青葉賞では、「海外でもG1を勝っている先生の管理馬」から目が離せません | 小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

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調教助手として、厩務員として、競馬と長く関わってきた私が、ファンの皆様に「役立つ情報」をお伝えしたいと思って始めました。

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全国の競馬ファンの皆さん、おはようございます。
小西聖一と申します。



丹内祐次君は、先週までにJRAで通算299勝を上げていて、「節目の300勝」まであと1つに迫っています。

実家が函館競馬場のすぐそばにある丹内君は、小さい頃、相撲と野球が大好きだったそうですが、中学1年の時に、初めてお父さんと一緒に競馬を見てから、馬が大好きになって、体が小さかったこともあって、騎手を目指すようになったそうです。

2004年に競馬学校の騎手課程を出た丹内君は、清水美波厩舎からデビューしていて、競馬学校の同期には、上野翔君、川田将雅(ゆうが)君、高野和馬君、津村明秀君、藤岡佑介君、吉田隼人君などがいるんですよ。

丹内君は、2015年に、マイネルクロップに乗った地方交流の佐賀記念で初めての重賞勝ちを飾ると、この馬に乗った同じ年のマーチSで初めてJRAの重賞を勝っていて、次の年には、マイネルミラノに乗った函館記念を勝っていますし、さっき書いた通リ、JRA通算で299勝を上げています。

ちなみに彼は、地元の函館にいる時、市電の「五稜郭公園駅」から歩いて5分くらいのところにある、「ちゃんこ屋・かつお」というお店によく顔を出しているそうで、本人は、このお店について、「どの料理も美味しくて、特に餃子が美味い」と話しているそうですよ。

そして、今日と明日は福島で、

■2日(土)

1R・3歳未勝利→グリーンスナップ
2R・3歳未勝利→コスモカンツォーネ
3R・3歳未勝利→ミルキーハート
7R・4歳上1勝クラス→ウインレフィナード
10R・しゃくなげ賞→マイネルヘルト
12R・喜多方特別→マイネルパッセ

■3日(日)

1R・3歳未勝利→ローダンテ
2R・3歳未勝利→チャオコーリー
5R・3歳未勝利→テルミーユアラヴ
6R・3歳未勝利→グラスエルファロ
7R・4歳上1勝クラス→アドアステラ
9R・4歳上1勝クラス→タピゾー
10R・伊達特別→メガディスカバリー
11R・バーデンバーデンC→ホウオウカトリーヌ

と、全部で14頭に乗りますので、きっと彼は、どの馬にも「今週で節目の勝利を達成したい」という思いを込めている筈ですから、どんな手綱捌きを見せてくれるのか、注目したいところです。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。



馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、

5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属

といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、堀宣行(のりゆき)厩舎が青葉賞に使うフィリオアレグロについて、私の頼もしい仲間の一人、「元調教師のNさん」から届いた報告を紹介しておきますね。

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千葉県市川市出身の堀宣行君は、日本大学の商学部に通っている時に、実家から近かった中山競馬場で、誘導馬の世話をするアルバイトをしていたんですよ。

大学を出た後は、電気設備工事などをやっている「関電工」(東証1部)で、経理関係の仕事をしていたんですが、1991年に、「関電工」を辞めて競馬学校の厩務員課程に入ったように、中山競馬場でアルバイトをしていた頃から、「馬に関わる仕事をしたい」という気持ちがあったのでしょう。

競馬学校を出てからの堀君は、諏訪富三厩舎で厩務員をやって、二ノ宮敬宇(よしたか)厩舎で調教助手をやって、2003年に自分の厩舎を開業しました。

初めの年は、「6勝・獲得賞金1億2370万円」という成績でしたけど、次の年に、「16勝・獲得賞金2億2801万円」と大きく数字を伸ばすと、2005年からは、毎年欠かさず20勝以上していますし、ビーナスラインを使った2006年の函館スプリントSで初めての重賞勝ちを飾った堀君は、キンシャサノキセキを使った2010年の高松宮記念で初めてのGI勝ちを飾っていて、その後も、ドゥラメンテを使った2015年のダービーと皐月賞を勝つなど、今までに、「JRAの重賞を54勝」という実績を残しています。

それに、海外でも、モーリスやネオリアリズムなどでG1を6勝もしているのですから、本当に大したものです。

2015年は、ドゥラメンテやモーリスなどが活躍しましたから、JRAで「重賞8勝を含む54勝・獲得賞金15億2485万円」という成績を残して、初めて「調教師リーディング1位」になっていました。

それに、去年までの4年間も、

2016年→44勝・獲得賞金13億0934万円(リーディング5位)
2017年→48勝・獲得賞金11億3661万円(同4位)
2018年→49勝・獲得賞金7億4753万円(同5位)
2019年→54勝・獲得賞金9億7056万円(同2位)

と、賞金こそ2015年を上回れていませんが、かなりいい成績を残していますね。

ただ、今年に入ってから先週までは「18勝・獲得賞金4億4602万円」という成績で,20勝を上げてリーディング1位の友道康夫厩舎に2勝の差を付けられていますし、賞金も、「6億0741万円」を稼いで1位の矢作芳人厩舎に「1億6139万円」の差を付けられていますから、今の彼は、「早く上との差を詰めたい」と考えているのでしょう。

そんな中、今日は、1着賞金が5400万円の青葉賞にフィリオアレグロを使いますので、私が堀君でしたら、お釣りを残さずメイチに仕上げますね。

実際、私のところに届いている最終追い切りについての報告が、

「4月29日(水)、南ウッドに入れられて、4Fが54秒2、終いの1Fが12秒7という時計を出していて、コンマ8秒先行していたサトノマックス(古馬1勝クラス)を追い掛けて、最後はキッチリ同入していました。完全に馬なりだったので、時計は平凡でしたが、動きそのものはとてもスムーズでしたから、デキの良さには太鼓判を押せるでしょう」

というものでしたから、いいレースが期待できそうです。

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堀宣行厩舎が青葉賞に使うフィリオアレグロについて、「元調教師のNさん」から届いた報告は以上です。

そうそう、昨日までのブログでも書いていることですが、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(おぐりのりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(やまだよういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也(かまたみつや)君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

★ パーフェクトホースマンズのHPはこちら ★

★ 元JRA馬主・小栗範恭のブログはこちら ★

★ 元JRA調教師・山田要一のブログはこちら ★

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では、また次回。

小西聖一でした。