天皇賞・春と青葉賞では、「コックを目指していた先生」の管理馬に注目しています | 小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

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調教助手として、厩務員として、競馬と長く関わってきた私が、ファンの皆様に「役立つ情報」をお伝えしたいと思って始めました。

全国の競馬ファンの皆さん、こんにちは。
小西聖一と申します。



斎藤誠厩舎のフルデプスリーダー(牡3歳・父ヘニーヒューズ)は、次走の予定が5月17日(日)の青竜S(東京・ダート1600m)です。

この馬は、デビューしてから今までに、

■去年

6月15日(土)の新馬戦(阪神・ダート1200m)→3着
11月17日(日)の2歳未勝利(東京・ダート1600m)→1着
12月8日(日)の2歳1勝クラス(中山・ダート1800m)→2着

■今年

4月4日(土)の3歳1勝クラス(中山・ダート1800m)→4着
4月26日(日)の3歳1勝クラス(東京・ダート1600m)→1着

と、5戦して一度も掲示板を外していませんし、東京のダート1600mは2戦2勝なんですよ。

フルデプスリーダーを管理している斎藤先生は、千葉県内では有名な進学校の市川高校を卒業した後、大学には進まないで、1993年に競馬学校の厩務員課程に入って、その後、前田禎(ただし)さんの厩舎で厩務員をやって、1997年から2005年までは調教助手をやっていました。

ちなみに、栗東の安田隆行厩舎に所属していて、去年の「最多勝利新人騎手」だった乗り役の斎藤新(あらた)君は、斎藤先生の長男です。

斎藤先生がいた頃の前田厩舎には、1993年の関屋記念と京王杯AHを勝ったマイスタージンガーや、1998年の毎日杯と京都4歳特別を勝ったミラクルタイムなど、走る馬が何頭もいましたから、その時に、どういう馬がよく走るのかをしっかり学んだのでしょう。

でも、2005年の10月に前田さんが亡くなってしまって、厩舎が解散することになったので、その後は、相沢郁(いくお)厩舎と清水英克厩舎で調教助手をやって、2005年の12月に調教師の試験に受かると、次の年の6月に、35歳の若さで厩舎を開業しています。

最初の年は、レースに使った頭数が少なかったので、「4勝・獲得賞金7697万円」という成績でしたけど、2年目の2007年には、サンツェッペリンを使った京成杯で初めて重賞を勝って、ゴスホークケンを使った朝日杯FSで初めてGIを勝つなど、「18勝・獲得賞金4億0317万円」という数字を残していたんですよ。

それに、2017年までの5年間も、

2013年→20勝・獲得賞金3億7065万円
2014年→21勝・獲得賞金6億3518万円
2015年→34勝・獲得賞金6億4029万円
2016年→25勝・獲得賞金5億2467万円
2017年→39勝・獲得賞金7億5598万円

という成績を残していて、特に2017年は、勝ち星と賞金のどちらも開業してから一番の数字でした。

ただ、一昨年と去年は、

2018年→24勝・獲得賞金4億2459万円
2019年→38勝・獲得賞金6億3290万円

と、2017年の賞金を大きく下回っていましたし、今年は、マドラスチェックで地方交流のTCK女王盃を勝っていますけど、JRAでは、先週までが「8勝・獲得賞金1億5241万円」という成績で、去年の同じ時期(4月まで)の「12勝・獲得賞金2億2187万円」を大きく下回っていますので、きっと今の先生は、「賞金の高いレースを多く勝ちたい」と考えているのでしょう。

そこで、1着賞金が1800万円の青竜Sに向けて、斎藤先生がフルデプスリーダーをどう仕上げてくるのか、注目したいところです。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。



馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、

5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属

といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、栗東の音無秀孝厩舎が登録している、天皇賞・春のスティッフェリオとダンビュライト、青葉賞のダノンセレスタについて、私の頼もしい仲間の一人、「元調教師のYさん」から届いた報告を紹介しておきますね。

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音無秀孝君は、ラグビーボールやエルカーサリバーとかでお馴染みやった田中良平厩舎から、1979年に乗り役としてデビューしとって、1985年のオークスを、28頭立ての21番人気やったノアノハコブネで勝つなど、1993年に引退するまでに、全部で84勝を上げとりましたな。

ちなみに彼は、小さい頃にコックを目指しとって、中学を出てからは、レストランで見習いをやっとったんやけど、そこにおった3年間で競馬が大好きになって、それから乗り役を目指したんや。

乗り役を引退してからの音無君は、田中良平さんの息子の田中章博(のりひろ)厩舎で調教助手をやって、1995年に調教師の試験に受かると、その年の6月に自分の厩舎を開業して、7月には早くも、イナズマタカオーを使った北九州記念で初の重賞勝ちを飾っとりましたな。

それからも、音無厩舎は順調に勝ち星を増やしとって、オレハマッテルゼを使った2006年の高松宮記念で初めてGIを勝つと、オウケンブルースリを使った2008年の菊花賞、カンパニーを使った2009年の天皇賞・秋とマイルCS、ミッキーアイルを使った2014年のNHKマイルCと2016年のマイルCS、ミッキーロケットを使った一昨年の宝塚記念、インディチャンプを使った去年の安田記念とマイルCS、モズスーパーフレアを使った今年の高松宮記念とか、今までに、GIの13勝を入れて重賞を76回も勝っとるんや。

2004年の音無厩舎は、48勝を上げて「10億3187万円」の賞金を稼いどったし、それから2010年まで、ずっと10億円以上を稼いどりました。

中でも、2009年は、「45勝・獲得賞金15億0488万円」っちゅう成績で、「最多賞金獲得調教師賞」を受賞しとったし、2010年は、「52勝・獲得賞金11億5654万円」っちゅう成績で、初めて「調教師リーディング1位」になったんやから、乗り役よりも、調教師として馬を育てる方が向いとるんやろ。

そんで、2011年から2015年までは、勝ち星も賞金のどっちも2010年の数字を超えられなかったんやけど、去年までの4年間は、

2016年→45勝・獲得賞金11億9467万円
2017年→47勝・獲得賞金12億2770万円
2018年→45勝・獲得賞金13億2507万円
2019年→43勝・獲得賞金13億1710万円

と、立て続けにエエ成績を残しとりました。

で、今年は先週までが「10勝・獲得賞金4億0424万円」っちゅう成績で、去年の同じ時期(4月まで)の「14勝・獲得賞金3億9801万円」と比べて、勝ち星は4つ少ないんやけど、賞金は上回っとるんやから、きっと今の音無君は、「賞金の高いレースを勝って、もっと厩舎に勢いを付けたい」と考えとる筈ですわ。

そんな中、今週は、1着賞金が1億5000万円の天皇賞・春にスティッフェリオとダンビュライト、5400万円の青葉賞にダノンセレスタを登録してきましたんで、どの馬も「勝負懸かり」とワシは見とります。

実際、ワシのところに届いとる最終追い切りについての報告が、見込み通りの内容やったんで、3頭ともエエ走りができそうやな。

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音無秀孝厩舎が登録している、天皇賞・春のスティッフェリオとダンビュライト、青葉賞のダノンセレスタについて、「元調教師のYさん」から届いた報告は以上です。

そうそう、昨日までのブログでも書いていることですが、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(おぐりのりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(やまだよういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也(かまたみつや)君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

★ パーフェクトホースマンズのHPはこちら ★

★ 元JRA馬主・小栗範恭のブログはこちら ★

★ 元JRA調教師・山田要一のブログはこちら ★

★ 元JRA調教助手・鎌田光也のブログはこちら ★

では、また次回。

小西聖一でした。