私の仲間が「菊花賞の馬券に直結する」と考えている重要な情報をお伝えします | 小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

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調教助手として、厩務員として、競馬と長く関わってきた私が、ファンの皆様に「役立つ情報」をお伝えしたいと思って始めました。

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全国の競馬ファンの皆さん、おはようございます。

小西聖一と申します。



前走、7月25日(日)のアイビスSDで、2着のライオンボスにコンマ1秒差を付けて勝っていた、中舘英二厩舎のオールアットワンス(牝3歳・父マクフィ)は、次走の予定が11月28日(日)の京阪杯です。

皆さんもよく知っていると思いますけど、この馬を管理している中舘先生は、東京都の荒川区出身で、1984年の3月に、アイネスフウジン(1990年ダービーの勝ち馬)やオフサイドトラップ(1998年天皇賞・秋の勝ち馬)などを育てた加藤修甫さんの厩舎から乗り役としてデビューしました。

ちなみに、先生が乗り役を目指したのは、小学生の頃から体が小さかったことから、中山競馬場でパートの仕事をしていたお母さんに勧められたのがきっかけだそうです。

ブランドアートに乗った1992年のフラワーCで初めての重賞勝ちを飾った中舘先生は、その後も、ツインターボに乗った1993年のオールカマーや、ヒシアマゾンに乗った1993年の阪神3歳牝馬S(今の阪神ジュベナイルF)と1994年のエリザベス女王杯や、アストンマーチャンに乗った2007年のスプリンターズSなどを勝っていますし、他も入れたら、2014年の12月に調教師の試験に受かって、2015年の2月に引退するまで、重賞を30勝、通算で1823勝という素晴らしい実績を残していましたね。

厩舎を開業して最初の年は、使った回数が少なかったので、「7勝・獲得賞金1億1511万円」という成績でしたけど、2年目はビービーバーレルを使ったフェアリーSで初めての重賞勝ちを飾るなど、「17勝・獲得賞金2億4531万円」と、一気に数字を伸ばしていました。

そして、開業3年目だった2017年は、コウソクストレートを使ったファルコンSを勝つなど、全部で19勝を上げて、「3億0412万円」の賞金を稼いでいましたし、その後の3年間も、

2018年→21勝・獲得賞金2億5765万円
2019年→21勝・獲得賞金2億5196万円
2020年→31勝・獲得賞金4億2113万円

と、順調に勝ち星と賞金を積み重ねていて、特に去年は、勝ち星と賞金のどっちも今までで一番だったんですよ。

それに、今年も勢いが続いていて、先週までに稼いだ賞金が「3億3975万円」と、去年の同じ時期(10月18日【日】まで)の「3億3617万円」を少しですけど上回っていますから、今の中舘先生は、「この勢いでもっと稼ぎたい」
と考えているのでしょう。

そこで、1着賞金が3900万円の京阪杯に向けて、先生がオールアットワンスをどう仕上げてくるのか、キッチリ確認して、馬券に活かしたいと思っています。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。



馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、

5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属

といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そしてここからは、栗田徹厩舎が菊花賞に使うタイトルホルダーについて、私の頼もしい仲間の一人、「元調教師のNさん」から届いた報告を紹介しておきますね。

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栗田徹君は、市立船橋高校で馬術を始めて、日本獣医畜産大学(今の日本獣医生命科学大学)に進学してからも馬術部に入っていました。

この大学を出ている調教師と言えば、すぐに思い付くのは、1981年の桜花賞を勝ったブロケードなどでお馴染みの高松邦男さんや、1992年と1993年の安田記念を勝ったヤマニンゼファーや2014年の皐月賞を勝ったイスラボニータなどでお馴染みの栗田博憲君(一昨年の2月一杯で引退)や、一昨年のクイーンエリザベス2世Cと香港Cを勝ったウインブライトでお馴染みの畠山吉宏君や、2017年の札幌記念を勝ったサクラアンプルールでお馴染みの金成貴史君や、去年の宝塚記念と有馬記念や今年の宝塚記念などを勝ったクロノジェネシスでお馴染みの斉藤崇史君などです。

大学を卒業してからの徹君は、ノーザンファームで働いて、そこで「調教師になりたい」と思ったそうで、2002年に競馬学校の厩務員課程に入って、次の年の4月から萩原清厩舎で厩務員をやって、5月から栗田博憲厩舎で調教助手をやって、8年くらいそこで腕を磨いていたんですよ。

ちなみに徹君は、元々、「佐藤」という名字でしたけど、栗田博憲君の娘さんと結婚して、婿養子になっているので、今は名字が「栗田」になっています。

2010年に調教師の試験に受かった徹君は、国枝栄厩舎や角居勝彦厩舎に行って馬のことを色々と教わって、次の年の3月に自分の厩舎を開業しました。

開業してからは、初めの年が9勝、2012年が5勝、2013年と2014年が14勝、2015年が21勝と、順調に数字を伸ばしていて、一昨年までの4年間も、

2016年→22勝・獲得賞金2億9544万円
2017年→16勝・獲得賞金2億8383万円
2018年→27勝・獲得賞金3億8530万円
2019年→29勝・獲得賞金4億8911万円

という安定した成績を残していましたし、特に一昨年は、アルクトスを使ったプロキオンSで初めての重賞勝ちを飾るなど、勝ち星と賞金のどっちも開業してから一番の数字だったんですよ。

でも去年は、「26勝・獲得賞金4億5065万円」という成績で、前の年を下回ってしまいましたし、今年も悪い流れが続いていて、アルクトスで地方交流G1のマイルCS南部杯などを勝っていますけど、JRAでは、先週までが「17勝・獲得賞金3億3762万円」に留まっていますから、今の徹君は「早く巻き返したい」と考えているのでしょう。

そんな中、今日は、1着賞金が1億2000万円の菊花賞にタイトルホルダーを使いますので、私が徹君でしたら、間違いなくこの馬をメイチに仕上げます。

実際、私のところに届いている最終追い切りについての報告が、

「20日(水)、レースでも乗る横山武史君が坂路に入れて、4Fが52秒6、終いの1Fが12秒7という時計を馬なりで出していました。1秒2先行していたダルムシュタット(古馬2勝クラス)を追い掛ける形の調教で、楽な手応えでグングン差を詰めると、最後はキッチリ同入に持ち込んでいましたし、追い切った後の気合い乗りも抜群でしたから、力を出し切れるデキに仕上がったのでしょう」

というものでしたから、いい競馬が期待できそうです。

それに、徹君の厩舎は、さっき書いた通り、アルクトスで地方交流G1のマイルCS南部杯を勝っていますが、まだJRAのGIを勝てていませんので、今回は、「JRAでは初めてのGI勝ちをここで」という思いも込められているのでしょう。

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栗田徹厩舎が菊花賞に使うタイトルホルダーについて、「元調教師のNさん」から届いた報告は以上です。

そうそう、昨日までのブログでも書いていることですが、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主で、一口馬主クラブの代表も務めていた小栗範恭(おぐりのりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(やまだよういち)さんのブログも読むと、「万馬券が取れる」など、もっといいことがある筈ですよ。

★ パーフェクトホースマンズのHPはこちら ★

★ 元JRA馬主・小栗範恭のブログはこちら ★

★ 元JRA調教師・山田要一のブログはこちら ★

では、また次回。

小西聖一でした。