小倉記念では、「アイルランドの名門厩舎で勉強していた先生」が… | 小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

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調教助手として、厩務員として、競馬と長く関わってきた私が、ファンの皆様に「役立つ情報」をお伝えしたいと思って始めました。

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全国の競馬ファンの皆さん、こんにちは。
小西聖一と申します。



畠山吉宏厩舎のローズプリンスダム(牡5歳・父ロージズインメイ)は、次走の予定が、8月24日(土)のBSN賞です。

この馬を管理している畠山先生のお祖父さんは、1964年の桜花賞とオークスを勝ったカネケヤキや、1971年のオークスを勝ったカネヒムロや、1978年の有馬記念を勝ったカネミノブなどを出したことで有名な「青森牧場」を持っていた方なんですよ。

子供の頃から、牧場にいる馬を見て育った畠山先生は、最初、「牧場を継ぎたい」と思っていたそうですが、レースを見ている内に、「調教師になりたい」と考えるようになって、高校を卒業してから、日本獣医畜産大学(現在の日本獣医生命科学大学)に進んでいます。

ちなみに、私も日本獣医畜産大学の卒業生ですから、先生は私の後輩です。

大学に入って、畠山先生は、馬術部ではなく、東京競馬場の乗馬センターで馬に乗り始めたそうで、大学を卒業した後に、乗馬センターの先生のアドバイスで、「日本装蹄師会」の講習を半年ほど受講していました。

1986年の11月から1998年の2月までは二本柳一馬さんの厩舎で、1998年の3月から1999年の2月までは根本康広先生の厩舎で、それぞれ調教助手をやっていた畠山先生は、2000年の3月に自分の厩舎を開業しています。

去年の畠山厩舎は、21勝を上げて、今までで一番多い「4億0115万円」の賞金を稼いでいました。

ただ、今年はウインブライトでクイーンエリザベス2世Cを勝っていますけど、JRAでは、先週までが「9勝・獲得賞金2億1818万円」と、去年の同じ時期(7月29日まで)の「13勝・獲得賞金2億6831万円」を、勝ち星と賞金のどちらも下回っていますので、今の先生は、「少しでも早く巻き返したい」と考えている筈ですよ。

ですから、1着賞金が2300万円のBSN賞に向けて、畠山先生がローズプリンスダムをどう仕上げてくるのかをキッチリ確認して、馬券に活かしたいと私は思っています。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。



馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、
5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属
といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、小島茂之厩舎が小倉記念に登録しているアウトライアーズについて、私の頼もしい仲間の一人、「元調教師のOさん」から届いた報告を紹介しておきますね。

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東京都出身の小島茂之君は、高校を卒業してから、魚市場でアルバイトをしていた頃に、「競馬に関わる仕事がしたい」と考えるようになって、門別にある育成施設の「ファンタストクラブ」で働き始めました。

彼は、そこで馬乗りを覚えて、1992年の神戸新聞杯と中日スポーツ賞4歳Sを勝ったキョウエイボーガンなどの調教を担当していたんですよ。

そして、1993年の1月に競馬学校の厩務員課程に入って、その年の7月から1年ほど嶋田功さんの厩舎で厩務員をやって、1994年からの5年間は、浅野洋一郎君の厩舎で調教助手をやっていました。

ちなみに、その頃の浅野厩舎と言えば、私がすぐに思い付くのは、1996年の若葉Sで強い勝ち方をして、皐月賞でも4着だったミナモトマリノスで、この馬を担当していたのが小島君でしたね。

浅野厩舎を出た後の小島君は、1999年の暮れから2002年の2月まで、岩城博俊君の厩舎で調教助手をやって、2002年に調教師の試験に受かると、技術調教師としてアイルランドに行って、ジョン・オックス厩舎で色々なことを勉強していました。

ジョン・オックス厩舎と言えば、皆さんもよく知っている通りで、小島君が行く前には、シンダーで2000年のイギリスダービーや凱旋門賞などを勝っていましたし、彼が日本に戻ってからも、アラムシャーで2003年のキングジョージなどを勝っていて、シーザスターズで2009年のイギリス2000ギニーとイギリスダービーと凱旋門賞などを勝っているように、名門中の名門です。

そして、2003年に自分の厩舎を開業した小島君は、その年こそ6勝止まりでしたが、2004年に10勝を上げてからは、コンスタントに勝ち星を上げていて、2008年には、ブラックエンブレムでフラワーCと秋華賞を勝つなど、「25勝・獲得賞金5億0696万円」という、今までで一番の成績を残していました。

でも、それからは一度も2008年の数字を超えられていなくて、去年までの5年間も、

2014年→23勝・獲得賞金2億9398万円
2015年→22勝・獲得賞金3億6654万円
2016年→24勝・獲得賞金4億2808万円
2017年→9勝・獲得賞金2億6024万円
2018年→21勝・獲得賞金4億1194万円

と、成績が伸び悩んでいますから、今年の小島君は、「必ず巻き返したい」と気合いを入れている筈です。

実際、今年に入ってから先週までは、「13勝・獲得賞金2億5185万円」という成績で、もう去年の6割くらいを稼いでいますけど、このままのペースでは、2008年の数字を上回れるかどうかが微妙ですから、きっと今の彼は、「賞金の高いレースを勝って、もっとペースを上げたい」と考えているのでしょう。

そういった中、今週は、1着賞金が4100万円の小倉記念にアウトライアーズを登録してきましたので、私が小島君でしたら、この馬を全力で仕上げますね。

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小島茂之厩舎が小倉記念に登録しているアウトライアーズについて、「元調教師のOさん」から届いた報告は以上です。

そうそう、昨日までのブログでも書いていることですが、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(おぐりのりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(やまだよういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也(かまたみつや)君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

★ パーフェクトホースマンズのHPはこちら ★

★ 元JRA馬主・小栗範恭のブログはこちら ★

★ 元JRA調教師・山田要一のブログはこちら ★

★ 元JRA調教助手・鎌田光也のブログはこちら ★

では、また次回。

小西聖一でした。