水曜のニャンコくん | ニューヨーク狂人日記

水曜のニャンコくん

(そうか。あれから1週間か……)

考えてみれば寒さは1週間ともたなかった。
あれから7日が過ぎている。



月、週というのは実に便宜的にできている。
人間よりの単位だ。
もしかすると科学的根拠があるのかもしれないけれど。
知らない。

地球が一回りする年。
一回転する日。
それを24で割った時。
60で割った分。
さらに60で割ると秒。

それでも馴れてしまうと。
「先週の今」を考えていたりする。
実に便宜的な生き物だ。
年、日。
今の科学では当たり前とされているそれすら、
いつひっくり返るかはわからないのに。

「去年のバレンタインは?」
「この間のオリンピックの頃は?」

単位はあやうい。



朝、そしてタバコを吸う時には。
いつも祈る。
もう20年くらいになる。

「何に?」
神に。

それは特定の姿をした神ではない。
ぼくの中にある神に。

時にはレンガで。
時にはコケで。
時には空で。
時には木の葉の間を抜けてくる光で。

神は時々で姿を変える。

洋の東西。
地球の南北。
この星の場所を問わず。
誰もが自分の中に神を持つ。

たとえどんな姿をしていたとしても。
そこには対象というものが必要だから。
それを人々は神と呼ぶ。

もしも。
もしも。
「それは〈ラーメン〉なんだ」
誰かが教えたら。
誰もがラーメンに祈りを捧げていることだろう。
自転車かもしれないし。
風呂敷かもしれない。’



何を祈る?
誰のことを?

身近な人を。
喪ってしまった人、もののことを。
もっとたくさんの人のことを。
不思議と自分のことはない。
たまにはあるけれど。



この一週間祈りがひとつ増えた。

びっくりしたような顔。
それでもどこか怯えたような顔をしている。
そんなニャンコくんのことを。

数歩前を歩き。
立ち止まって振り返る。
また早足に。
振り返る。

とうとう藪の中に入ってしまった、

それでも同じ日の夜。
再会した時には深い縁を感じた。

零下15度、夜の入り口。
(2、3日だけでもウチにいてくれたら)

抱き上げ頬をすりあわせる。
体温を交歓する。
門を入り玄関の鍵を開けている時に。
腕の間をすり抜け闇に消えてしまった。



「水曜のニャンコくんに、
心も身体もアタタまるお家が見つかっていますように。
もしまだならすぐに見つけてあげてください。
神様。
水曜のニャンコくんを護ってください」

今日もまた祈る。
あの水曜日以来、
水曜のニャンコくんとは会っていない」



さあ、タバコを吸いに行こう。



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水曜のニャンコくんと出会ったのはこんな朝でした。


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