焼き加減を伝える。
"Well"がどうしても通じなくて。
Mediumを頼む。
薄く硬いステーキ。
氷ばかりのコカ・コーラ。
久々の餌にありついた狼のように。
黙々とフォークの往復を繰り返す人たち。
レストランそのものや肉の味よりも。
空気の味が印象深い。
NYへ着いてからも看板をよく見かけていた。
少なくなりながらもあちこちで。
14丁目、イーストビレッジの店の灯が落ちたのは。
13年ほども前になるか。
そして34丁目点が看板をおろしてた。
この店のある種猥雑な空気は、
34丁目界隈そのものなのだけれど。
今のタイムズスクエアは猥雑とはほど遠い。
それでもこの店のタイムズスクエア店は、
どこか80年代の煤けた残り香がする。
消えてしまう前に足を運んでおこう。
肉は相変わらず薄く、硬いだろうが。
それでも良質なものを出すようなら足を向ける価値はない。

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トンデルさんに捧ぐ
プラットホームで。
2min
電光表示された電車を待つ。
New Lots Ave.行き特急。
携帯で電子書籍・庄野潤三を読みながら。
最近になって解った。
もう1年以上も経ってるというのに。
以前待ってた前の方の車両よりも最後尾。
大通り、34丁目寄りの方が空いている。
考えてみれば。
前の方はPennsylvania駅に直結してるな。
今日も最後尾あたり。
風が吹き。
音が近づく。
流れる車内風景がだんだんと。
はっきりしてくる頃、皆が一歩を踏み出す。
目の前ででドアが静止し少しだけ右に寄る
押し出されてくる人の波はスライムに似るな。
車内で。
空席へ歩みだしたたとき。
曲が変わった。
携帯から目を上げず。
ドアと人の隙間から車内を凝視する。
もっと見なきゃな、周りを。
耳をそばだてなきゃ。
どこかで鳴り続けてた曲は馴染み深いものに変わる。
おごそかというよりも。
昔からぼくには悲しげに聞こえる。
この場では懐かしさにとらわれる。
日本にいればそれなりの思想も、姿勢も。
生まれていたかもしれない。
かたくなになっていたかも。
が、今はただ。懐しい。
金管を震わせるのは。
「君が代」
満員の人で窓の角さえも見えない。
立ち上がろうにも人が多すぎる。
ドアが閉じサックスの音はくぐもる。
アナウンス。
大きな震動とともに電車が動き出す。
音が遠ざかる。
何も見えない。
人の行き交うプラットホーム。
肩が、荷物があたる。
ゴミと言われる人の渦の中。
サックスを吹く(たぶん)男。
和の旋律。
あれは。
トンデルさんではなかったのか。
孤高のサックス吹き。
long lost friend
ミニチュアのウルトラマンと。
財布から出したしわだらけの子供の写真。
やさしい笑顔が見えない窓に映る。
質屋と。
ディラーと。
プラットフォーム。
三角形を歩き続けていた。
今もたぶん。
電車が速度を上げはじめる。

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New Lots Ave.行き特急。
携帯で電子書籍・庄野潤三を読みながら。
最近になって解った。
もう1年以上も経ってるというのに。
以前待ってた前の方の車両よりも最後尾。
大通り、34丁目寄りの方が空いている。
考えてみれば。
前の方はPennsylvania駅に直結してるな。
今日も最後尾あたり。
風が吹き。
音が近づく。
流れる車内風景がだんだんと。
はっきりしてくる頃、皆が一歩を踏み出す。
目の前ででドアが静止し少しだけ右に寄る
押し出されてくる人の波はスライムに似るな。
車内で。
空席へ歩みだしたたとき。
曲が変わった。
携帯から目を上げず。
ドアと人の隙間から車内を凝視する。
もっと見なきゃな、周りを。
耳をそばだてなきゃ。
どこかで鳴り続けてた曲は馴染み深いものに変わる。
おごそかというよりも。
昔からぼくには悲しげに聞こえる。
この場では懐かしさにとらわれる。
日本にいればそれなりの思想も、姿勢も。
生まれていたかもしれない。
かたくなになっていたかも。
が、今はただ。懐しい。
金管を震わせるのは。
「君が代」
満員の人で窓の角さえも見えない。
立ち上がろうにも人が多すぎる。
ドアが閉じサックスの音はくぐもる。
アナウンス。
大きな震動とともに電車が動き出す。
音が遠ざかる。
何も見えない。
人の行き交うプラットホーム。
肩が、荷物があたる。
ゴミと言われる人の渦の中。
サックスを吹く(たぶん)男。
和の旋律。
あれは。
トンデルさんではなかったのか。
孤高のサックス吹き。
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ミニチュアのウルトラマンと。
財布から出したしわだらけの子供の写真。
やさしい笑顔が見えない窓に映る。
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ディラーと。
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Fumikoの旅
今ごろどうしているだろう?
やっぱり硝子の向こうに落ちる雨粒を眺めているのかもしれない。
いや、もうニューヨークにはいないのか?
ロンドンへ帰ってしまったんだろうか。
それとも日本か?
いったい、どこで何をしているのだろう。
Fumikoは。
そもそも何歳になるんだ。
姓さえも知らないFumiko
知っているのは名と、Ms.(女性)ということだけ。
少なくとも書類の上では。
あの旅はなんだったんだ。
真夏のロンドンへ。
今はニューアークからも出ているが、
あの頃のVirgin AtlanticはJFKだけだったと思う。
まだ《喫煙》という席が空の上にもあったあの時代は。
そもそも。
何でロンドンだったんだ。
里帰りだったのか。
それとも傷心の一人旅、
いや男とつかの間のバカンスを楽しむためかもしれない。
両親に空港まで送られ、ヒースローには祖父が迎えに来ていたのか。
そもそも。
ロンドンの真夏をぼくは知らない。
昨年オリンピックを観た人たちには、
大方の想像はつくのだろうが。
あいにくぼくにはあてはまらない。
陽が何時に昇り、落ちるのかさえも。
いや、ロンドンそのものをぼくは知らない。
何時間の時差があり、
腕時計の竜頭を手前に回すのか、それとも向こうなのか。
時差だけは調べてみた。
深夜にNYを発ったFumiko
どうやらロンドンの午まえには着いたようだ。
入国審査、税関を抜けどこへ行ったのだろう。
食事はどうしたか。
朝飯だったのか、昼食か。
いや、英国風にお茶の時間を気取ってみたのか。
そもそも。
あれからNYには戻ってきたのか。
いったいどこにいるんだFumiko
古本の愉しみのひとつ。
ページの間から出てくる過去の断片。
切符であったり、領収書であったり。
押し花であったり、ハナクソらしきものがひっていていることも。
一度だけだが絵葉書が出てきた。
本来求めていたものではない情報からひもといていく。
空想空間に身を、心を遊ばせる。
届いた葉書の裏表をじっくり。
本文であり。
消印の図柄であり、日付であり。
切手のデザインや、値段であったり。
小さな、小さな手がかりで世界旅行。
Hさんは名古屋に住むそんな旅人。
どうやら届き始めたらしい。
『ボヤキ新聞・4號』
出ました。


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やっぱり硝子の向こうに落ちる雨粒を眺めているのかもしれない。
いや、もうニューヨークにはいないのか?
ロンドンへ帰ってしまったんだろうか。
それとも日本か?
いったい、どこで何をしているのだろう。
Fumikoは。
そもそも何歳になるんだ。
姓さえも知らないFumiko
知っているのは名と、Ms.(女性)ということだけ。
少なくとも書類の上では。
あの旅はなんだったんだ。
真夏のロンドンへ。
今はニューアークからも出ているが、
あの頃のVirgin AtlanticはJFKだけだったと思う。
まだ《喫煙》という席が空の上にもあったあの時代は。
そもそも。
何でロンドンだったんだ。
里帰りだったのか。
それとも傷心の一人旅、
いや男とつかの間のバカンスを楽しむためかもしれない。
両親に空港まで送られ、ヒースローには祖父が迎えに来ていたのか。
そもそも。
ロンドンの真夏をぼくは知らない。
昨年オリンピックを観た人たちには、
大方の想像はつくのだろうが。
あいにくぼくにはあてはまらない。
陽が何時に昇り、落ちるのかさえも。
いや、ロンドンそのものをぼくは知らない。
何時間の時差があり、
腕時計の竜頭を手前に回すのか、それとも向こうなのか。
時差だけは調べてみた。
深夜にNYを発ったFumiko
どうやらロンドンの午まえには着いたようだ。
入国審査、税関を抜けどこへ行ったのだろう。
食事はどうしたか。
朝飯だったのか、昼食か。
いや、英国風にお茶の時間を気取ってみたのか。
そもそも。
あれからNYには戻ってきたのか。
いったいどこにいるんだFumiko
古本の愉しみのひとつ。
ページの間から出てくる過去の断片。
切符であったり、領収書であったり。
押し花であったり、ハナクソらしきものがひっていていることも。
一度だけだが絵葉書が出てきた。
本来求めていたものではない情報からひもといていく。
空想空間に身を、心を遊ばせる。
届いた葉書の裏表をじっくり。
本文であり。
消印の図柄であり、日付であり。
切手のデザインや、値段であったり。
小さな、小さな手がかりで世界旅行。
Hさんは名古屋に住むそんな旅人。
どうやら届き始めたらしい。
『ボヤキ新聞・4號』
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miso soupの朝
いつもの時間。
いつもの電車。
Long Island Railroad
通勤中距離鉄道を。
人の流れとは逆向きに。
今朝は最後尾に座って。
プラットホームから乗り込んでくるいつもの女性車掌。
紙袋を右手に。
車掌室へ入る前に新聞とともに座席に置いて。
座席の上、まだ中身の揺れはおさまらない。
半透明プラスチック容器の向こうに。
沈殿途中の味噌。
表面で揺れる豆腐の白とネギの緑。
車掌室のドアが音を立てる。
帽子を取り、メガネをずり上げた女車掌。
発車までの束の間、銀色のスプーンを動かしながら。
広げたタブロイド紙の見出しは。
PISTOL PACKER SACKER
Miso Soupの朝。
いつもの電車。
Long Island Railroad
通勤中距離鉄道を。
人の流れとは逆向きに。
今朝は最後尾に座って。
プラットホームから乗り込んでくるいつもの女性車掌。
紙袋を右手に。
車掌室へ入る前に新聞とともに座席に置いて。
座席の上、まだ中身の揺れはおさまらない。
半透明プラスチック容器の向こうに。
沈殿途中の味噌。
表面で揺れる豆腐の白とネギの緑。
車掌室のドアが音を立てる。
帽子を取り、メガネをずり上げた女車掌。
発車までの束の間、銀色のスプーンを動かしながら。
広げたタブロイド紙の見出しは。
PISTOL PACKER SACKER
Miso Soupの朝。
水曜のニャンコくん
(そうか。あれから1週間か……)
考えてみれば寒さは1週間ともたなかった。
あれから7日が過ぎている。
月、週というのは実に便宜的にできている。
人間よりの単位だ。
もしかすると科学的根拠があるのかもしれないけれど。
知らない。
地球が一回りする年。
一回転する日。
それを24で割った時。
60で割った分。
さらに60で割ると秒。
それでも馴れてしまうと。
「先週の今」を考えていたりする。
実に便宜的な生き物だ。
年、日。
今の科学では当たり前とされているそれすら、
いつひっくり返るかはわからないのに。
「去年のバレンタインは?」
「この間のオリンピックの頃は?」
単位はあやうい。
朝、そしてタバコを吸う時には。
いつも祈る。
もう20年くらいになる。
「何に?」
神に。
それは特定の姿をした神ではない。
ぼくの中にある神に。
時にはレンガで。
時にはコケで。
時には空で。
時には木の葉の間を抜けてくる光で。
神は時々で姿を変える。
洋の東西。
地球の南北。
この星の場所を問わず。
誰もが自分の中に神を持つ。
たとえどんな姿をしていたとしても。
そこには対象というものが必要だから。
それを人々は神と呼ぶ。
もしも。
もしも。
「それは〈ラーメン〉なんだ」
誰かが教えたら。
誰もがラーメンに祈りを捧げていることだろう。
自転車かもしれないし。
風呂敷かもしれない。’
何を祈る?
誰のことを?
身近な人を。
喪ってしまった人、もののことを。
もっとたくさんの人のことを。
不思議と自分のことはない。
たまにはあるけれど。
この一週間祈りがひとつ増えた。
びっくりしたような顔。
それでもどこか怯えたような顔をしている。
そんなニャンコくんのことを。
数歩前を歩き。
立ち止まって振り返る。
また早足に。
振り返る。
とうとう藪の中に入ってしまった、
それでも同じ日の夜。
再会した時には深い縁を感じた。
零下15度、夜の入り口。
(2、3日だけでもウチにいてくれたら)
抱き上げ頬をすりあわせる。
体温を交歓する。
門を入り玄関の鍵を開けている時に。
腕の間をすり抜け闇に消えてしまった。
「水曜のニャンコくんに、
心も身体もアタタまるお家が見つかっていますように。
もしまだならすぐに見つけてあげてください。
神様。
水曜のニャンコくんを護ってください」
今日もまた祈る。
あの水曜日以来、
水曜のニャンコくんとは会っていない」
さあ、タバコを吸いに行こう。

水曜のニャンコくんと出会ったのはこんな朝でした。

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考えてみれば寒さは1週間ともたなかった。
あれから7日が過ぎている。
月、週というのは実に便宜的にできている。
人間よりの単位だ。
もしかすると科学的根拠があるのかもしれないけれど。
知らない。
地球が一回りする年。
一回転する日。
それを24で割った時。
60で割った分。
さらに60で割ると秒。
それでも馴れてしまうと。
「先週の今」を考えていたりする。
実に便宜的な生き物だ。
年、日。
今の科学では当たり前とされているそれすら、
いつひっくり返るかはわからないのに。
「去年のバレンタインは?」
「この間のオリンピックの頃は?」
単位はあやうい。
朝、そしてタバコを吸う時には。
いつも祈る。
もう20年くらいになる。
「何に?」
神に。
それは特定の姿をした神ではない。
ぼくの中にある神に。
時にはレンガで。
時にはコケで。
時には空で。
時には木の葉の間を抜けてくる光で。
神は時々で姿を変える。
洋の東西。
地球の南北。
この星の場所を問わず。
誰もが自分の中に神を持つ。
たとえどんな姿をしていたとしても。
そこには対象というものが必要だから。
それを人々は神と呼ぶ。
もしも。
もしも。
「それは〈ラーメン〉なんだ」
誰かが教えたら。
誰もがラーメンに祈りを捧げていることだろう。
自転車かもしれないし。
風呂敷かもしれない。’
何を祈る?
誰のことを?
身近な人を。
喪ってしまった人、もののことを。
もっとたくさんの人のことを。
不思議と自分のことはない。
たまにはあるけれど。
この一週間祈りがひとつ増えた。
びっくりしたような顔。
それでもどこか怯えたような顔をしている。
そんなニャンコくんのことを。
数歩前を歩き。
立ち止まって振り返る。
また早足に。
振り返る。
とうとう藪の中に入ってしまった、
それでも同じ日の夜。
再会した時には深い縁を感じた。
零下15度、夜の入り口。
(2、3日だけでもウチにいてくれたら)
抱き上げ頬をすりあわせる。
体温を交歓する。
門を入り玄関の鍵を開けている時に。
腕の間をすり抜け闇に消えてしまった。
「水曜のニャンコくんに、
心も身体もアタタまるお家が見つかっていますように。
もしまだならすぐに見つけてあげてください。
神様。
水曜のニャンコくんを護ってください」
今日もまた祈る。
あの水曜日以来、
水曜のニャンコくんとは会っていない」
さあ、タバコを吸いに行こう。

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ア・リ・ガ・ト
「あら、それはコンニチハじゃなかった?
そう、あれはマーロン・ブランド。
たしか映画の中で言ってたわ」
老女の背中がつっこみを入れてくる。
「いや『おはよう』なんですよ。
発音はね
"like state of 'OHIO'"
朝の挨拶はね」
「でもマーロン・ブランドは……」
「たしかに『こんにちは』は。
朝でも、昼でも。
それに夜でも。
特に最近は使えるんですが。
そう、どちらかと言うと"Hello”に少し似てるかな」
「アリガト」
右側のドアから後部座席にすべりこみ、
行き先を告げるなり運転手が声をかけてくる。
田舎町の駅。
30分毎に着く列車の客待ちをする乗り合いタクシー。
この運転手にあたるのはたしか3回目だ。
おしゃべり好きな運転手。
5秒と口の閉まっていることはない。
先週は中国の話をしているときに目的地に着いた。
それにしてもどうしてフィリピンには陽気な人が多いのだろう。
26年前。
アメリカ初めての職場。
初めて身近に接したのガイジンは、
ビクターという名の陽気なフィリピン人だった。
ぼくのことをSunny Boyと呼んだ人。
「日本語なら5つだけだけど知ってるよ。
『アリガト』、『サヨナラ』……
えーーーっと、あとは何だったっけ?
あははははははは。
ねぇ、ところで"Good Morning"って何て言うの?」
老女が話に入ってきたのは、
ぼくが問いに答えた時だった。
田舎ならではの乗り合いタクシー。
狭い空間だからこそ生まれる。
見知らぬ者同士の会話。
その間で絶妙とも言える舵を取る運転手。
「5つも知ってんだ。すごいねー。
ぼくはフィリピンの言葉ひとつも知らないよ。
行ったこともないし。
でもさ言葉ってのは3つだけ知ってればなんとかなうと思うんだ。
あとのことはだいたいでいい」
「へー、その3つってのは何だい?」
「うん。"Hello"、"Thank you"でしょ、
それに"Excuse me"
欲を言えば"Good Bye"もかな。
でも、これは手を振ればいい.
でもさ"Good Bye"って言葉はいいよね。
GoodなByeなんだもんね」」
窮屈そうに隣で身を縮めて座る白人男。
それまで
"Ohio, Ohio……"
もごもごと反芻していたのが顔を上げぼくを見ながらうなずきはじめた。
「でもさ、"You are welcome"も必要だろう?」
「いや、ぼくの場合なんだけど。
"Thank you"にこたえるのは"Thank you"だから」
「あー。なるほど……」
それが日本であっても。
アメリカであっても。
「ありがとう」には「ありがとう」で返事をする。
ぼくにとってそれはとても大切なことで、
"You are welcome."も
「どういたしまして」もいらない。
それは感謝などという道徳の問題や礼儀なんかじゃなくて。
「ありがとう」にはやはり「ありがとう」なんだ。
どこの国。
とは言っても行ったことのある国は両手に余るのだけれど。
その上ほとんどはしばらく経つと忘れてしまうのだけれど。
少なくともその国へ行くときは3つだけ言葉を覚えた。
不思議なのは
―あくまでもぼくの知りうる範囲の言葉だけれどー
どの国へ行っても。
「すいません」と「ゴメン」
似て異なるこの2つの気持ちを表す言葉として、
「すいません」という言葉が使われることだ。
もちろん
「ゴメン」を使ってもいいのだけれど、
「すいません」を使うほうがなんだかしっくりくる。
似ていながら。
かなりニュアンスの違うふたつの気持ち。
これが「すいません」でどこの国へ行っても、
心を通わせることができるということは不思議でもあり、
「ひとつの世界に生きているんだなぁ」
と感動的ですらある。
最初に降りた老女は足が弱っていて、
それでも助けようとする運転手の申し出を手で遮る。
かなりの時間を要したのだけれど、
イライラしたり、
不機嫌になる者は一人もいない。
「言ってたのよねマーロン・ブランドが……」
次がぼくだ。
玄関近くに付けてくれたタクシー。
チップ込みの8ドルと領収書が前座席の背もたれで交差をする。
「アリガト」と言いながら。
巨きな男と運転手。
あれから二人の間にはどんな会話が生まれたのだろう。
階段を上りながらぼくは薄いコーヒーのことを考えていた。

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そう、あれはマーロン・ブランド。
たしか映画の中で言ってたわ」
老女の背中がつっこみを入れてくる。
「いや『おはよう』なんですよ。
発音はね
"like state of 'OHIO'"
朝の挨拶はね」
「でもマーロン・ブランドは……」
「たしかに『こんにちは』は。
朝でも、昼でも。
それに夜でも。
特に最近は使えるんですが。
そう、どちらかと言うと"Hello”に少し似てるかな」
「アリガト」
右側のドアから後部座席にすべりこみ、
行き先を告げるなり運転手が声をかけてくる。
田舎町の駅。
30分毎に着く列車の客待ちをする乗り合いタクシー。
この運転手にあたるのはたしか3回目だ。
おしゃべり好きな運転手。
5秒と口の閉まっていることはない。
先週は中国の話をしているときに目的地に着いた。
それにしてもどうしてフィリピンには陽気な人が多いのだろう。
26年前。
アメリカ初めての職場。
初めて身近に接したのガイジンは、
ビクターという名の陽気なフィリピン人だった。
ぼくのことをSunny Boyと呼んだ人。
「日本語なら5つだけだけど知ってるよ。
『アリガト』、『サヨナラ』……
えーーーっと、あとは何だったっけ?
あははははははは。
ねぇ、ところで"Good Morning"って何て言うの?」
老女が話に入ってきたのは、
ぼくが問いに答えた時だった。
田舎ならではの乗り合いタクシー。
狭い空間だからこそ生まれる。
見知らぬ者同士の会話。
その間で絶妙とも言える舵を取る運転手。
「5つも知ってんだ。すごいねー。
ぼくはフィリピンの言葉ひとつも知らないよ。
行ったこともないし。
でもさ言葉ってのは3つだけ知ってればなんとかなうと思うんだ。
あとのことはだいたいでいい」
「へー、その3つってのは何だい?」
「うん。"Hello"、"Thank you"でしょ、
それに"Excuse me"
欲を言えば"Good Bye"もかな。
でも、これは手を振ればいい.
でもさ"Good Bye"って言葉はいいよね。
GoodなByeなんだもんね」」
窮屈そうに隣で身を縮めて座る白人男。
それまで
"Ohio, Ohio……"
もごもごと反芻していたのが顔を上げぼくを見ながらうなずきはじめた。
「でもさ、"You are welcome"も必要だろう?」
「いや、ぼくの場合なんだけど。
"Thank you"にこたえるのは"Thank you"だから」
「あー。なるほど……」
それが日本であっても。
アメリカであっても。
「ありがとう」には「ありがとう」で返事をする。
ぼくにとってそれはとても大切なことで、
"You are welcome."も
「どういたしまして」もいらない。
それは感謝などという道徳の問題や礼儀なんかじゃなくて。
「ありがとう」にはやはり「ありがとう」なんだ。
どこの国。
とは言っても行ったことのある国は両手に余るのだけれど。
その上ほとんどはしばらく経つと忘れてしまうのだけれど。
少なくともその国へ行くときは3つだけ言葉を覚えた。
不思議なのは
―あくまでもぼくの知りうる範囲の言葉だけれどー
どの国へ行っても。
「すいません」と「ゴメン」
似て異なるこの2つの気持ちを表す言葉として、
「すいません」という言葉が使われることだ。
もちろん
「ゴメン」を使ってもいいのだけれど、
「すいません」を使うほうがなんだかしっくりくる。
似ていながら。
かなりニュアンスの違うふたつの気持ち。
これが「すいません」でどこの国へ行っても、
心を通わせることができるということは不思議でもあり、
「ひとつの世界に生きているんだなぁ」
と感動的ですらある。
最初に降りた老女は足が弱っていて、
それでも助けようとする運転手の申し出を手で遮る。
かなりの時間を要したのだけれど、
イライラしたり、
不機嫌になる者は一人もいない。
「言ってたのよねマーロン・ブランドが……」
次がぼくだ。
玄関近くに付けてくれたタクシー。
チップ込みの8ドルと領収書が前座席の背もたれで交差をする。
「アリガト」と言いながら。
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ブルックリン・ララバイ
♪名前は?
そう、あだ名ならあるわ
生まれは?
もう、とうに忘れたわ♪
忙しく人の行き交う。
ある会社のロビー。
頭の中で中原理恵『東京ララバイ』が流れだす。
アコースティックのギターの音とともに。
久々にバッタリ。
出会う人がいる。
過去の中に生きる人々。
もちろん相手にとっても。
ぼくは過去に生きるひとりに過ぎない。
十数年ぶりに出会う人々。
そして彼ら、彼女らと。
ぼくとの違いはといえば。
相手にはぼくのある時期が。
ニュースとして。
噂として。
刷り込まれているということ。
「何してるんですか、今?」
「お住まいは?」
「どこで働いてるんですか?」
「どんな仕事で?」
「どれくらいの間?」
「オフィスはどこですか?」
嫌になるくらい。
同じ言葉が。
まったく別の口か流れ出る。
シナリオを読み上げるように。
遠回しに謎かけのようなことをする人もいる。
まるで下手くそなインタビューアーのように。
いっそのこと現在の自分のことを。
書き記した紙をコピーして。
そんな人達には無言で突きつけて。
歩み去ろうかと思うほどに。
彼ら、彼女らにとって。
仕事は、家は。
その人をはかるバロメーターなのだろう。
誰もが同じ定規で〈27センチ>。
安心するために。
問いかけを続ける。
無職でも。
ホームレスでも。
金がなくても。
宿なしでも。
いいヤツはいっぱいいるというのにね。
「サカイさん今何やってんのー?」
「エーッ!?
アハハハハハハハ。
サラリーマンっ!?
何言うてるんですか、まったくゥ。
サカイさんがサラリーマンなんてなんだか信じられんワ~。
アハハハハハハハ……」
(おしまい)
先週久々に会った友人Hちゃん。
迎えに来てくれた車の中での会話。
たった4行の言葉で。
23年前のふたりに戻ることができる。
これが友達なんだ。
知り合いではなくて。
仕事、家庭、家族、住所、学歴……。
様々なデータを集めて判定を下そうとする。
ぼくだって気づかぬところでやっているかもしれない。
データを並べて<その人>をはじきだす。
クレジットカード会社の審査のように。
クレジットカードの数やランクを誇る人よりも。
ツケの効く店を何軒持っているか?
ぼくにはそっちの方がはるかに重要なことに思えるのだが。
Hちゃんと待ち合わせの約束をしている時のこと。
「ところでサカイさんって携帯持ってます?
ぼくのはXXXーXXXーXXXXやけど」
人間は携帯を持っているもの。
そう思って話を進める人がほとんどの今。
こんな友人を持つぼくは本当に幸せだと思う。
人間として。
家を。
仕事を。
住所を。
家を。
水道を。
ガスを。
電気を。
電話を。
メール・アドレスを。
持つことは決して当たり前のことではない。
それはいつまでたっても
「持ってもいいよ」
「持ってたら便利だよね」
「持ちたいな」
「でも選ぶのは自由だよね」
の範疇から出ることはない。
持たぬことを理由に拒絶することはできても。
それで判定する権利は誰一人として与えられてはいない。
数日前ニコニコ顔で質問を重ねたかつての知りあいとは。
ただの知り合いで終わるだろう。
予感ではなくて確信。
仕事や住まいのことばかり訊いてくる人。
それが異性であっても、同性であっても。
ぼくはツキアイタクナイ。
ツキアイタイ人とだけツキアッテイキタイ。
ぼくには名前も知らぬ友だちがたくさんいる。
名前を知っている知り合いはもっといる。

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そう、あだ名ならあるわ
生まれは?
もう、とうに忘れたわ♪
忙しく人の行き交う。
ある会社のロビー。
頭の中で中原理恵『東京ララバイ』が流れだす。
アコースティックのギターの音とともに。
久々にバッタリ。
出会う人がいる。
過去の中に生きる人々。
もちろん相手にとっても。
ぼくは過去に生きるひとりに過ぎない。
十数年ぶりに出会う人々。
そして彼ら、彼女らと。
ぼくとの違いはといえば。
相手にはぼくのある時期が。
ニュースとして。
噂として。
刷り込まれているということ。
「何してるんですか、今?」
「お住まいは?」
「どこで働いてるんですか?」
「どんな仕事で?」
「どれくらいの間?」
「オフィスはどこですか?」
嫌になるくらい。
同じ言葉が。
まったく別の口か流れ出る。
シナリオを読み上げるように。
遠回しに謎かけのようなことをする人もいる。
まるで下手くそなインタビューアーのように。
いっそのこと現在の自分のことを。
書き記した紙をコピーして。
そんな人達には無言で突きつけて。
歩み去ろうかと思うほどに。
彼ら、彼女らにとって。
仕事は、家は。
その人をはかるバロメーターなのだろう。
誰もが同じ定規で〈27センチ>。
安心するために。
問いかけを続ける。
無職でも。
ホームレスでも。
金がなくても。
宿なしでも。
いいヤツはいっぱいいるというのにね。
「サカイさん今何やってんのー?」
「エーッ!?
アハハハハハハハ。
サラリーマンっ!?
何言うてるんですか、まったくゥ。
サカイさんがサラリーマンなんてなんだか信じられんワ~。
アハハハハハハハ……」
(おしまい)
先週久々に会った友人Hちゃん。
迎えに来てくれた車の中での会話。
たった4行の言葉で。
23年前のふたりに戻ることができる。
これが友達なんだ。
知り合いではなくて。
仕事、家庭、家族、住所、学歴……。
様々なデータを集めて判定を下そうとする。
ぼくだって気づかぬところでやっているかもしれない。
データを並べて<その人>をはじきだす。
クレジットカード会社の審査のように。
クレジットカードの数やランクを誇る人よりも。
ツケの効く店を何軒持っているか?
ぼくにはそっちの方がはるかに重要なことに思えるのだが。
Hちゃんと待ち合わせの約束をしている時のこと。
「ところでサカイさんって携帯持ってます?
ぼくのはXXXーXXXーXXXXやけど」
人間は携帯を持っているもの。
そう思って話を進める人がほとんどの今。
こんな友人を持つぼくは本当に幸せだと思う。
人間として。
家を。
仕事を。
住所を。
家を。
水道を。
ガスを。
電気を。
電話を。
メール・アドレスを。
持つことは決して当たり前のことではない。
それはいつまでたっても
「持ってもいいよ」
「持ってたら便利だよね」
「持ちたいな」
「でも選ぶのは自由だよね」
の範疇から出ることはない。
持たぬことを理由に拒絶することはできても。
それで判定する権利は誰一人として与えられてはいない。
数日前ニコニコ顔で質問を重ねたかつての知りあいとは。
ただの知り合いで終わるだろう。
予感ではなくて確信。
仕事や住まいのことばかり訊いてくる人。
それが異性であっても、同性であっても。
ぼくはツキアイタクナイ。
ツキアイタイ人とだけツキアッテイキタイ。
ぼくには名前も知らぬ友だちがたくさんいる。
名前を知っている知り合いはもっといる。
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神々の場所
「刀と鏡。あとひとつはなんだっけ……」
天皇即位の際代々引き継がれるという三種の神器。
ひとつはたしか壇ノ浦の戦いの際瀬戸内海に沈んだ、
どこかで読んだことがある。
沈んだのは鏡だったな、たしか。
それにしても神器のあとひとつはなんだっけ?
ネット検索で疑問が氷解するのはわかっている。
それでもこのままにしておこう。
ここのところ知ること、解ること(!?)があたりまえとなり、
考えることに使う時間が減っている。
それが世の中の大勢であることに思い至る。
それはそれでよいこともあるのだろうけれど。
そういえば人に何かを訊いたり、習ったりするのが嫌いな子供だった。
人見知り、という直しようのない性格も一因ではあったのだろうけれど、
習うのが嫌いだった。
回り道をしてでも自分で答を見つけていくのが今でも性に合っている。
「訊くは一時の恥、訊かぬは一生の恥」
トーチャンが口やかましく言ってた言葉が今もよく蘇る。
積極的とは?
「はいっ!」
授業中に大きな声で手を挙げる子供のことを言う。
おかげさまで通知表の右側ページはいつも評価が低かった。
トイレで三種の神器のことを考えていた。
結構トイレで色々考える。
目の前に立て掛けられた掃除機を見つめながら。
ただ一度しか使われていない掃除機。
3ヶ月ほど前に拾ってきたもの。
“Works!”
の紙を貼られて歩道に置かれていた。
一度使ったのだけれど、
想像していたものと少し違っていたので今は使っていない。
来週にでも
“Works!”
の紙をつけて歩道に出しておこう。
きっと誰かが持って行ってくれるさ。
拾う神は捨てる神にもなる。
そして別の拾う神が通りかかる。
この街の好きなところ。
この掃除機はどこから来て、この先どこまで行くのだろう。
あれは?
これは?
そんなことを考えているとだんだんと楽しくなってくる。
1ヶ月ほど前、物置を掃除したら使わないカバンが4つ出てきた。
アパート前のフェンスにかけておく。
夜、ビールを買いに行く際20mほど前を行く男の背中で、
どこか見覚えのあるオレンジ色のバックパックが揺れている。
あいにくそれから雨となってしまったのだけれど、
翌朝にはすべてのカバンが消えていた。
神よ。
ありがとう。
掃除機を使う人の姿。
なぜかいつも後ろ姿だ。
つい最近見かけたのもやはり後ろ姿の方が鮮明に残る。
初めて我が家に掃除機が来たのは、
小学低学年の頃だった。
この出現でカーチャンの生活は劇的に変わったんじゃないだろうか。
それまでとはまったく違った掃除方法。
ほうきの起こす風で掃いたばかりのチリが散らばることはもうない。
冷蔵庫。洗濯機。テレビ。
かつて三種の神器と呼ばれた電化製品。
でも、実際のところ女性にとっては
洗濯機、掃除機、ガス炊飯器
ではなかったのだろうか。
これら神器の出現で彼女らは家事の半ばから開放され、
ひいては社会へ羽ばたく遠因ともなった。
さて今の神器はなんだろう?
携帯。コンピューター。デジカメ。
よくわからない。
ともあれ、いずれも自由に羽ばたくためではなくて、
不自由に縛る縄に見えてしまうのだが。
それとも自由になりすぎた人々を縛り、いましめることが神意なのか。
朝6時。
家中の窓とドアは開け放たれる音がすると、
隣の部屋からモーターのうなり声が響いてくる。
(そろそろ起きなくては……)
故郷の朝は今も早い。
カーチャンは今日も1台の小さな掃除機を持っている。
やはり後ろ姿で。
今日も間違いなく窓を開けているはずだ。

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天皇即位の際代々引き継がれるという三種の神器。
ひとつはたしか壇ノ浦の戦いの際瀬戸内海に沈んだ、
どこかで読んだことがある。
沈んだのは鏡だったな、たしか。
それにしても神器のあとひとつはなんだっけ?
ネット検索で疑問が氷解するのはわかっている。
それでもこのままにしておこう。
ここのところ知ること、解ること(!?)があたりまえとなり、
考えることに使う時間が減っている。
それが世の中の大勢であることに思い至る。
それはそれでよいこともあるのだろうけれど。
そういえば人に何かを訊いたり、習ったりするのが嫌いな子供だった。
人見知り、という直しようのない性格も一因ではあったのだろうけれど、
習うのが嫌いだった。
回り道をしてでも自分で答を見つけていくのが今でも性に合っている。
「訊くは一時の恥、訊かぬは一生の恥」
トーチャンが口やかましく言ってた言葉が今もよく蘇る。
積極的とは?
「はいっ!」
授業中に大きな声で手を挙げる子供のことを言う。
おかげさまで通知表の右側ページはいつも評価が低かった。
トイレで三種の神器のことを考えていた。
結構トイレで色々考える。
目の前に立て掛けられた掃除機を見つめながら。
ただ一度しか使われていない掃除機。
3ヶ月ほど前に拾ってきたもの。
“Works!”
の紙を貼られて歩道に置かれていた。
一度使ったのだけれど、
想像していたものと少し違っていたので今は使っていない。
来週にでも
“Works!”
の紙をつけて歩道に出しておこう。
きっと誰かが持って行ってくれるさ。
拾う神は捨てる神にもなる。
そして別の拾う神が通りかかる。
この街の好きなところ。
この掃除機はどこから来て、この先どこまで行くのだろう。
あれは?
これは?
そんなことを考えているとだんだんと楽しくなってくる。
1ヶ月ほど前、物置を掃除したら使わないカバンが4つ出てきた。
アパート前のフェンスにかけておく。
夜、ビールを買いに行く際20mほど前を行く男の背中で、
どこか見覚えのあるオレンジ色のバックパックが揺れている。
あいにくそれから雨となってしまったのだけれど、
翌朝にはすべてのカバンが消えていた。
神よ。
ありがとう。
掃除機を使う人の姿。
なぜかいつも後ろ姿だ。
つい最近見かけたのもやはり後ろ姿の方が鮮明に残る。
初めて我が家に掃除機が来たのは、
小学低学年の頃だった。
この出現でカーチャンの生活は劇的に変わったんじゃないだろうか。
それまでとはまったく違った掃除方法。
ほうきの起こす風で掃いたばかりのチリが散らばることはもうない。
冷蔵庫。洗濯機。テレビ。
かつて三種の神器と呼ばれた電化製品。
でも、実際のところ女性にとっては
洗濯機、掃除機、ガス炊飯器
ではなかったのだろうか。
これら神器の出現で彼女らは家事の半ばから開放され、
ひいては社会へ羽ばたく遠因ともなった。
さて今の神器はなんだろう?
携帯。コンピューター。デジカメ。
よくわからない。
ともあれ、いずれも自由に羽ばたくためではなくて、
不自由に縛る縄に見えてしまうのだが。
それとも自由になりすぎた人々を縛り、いましめることが神意なのか。
朝6時。
家中の窓とドアは開け放たれる音がすると、
隣の部屋からモーターのうなり声が響いてくる。
(そろそろ起きなくては……)
故郷の朝は今も早い。
カーチャンは今日も1台の小さな掃除機を持っている。
やはり後ろ姿で。
今日も間違いなく窓を開けているはずだ。
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