富士Sの馬券を買うなら必見のお宝トレセン情報 | 小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

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調教助手として、厩務員として、競馬と長く関わってきた私が、ファンの皆様に「役立つ情報」をお伝えしたいと思って始めました。

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全国の競馬ファンの皆さん、おはようございます。

小西聖一と申します。



前走、5月23日(日)のオークスは15着でしたけど、去年のコスモス賞、今年の若駒Sと、オープンで2勝を上げている、和田雄二厩舎のウインアグライア(牝3歳・父マツリダゴッホ)は、次走の予定が11月14日(日)の福島記念です。

前にも何度かこのブログでご紹介していますので、知っている方も多いと思いますが、この馬を管理している和田先生は、鹿児島県鹿屋市の出身で、ミスターシービーで牡馬三冠を勝つなど、大きなレースに強かった、同じ鹿児島県出身の吉永正人さんに憧れて、乗り役になりたいと思ったそうです。

でも、競馬学校の試験を3回受けて、3回とも落ちてしまったので、「騎手になれないなら調教師を目指そう」と決めたそうで、県立の鹿屋農業高校を1988年に卒業してから、日本大学の農獣医学部畜産学科に進んで、1992年に卒業した後、1994年の10月に競馬学校の厩務員課程に入って、次の年の4月から、トウショウボーイを管理していたことで有名な保田隆芳さんの厩舎で厩務員をやっていました。

そして、1996年の4月、憧れだった吉永正人さんの厩舎に移ると、次の年の6月から調教助手をやって、2006年の9月に吉永さんが亡くなるまで、ずっとそこで経験を積んでいたんですよ。

その後は、松山康久厩舎と武市康男厩舎と中野栄治厩舎で調教助手を続けながら、ずっと調教師の試験を受け続けていて、なかなか合格できずにいましたけど、14回目の挑戦だった2012年の12月に、めでたく試験に受かっています。

ちなみに、試験に受かった知らせが届いた時には、吉永さんの長男で、1992年から2008年まで乗り役をやっていて、今は和田勇介厩舎で調教助手をやっている護(まもる)君の家に行って、師匠の仏前に報告したそうです。

2013年の3月に自分の厩舎を開業した和田先生は、最初の年が、「4勝・獲得賞金4646万円」という成績でしたけど、その後は、

2014年→12勝・獲得賞金1億3282万円
2015年→14勝・獲得賞金2億2790万円

という形で成績を伸ばしていました。

ただ、その後の5年間は、

2016年→9勝・獲得賞金2億1595万円
2017年→11勝・獲得賞金2億0912万円
2018年→10勝・獲得賞金1億7290万円
2019年→12勝・獲得賞金1億6865万円
2020年→15勝・獲得賞金2億1138万円

と書けば分かる通り、2015年の賞金を超えられていませんし、今年に入ってからも、先週までが「8勝・獲得賞金1億5980万円」という成績で、去年の同じ時期(10月18日【日】まで)の「12勝・獲得賞金1億6766万円」を下回っていますから、今の和田先生は、「賞金の高いレースを勝って、巻き返しのきっかけにしたい」と考えている筈です。

そこで、1着賞金が4100万円の福島記念に向けて、先生がウインアグライアをどう仕上げてくるのか、キッチリ確認して馬券に活かしたいと思っています。

それに、和田先生の厩舎は、まだ重賞を勝てていませんので、ウインアグライアには、「この馬で初めての重賞勝ちを」という思いも込められている筈ですよ。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。



馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、

5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属

といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そしてここからは、林徹厩舎が富士Sに使うソングラインについて、私の頼もしい仲間の一人、「元調教師のOさん」から届いた報告を紹介しておきますね。

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林徹君は、お父さんの仕事の関係で、10歳の時、千葉県の佐原市から、美浦の隣にある竜ヶ崎市に引っ越してきて、中学2年生の時、ウイニングチケットが勝った1993年のダービーを見て、競馬に興味を持ったと聞いています。

ちなみに、彼が通っていた龍ケ崎市立の長山中学校は、元横綱・稀勢の里関の出身校で、林君は、野球部の先輩なんですよ。

それから、進学校として有名な東京の開成高校に通っていた頃、「競馬の世界で働きたい」と思うようになって、東京大学の医学部に進んだ後は、馬術部に入っていました。

ちなみに、競馬関係者の中で、開成高校の卒業生には、栗東で調教師をやっている矢作芳人君がいますし、東大の卒業生には、美浦で調教師をやっている小笠倫弘(みちひろ)君がいるんですよ。

東大を卒業した後、林君は、美浦トレセンの近くにある育成施設の「ミホ分場」で4年くらい働いていて、当時、そこには、ゼンノロブロイ、ダンスインザムード、バランスオブゲームなど、走る馬が何頭も放牧で来ていましたので、彼にはいい経験になったのでしょう。

それから、2006年の4月に競馬学校の厩務員課程に入って、その年の10月から本間忍厩舎で厩務員をやって、11月からは加藤和宏厩舎で調教助手をやって、その後は、田子冬樹厩舎と矢野英一厩舎で、調教師の試験に受かった2016年の12月まで調教助手をやっていました。

試験に受かってからの林君は、技術調教師として、社台ファームやノーザンファームや追分ファームで研修を受けた後、イギリスやアイルランドなど、海外に足を運んでいましたし、帰国してからは、同じ開成高校を出ている矢作君の厩舎で、馬のことはもちろん、馬主さんとの付き合い方や、厩舎をどうやって運営したらいいかなども教わって、2018年の3月に自分の厩舎を開業しています。

開業した年は、「10勝・獲得賞金1億1574万円」という成績でしたけど、2年目だった一昨年は、「18勝・獲得賞金3億1862万円」と大きく数字を伸ばしていました。

でも、去年は、クレッシェンドラヴで七夕賞を勝っていますけど、他の馬があまり活躍できなかったため、「14勝・獲得賞金2億3938万円」という成績で、一昨年を大きく下回ってしまいましたから、今年の林君は、「必ず巻き返したい」と考えているのでしょう。

実際、今年は先週までが「20勝・獲得賞金2億9609万円」という成績で、勝ち星はもう一昨年を上回っていますし、賞金も一昨年の9割以上になっているんですよ。

もちろん、今の林君は、「この勢いでもっと稼ぎたい」と考えているのでしょう。

そんな中、今日は、1着賞金が5900万円の富士Sにソングラインを使いますから、私は、「間違いなく、林君がメイチに仕上げてくる」と見ていましたし、実際、私のところに届いている最終追い切りについての報告が、

「20日(水)、南ウッドに入れられて、5Fが68秒4、終い1Fが11秒9という時計を馬なりで出していました。ウィンダミア(2歳未勝利)をコンマ9秒追い掛ける形の調教で、楽な手応えのままグングン差を詰めると、最後はコンマ4秒先着していましたし、追い切った後の馬体の張りも良く見えましたので、力を出し切れるデキに仕上がったのでしょう」

というものでしたから、いいレースが期待できそうです。

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林徹厩舎が富士Sに使うソングラインについて、「元調教師のOさん」から届いた報告は以上です。

そうそう、昨日までのブログでも書いていることですが、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主で、一口馬主クラブの代表も務めていた小栗範恭(おぐりのりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(やまだよういち)さんのブログも読むと、「万馬券が取れる」など、もっといいことがある筈ですよ。

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では、また次回。

小西聖一でした。